第4話:虚飾のティータイム
放課後の生徒会室。
そこは選ばれた者だけが入室を許される、学園の権力の心臓部だ。悠人が重厚なマホガニーの扉をノックして足を踏み入れると、そこにはすでに、宗教画のような美しさでティーカップを温める麗華の姿があった。
「遅かったわね。待ちくたびれたわ」
麗華は顔を上げ、挑戦的でありながら、計算し尽くされた角度の微笑みを悠人に向けた。
その姿は、周囲の有象無象を寄せ付けない絶対的な「女王」そのもの。だが、彼女の脳細胞は今、先ほど購買部で見かけた「賞味期限間近の三色パン」を誰よりも早く確保するためのタイムスケジュールで埋め尽くされている。
(――神月悠人。あなたが本物の御曹司なら、私のこの『安物』の演技も見破られてしまうかもしれない。でも、この男を捕まえてスポンサーにしない限り、西園寺家の再興なんて夢のまた夢なのよ……!)
悠人はその鋭い視線を正面から受け止め、最高級のシルクでも纏っているかのような、ゆったりとした動作でソファーに腰を下ろした。
「失礼。特待生はこれでも忙しくてね。それで、僕の『品格』とやらの査定は、何から始めるつもりだい?」
悠人は穏やかに微笑む。だが、その内面では麗華に対する剥き出しの敵意が渦巻いていた。
(──ふん、お高くとまってろ。お前のその余裕、いつまで続くかな。剥ぎ取ってやるよ、その高い香水の匂いごと)
悠人は鞄の中から、丁寧に包装された小さな箱を取り出した。
「今日は招いてもらったお礼に、菓子を持ってきたよ。僕の家で代々贔屓にしている職人が、伝統的な製法で焼き上げた希少な逸品なんだけど……君の高貴な口に合うかな?」
悠人が差し出したのは、昨日、百円ショップのレジ横で見つけた『全粒粉ビスケット(108円)』を、家でアイロンをかけてシワを伸ばした高級ブランドの包装紙で包み直した代物だ。
「あら……光栄だわ。私からも、西園寺家御用達の農園で、今年一番に摘み取られた茶葉を用意させてもらったわ。じっくりと、その身に刻みなさい」
麗華がポットから注いだのは、業務スーパーで一キロ数百円で叩き売られていた『特用アールグレイ』だ。だが、彼女はそれを、かつての没落前に唯一差し押さえを免れた「本物のアンティークカップ」に注ぐことで、一滴数万円の黄金色に偽装してみせた。
悠人は、恭しく差し出された茶を一口啜る。
(――……!? なんだこれ、えらく薄い。……いや、待て。これは僕が知っている安物の『出がらし』じゃない。本物の最高級品というのは、雑味を削ぎ落とした結果、水のように澄み渡る境地に達するものなのか……!?)
悠人は背筋を走る戦慄を押し殺し、法悦の表情を作ってみせた。
「……驚いたな。これほど透明感のある香りは初めてだ。流石は西園寺さんだね、格が違う」
「ふふ、気に入ってくれて光栄だわ。……さあ、そのお菓子も頂戴するわね」
悠人の称賛に、麗華は「勝った!」と内心でガッツポーズを決めながら、悠人が持参したビスケットを口にした。
(――!? 硬っ。……何これ、石? 口の中の水分が、砂漠の砂に吸われるみたいに全部持っていかれるわ。……でも、この噛めば噛むほど無(む)に近い素朴すぎる味。もしやこれが、美食の果てに辿り着くという『究極のオーガニック』なの……!?)
麗華は頬を微かに赤らめ、悟りを開いたかのように溜息をついた。
「素晴らしいわ……。過剰な糖分を排し、素材の力だけで勝負している。あなたの『品格』、少しだけ認めてあげてもいいわよ」
(──よし、食いついた。お前みたいな贅沢の限りを尽くした令嬢なら、逆にこういう『何もない味』に一周回って高尚さを感じるはずだ。計算通りだぜ!)
(──ふふ、神月悠人。所詮は御曹司といえど、この程度の味しか知らないのね。私の用意した『業務スーパー・アールグレイ』を透明感があるなんて……。あんたの審美眼なんてその程度。これなら容易く手玉に取れるわ!)
夕闇の迫る豪華な生徒会室で、二人はお互いに「安物」を喉に詰まらせそうになりながら、優雅な微笑を絶やさずに語り合う。
悠人は麗華の背後にあるはずの「数千億円の資産」を狙い。
麗華は悠人の背後にあるはずの「無限の財力」を狙う。
お互いに一円の余裕もない崖っぷちの男女が、世界で最も贅沢な時間を装いながら、相手を陥落させるための火花を散らしていた。
「神月くん。これからも、時々こうしてお茶をしましょう? 私たち、とても話が合う気がするわ」
「ああ、喜んで。西園寺さんと過ごす時間は、何物にも代えがたい『価値』があるからね」
(――全くだぜ。お前の資産は、俺の母さんの治療費そのものなんだからな!)
(――ええ。あなたの財力は、私の家の再興そのものなんだから!)
窓の外では、一番星が冷たく輝き始めていた。
この数十分後、それぞれがボロアパートへ帰り、同じ「もやし」と「パンの耳」を啜る生活に戻ることなど、二人は微塵も感じさせないまま、最高に高貴な別れの挨拶を交わすのだった。
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