第8話 消えゆく傷
ブラック・レイン・ランナーズの二階は確かに宿屋になっていた。壁や床は木でできている。和風旅館というよりは西洋の古アパートみたいな雰囲気ではあるが、ところどころの装飾が和風じみている。
おおよそ六つか七つの部屋がある。俺たちは廊下の突き当り左側にある部屋の前に立った。「207」と書かれた木札が扉に掛かっている。
受付の店員さんにもらった鍵はひとつ。その鍵にも同じ番号が刻まれている。
「どうしたの、開けないの?」
リンゴが鍵を覗き込んでくる。
「ここで合ってると思うけど」
「ん、ああ……」
鍵を差し込み、捻る。がちゃり。手ごたえあり。
扉を押し開ける。中は……なんて言ったらいいだろう。ドラクエとかにある宿屋と似たような感じだ。あれよりは多少インテリアは多い。
「いいね」
リンゴはそう呟き、中に入っていく。
「着替えはクローゼットにあるらしい」
「あ、そうなの? お、これなんだろう。冷蔵庫かな……でも電気は引いてなさそう。なんで冷たいんだろう。あっあれはハンガーだね」
リンゴは部屋の中を探検し始めた。楽しそうだ。どうやらリンゴは、気になることは放っておけない
一方俺は、ある一つのことだけが気がかりだった。
それは……ベッドが一つしかないことだ。二人寝れるくらいの大きさではあるが……
「タダで泊めてもらってるんだし文句は言えないよな」
そうひとりごちる。
同行者は相部屋。シュプラさんが言ったその言葉は冗談ではなかった。冗談であってほしかったが。
この部屋で俺たち二人が眠るとなると、必然的にベッドに二人寝るかもしくはどちらか一人が床で寝るしかない(ソファーみたいなものはなさそうだった)。正直なところ、俺も疲れているので、床で寝るのはキツイ。かといってリンゴを床で寝させるわけにもいかないし……
「ううん。考えててもしょうがないか……」
クローゼットを漁っていたリンゴがこっちを向く。
「うん? なにか言った?」
「いや。風呂、入ってくる」
「じゃ、着替え。はいっ」
リンゴが何かを投げる。キャッチして見てみるとそれはどうやら服のようだった。不思議な手触りの服だ。畳まれているからどういう服なのかはよくわからない。
「ありがとう」
「ねえ、パールくん」
踵を返し風呂場へ向かおうとしていた俺をリンゴが呼び止める。
「ん?」
「パールくんのも、教えてよ」
「……なにを?」
「理由」
リンゴは真剣な表情になる。
「あのとき、あの神社に雨宿りしに来た理由」
「……言ってなかったっけ。狐がいたんだよ。そいつに呼ばれてさ」
「そっちじゃなくて。狐に呼ばれる前だよ」
「前?」
「どうしてあの日、あの場所で、雨の中ひとり自転車を漕いでたの? ……何も持たずに」
リンゴの目には俺が映っている。俺は思わず目をそらした。
「私はお父さんを探してた。ずっと。あの神社はお父さんの好きな場所だったんだ。雨の日にはいつもあの神社に行ってた」
「……」
「パールくんは? パールくん、引っ越しはしてないよね? ……あの神社は、パールくんの家からは遠すぎる」
リンゴは鋭い。
リンゴが鋭いことはこの数時間で充分に理解できていた。
でもその鋭さが俺に刺さってくるとなると、俺は何一つまともに言葉を繋ぐことができなかった。
「……俺は」
「うん」
「お、俺は……」
うまく言葉が続かない。
言いたくないのではなく、言えない。
『認めたくないこと』だからだ。
それを言ってしまうと俺は、崩れてしまうような気がして。
ちゃんとそれについて考えることもしてこなかった。
「おれ、は」
「うん」
「お、れは………」
「うん……大丈夫、ちゃんと聞いてるよ」
ダメだ。
心臓から何かがこみあげてくる。
恐怖? 悲しみ? 怒り?
それが何なのかもわからないほどに、俺はその感情に見ないフリをし続けてきてしまっている。
ただ黒い何かが、俺の口から、目から鼻から、飛び出そうとしている。
「……ごめん。ムリだ」
「そうかあ」
リンゴはふーっと細いため息を吐いた。その息が消えると、黒い何かも消えた。
「言いたくないことだったよね。ごめん」
「いや、俺のほうこそごめん」
「なんでパールくんが謝るの。あはは」
「フェアじゃないだろ。リンゴは話してくれたのに」
「やー、話すつもりはなかったしね、私。話そうとしてくれただけで嬉しいよ」
リンゴはクローゼットからもう一組の着替えを取り出す。
「私もお風呂行くよ。鍵閉めなきゃいけないしね。……て言っても、なんにも持ち物ないけど」
「ああ……そうだな」
リンゴが部屋から出てくるのを待って、俺は鍵を閉める。
「また今度神社に戻って、持ってこないとな」
「えっ?」
リンゴは目を丸くした。
「持ち物だよ。あそこに置きっぱなしだろ? 住みついてたんじゃないのか?」
俺は風呂場の方に歩き始める。リンゴは一瞬立ち止まっていたが、小走りし俺の横に並んだ。
「そんな野良犬みたいな。……うん。持ち物はもういいんだ。もうあそこでお父さんを待ち続ける必要はなくなったから」
「え?」
「お父さんはね。白い鳥居の上にいつもいたんだ。見たでしょ? 白い鳥居」
「え? ああ……」
白い鳥居。確かに、それはあった。元の世界にではなく、この世界に。
俺たちが最初に降り立ったあの瓦礫の山。そこで見た。
あれは確かに、白い鳥居だった。
「あの上に座って空を見るのが好きだったんだ。私も一緒に登ってよく神主さんに怒られて……」
きっとそれは、八年以上前の話だ。
俺たちは幼馴染で、そしてあの街に住んでいた。リンゴがあの街から出ていくまでは、俺たちは毎日のように遊んでいた。
「この世界にあの鳥居が来てるってことは、お父さんもこっちに来てる。間違いなく」
「……」
俺は思い出す。
もしかして、それは――
「クロックスくんも、お父さんの隣に座ってたのかも」
「……そうかもな」
「うん…………」
それきり、会話は途絶えた。
リンゴは何かを考えているようだった。
たぶん、クロックスが
俺はリンゴに何か言葉をかけようかと思ったが、言葉をかけたところで解決するような問題ではない、と思い直す。
『言葉が通じても心が通じるわけじゃない』……
リンゴがそう囁いた気がした。
階段を下りる。
風呂場は地下にある。といっても一階の飲み屋スペースを通るわけではない。まったく別の階段から降りるのだ。妙に広いその階段を下りると、こざっぱりした風呂場の入口が見えた。
幸いにも、風呂場はきちんと男女別々だった。共用だから当然だが。
「じゃあ、また後で」
「うん」
リンゴはすたすたと女性入り口に入って行った。
後ろ姿がスカッとしている。説明しにくいが、晴れやかというか憑き物が落ちたような感じだ。
俺が心配するほどリンゴは思い悩んでるわけではないのかもな。
風呂に入る。先客はいない。石の床は濡れている。
入口は男女別だけど中では繋がってましたー! みたいなことは当然ない。
シャワーらしきものがいくつか備え付けられていて、俺はそのうちのひとつの前に座り、蛇口の栓をひねった。
「あれ?」
シャワーを浴びているときに違和感に気づく。
肩の傷が消えている。
アギアムのギア弾に撃たれて血が出ていたはずの肩の傷は、まだ少し痕は残っているものの、綺麗に塞がっていた。
次話「バベルの塔」に続く。
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