「預かり物だよ」

「見てきて良い?」

「ちゃんと用事を済ませてからならな。あれはまだ自分が分かっていない。だから気付かせる存在には無暗に近づいてほしくはない。私の言いたいことは分かるだろう? 貴様は私の怒りを買うようなことはしないだろうし信頼しているが一応念を押しておく」

 少々不機嫌に言い放つみことの姿を見て廉然漣れんぜんれんは口の端を引き上げ微笑んで「なんだ、神子みこちゃん色に染めたいのね」と言ったが、みことの嘲るような冷めた視線に「もう、面白くないわね」と口をすぼませた。

 楽しみも出来たしさっさと用事を済ませてくると、小走りに廉然漣れんぜんれんが客室の方へと向かった時、宿香御堂やどこうみどうの入り口に男性客が五人立ちみことを見て一礼する。

 時計を見れば開店時間となっており、五人の客は時間厳守でちょうどたどり着いたようだった。

 みこと廉然漣れんぜんれんの対応とは違い、黙ったまま一人目には猿の、二人目にはムカデの絵柄の鍵を渡す。

 あとの二人にも同じように鹿と蛇の絵柄の鍵をそれぞれに渡し、最後の一人に狼の絵柄の鍵を渡して、左手で客室へと通じる廊下の方を指示しながらゆっくりと頭を下げた。

 それに促されるように猿、鹿、ムカデ、蛇の鍵を持った客は慣れた足取りで自分の客室へと向かう。

 狼の鍵を持った男は少々戸惑いながら流れに乗るかのように四人の後ろについて歩いていった。

 しかし、ロビーから客室の廊下に入るところで狼の絵柄の鍵を持った男が立ち止まり戻ってきて、頭を下げるみことに声をかける。

「あの、申し訳ない」

「はい、何でしょう?」

「此処に来ればどうにかしてくれると、そう聞いてきたのですが。部屋の鍵だけを渡されても私にはさっぱり……」

 顔色はことさら悪く、冷や汗すら額ににじみ出て言葉を発するのもやっとな男に向かってみことは手のひらを見せるように差し出し話を遮った。

 男が何事かと少し不安げな表情でみことを見つめれば、口元に笑みを浮かべているものの、少々鋭い視線がそこにはあり男はびくりと体を揺らす。

宿香御堂やどこうみどうは只予約を受け付けるだけではございません。予約を頂きましたらお客様の状況を把握します。つまり、お客様が来訪された時点で私は全てを理解した状況にあるわけです。故にお客様それぞれに相応の部屋になるよう仕上げております。まずは部屋に入っていただき、そちらの鍵でドアを施錠、そして部屋に用意してある座布団にお座りください。それでもなお自らが自らでないと、何処も変わりがないと感じられたのであればお申し付けくださいませ。相応の対処はさせていただきます」

「いや、しかし……」

 自分の言葉を遮られたのが不服なのか、それとも聞きたい事柄を応えてくれていないように感じるのが嫌なのか。

 体調が悪そうにも拘らず四の五のと言っている男に、猿の絵柄の鍵を渡された男が近づいてきた。

「お前さん、宿香御堂やどこうみどうに来るのは初めてかい?」

 不意に自分の背後から聞こえてきた背は低く、少々甲高いような男の声に、驚きながら振り返った男は小さく「えぇ、初めてです」と頷き、知人に紹介されこの場所を知り今日やって来たのだと説明する。

「なるほど、ならば仕方ないか。この宿香御堂やどこうみどうでは常識という物は通用しない。つまり、お前さん自身が持っている宿の常識なんてものは一つも存在しないんだ。己の常識が通用しないってのは戸惑うし納得いかないかもしれないが、ここはひとつ騙されたと思って主人の言う通りにするんだね。お前さんを紹介した知人とやらも、お前さん自身も、どうにもできなかったから此処に来たのだろう? ここは我々にとっては大切な場所であり、お前さんの様な者にとっては最終手段的な場所だ。己の常識に凝り固まって宿香御堂やどこうみどうの主人に口答えしているようでは此処を利用する資格もない。納得がいかないと思ってもまずは部屋に行き、言われた通りにすることだ」

 唇の端を上げ、少し黄ばんだ犬歯を見せながら微笑む男は言うだけ言って、みことに手を振りながら自分の部屋の方へと歩き始めた。

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