一足遅かったな! 《管理人ズ》
2022年3月30日 レビュアー 管理人ズ
我々はフーリダヤム考察サイトの運営管理人である。
考察サイトに寄せられた玉石混交のアイデアの中から本質的なものを選り分け、有力な考察の鍵と言えるものを取り出すことに我々は成功した。この物語は、非常にわかりにくく、かつ杜撰に作られている部分もあるが、物語外部へと接続される記号的細部については明白な法則性があるようだ。ネットという集合知は、ひと昔前であれば不可能であった解析を可能にする。もちろん紛れ込むノイズも計り知れない。が、根気よく突き詰めていけば必ず真実にぶち当たる、我々はそれを信じて疑わなかった。
我々が大途絶時代と呼びならわしている数年の更新中断。その事後に書き手の交代があったことはほぼ定説となっている。ここ数年で飛躍的に進化したAIによる文体診断では98%の確率で別人だそうである。であるなら、その交代劇などうのようにして行なわれたのか、本当に文中から宝の在り処を読み解き、作者のアカウントを引き継いで新たな書き手となった者がいたのか? はたまた収益化による多額の金銭を手にした者が?
それだけは突き止めねばなるまい。まず我々が手をつけたのは、作中に登場するシシリー・マフードという脚本家の名前についてである。この死んでいるにもかかわらず物語に絶大な影響を及ぼす人物のスペルが「sicily mahfud」であり、そのアナグラムからUとFを省けば「yidish calm」となることはかなり早い段階から言われていたものである(UとFを除外するという作業の正当性については杜ノ石松氏のレビューに詳しい)。
ここからイディッシュ凪=yidish calmというレビュアーの存在が俄然注目されることになった。このレビュアーもまた謎の存在である。ヨミヨムに登録しているもののフーリダヤムのレビューの他にいかなる活動形跡も見当たらない。読み専とも違う。なにしろレビューまでしたフーリダヤムをマイリストにすら入れていないのだ。まるでこのためだけに創造されたポートレートのようである。
イディッシュ凪という人物にはほとんど体温めいたものを感じられない。まるで幽霊のようにわずかなレビューだけを残して消えた。いや消えてすらいない。ただ、虚ろな残留思念みたいにしてネット上を漂っている。では、そのレビュー内容に何かヒントが隠されているのだろうか。イディッシュ凪という人物が作者眞淵祭文の別アカであるとも噂されてきた、何か証拠、あるいは足跡のようなものが見つかるだろうか?
まずはレビュー内容について見よう。
イディッシュ凪のレビューは、ワートとギアロという二つの都市を比較するものだ。まったく別様の都市でありながら、見逃せない共通点もあるという趣旨である。都市論としての切り口は読み応えがあるし斬新とも言えるのだが、それ以上でも以下でもない。ただ、当該のレビューをチェックして欲しいのだが、ひとつだけおかしな部分が存在するのだ。
少し引用してみる。
『二つの都市にはまったく同じ高さの給水塔(ギアロでは「配水塔」と呼ばれる)が登場します』
これは不思議な一節である。なぜならフーリダヤムの作中に給水塔の高さを具体的な示す部分はないのだ。また二つの塔の高さが等しいことを明言する言葉もない。前レビュアーによるとBパートによるAパートへの侵略が進んでいるそうであるが、もしかしたら改訂以前のバージョンにはそれがあったのかもしれない。イディッシュ凪氏は、改訂前のバージョンを元にレビューをしているはずだ。レビューの日付を見ればそれは間違いないところである。
これを確かめるためにレビュアー渤海氏に原資料Aの借覧を願ったが、許諾を得ることはできなかった。つまり我々が確認できる範囲において二つの給水塔の高さが等しいと知れる部分はないということである。もし、原資料Aにもその描写がないのだとしたらイディッシュ凪氏はどこからそんな認識を得たのだろうか。単なる誤読か勘違いであればいいのだが、どこか薄気味悪い感触が拭えない。
さて、この給水塔の高さはどれほどなのか。具体的な記述はないが、本文中には、こんな描写がある。
『吹きつける風は強い。もし落ちても猫であれば助かるかもしれないほどの高さだった。ファスダが子供の頃飼っていたチワワなら即死だろう。ファスダに動物を墜落死させる趣味はなかったが、彼女が次に演じる予定の悪女リーゼはそうとも限らない。あいつは残忍かつ冷酷なのだ』
これはワートの給水塔に忍び込んだファスダにまつわる叙述である。日本の俳優がマンション9階26メートルの高さから飛び降りて助かった事件があったので、それよりは高いに違いない。一般的な給水塔の高さは40メートルほどだが、作中に出てくるそれは古びた年代物とされており、もう少し低いとも考えられる。
ファスダが給水塔に上るのは、ワートに渡って初めての誕生日の夜である。ここで決意したことはことごとく現実になるヒロインにとって魔術の杖。それが古びた給水塔なのだ。マネージャーのケイリがシシリー・マフードの遺稿を見つけるのは地下室だったが、その鍵はなんとギアロの配水塔に隠されていた。
我々は眞淵祭文が何かを隠すのだとしたら、水を高く吸い上げる塔の中であろうと見当をつけた。作者の給水塔に対する強迫観念めいた執着には驚かされる。ただし給水塔には一般人の立ち入りを禁止されているものが多い。使われなくなった給水塔が記念建築的価値から保存される場合であっても、いつも開放されているわけではない。
気になったのはファスダが誕生日に給水塔へ上るといったエピソードである。ファスダの誕生日は11月5日だったが、その日に一般開放されている給水塔は国内に見つけることができなかった。では作者自身の誕生日はどうであろうか? これはプロフィールはもちろんどこにも明かされていていない。ひとつだけ、作者の実人生の知己であるというシェンカー・リー氏のレビュー上にはこんな一節が見られる。
『昨日は君の誕生日だったね。遅くなったけれどおめでとう』
このレビューの投稿日は2012年8月9日。この前日であるなら眞淵祭文の誕生日は8月8日となる。もし作者もまた誕生日に塔に上ったとするなら、その日に一般公開されている給水塔がどこかにあるはずである。確証はなかったが、我々はひとまずそう信じた。
それは容易に見つけることができた。名古屋市にある東山給水塔。以前は配水塔と呼ばれていたという事実も興味深いところだ。同市最古の給水塔ということもあり、作中の古い給水塔ともイメージが合致する。
春分の日と8月8日(まるはちの日)だけ開放されるこの給水塔に首都圏から我々は勇んで繰り出した。できれば8月8日にしたかったのだが、直近の開放日は春分の日だったためにその日にでかけることにした。
午前中のオープン直後の時間帯だったこともあり他の見物客は少なく、我々は全高37.85メートルの塔内を心ゆくまで堪能できた。土木遺産に認定されていることもあり、永きにわたって風雪に耐えた給水塔にはそれだけで長旅の疲れを忘れさせる趣きがあった。
しかし、そこに何かが隠されている気配はなかった。数時間粘っても塔内には何かを隠すようなスペースはなく、あっても立ち入ることのできない性質の場所である。進退窮まった我々は塔を出て、外部から蔦に覆われたその威容を徒労感とともに見上げた。もはや打つ手なし。どうやらこの遠征は無駄足に終わりそうであった。
その時、メンバーのひとりが声を上げた。給水塔に併設された小さな煉瓦造りの建物を見つけたのだ。これも給水塔と同じく年代物らしい。おそらく配水池へ通じていたものだろう。青いペンキ塗りの鉄扉が可愛らしい。我々は互いに顔を見合わせた。この古ぼけた建物に心当たりがあったからだ。シシリー・マフードの別荘の地下室へ通じる小屋がちょうどこんな感じであったのである。
立ち入りを許されているとは思わなかったが、思い切って我々はドアに手をかけた。するとドアはギギギと錆びた音を立てて開き、いくぶんためらいがちに我々を迎え入れた。地下へと続く階段からは埃のにおいと冷気が溢れ出した。スマートフォンのライトを掲げた我々はおずおずと地下へと下った。そこに拡がるのは、ケイリがシシリー・マフードの遺稿を発見した地下室と寸分変わらぬ光景。小説と同じであれば、奥には木材であちこちを補強された壁と壊れたダルマストーブがあるはずである。我らが女傑ケイリはその内側に求めていたものを見出したのである。
我先にとストーブへ殺到するも、狭い暗がりの中で押し合いへし合いとなり、作業はいっこうに進まない。ストーブの留め金を外して内部に手を突っ込んでみるが手応えはなかった。しつこくまさぐった隅っこにようやく固い繊維の感触を捉えた。しかし、それは落胆と失望の手触りといってよかった。
『一足遅かったな!』
ストーブ同様に古いデニム地のエプロンに真っ赤なスプレーで殴り書きされていたのは、そんな煽り文句だった。謎を先に解き明かした誰かが後続の我々をせせら笑う言葉を残していたのだ。どうやら出遅れたらしい。もしかしたらこのメッセージを残した誰かもすでに先客に宝を奪われた後で、その腹いせにこんなことをしたのかもしれなかったが、結局のところ真相は闇の中だ。
そう、その瞬間、ずいぶんと目減りしていたスマートフォンの充電が尽き、ライトがふつりと消えた。文字通り我々はあてどの無い闇に中に取り残されたのであった。
かくして探索は失敗に終わった。とはいえ収穫はあった。この場所に何かが隠されていたことは間違いない。それを真っ先に見つけ出した者が中断後のフーリダヤムの新しい書き手となったとしたらそれはそれで楽しい物語である。それとも作者の仕掛けた悪戯に我々が翻弄されただけということもあり得る。それだって悪くはないだろう。なにしろ我々は我々を塔のてっ辺から埃っぽい地下室までひきずり回してくれる何かをいつだって探しているのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます