文体戦争 《渤海》


2018年12月6日 レビュアー 渤海


このレビューで行なうのは、フーリダヤム再開前と再開後の文体比較となります。これが指摘されることは極めて稀なのですが、自作ソフトを使ったわたしの研究によりますと、大きな中断を挟んで文体は微妙に違っているのです。


まず地の文についてですが、過去形と終わるセンテンスと現在形で終わるセンテンスの比率が大きく変わっています。全体の85%に及ぶ中断前のパートと再開後のパートでは、まったくバランスが変わっています。仮に前者をAパート、後者をBパートとするならば、Aパートでは過去形で終わるセンテンスがほとんどですが、Bパートではほぼ同じ割合となっています。


また間接話法の使用もBパートではめっきり減っていますが、その代わりに擬人法の多用が目立つようになります。このような推移は、ひとりの作家のキャリアの中でも起こり得ますが、ひとつの作品の中で無自覚に起こることは珍しいでしょう。文体とは指紋のように個人を特定させます。数年のブランクは、文体の変化を起こさせるには充分な時間でしょうか。


答えはイエスでもありノーでもあります。


あえて一作のうちに文体を変化させようとする技巧的な作家もいますが、フーリダヤムの作風においてそうした傾向は見られません。統一的な文体で、揺らぎのない語り口が意図されているにも関わらず、丹念に読み込んでいけば、そこに明らかな変化があるのです。異なる地層のように中断後の文体には別の風土が詰まっています。意図せざるこの変化は、むしろ隠そうとして隠し切れなかった微細な違いと見たほうが真実に近いでしょう。


わたしの仮説はこうです。作者である眞淵祭文はすでに執筆に携わっていない。中断前と後で作者は別人である。IDとパスワードが移譲されたとのもっともらしい噂もあながち眉唾とは言い切れません。


作品を引き継いだ第二の作者は前任者の作風に似せようと努力したものの、どこか似せきれずに瑕疵かしが露呈してしまったのだと考えられます。これは第二の作者がオリジナルの技術に追いつけなかったという意味では決してなく、むしろ部分的にはそれを凌いでしまったために起きた露呈でもあります。


物語進行のテンポとそれを妨げる描写への固執。この問題点においては、再開後にはほとんど解消されています。どこかぎこちなかったワートのセレブレティたちの衒学的な会話もしっくりと馴染んでいるし、時系列を前後させる倒叙法もアクロバティックな影を潜め、必要最低限に禁欲されています。ルビと改行の減少。人称代名詞の固定化など……。


まだまだ挙げていけばキリがないのですが、ほんの微妙であるけれど決定的な差異において、二つのパートの書き手が別の人間であることが確信できます。


つまり二人の眞淵祭文が存在するのです。当然、数年の間に作者の技術が別人と見違えるほどに向上したということもあり得ます。ただ、わたしはここにひとりの人間の成長曲線上の変化というよりももっと抜本的な違いを嗅ぎ取っているのです。ひとりの書き手が亡くなり、別の書き手が物語を書き継ぐという美談もあります。が、しかしここにはそうした穏当な共著にはない険しさを感じます。オリジナルの書き手がどうなったのか、都市伝説の語る通り、アカウントの移譲が行なわれたのか――あるいは強奪が――それは不明ですし、ここでは扱いません。


ここで強く訴えたいのは、さらに重要な点です。


精密に読み込んでいくと、Bパートの文体は、そこだけに止まらずやがてAパートまでに侵出していることがわかります。これはどういうことか。まるで断絶の空白を挟んで、Bパートの軍勢がAパートの領地へ攻め入っているようにも見えます。ネット上の小説が書き換えられた場合、物好きな読者が元のバージョンを保存していない限り痕跡は残りません。


これが単著であれば作者自身の校正と手直しであると納得できます。商業作家は重版や復刻の機会に作品に大きく手を加えることもあります。作者の心境の変化や時代のニーズに合わせた形に修正するのです。フーリダヤムにもそれが起きたのでしょうか。前述の物好きな読者であるわたしはAパートのオリジナルバージョンを複製してありましたから、Bパートよりの侵略を克明に知ることができました。そう、これは侵略なのです。


Aパートは、Bパートのよく似てはいるが平坦で没個性的な文体によって骨抜きにされました。まるで巨大なローラーに均されるように土壌は固められ、野生の品種はお手軽な別の何かに変貌していきました。無数にあるフーリダヤムの考察サイトのどこにもこのような蛮行を批難する記事もコメントもありませんでした。眞淵祭文Ⅱによるオリジナルの眞淵祭文の言葉殺しは静かに進行していきます。いまもまだ殺戮は継続しています。そしてこれを食い止める手立てはないのです。


しかし希望はあります。おこがましい物言いですが、それはわたしです。正しく言えば、わたしが所持する手つかずのAパートの原資料です。わたしならオリジナルのフーリダヤムを丸ごと復活させられます。


わたしは原資料Aをいかなる意味でも金銭や利得によって取引する気はありませんが、志ある方には無償で配布するつもりです。わたしの夢はもちろんAパート文体による全編の統合です。あの魅力的なアンバランスさこそが器用なだけの文章達者には書けない小説の妙味ではないでしょうか。Bパート文体すなわち眞淵祭文Ⅱによる圧制を許してはいけません。


この野蛮な文化侵略に抗うために共に立ち上がってくださる同志よ。自由の旗のもとに集って下さい。この聖戦に敗北することはあってはならないのです。


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