第1章 ヤンキー百合 13

 月曜日。放課後にまず広報部で榊先輩のチェックをいただき記事を最新プリンターで印刷、初仕事へのご褒美だよ!と渋いおっさんの横顔がトレードマークの缶珈琲を手渡す長野部長のセンスが斬新なのか普通なのか拙劣なのかは不明だがそこに悪意はないのだと一気に飲み干してご馳走様ですと親指立てて見せて後印刷物をオカルト研究会の白洲に再確認してもらい表記のミスや表現法に問題がないことを確実にして私はお嬢様方がきゃっきゃうふふご歓談されている歓談場にステルスモード忍び足で入り込み、嗚呼、少女たちの交歓、と震えながらも気配を殺しきって掲示板に印刷物を貼り出して雨にも負けず風にも負けず世間から一顧だにされぬ清掃人の如くその場を去った。

 という一連の演技を終えて私は歓談場に戻った。きょろきょろと誰が座っているのか確認する、つまりこの場に初めて現れた生徒を演出しながら飲料自動販売機の前で小銭の使途を悩んでいるふりをして会話に耳を澄ませた。

 お父様がこの間乗馬クラブに連れて行ってくれたのだけれど。確か、山の方にある? ええ、そこで私も馬に乗ったのだけれど。ええ。はしたない言葉だけれど、お尻が痛くて仕方がないのよ、よく映画や何かで涼しい顔をして乗っているけれど、私、なんだかがっかりしてしまったわ、幻滅よ。けっこう痛いのね? そうよ、好き好んで乗りに行くお父様の気が知れないわ。そうね、わざわざ痛い思いをしに出向くこともないかもしれないわね。でしょう? ええ。……。……。……。占いって、どう思う? 占いは、胡散臭いから近寄るなってお母様が。でも、テレビや何かで目に入ってしまうと気になるものよね。それは、暗示みたいなものだわ、良くない傾向よ。あそこに目玉焼きくらいの占いって貼り紙がしてあるのだけれど。どういう意味かしら? 卑俗な言葉でごめんなさい、その、朝飯前という意味ではないかしら。簡単、ということ? あんな物、貼ってあったかしら? さあ、風景みたいなもので、真剣に見ていないから分からないわ。うーん、よく見えないわね、近くで見てきていいかしら。ええ、どうぞ。

 私はジュースを飲もうと思っていたのに適当な物がないではないかと失望に肩を竦める人を演じて、背中で盗聴した会話の主が掲示物へ移動するのを身体の向きを変えて視認する。彼女が読んでいる間は待ち人を待つ人を腕時計に視線を遣って苛立つ雰囲気で説明し、彼女が戻った座席のそばに空きテーブルを見つけ急いでジュースを買いその空席に座る。きょろきょろして人待ちを演じる。

 あなた、白紙を持っていないかしら? 罫線入りだけれどノートなら持っているわ。サインペンは? 筆箱に入っているけれど。出してみて。これでいいの? 罫線が邪魔ね……まあいいわ、円を描いて頂戴。円? 円よ、丸でもいいわ。どっち? 両方同じよ、こうやって、くるっと円を描いてみて。紙いっぱいに描けばいいの、それとも小さく隅に描けばいいの? なんでもいいから、心の思うままに描いてみて頂戴。……こんな感じでどうかしら。うんうん、なるほどなるほど。これで何が分かるの? 詳しいことはよく分からないのだけれど、あなたの心の状態が分かるそうよ。心の状態? 大きく描いたり小さく描いたり、始まりと終わりがちゃんとくっついてたりズレてたり、歪んだり綺麗な円だったり、何だったかしら、宇宙とか悟りとかいろいろ書いてあったけれど、その円を見ればあなたの今の心がだいたい分かるそうよ。何も分かってないじゃない? それは、でもあれじゃない、あなた随分雑な円じゃない、いい加減な性格の表れだわ。私いい加減ではないわ。でも、始点も終点も先生がテストに付ける丸みたいにズレているし、縦に潰れているところなんて実にあなたらしいという気もするわ。そう言うんならあなたも描いて見せてよ。……どう? ずるいわ、それは答えを予め知って描いてるから綺麗な円なんじゃない! えへへ、私の几帳面な性格が出たんじゃないかしら。納得いかない! ぎゃあ。ぎゃあ。

 私はジュースを鞄に素早く仕舞い口元を押さえて退場した。「ふひひひひ」覆った手を漏水のように音がすり抜ける。「たぶん占い否定派のA子は信じない。でもB子は面白がって布教する。布教する際にはちゃんとした知識が要求されるから白洲先生監修、禅の円相についてもよく読むはず。なんか面白い。それでいい。でも、でも。うふふふふふ、A子とB子にとってどんな円が描かれるかなんて実は些事なの、二人はただ何かを肴にして乳繰り合いたいだけなのだもの。きっと二人はまた円を描いて、ぎゃあぎゃあ言い合うの。不在と存在をめぐる禅問答。波打ち際で水を掛け合うような、ただ青春という意味しかない中空。その無価値さにこそ咲く百合の花のあれ……んふふふふふふふ」

 通りすがりの生徒がぎょっとした顔を見せたので私は背骨に活を入れて平静の私に戻る。効果のほどは数日経てば知れるだろう。流行した時用と不発の時用の記事の概要を頭で練る。それをまた白洲と協議して、と先へ先へと思考が走っていく。


 水曜日。掲示からまだ一日と少しだが昼休みの手持ち無沙汰に円を描いて笑い合うクラスメイト数名を確認した。特殊な道具なしに十秒で出来る手軽さ重視の占いにして正解だった。尤も、当初想定した深層心理の占いよりは一般論の性格診断として広まっている面はあるが。

 放課後、広報部に顔を出すと榊先輩にぼちぼち、広まっている感じかな、と言われた。状況説明なのかそこに褒める意味合いが含まれているのかは不明だった。長野部長はまた渋いおっさんの刷られた缶珈琲をくれた。長野部長、これ好きなんですかと訊いた。ううん、飲んだことないよ、と胸を張って答えられた。拘りがあるのかたまたま同じ物を渡されただけなのかさえ読み取れない。

 オカルト研究会に移ると荒木が出迎えた。白洲にタロットカードについて教わっているらしい。ノートに雑な絵と共に大アルカナの凡その意味をメモしていた。だいぶ馴染んだ様子だった。

 記事の反響に関する榊先輩の見解を白洲に伝え、クラスでの目撃談を交えてから特集記事第二弾について話し合う。今度はベタベタのタロット占いをやりたいと進言する。何々版の歴史を熱く説かれたがそこまでコテコテにされると誰も受け付けないだろう、一枚めくってそれが運命、みたいな簡易も簡易の占いを要求する。白洲は不服ながらも、伏せたカードで円を作り、その中から一つ選んで運勢を占う方法を提示する。手順を大切にしたいと白洲は言ったが一発芸の分かりやすさを重視したいと粘ると折れた。荒木が口を挟みたそうにしていたので話を振ったがいやあと言葉を濁して汗も出ていない額を手の甲で拭う。稚拙な演技で意見を引っ込めた先日を思い出し言いたいことがあるなら言いなよと促したが荒木はいやいいんだいいんだと何がいいんだか分からない返事をよこしたので埒が明かないなと思い話を打ち切り、実験として白洲指導の下簡易占いで引いたカードが魔術師。何かしらが起きる若しくは水面下で起きている可能性があるわね、という白洲の言葉の意味が木曜夜に判明した。

 私は夕食を終え入浴も済ませ点呼も終え消灯時間を待つだけの蛍の光が流れ出したスーパーの終末感で千恵とベッドに寝転びどうでもいい話をしていた。その親密な雰囲気をゴジラが踏みつけと火炎で破壊するようにスマホが着信に喚き始めた。「こんな遅い時間に誰だよ」と言いながら握った画面に荒木の名前。時間も時間なので千恵に部屋を少し出てとは言えず、既に千恵には荒木の白洲への好意も知らせてあるのだから遠慮してもらう必要もないかと判断し公然と通話することにした。「荒木さんから」と言っただけで千恵は意図を察して口を手で塞ぎ物音を立てない意思を表した。

 よろしくと千恵に頷いて、ベッドの端に座り直して電話を取る。「もしもし」

「ああぁあぁ花咲ぃいぃぃ、助けてくれぇえぇええ」泣きつく声。声帯さえ音を定められていない。

「落ち着いて荒木さん。ひとまず落ち着いて」パニックに陥っている人間を前にすると人は不思議と冷静になる。気持ち悪いくらいに。この高みから見下ろす感覚を幼稚園教諭たちは常々感じているのだろうか。

「あぁあぁ花咲ぃいぃ、ああぁあぁ」荒木の苦悶が延々と続きそうなので「荒木さん!」冷や水を頭からぶちかけるようにぴしゃりと言うと荒木が立ち止まった。「ちゃんと、日本語で、説明して」声に怒りを添加する。全面的に甘えさせてくれると思っていた相手から突き放す気配を感じてようやく荒木は恐慌状態を脱した。

「えと」えっと、と荒木がバラバラに散らばった書類を整理し直している。「さっき、さっき白洲さんから電話があって、それで、日曜日の、妹の発表会に来てくれって、いきなり、ダンスの発表会があるのだけれどよろしければ来ていただけないかしらって誘われて」ええ?! と、自分で言ったことが自分でも信じられないのか説明しながら錯乱している。

「どういう流れでお誘いが来たの?」白洲が仕掛けてきた理由を知らねばならない。たぶん、今私は怖い顔をしている。

「全然分かんない!」あぁ、と荒木はたぶん天を仰いだ。「いきなり、ほんといきなり、さっき電話掛かって来て、いきなり来てくれないって言うから、心の準備ができてなくて、あたし」

「ちょっと待って」とっ散らかりそうな情報を上手に集約するべく私も頭脳をフル回転させる。「来てくれないって誘われて、で、イエスって言ったのノーって言ったの?」

「わ、分かんないって言っちゃった!」声が当惑そのもの。

「来てくれに対して返事を保留した、と。どっちから電話切った? 荒木さんが慌てて一方的に分かんないって言って切ったの? それとも白洲さんがもし都合が合えばでいいから、みたいに未練を残して切ったの?」

「えっと、ふぇ?」それは美少女キャラが言う台詞でヤンキーキャラのそれではない。

「質問が悪かった。掛け直せば日曜日行けますって頼み込める状態にあるわけ? それとももうそこの望みは消えたの?」

「あ、えっと」荒木も台風一過の混乱を秩序に戻そうと必死だ。「確か、発表会は日曜だから、もし気持ちが変わったのであれば是非来て欲しいって。来てくれるととても助かるって」

「助かる?」気密性の高い棚の抽斗を押し入れたら別の抽斗が空気の逃げ口として開いたような、詰めていくうちに見えた予期せぬ局面、新たに加わった意味。来てくれると助かる。単なる社交辞令か、あるいは。荒木の何かを必要としている可能性。自己表現が苦手な妹、妹を庇う立場、ダンス、荒木に体操のようなものの経験を訊いた白洲、自身は運動が不得意。一つの像が見える。「放課後の部活で、実は妹がダンス若しくは体操のようなものをやっていて、でも苦戦している様子で、できることなら自分が手取り足取り教えてあげたいけど自分は運動が得意じゃないから荒木さんに面倒見てもらえると凄く、助かる、みたいな話をしなかった?」

「んぇえ?」と視界不良に頭を捻り、「あ」と何か見つけたように荒木が言う。「そうだ、恋占いの後に妹がダンスを習わされてる、辛そう、みたいなこと言ってた」うん、と土中に引っ張るべき芋づるを探し当てた様子ですらすら述べる。「運動ができない分、自分は占いでサポートすることしかできないんだけど、それは先回りの予想で結果を変えられないというか、ダンスが上手くなるわけじゃないんだよねみたいな話をしたはず」あ、でも。「妹の面倒見てくれとか妹を助けてくれとは言ってなかったかなあ」ともやもやした答えを返す。

「それは直接言及しないだけでほぼ間違いなく助けて欲しいのサインだよ」私が言うと荒木がぅぇえ?!と動揺を発声して、なんでそうなるの?!と正解欲しさに声ががっつく。「明かす必要のない身の上話をし始めた時点で大概の人間は助けを欲してる。何も要求していないなら人はそもそも話さないから」と言うと、そうなのか、と納得した言だが本当に理解しているかは怪しい。情報を整理し直して改めて説明する。

 運動音痴の白洲では解決できないため手を出せなかった妹のダンス問題が、運動大得意の荒木の登場で解決する可能性が出来した。赤の他人には頼めないが助手若しくは友人と認知した荒木になら頼れると判断し電話してきた。遅い時刻での連絡は悩んだ末の決断で、裏を返すとそれだけ妹問題は根深い。明日の学校まで待てなかったのも切羽詰まっている証拠。本件はお姉さまが語った正攻法その四、問題の解決・弱点克服支援に当たり、問題解決の先にはより親密な関係が待っている。

「じゃあ!」スパークリングワインの泡が弾けるような喜び。「日曜行くって伝えればいいのね!」いやあ花咲に相談して良かったぁ、と勝った気になっている荒木に釘を刺しに行く。

 リスクの話。もし白洲が荒木=スポーツ少女と見做して、出会いの段階で妹の一助と認識し今の関係を築いたのだとしたら、妹のダンス発表会が失敗に終わった場合、荒木は無価値になる。荒木は白洲にとって何者でもなくなり、正式な部員ではない助手という奇妙な関係も解消に向かう。二人は疎遠になり、荒木の大願が成就する日は永久に来なくなる。

 電話の向こうで荒木が息を呑む。私同様険しい顔をしていることだろう。

「妹に成功させてあげたい。それが白洲さんの姉心で、今回のお誘いの理由。で、乗る乗らないの前に勝つか負けるか、勝算の話をしよう。妹の実力は不明、だけど助けを求めてきた時点で絶望的、日曜日の本番前に荒木さんの個別指導時間が設けられるとはいえスポーツに付け焼刃は焼け石に水と同じ、専門のコーチが指導してもだめなのに準素人の荒木さんが何を教えられるというのか。以上の理由により失敗はほぼ不可避。それを理解した上で敢えて火中に飛び込む意味はあるのか。元々の話をすれば白洲さんはオカルトの理解者として荒木さんを求めたことになっているからわざわざスポーツネタに挑戦して負けるリスクを負う必要はないとは思う。負け戦に身を投じる必要は――」

「んなクソダセェことできるかよ」芯の通ったヤンキー言葉。「負けるから踏み込むなってぇのか? ざっけんなよ。白洲さんがあたしをダチとして認めてくれたんなら、頼ってくれてんなら、駆けつけんのがダチの務めだろ」

 どう答えるか悩んで、「負け戦なのに?」を選んだ自分は老獪な大人だなと思う。

「負け戦なのかもしんねえけど!」スマホを少しだけ耳から離す。「そこじゃねえだろ。そこじゃねえんだよ、人間の信用ってもんは」

 荒木の声が止まる。もう一度スマホを耳に寄せる。「何かしらの経験に裏打ちされてる話、なのかな?」

「あたし」早い返答。「水泳部の先輩全員嫌い。でも、瑞原部長だけは恨んでない」

「なぜ?」できるだけ簡素な言葉を選ぶ。

「選考が終わって、揉め事になって、あたし、先輩らの言い分を全部シャットアウトしてさっさと帰ったって言ったろ? 瑞原部長はロッカールームに説得に来て、あたしはそれを無視した。着替えてるそばで、私のやり方がまずかった、でも、荒木のやっていることを理解してもらいたかったとかなんとか、いろいろ言ってた」

「説得されて、納得した?」

「いや。沁みたのは、言葉じゃなかったんだよ」噛み締めるように。「プール出る時、先輩らは荒木なんてほっとけばいいって瑞原部長を囲んで引き留めた。あたしはもう関係ないからって上履き履いてさっさと帰った」

「そしたら?」

「廊下歩いてたら瑞原部長が追いかけてきたんだよ。水着姿で。しかも裸足で」

「で、なんて言ったの?」

「だから」苛立ちの荒い声。「言葉じゃねんだよ。行動なんだよ」

「水着姿でうろついてたらみんな不審に思う、濡れた裸足で走ったら滑って危ない、感情面及びどちらが悪いのか示す意味で水泳部の先輩たちは間違いなく荒木を追いかけるなの命令調。それでも着替えず上履きも履かず咎める先輩らを振り切って追いかけてきた瑞原部長に、感動してしまった?」

「感動してしまったってお前、なんか敵意感じるな」刺々しい言葉とは裏腹に荒木は少し笑った。「でも実際、それだけなんだよ。お前から見ればたったそれだけのことかもしれない、けど、そういうもんなんだよ、信頼とか信用って。マジな姿勢を見せれば人の心は動くんだよ」

「なるほど」私は冷静な声で悪意を突き刺しに行く。「その瑞原部長のマジを見ても、水泳部には戻らなかった、と」

「う、うるせえな、どんだけ揚げ足取りが好きなんだよお前は!」捨てようと手放したビニールの小片が静電気で指に纏わりつく辟易を声に表して荒木は、だからソッコーで部活を辞めなかったんだよ、と言い足し、「だから聞けっつの」と筋を信頼と信用の話に強引に戻す。「だから、白洲さんが助けを求めてんなら、こっちもマジで応えるべきなんだよ。勝ち負けとかじゃねえ。そうして初めて信頼が生まれるんだよ」

「ご立派な、実に素晴らしい答弁だね」嫌味を言うつもりは無いはずなのに出てきた言葉に皮肉が乗ってしまうのは、その真っ直ぐさが眩しくて羨ましいのかもしれない。もしかすると、私は少し、寂しかったのかもしれない。「言い忘れてたけど、妹問題は白洲さんの急所だから、誘いを断ったら今後荒木さんは白洲さんの中で頼れない人枠に落ち着いて、友人若しくは知り合いでその生涯を閉じていた可能性が高い」つまり。「私も打って出るべきだと思う。退路は実質ない。Now or neverよ。チャンスの神様が頭を垂れたんだから、もはやその前髪を掴む以外に選択肢はないわ」

「わざわざ負け戦に身を投じる必要はないんじゃなかったのかよ」荒木が文句を言う。

「私は、リスクを負う必要はないとは思う、って言ったの。この、とは思うの『は』の意味を説明する前に荒木さんが勝手に暴発したわけ。手品ですという宣言なしに手品を披露されたような恨みは分かる、だから今度はこっちの話を聞いて欲しい」

「あんだよ、なんか作戦があんなら先言えよ。今までの会話要らなかったじゃん」

「まあまあ。話が全部そっち側で起きてたからどうしても情報収集と整理が必要だったんだよ。じゃ、十分回り道したから本題に入ろっか」おう、と荒木から前のめりの気合いを感じる。「白洲さんは助けを欲している。荒木さんの加勢なしには負け確定、なら、荒木さんの参戦はいつでも大歓迎、ゆえに返事を急ぐ必要はない。この電話の後に折り返しの電話掛けてあげても、明日学校で会った時に発表会行きたいですって伝えてもOK。まあ、早めに連絡してあげたほうが白洲さんは安心するよね」

「じゃあこの後電話する」と答えた荒木に「まだ切らないでね」と一応の制止を入れて続きを話す。「で、断られるかもしれないけど、私もついて行っていいか確認を取って欲しい。バックアップに回れる人が多いに越したことはないはずだから」

「バックアップ?」どういう意味?と荒木は問う。

「今回の勝利条件って何だと思う?」

 あ? と荒木は間の抜けた声を出す。「白洲さんの妹さんが、発表会で上手に踊ることじゃねえの?」

「それは完全試合みたいな理想の勝ち方。でもね、本当の問題は、妹のダンスの巧拙じゃないんだよ」たぶん荒木は謎かけみたいなことをと苛立ちに頭を掻いた。「直接訊いたわけじゃないし直接は訊けないけど情報を突き合わせた結果、白洲さんが最も恐れているのは発表会で自分のダンスが下手であるという現実を直視させられた妹が、元々消えかけの自信を完全に失い、より内向的になることだと思われる。一歩を踏み出す勇気を完全に失うことを白洲さんはバッドエンドと捉えている。逆に言えば、ここさえ回避できれば全員にとって勝ち試合の大団円になる」

「でも、まず間違いなくダンスは失敗するんだろ?」さっき力説した通り、と荒木。

「ダンスは失敗する」でも、と荒木が口を開く前に通せんぼのように言葉を置く。「妹がそのダメージに絶望しなければいいんだよ。そうならないために私たちが彼女の失敗に新たな意味を付与して、彼女が挫けないように助け起こす。失敗を、成長の過程に組み変えれば失敗は失敗でなくなる」

 おお、なるほど。荒木は感嘆し、「具体的には、どうすればいい?」と真っ直ぐに問う。「ぐっ」と私の口から息が漏れる。「それは、ライブで物事が起こる現場に立ち会わないと、分からない」今現在では失敗を糧にガンバローしか案がない、と正直に告げると荒木がくすっと笑った、ような気がした。私はもう一度のため息で無力を認める。「荒木さんはダンス指導員、私はその先の失敗から立ち直るための指導員。もし白洲さんが花咲さんは来ないで欲しいって言った場合は荒木さんが二役を兼務、単独で状況を打開しなきゃならない、だから――」

「花咲も出席できるように頼み込んでくれってことな」荒木が先回りしてお勘定を提示する。くふふ、とくぐもった笑い声。「花咲、お前って笑えるくらいクソ真面目だな。なんか」少し躊躇う。「なんか、お前が手伝ってくれて、良かったよ」と荒木は言った。

「真面目とは思わないけど。むしろ普通じゃない?」冷静に返したつもりが語尾が少し上がってしまった。これじゃ俗に言うツンデレのデレになってしまう。だが剥き出しの自意識で否定に走るほど無思慮にもなれない。「まあ、同行の可否が分かったら連絡して欲しい」本筋に話を戻す。

 分かった、と荒木が答えたところで、目の前を横切る存在に気づき目の照準を合わせる。千恵が腕時計を手に、文字盤の十一に指を添えてとんとんと叩く。私は頷き、千恵がいいのね?と僅かに顔を突き出したのでもう一度頷いた。消灯時間。思いもよらぬ急展開に、予め訊くべき質問を今訊くべきか悩んだが電灯が消えて世界がふっと闇に転じた瞬間、質問を一つに絞った。「因みに、妹の相談が始まる前振りでさらっと言及した恋占いって、何?」

「えっ?!」鼓膜の痛みに顔が歪む。「あ、え、えっと、それは……」なんかお前が手伝ってくれて良かったよとかっこつけていた荒木がまた恐慌状態に陥る。

「その動揺は凄く美味しいんだけどもう消灯時間だからできるだけ理性的に尚且つ手短に説明して」私は声の音量を少し落とした。千恵は毛布の下に潜ることなくベッドの上で転がっている。まだ寝る気はない様子だ。

 荒木は、オカルト研究会に関する記事第二弾のタロット占いの話を白洲とするうちに、つい、うっかり、不注意で、ぽろり訊いてしまったのだと言う。「その占いで恋占いはできるのかなって。そしたら白洲さんは、一応できる、念じてシャッフルして、それから一枚引っくり返せばいい、作業中は精神を集中して雑念を封じて、占いの対象人物だけを思い描くことが大事だって言って、どなたか想い人がいらっしゃるのかしらって訊くから」

「訊くから?」声の音量が上がって、私は慌てて口元に手を添える。「なんて言ったの?」

 間があって、「いる、って答えちゃった……」観念した容疑者のように力の抜けた声を出す。

「え? それで? 白洲さんだって言っちゃったの?」責める調子。

「言えるわけないでしょ!」荒木がハンカチを噛み締めた漫画的少女のようなキンキンの声を出す。「ああ、言えたらどんなにいいか! でも告白なんて、ううぅぅ」

 大きな息が漏れた。額を抑える。当然だ、告白したならダンス発表会参観の相談なんかしない、成立したらゴーでフラれたならそもそもお誘いが来ない気まずすぎて呼べるわけがない。そして。「それで、想い人がいるって言ったら白洲さんは何て返したの?」

「そうなの、って」あああ、と悶えている。青春の懊悩の内に潜むマゾヒストの喜びに打ち震えている。「それで、白洲さん直々の指導で、恋占いしたの……出たカードが恋人。そりゃ、好きな人を目の前にやればそれが出るに決まってるじゃない……」

「なるほど。分かった」長話になるのは明白で、既に要点は見えたので締め括りに向かう。「占いでいろいろ占うのはそちらの勝手だけど、勢いで告白に行くのは控えて欲しい。タイミングは私が見極めるから時機が来るまでは雰囲気に流されて突撃しないように。OK?」だって恋占いを依頼されて何の感興もなく指導されたってことは恋愛対象として全く意識されてないってことだよ、という件は酷なのでカットさせていただいた。

「じゃ、白洲さんに私も行っていいか確認したら連絡してね。もう遅いから明日にしても――」

 コンコン。

 唐突に、ノックの音。私は反射的に通話を切りスマホを毛布の下に隠し入眠していたかのように寝転がった。ベッドに座り直した際に習慣のように履いたスリッパが足に引っ付いているのに気づき蹴りで振り落としたが乱雑に床に落ちたスリッパこそが狸寝入りを雄弁に物語っていると気づくももはや修正の余地はないので気づかれないことを祈るしかない。

 ドアが開いて部屋に廊下の明るさが入り込む様を薄目で確認する。この時間に動ける人物は消灯時間がより遅く設定されている上級生か、あるいは寮母さん。何者かの侵入に気づき目覚めた態を装ってもう少し開いた目に飛び込んできたのは明かりの中に騎士の如く厳めしく立つ寮母さんの姿だった。疚しさから目を瞑ってしまう。と、隣のベッドが微かに軋んだ気配。千恵が応対に向かう、その背中を、ゆっくり上体を起こし半眼で追う。ドア元で話している。千恵は入眠間際に起こされた人間をもやもやした口調と会話の合間に抑えきれなかったというように欠伸して演じている。演劇部所属役者志望は伊達ではない。「はい、いいえ、寝ようとしてました。話し声? 百合子と寝落ちするまで、あ、眠りに就くまでしりとりしようって、どこまで続いたか記憶ないですけど。大丈夫です、もう寝ますから」

 寮母さんが千恵と千恵越しに身を起こした私を見る。私は目元を擦ってみせ、拙い演技は却って下手だな、と悔やみつつ上体を起こすためについた手の位置を変える。毛布の中に隠れたスマホの突起に触れ、断りなく通話を切った荒木が掛け直してくる可能性に身が硬くなる。「消灯時間は過ぎているので、ちゃんと寝てくださいね」と忠告して、はいと答えた千恵がベッドに戻るのを確認し寮母さんは、「まだ夜は冷えるから毛布を掛けて寝なさい」と言い残してゆっくりドアを閉めた。つまり、私たちが布団に寝入ろうとしていなかったことを見抜いている。

 数秒経って、「時々、あるんだよね、抜き打ち検査」と毛布を被って千恵が言う。「絶対話し声なんて漏れてないから。このセレブルームでそんなボロ屋敷みたいなこと、あるわけないじゃない?」

「うん」と返事して私はスマホを現役女子高生の速度ですいすい操り「いきなり切ってごめんなさい。参戦の可否はメッセージでお願いします」と荒木にメッセージを送り、念には念をで電源を落として棚の上に置く。身にシーツと毛布を被せる。「荒木さんが電話掛けて来なくて助かった。今頃白洲さんと話し込んでるのかな?」

「それは分かんないけど」天井に語りかけていた千恵がこちらに身体を向ける。「順調に進展してるみたいじゃない? なんか私まで楽しくなってきちゃった。ダンスでしょ? なら、置きに行っちゃだめよ絶対、そういう小手先の演技はバレるから、下手くそでも魂込めなきゃ」

「その魂を込めるのが難しいんだよね、妹ちゃんは。ちーちゃんみたいに話す度に魚雷ぼんぼん撃ってく攻撃的スタイルとはだいぶ傾向が違うんだよ、きっと。クラスの劇でシンデレラ役に躊躇いなく手を挙げちゃう子と消去法で木の役に落ち着く子の差かなあ」

 千恵が眉を顰める。「前から思ってたんだけど、百合子の中の私ってどんな人間なの? 赤信号を平気で横断する脳味噌皺なし加工の無法者に見えてたりするわけぇ?」

「猪みたいな面はあるかなあ。直情径行の猪娘。まず殴って、それから理由を説明して殴ってごめんとか言いそう」

「ええー、私ちゃんと事前通告するよっていうかなんで――」

 ガチャン! とノックなしに勢いよくドアが開く。背を向けて目を瞑っているので誰かは分からないが寮母さんで間違いないだろう。私と千恵は完全に沈黙して寝たふりをした。眠りを妨げないよう、優しくドアを閉じる音がした。

 暗闇が生む沈黙の中で、千恵が、ふふふ、と笑った。私も、ふふふ、と笑った。他の部屋でも誰かが、ふふふ、と笑ったかもしれなかった。

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