第1章 ヤンキー百合 12

 カタカタカタカタカタカタカタカタ、ターン!

 対戦相手を角に追い詰めて猛ラッシュの後仕上げのフック乃ちエンターキーを叩き込んだところでもう一度文章を見直す。言葉が動く余地も修正すべきミスもない完璧な一撃に私は占い記事をマットに沈めた心地で両手を突き上げる。あとは印刷するだけ。大勝利宣言。

 日曜午後二時。暖かな日差しが窓から入って実に長閑で穏やかな日和だが熱戦を終えた私の腋は少し汗ばんでいる。土曜日に記事を粗方書き終えて日曜に校閲の予定が私の公立高校時代にはなかった土曜授業が存在したためその時間の分完成が日曜にズレ込んだ。安息日に労務する背徳にむずむずしながらも私は仕事を完遂した。歓談場への掲示許可は下りている、生徒たちの神秘主義への冷笑はこの楽しげな占いの記事により少しポジティブになるだろう、オカルトの妙に暗い部分でなく明るい側面を認識させることで全体への認知を塗り替えるのだ。イメージ戦略が功を奏せば新入部員獲得に繋がり部への昇格が見える、という最も都合の良い展開に至らなくとも白洲の「オカルトの面」が理解される、「なんか変なの」と思っていた子も「なんか怖い」と思っていた子も白洲への視線が少し変わるに違いない、少なくともその礎石にできる。エンターテインメントの力は強大だ。

 千恵は演劇部の友人たちと街へ繰り出した。観劇するのだと言う。ホームページで内容を確認したがごくごく有り触れたシェイクスピアのロミオとジュリエットで、ジュリエットとジュリエットで上演されるわけではなかった。キャストの氏名も確認したが主演は男女で女女ではなかった。少し下品と思ったが「劇内で百合ったりしないの?」と直截に訊くと千恵は腕の血を吸わんとする蚊を見つけた忌々しさで「百合子はなんでも百合百合百合よね。頭蓋骨開いたら百合の花が咲いてたりして」と手で私の期待を払い、「そもそも、百合は無いはずのものだから。そんな言葉知らなかったしってか無かったし。だいたい、私が生まれたのはお父さんとお母さんがいるからで、今生きてる人の数だけ男女の両親がいるんだよ? そっちが普通、それが普通なの」と自分は当事者足り得ない口ぶりだったので「千恵のお姉さまを思う気持ちは?」と突っ込むと焦る様子もなく「憧れとしての好きよ」とさらり言ってのけ「ま、ジュリエットとジュリエットで公演される日が来たら百合子が望む通りこの学校の良妻賢母システムは跡形もなく吹っ飛んでるだろうね」もう一度手を振ったのはばいばいの意味。部屋を出て行ったのが午前九時で午後二時現在劇の真っ最中だろう。

 日曜の寮は静かだ。多くの寮生は青春の寸暇を惜しんで遊興に出掛けている。昼食時に食堂で食事をしていた子は両手で数えられる程度の人数で、いつも少女たちのささめきで満ちている空間は病気で急激に痩せ細ったかのように活力に乏しかった。人数が少なくなるとその分他人の会話が聞き取りやすくなるので周囲を意識して話しかけづらい抑止効果が働いた面もあり猶の事貧相だった。お姉さまは端の席で食事をして、食べ終えると早々に席を立った。

 完成した記事を保存して、ネットで学校と寮の周辺施設を検索する。希望ヶ丘女子学園の生徒の情操教育上不適な遊技場はなく周囲はほぼ宅地で、そこを暫く歩くと駅に達しその周囲はデパートメントストアが集合した商業地区になっている。ファミリーレストランやファストフードショップも散在、いずれも私の知る現物と思しき店名から僅かにだが作為的に名を変更されている。因みに、駅から電車に乗った先には東京も存在するし四十七都道府県で構成される日本国があるしアジアに太平洋、アメリカ合衆国を通り越してGreat Britainもある。地図上は存在している。どこまで百合神様の権能が及んでいるかは謎で範囲外に出た瞬間私はまるで中世の海図が世界の端を滝で終わらせたようにいきなり絶命するのかもしれないが百合神様がそのような失態を犯すとも思えない、きっとRPGで障害物が絶妙に行動範囲をコントロールするように私が範囲外に出る心配は皆無であるように世界は創られている。はず。

 寮母さんが以前言及した『さか』は東京秋葉原近辺にあるらしく、衛星写真で見ると隕石でも衝突したようなぽっかり開いた穴に坂道がどこまでも下りて先が見えなかった。

 私は公園まで徒歩で何分かかるかを調べ、もっと足を伸ばして駅までの所要時間も調べる。駅まで出るとかなり時間がかかると算出される、デパートメントストアをウィンドウショッピングするには自由時間が短すぎる、かといって公園では味気ないし、他に適当な場所は、と探れば探るほど学校の絶妙な立地に改めて感嘆する思いだ。考えてみればこれが転生後初めての休日で、榊先輩の仕掛けた罠に見事嵌まった私は部活に忙しくまだ自分で街を歩いていない。まずは実地に下見するのが賢明かもしれない。

 電気のスイッチが切れたように私のアイディアは光を失って練り上げた構想全てがふっと姿を消す。お姉さまにお姉さん面するのは恐縮至極だが人生の先輩として悪い事を教えちゃお、という企みは机上で進み、理論値を出した後で数式を振り返った瞬間前提の誤りで破綻してしまった。結論はRPGの鉄則、まずは経験値を積め。

 食堂でお姉さまの背中を見送った瞬間湧いた、お姉さまは休日何をされるのだろうという疑問。部活を取り上げられたと千恵は言っていた、同室の貴代子様は外出、となると、独りで部屋で勉強漬けなのだろうか。その生活を続けた先に卒業すぐの結婚がある。私は人生の幸せ不幸せを規定できないが、それは幸せなのかという疑念は強い。籠の鳥と同じだ。もしかしたら将来アメリカ合衆国やGreat Britainを旅するかもしれない、クリスマス島で世界最速初日の出を見るかもしれない、だがそれは籠の中からの景色だ、あくまで籠の中の鳥なのだ。それを思うと、まだ自由の利く今こそ、籠から出して飛ばせてあげるべきだと思った。

 外出さえ禁止されているのか、SPなしに出歩けないのか、事情が許せばふらりと街歩きしても良いのか、ルールは不明だ。お姉さまを寮から連れ出せば何かしらの指導が誰かから来るのかもしれないが、何分高校からのお付き合いなので知りませんでしたで白を切れば警告だけですり抜けられるはず。ただ、その宝剣を抜刀できるのは一度きり、二度目はない。ならば猶更その一回限定の裏技を行使する機会は慎重に計られるべきだ。

 まずは土地勘を養うこと。私はパソコンの電源を落とし、外出のために着替えようとクローゼットに向かった。と、ノックの音がした。「副島だ、入るぞ」と言いながらドアが開き、私と副島先輩の目が合った。副島先輩は部屋の中を素早く見回して千恵の不在を確認した。

「どうかされたんですか、副島先輩?」私は笑みを見せて歩み寄った。

 副島先輩は「いや、まあ、大した用事じゃないんだけどな」と日に焼けたスポーツ少女の象徴のような頬を思いの外繊細な指で掻く。視線を横に流した。

 切り出す気配が見えないのでこちらから場を和らげに行く。「副島先輩は、部活ではないんですね」

「ん? ああ」ようやく目が私に向き直った。「ソフトボール部は対外試合でない限り日曜日は部活も休みにしてるんだよ。日曜に休めるのは嬉しいけど、熱心な部が日曜も練習してるって聞くと、なんか焦る気持ちはあるかな」

「そうなんですね」と引き取り、「因みに、貴代子様は?」と質問を差し出す。

「ああ、バスケ部?」と副島先輩が笑顔になる。「バスケ部も基本休みなんだけど、お姉さまは体育館で個人練習してることが多いな」前少し見学させてもらったけど、別のスポーツだけどお姉さまがどれだけ凄いかが分かるっていうか。副島先輩は饒舌だ。ダンク凄いですよね、と振ったら、あれかっこいいよねー!と、凛としたイメージが少しふにゃっとした。

 お互いに笑顔を交換してから、私は切り込む。「それで、用事というのは、何でしょう?」

「ああ、それなんだけど」副島先輩は頭を掻く。「最近、花咲と華恋様が、仲が良いっていうか、言葉を交わしてることが多いけど何かあるのかなって」また目線が横に逃げる。

「元々仲いいですよ、華恋ファミリーなので」私はわざとずらした返答を笑顔でする。何を勘ぐっているのかさえ理解できていないというかまととの演技。

 副島先輩はズレた回答に戸惑い、そうではなくてと訊き直すか私の発言で納得するか迷っている。「えっと」また落ち着きなく髪を触り、「監督生に指導を受けているってことでいいのかな?」と付加疑問文を出してきた。

「ええ、それで合ってます」嘘は言っていない。

 副島先輩は「そっか。ならいいんだ、別に」と言い訳がましく微笑み、「それじゃ」邪魔したね、と手を挙げて誰かへの報告を持ち帰る。その背中が部屋から出たタイミングで「あ! 副島先輩!」と大きめの声を掛ける。

「何?」振り向いた副島先輩は少し首を竦めている。

「あのぉ、ささめさん!」一拍溜めてから私が彼女の名前を大仰に発声すると副島先輩は怯み「えっ」と閉じたはずの口から致命的なミスを漏らしてしまう。「ささめさんって、何部なんですか?」私が普通の抑揚で訊くと安心の吐息を吐き出して、「一条はテニス部だよ」と、眉を下げて笑った。「そうですか」と私は答え、「なんで?」と問う副島先輩に「昼食にいないのはやっぱり部活だったんだなって」と微笑みかける。うんうん、と副島先輩が頷き、それじゃ、と再度手を挙げての別れの挨拶に「では」と会釈して部屋のドアを閉じる。副島先輩がびっくりするといけないので音無く閉めた。

 隠し事の不得意な副島先輩の反応と夕食時にやたらちらちら見てきたささめの様子からして今の訪問は一条ささめが裏で糸を引く牽制外交と見て間違いないだろう。私とお姉さまのやり取りを不思議に思って理由を探りに来た、と同時に、名無しさんが私とお姉さまの近づきすぎを監視しているぞと警告しに来たのかもしれない。万が一副島先輩の口からささめの名が漏れても、あるいは彼女がちらちら見ていたことに私が思い至ったとしても、それはそれで華恋ファミリーに於ける寵姫はわたくしであるという宣言になる。どこまで計算しての行動かは分からないが少なくとも牽制を受けたその日にお姉さまと接触を試みるのは軽率と言えるだろう、それはささめに対する宣戦布告になりかねない。私に正妻の座を争う気はない。

 ささめに行動を縛られたと思うと癪ではあるが、逆に私が今日すべきことはより明確になった。それは、未来への投資。

 できれば前日までに出して欲しいわと苦言しつつも寮母さんは私の外出申請を受けた。私は時計とスマホの地図とを照らし合わせて街の造りを実地に体験した。徹底した宅地、小さな公園、遊歩道、道路沿いに並ぶ商店、そして駅周辺。時間がないため早歩きで回りながら、アスファルトを蹴る度に思った。一条ささめがお姉さまを好きなのはよくよく知っている。その好きが千恵と同等の憧れに似た好きなのかもっと先鋭的な、選ばれたいと思っての好きなのか、それは分からない。いずれにせよ彼女にも百合の甘い滴りを匙にひと掬いの少量だとしても味わわせてあげたいとは思う。けど。貴族の側で若干十五歳の、言ってしまえば小娘のあなたではお姉さまを救うことはできない。私は日本アニメ映画の金字塔作品で巨狼が吠えた言葉を吠えた。お前にお姉さまを救えるか。ささめに吠えたはずだった。けれど、その問いは自分への問いである気がした。私はそれに対する明確な回答を持ち合わせていないことを、弾んで苦しくなる呼吸の内に知った。

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