Lesson5 本部のはなし 中編

「さて8階から先ですが、ちょっと飛ばしちゃいましょう。具体的には18階まで」


「なんでまた」


「8階から17階は代理人達の寮ですからね。行っても同じ部屋ばかりで飽きるでしょうし」


「えー、間取りとか気になるなあ。あと家賃とか」


「ワンルーム6畳のありきたりな間取りですよ。家賃は月に500ギルでしたね」


ネクターはプリスがあまりにもありえない金額を口にしたので、またバグったのかと思った。


「……週とかではなく?」


「ネクターさんの耳が詰まっているようなのでもう一度説明しますし、帰ったら耳かきですね。家賃は月額で500ギルです」


「うちの家賃より遥かに低いし、お前が契約しようと躍起になっていたワンルームですら月2000ギルだったじゃん……」


「福利厚生の一環ですからね。近年主に増設されたのがこの区画なんですよ。なんでもこの方が出動するのに楽なんだとか。ちなみに代理人寮という名前ですけど、総務部の方も使ってますよ」


「そりゃまあ職場までエレベーター一本だもんなあ……」


ただ、ネクターの場合は家賃の事を知っていてもここに住む事は無かっただろう。嫌悪している父親のお膝元で住むのはなるべく避けたい事態であるし、何より河川敷のホームレス達との交流が途絶えてしまうからだ。


「まあ、私の場合はどこからでも一瞬で通勤出来るのでここを使う必要は無かったんですけどね!実家なら実質家賃ゼロでしたから!」


「それはお前だけだ。さて、それじゃあ18階でいいな」


二人はエレベーターで一気に18階まで行く。そこには総務部と同じようにデスクがずらっと並んでいる部屋があったが、ちらほらと人がいるだけであった。


「おい、ここは?」


「ここがウィンドベルの中核を成す代理人部です。基本的に外回りの仕事ばかりしているので、オフィスにいる人は報告書の作成を行っているのが主です。別にここに通勤する必要はありませんし」


「レイダーさんも……いなさそうだな」


「レイダーさんは基本的にここに来る事はありません。どうせどこかで鍛錬しているか、Aランク任務でも処理しているんでしょう」


とはいえAランクの任務などそうホイホイ飛んでくるはずもない。恐らくどこかで鍛錬に勤しんでいるのだろうとネクターは思った。二人は特にこの階層にいる理由も無くなったので、非常階段から19階へ向かった。


「で、いよいようちの部署か?」


「はい。19階が都市管理部のオフィスとなります。行政代行を担っているのでここで仕事している人も多い筈ですよ」


「確か入社した日に一回だけ立ち寄ったな。挨拶だけ済まして帰ってそれっきりだからよく覚えて無いんだけど」


「まあ、代理人部のオフィスと同じような感じですからね。失礼しまーす」


都市管理部のオフィスを開けると、これまた総務部と同じようにパソコンに向かってにらめっこしている人達がいた。


「おっ、プリスちゃん。久しぶりだな」


「今日はどうしたんだ?ネクター君まで連れて」


ただ、職員の反応は割とフランクであった。プリスが敬語使いを長年かけてやめさせたこと、部長であるアリアの実子であるから親戚の娘のように扱われていることなどが要因だ。


「にいさ……ネクターさんが社屋を見学したいと言うので。それより、母さんは来ていますか?」


「さっき外回りから帰って来て部長室に篭ってるよ。ただ、なあ……」


「ああ、もう一週間も家に帰っていないからそろそろな……」


それを聞いたプリスは一目散に部長室を開ける。扉には「絶対入らないこと」と書いてあったが、当然無視した。


「お、おいおい!勝手に入って……」


「か、母さん!やっぱり無事じゃ無かったんですね!?」


プリスは部長室の中で倒れ込んでいるアリアを担ぎ上げる。いや、正確に言うなら、アリアの服を着た何かをだ。


「ギャーーー!ミイラーーー!」


プリスが担ぎ上げたそれは、まるで年季の入った白樺の樹のように肌の白さを保ちながらも干からびたアリアであった。ネクターの反応を見た職員達は沈痛な面持ちでそれを見守る。


「ちょっと実家行ってきます!すぐ戻りますから!」


プリスは窓を開けてそのまま実家の方角に飛翔。


「ただいま!」


そして宣言通り、たった10秒ほどで戻ってきた。


「な、なんだったんだあのミイラ」


「ミイラとは失礼な!アレが父さんと離れて1週間経った母さんですよ!」


「母さん、本当に人間!?」


「正直私も疑わしいのですが、だったらあの人から生まれてきた私達って一体何なんだって話になりますからやめときましょう!とにかく、母さんは父さんから離れて1週間経つと本当に干からびるという事はおわかりですね!?」


「嘘だろ……?」


ネクターは助けを求めるように都市管理部の面々を見やるが、ネクターの視線に行った人々は皆一様に頷くばかりであった。


「いや、部長って生来の面倒見の良さのせいで事務仕事まで一人で片付けちゃうんだよ……」


「それでいて自分の担当業務は譲らないから俺たちも助けられないんだよな。ここに寝泊まりしていくなんてザラなんだよ……」


「たまに心配してきたウィンドウさんが様子を見に来るんだけど、その時だけは気丈に振る舞うのよね……」


都市管理部の面々が事細かにアリアが普段どうしているか話すのを聞いたネクターは大体理解した。ピエットが漏らした言葉の意味も。


「母さん、苦労してんだな……」


「自業自得な面もありますがね。今頃父さんが必死に抱きついて回復させていることでしょうし、私達は見学を続けましょう」


「そういえばこの部署は市の業務を手伝っているんだよな?俺達も出勤してなんかやった方がいいんじゃないか?」


都市管理部の面々はそれを聞いて手を顔の前で振ったり頭の上で大きく×を作る。


「いやいやいや!君らの能力でこういうことすんのは勿体ないからね!?」


「君たちは言うなれば都市管理部の最終兵器だよ!本来は代理人部で活躍するべきなのに、ここに押し込めた部長の采配が間違ってるだけだからね!?」


「それに、プリスちゃんに電子機器なんか触らせたら筋力ですぐダメにしそうだし!」


「……えらい言われようだな」


「事実ですもん。私もネクターさんが見つかる前に一度やろうとしたらタイピングが速すぎただかでキーボードが壊れちゃったんですよ。こんな脆弱なもの、私の方から願い下げです」


以来、備品を壊した事によってプリスはデスクワークに一切関わらせて貰えなくなった。それがネクターをも飼い殺す原因となっている。


「ん?母さんの机、なんか燃やした跡があるな……お香でも焚いたのか?」


「あ、それは部長の煙草の吸殻だね」


「煙草!?ウチじゃ全く吸ってなかったのに!?というかこれ仕事場で吸っていいのか!?」


「むしろ部長、家では禁煙してるの!?あのヘビースモーカーが!?」


「ふむ、これは説明の必要がありそうですね。先輩方も耳かっぽじってよく聞いてください」


プリスはオフィス内に備え付けられていたホワイトボードをアリアの机の前に持ってくる。都市管理部の面々は仕事の手を止め、プリスの方を向いている。


プリスが板書したのは「都市管理部鉄の掟」というタイトルであった。


「一つ。部長以外のオフィス内での喫煙を禁ずる。家では煙草の類は絶対に吸わない母さんですが、激務に耐えかねた母さんはここでずっと煙草を吸いながら業務に当たっているのです。これでまず母さんへの幻想を打ち砕かれた新入職員も少なくないとか」


ここで大半の男性職員が手を上げる。ネクターも同様だ。


「よく仲間が吸殻を有難がって吸っていたけど、まさか母さんがあのオッサン達と同じ事をしていたなんて……」


「ホームレス方のシケモクとは訳が違いますからね!?母さんの場合は自分で生育した煙草葉を乾燥させて葉巻にしていますからね。ちなみに家で吸わないのは父さんに嫌われたくないからです」


「ああ、ウィンドウさんに配慮していたのね……」


「マカリスターさんもよく吸っていますが、あれめちゃくちゃ臭いですからね。キスの時に煙草の臭いを嗅がせたくないのでしょう」


「マカリスターさんも喫煙者だったのか……」


ウィンドベル幹部の中での喫煙者は少ない。アリアとマカリスター、それにウィンドウも吸っているのだが、アリアは先程の説明通り職場でのみ。マカリスターはどこでも吸っているが、ウィンドウはマカリスターと話をする時のみの喫煙となっている。


ただし、ウィンドウは煙草の臭いも成分も無にしてしまうため、何のために吸っているのかよく分かっていない。臭いにも理解があるのでアリアの努力は無駄なのである。


「父さんの話が出たのでついでにもう一つ。部長の旦那が虚空から突然現れても驚かずに挨拶せよ。母さんの様子を見に来ただけなのにいちいち驚かれるのは癪だと母さんが」


「いや、突然現れる奴に配慮出来るかよ」


「それが、慣れればなんとかなるんだよ。最近は出現パターンも分かってきたし」


「嫌な慣れだなあ」


「母さんを搬送していなければ今頃出てきていたでしょうね。大体、晩ご飯作りに帰れるか聞きにくるだけなので」


ネクターとしてはウィンドウと鉢合わせにならなくて心底良かったと思っている。アリアが搬送されたのは不幸ではあるが、幸福であった。


「今回のような事態に発展したのも正にこの掟が関与しています。部長の担当業務を手伝う事を禁ず。部長が1週間以上働いた場合接触を禁ず。ですね」


「何でそんな自分を追い込む事を……」


「母さんの業務は基本的にセントラルシェル全土の樹木や花壇の管理なのですが、それだけは他人に任せたくないそうです。むしろそれがやりたくてウィンドベルに入ったぐらいには好き好んでやってるんですけどね」


「だからって身体壊してちゃ意味ないだろ」


「父さんに会えないのが辛くて干からびてるだけであって、治癒魔法でほぼ無限に働けますからね。いっそ父さんと一緒にここで暮らせばいいのに」


それはそれで最悪の事態だ、と思ったネクターであった。


「……ところで、他の掟はあるのか?」


「ああ、たまに部長と呑みに行くんだけど、その時は必ずウィンドウさんに連絡を入れてるよ。絶対に酔い潰れるからね」


「よくご飯を差し入れしてくれるんだけど、それを残しちゃダメってのはあるな。美味しいからまず残さないけど」


「あ、あとあれね。クスターさんと会わせると絶対喧嘩になるから会わせないようにってのがあるわ。あっちから来ないからそんな機会滅多にないけど」


「多いな!?」


自分の知らなかった母のタブーを聞いて、ネクターの中のアリア像がどんどん崩れていった。自分には常に優しく接してくれた、最愛の人の知りたくもなかった側面を知るのはとてもショックが大きかった。


「とまあ、母さんって結構面倒くさい人なんですよね。まだまだ細かい掟はありますが、今はこのぐらいでしょう」


プリスはホワイトボードを片付けながら呆然としているネクターを見遣る。そろそろここから引き離さないと精神が崩れると判断し、片付けが終わると同時に腕を掴んで引き摺る。


「というわけで職場見学にお付き合い頂き誠にありがとうございます!じゃ、私達は他に行くところがあるので!」


プリスに引き摺られていくネクターを都市管理部の面々は生暖かい目で見送る。それと同時に都市管理部鉄の掟を一つ思い出すのであった。


『部長の娘の言う事を真に受けてはならない』。たとえそれが狂気ではなく本心から出た言葉であってもプリスの言は人を容易に傷つけるのだと理解したのだった。

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