最終話 その5
光の柱が、ネクターを包む。その光景を、レイダーに阻まれているプリスは、断末魔すら挙げず喰らう兄の姿を見ていることしか出来なかった。
「あ……兄さん……?」
そこに、兄の姿は無い。跡形も無く、この世から消えていた。呆然と立ち尽くすプリスであったが、眼前に迫るレイダーに目をくれる事もない。
「呆けている場合か!後はお前だけ……」
「レイダー!離れろ!」
「え」
突然、プリスに殴りかかったレイダーがウィンドウの警告虚しく消えた。
「……やっと引き出せたな」
「ここからが本番……だな」
「えっちょっと待て一番ヘイト溜まってんのもしかして」
プリスが無言で放った黒いエアは、ピエットを一瞬で消し飛ばした。
「兄さんが殺された。兄さんが殺された。兄さんが殺された。兄さんが殺された」
「おい様子おかしいぞアレ!本当に大丈」
「うるさい」
マカリスターの全身に展開された兵器群による弾幕の隙間を塗って瞬間移動して来たプリスの拳によって、マカリスターも消し飛ぶ。
「アウトサイドの発露なら俺が止めっ!?」
プリスに向かって蹴りかかったクスターは脚が届く前に顔面を殴られ、消滅する。
「……そっか、あんたやっぱ私の子だったわ」
アリアは地面から無数の刀を生やして防御しようとするが、刀ごと己の存在を纏められた。
「ウィンドウ、これもしかして貴様以外耐えられないのではないか?」
「だから説明しただろ。プリスの真の能力は」
アルテリアも、為す術なく消えてしまった。残ったのはウィンドウただ一人であった。
「……俺と、全く同じだって」
「………………」
プリスは無言でウィンドウに殴りかかる。飛び退いてエアを放つ。存在を纏めようとする。だが、それのいずれも効かない。
「久しぶりだな。"プリス"。21年ぶりか?」
「うるさい。兄さんを返せ」
「そりゃこっちのセリフだ。アリアを返せ」
ウィンドウの剣と、プリスの拳がぶつかり合う。プリスの両手は虹色ではなく黒色に変じており、出自を隠すため栗色に染めていた頭髪は塗料が剥がれ、本来の色である母譲りのピンク色に変じていた。
これがプリスの本来の姿であり、本当の能力。全てを無に纏める、バニシングエアと名付けられたはずのアウトサイド能力であった。
「黙れ。私が産まれた日、父さんに誓った筈だ。兄さんを救うと」
「その結果がこれか?ネクターを守りきれず、ウィンドベルは壊滅状態。お前を信用した俺が馬鹿だったわけだ」
「引き起こしたのは自分だろうに!」
プリスが両拳を合わせた瞬間、世界が無に纏められた。この星の大地も、空も、人すらも全てが消失した。
もはや立つ場すらも失われた虚無の空間で、ウィンドウとプリスだけが存在していた。
「なるほど、本当の最悪はこれか。ウィンドベルどころじゃなく、世界が崩壊する事だったとはな。スケールがデカすぎるんだよ」
ネクターを殺された怒りで、プリスの気力は極限まで達していた。世界全てを無に帰すことなど、造作もないぐらいに。
それでも考察を冷静に続けるウィンドウの態度に、プリスの怒りはさらに増幅していった。プリスは手に無を纏うのをやめ、ニュートラルの拳でウィンドウを殴るが、無に溶けたウィンドウには当たらなかった。
「落ち着け。干渉力無しで無を捉えられるかっての」
「黙れ、黙れ、黙れ!返せ!兄さんを返せ!」
「さて、お前の最悪はネクターが消えた以上何だ?孤独になる事だろ?それを達成されるわけにはいかないな」
「黙ッ……!?」
白く化したウィンドウの拳が、プリスの胴を貫いていた。
「反転定理・ゼロノーバディ。悪いな、無は有であり、有は無であるって事を教えるの忘れてた。最も、無に纏める能力が反転したのが全てを纏める能力になってた時点で、本能では分かっていたろうに」
「こ……この……!」
「さっきの考察の続きだ。これから朽ちゆくお前の最悪って何だ?」
その時だ、プリスは信じられないものを見た。自分が、正確には自分の虚像が、虹色の拳でウィンドウを貫いている所だ。
「こういう事だ……俺という『絶対有』の破滅による虚無だ。これで仲良くあの世でネクターと暮らす事すら無くなる……な?最悪だろ?」
「ええ……最悪過ぎて反吐が出ます……」
プリスの虚像に貫かれたウィンドウの胴は完全に消失していた。だが、それでもウィンドウは不敵に嗤っている。
「……そして、最悪すら無くなる」
プリスに化けたフェイタルフェイクは、すぐに変身を解き概念へと消えるところだったが、すんでの所でプリスに纏められる。
ウィンドウがプリスに放ったゼロノーバディとは、絶対かつ無限の有を対象に流し込む事で存在をパンクさせる絶対即死の超必殺技だ。
だが、同じく無であり有であるプリスに対しては何の効果もない。プリスが死に瀕したのは、演技であった。
「ハッ!甘いですねフェイタルフェイク!ネクターさんのシャドウファンタズムの弱点を教えてあげましょう!驚くことに、発生や消失までに
プリスの髪色が栗色に戻ると同時に、今まで消し飛ばした世界が全て元通りになる。消されたと思われた幹部達とティア達も、ウィンドウの身体も。
そしてピエットの魔法で消えたはずのネクターはアルパライトの板で何重にも守られた状態で出現した。ついでに保険と言わんばかりにネクターはその中でデスクを背負っていた。
ピエットの固有魔法が直撃する寸前で、ネクターはウィンドウによってアルパライトの板やデスクごと無に変換されていた。それが再構築されただけの話だ。
「あ?何がどうなって……」
「……よく、生きてた」
驚く事に、ウィンドウがネクターに抱きついて来た。突然の事に驚いたネクターは何も出来ずなすがままになっていたが、状況を把握した途端暴れ出した。
「うわっ!気持ち悪っ!離せよクソ親父!」
「ネクターさーん!ネクターさんが本当に消えたと思い込んで自分を騙していた私はもう限界だったんですー!」
「お前もかよ!」
プリスは後ろから抱きついてきたついでにネクターが背負っていたデスクを跳ね飛ばした。
諦めて父と妹に抱かれるままになったネクターはこの二人が似た者同士であることを実感した。本来、同じ無として生まれてくるはずだったのだから、当然と言えば当然だ。
「それはそうとしてだな、フェイタルフェイクってのは捕まったのか?」
「はい!こちらです!」
プリスは己の右拳を掲げる。ネクターには全く何にも見えないが、運なんてものは可視化されない。
「よし、これで何言っても大丈夫だな。まったく、これだから運って奴は……」
プリスの拘束が解かれた隙に、ネクターはウィンドウを突き飛ばす。
「いい加減離れろ!まったく、出会ったころのプリスそっくりで嫌に……」
「お前も面倒くさい方向に反転してんだな。反発が愛情表現かよ」
「…………はあ!?ちげえし!そんな事あるか!」
「あー、成る程。全て分かりましたよ。ネクターさん、私を好きになった本当の理由ってもしかして……私が父さんと似ていたからなんですね?」
火に油を注いだかのように、ネクターの怒りは膨れ上がる。だが、それでもプリスは言葉を続ける。
「本当は父さんの事が大好きだったんでしょう?初めて、無償の愛をくれたのが父さんですからね。そうとは知らず、いえ母さんの胎内で学んだ私はきっとそう学習したんでしょう」
「そんなわけ……!」
ネクターには思い当たるフシがいくつもあった。アリアを刺した時優しくしてくれたのは誰か。
ネクターの身を案じて真っ先にクスターに出前を頼んだのは誰か。
家出した自分のためにプリスを育てて自分の下へ送り出したのは誰か。
そして、その愛に背を向け続け、拒絶してきたのは誰か。
相互扶助というものを理解した今ならわかる。四半世紀生きて来てようやくそれを理解した。
「今更……何を…………」
涙が出て来た。悪いのは全て自分だった。あの時、もう少し我慢というものを覚えていれば、こんな事態に発展することは無かった。危うく世界全てが消し飛ぶ所だった。
「……ネクターさん。不幸だとか、幸福だとか、そんなのは気の持ちようなんです。人は不幸をどれだけ背負おうが、生きている限り幸せは訪れるんです。自分が幸せだって思えば」
「ああ……ようやく気づいたよ……最初から俺は、不幸じゃなかったんだ」
「不幸が通用しない、自分を愛してくれる父がいるだけで、とっくに幸福だったんです。ネクターさんはそれを嫌い、目を背けていただけなんです」
プリスはネクターの涙を拭うべく、左手を差し出す。ネクターはそれに応えハンカチをプリスの左手に向かって複製する。
「プリス……」
プリスの右手が引かれていることに気付かずに。
「だからこんなもんが発生したのは全部ネクターさんのせいですからね!とっとと処分してくださいこんなもん!」
「グパァーッ!?」
プリスの右拳がネクターの腹に突き刺さる。ネクターは悶絶し、ウィンドウは慌てて介抱する。
「何しやがんだプリス!折角纏めたフェイタルフェイクをまた……!」
「あったま来たからネクターさんにお返ししました!エリア!これでいいんですよね!?」
いつの間にか起き上がっていたエリアは満足気にこちらを見ていた。
「……よく正解に辿り着いたじゃない。プリス姉とネクターさんの勝ちよ」
「まさか、ばあちゃん……知ってたのかよ!」
「父さんも父さんで最初から知っていたんならちゃんと教えて下さいよ!私の21年間を返して下さい!」
「ギャーッ!」
虹色に光ったプリスの拳がウィンドウをエントランスの銅像まで吹き飛ばす。一方のネクターは、何事も無かったかのように立ち上がった。
「うーん、なんか知らんけど……憑物が落ちたような気が……」
「そりゃそうですよ。フェイタルフェイクの不運をネクターさんの幸運で相殺したんですから」
「は?なんじゃそりゃ?」
いきなり自分の幸福などという絶対に有り得ない事を聞いたネクターは困惑するが、プリスはさらにまくしたてる。
「反転定理だの、幸福を運ぶなんたらだの、いろいろ聞いて確信しました!ひいおばあさまの態度も引っかかってましたしね!」
「だから一人で勝手に納得してないで説明してくれ!」
プリスは深呼吸して心を落ち着ける。今まで自分が頑張って来た事が無駄では無かったと噛み締める。
「ネクターさんの本当の能力は父さんや私と同じだったんですよ。ただ、己が不幸になるよう反転していただけなんです。父さんの能力が絶対有を司るように、私の能力が無を纏めるように、ネクターさんの能力は己を幸せにする事だったんです!」
「な、なんじゃそりゃ!?」
「ミストラルも言っていたわ。あんた、本来は金星のアストロノミカサイドなんだって。金星は幸福を司る星だとかなんとか」
「じゃあなんで母さんは産まれた瞬間の俺に魔力を吸われたんだよ!?」
「運って、相対的なものなんです。ネクターさんが幸せになる代償として、母さんが運を吸われていたんでしょう。だから私が纏めていたのは、ネクターさんの持つ運の吸引力だったんですよ。まったく、星の権能を無に纏めるのは本当に大変だったんですからね!」
ネクターの能力が星の力と知ったのはついさっきであったが、プリスは無自覚に真の能力を使って星の力を封じていたのだ。何故それが可能だったのか?それは、ネクターへの愛情が気力を保たせていたからに過ぎない。
だから、当初は半分のリソースを割いていたのが、ネクターと結ばれる事によって最近は一割ほどの消費で済んでいたのだ。感情の力で能力の限界が変動するとはいえ、あまりにも狂気じみた親愛が為せる業であった。
「それだと前提が覆るぞ。つまり母さんを滅多刺しにしたあの日、俺は死にたいと思っても生き永らえたのは、本当は死にたくないって思っていたって事か?」
「いいえ。ネクターさんは父さんに『自分が触れると不幸になる』と教え込まされて来たせいで、幸福を自ら逃してしまっていたんですよね。だから運を吸う能力は生きていても、自分に運を取り込む機能が欠落していたんです」
「そうだったとは……って事は全部親父が原因かよ」
ネクターが新たなエントランスの飾りと化したウィンドウに向かってゆっくりと歩いていく。ウィンドウはそこからもがいて逃れようとするが、あまりにも石像にフィットしてしまい動く事すらままならない。
「だって、
「わけのわからんことをごちゃごちゃと!責任取ってもう一回死ね!」
「バカめ!俺に運勢操作は効かねえぞ!だからギャアアア!!!」
ネクターがウィンドウに触れた瞬間、ウィンドウの身体から夥しい量の剣が生え、力なくその場に崩れ落ちた。
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