エリアのはなし その5
一行がマドの家まで帰って来ると、マドは縁側でお茶を飲んでいた。すっかり日が暮れてきたころだ。マドの隣に鎮座している籠には大量の茶葉が入っていた。
「ただいま」
「なんじゃ、えらく早いな。とりあえず茶でも」
「それより……はい、これ土産よ。落とすんじゃないわよ」
マドはエリアが差し出した茶碗を見て激しく動揺した。あまりの驚きに茶葉の入った籠を倒してしまったほどだ。
「おっおまっそれをどこで!?まさかクロスのアホを懐柔出来たのか!?」
「それは絶対無理です。これ、ネクターさんが能力で複製したやつですから壊したら消えますよ」
「今すぐ!今すぐそれを茶室に持ってこい!その器に見合う最高の茶を用意してくる!」
マドは脇目も振らずに座敷の奥へと消えていく。その光景に三人とも唖然としていた。
「ひいおじいさまがあそこまで動揺するの、初めて見ました」
「私もよ。何よ、こんなに簡単なことだったのね……」
「城買える金、多分伯父さんに泣きついても無理だと思うんだけど」
現在の相場でならピエットが買い取るのはワケは無いのだが、彼はそういった価値が個人の感性によって変動する美術品の類が非常に嫌いであり、絶対にそういったものに金を落とさない。ましてや所有者が蛇禍の如く嫌悪しているクロスであるから尚更のことだ。
ピエットが愛してやまないのは流通によって価値が変動する株や金といったある程度流れが読めるものだけだ。それを叩き込まれてきたエリアに美術品を送るなどという発想は生まれて来なかった。
そんなこんなでマドに言われた通り茶室へ足を運んだ三人であったが、待ち受けていたのはマドではなく張り付いた笑顔をたたえたミストラルであった。
「マドが騒ぐから起きてしまったのですが、一体何をしでかしたんですの?」
「ゲェーッ!ミストラル!」
「……ふーん、茶室に和装って合うなあ」
「何を呑気なことを言ってんのよ!?」
「いやー、ちょっと珍しい茶器をエリアがひいおじいさまに渡したらこうなっちゃったんですよね」
「プリス姉まで!」
ミストラルは笑みを崩さぬまま正座して喧騒を見つめている。プリスには彼女から発せられる怒気をいち早く察したため、矛先を全てエリアに向けた。
「ネクターちゃんもプリスちゃんもよく分かっている曾孫でなによりですの。で?私が生み出した土から作ったものを臆面も無く手渡した外様はどういった了見で?」
「はあ?あんたには関係ないでしょ!?何を渡そうが私の勝手じゃない!」
「そうだそうだ。あくまでアレは俺の能力で複製したものであってな。あっ、ひいばあさんにはこれ」
ネクターは石膏プリス像をミストラルの目の前に出すが、ミストラルの笑みが崩れる事は無い。
「あら、これは素晴らしいものをありがとうございますの。ですが、それとこれとは話が違いますの。重要なのはこの女がマドに物を送ったという事実ですの」
「お、贈り物が……効かないだと……」
「タイミングが悪過ぎです!石膏で固められた苦労がパーじゃないですか!」
贈り物とは必ずしも人を喜ばせるというわけではない。しかるべきムードを作ってからでないと、その効果は激減するどころかむしろ逆効果であることをネクターは知らなかった。
「ふん。たかだか曽孫のような人間にプレゼントを贈られただけでムキになるなんて器が小さいわね。もしかして、マドの事が信用出来てないのかしら?」
「口の減らない小娘ですの。表に出なさい。二度とそのような口が聞けなくなるようにボコボコにしてあげますの」
ミストラルは笑顔はそのままに、プリスを震えさせるまでに怒気を増幅させて縁側へと歩いて行く。エリアとネクターもそれに続くが、プリスはネクターを掴んで高空へ飛んでいく。
「ウブッ!またちょっと戻しそうになっちゃったじゃないか!何すんだ!」
「私はあんなくっだらない痴話喧嘩未満の些事で死ぬ訳にはいきませんし、ネクターさんを死なせたくありませんからね。緊急避難させていただきました」
「いやいや死ぬってそんな、戦闘を観戦するだけだろ」
「……ひいおばあさまが戦うという時点で、本来ならこの星から離脱するべきなんですよ。せめて地面からは離れないと」
「は?そりゃどういう……」
ミストラルとエリアが庭で対峙した瞬間の事であった。ミストラルが巨大剣を地面に突き刺すとエリアの足元が突然隆起した。高度にして50mぐらいはあるだろうか。奇しくもそれはプリスが退避した高度と全く同じであった。
当然エリアは上空に吹き飛ばされる。しかし、その身体は水のベールに覆われていた。
「あちゃー、これはもっと高度を上げないとダメみたいですね。エリアー!生きてますかー!?」
「ナメんじゃないわよ。私の水はあの女の地と相反する属性だからね。ご覧の通り無事よ」
軽口を叩きながら、エリアは自由落下を開始していく。隆起した土を手から出した水流で軟化させながら泥と化した地面へと激突する。そこに、エリアの姿は無かった。
「おい、早くもミンチになったぞ。どこが無事だ」
「あいつ、水の中に溶ける事が出来るんです。しかも自前で出したやつで」
今や、泥の山がエリア全てのようなものだ。それを証明すべくか泥の中から細い水がミストラルに向かって吹き出されていく。それら全てを巨大剣で受け止めようとするミストラルであったが、全てが貫通してしまう。
あの水は全てが高水圧のカッターだ。恐らくアルパライトにすら傷をつけるであろうそれはほぼ全ての防護を無力化するに等しい。
インサイドの発露であるが故に魔力的防護を施せば少しは抵抗出来るのだろうが、ミストラルにはその手段が無い。地属性は水属性に対する相性が最悪であるが故にだ。
「……だったら、纏めて乾かせば良いだけですの」
全身と巨大剣に負った傷は瞬く間に塞がれ、エリアと化した泥の山は更なる土に覆われ、瞬時に乾いていく。ネクターは遠目からもミストラルが呼び出した土の種類を特定した。
「珪藻土かよ、えげつねえ」
珪藻土とは水分を瞬時に吸着し、蒸散させる水の天敵である。水属性と地属性は相反関係にある。水属性もまた、地属性に対する相性が最悪である。エリアとミストラルが互いを嫌っている源流はここにある。
エリアはたまらず泥の中から姿を現す。水蒸気に溶けるなどというマドクラスの権能には未だ至っていないからだ。
「な、何なのよ!その自己修復能力、卑怯じゃない!?」
「12のアストロノミカサイドの一つ、キサラギですの。これがある限り貴様の勝ち目は万に一つも無いと思い知るんですの」
星の持つ自己修復能力を自身に集めたミストラルを滅ぼすにはそれこそ星を滅ぼすほどの一撃を与えなければならない。エリアには最初からそんなことは分かっていた。自分にはウィンドウのような反則能力も父のような超火力も持ち合わせていない。
理屈の上では理解しているはずだ。だが、感情が信念が理性を阻害する。マドやアルパですら忌避するミストラルとの戦闘を行う者はこの星のどこにもいない。側から見たらとてつもなく下らない理由であるが、エリアはその感情だけで世界最大の無茶をやらかしている。
「おまっ……お前ら何をしとるか!」
その原因たるマドが急須を持ちながら縁側から顔を覗き込ませた。自分の庭が土の山に変じていることには流石に驚きを隠せない。
そしてエリアとミストラルはそれに気づいていない。エリアが水で生成した鎌でミストラルの巨大剣と鍔迫り合いをしている最中であったためだ。そこへプリスとネクターがスーッと降りてくる。
「いやー、すみません。ちょっとお二人とも堪忍袋の緒が切れてしまったようで」
「なんでお前ら止めんかったんじゃ!特にプリス!お前はミストラルがキレた時の大切な保険だろうに!」
「曽孫のことそんな目で見てたんですかクソひいジジイ。今回のはちょっと訳が違うんですよ。あのひいおばあさまがあんたにエリアからプレゼントしただけでキレたんですよ?これはちょっと私達には立ち入れない何かがあると思いまして」
「むっ……」
マドは何か心当たりがあるのか、押し黙ってしまう。そうしているうちにエリアが地面から吹き出させた間欠泉とミストラルの力で隆起した土塊で庭がどんどんボロボロになっていく。不思議と、家屋の方に被害は及んでいない。
「ところでネクターさん、庭を元通りにする事って出来そうですか?」
「水の方は無理だけど、土だったらなんとかなりそう。あれ、インサイドじゃないだろ?」
「よくぞお気づきに。あれはアウトサイドの上位種、アストロノミカサイドの発露です。確かミナヅキでしたっけ?」
「ああ、儂の権能に対抗するべく土壌を安定させるための……じゃない!暢気に能力解説をしとる場合か!」
ミストラルの12の複合アストロノミカサイド『コヨミ』はそれぞれ独立した権能を持っている。地脈操作のムツキ、自己修復のキサラギ、本来プレート移動を司るエネルギーを全て巨大剣に集約したウヅキ、水に対抗するための土を生み出すミナヅキ、自転を司るシワスなど様々なものを攻勢転用しているのだ。
とはいえ全ての権能を攻勢転用して戦えるわけではない。現在使用出来ているのはキサラギ、ウヅキ、ミナヅキの三種のみだ。それだけでも気力を莫大に消費するはずなのだが、今回はエリアを滅ぼすという目的のために気力が充実している。
アウトサイドやアストロノミカサイドを使う者を怒らせてはならないというのはこういうことだ。怒りの感情がそのまま気力に転用されるため、普段よりも能力が発揮されやすいのだ。それ故に暴走したアウトサイドが事件をたびたび起こしている。
だが、ミストラルは家屋に被害を与えないよう立ち回れるほどには能力を制御出来ている。余裕を残しているという訳ではない。天敵であるエリアを相手取るための能力構成を絞った結果、余裕が無いまま戦っているだけに過ぎない。
一方、エリアはどうか。余裕など微塵も無い。常に全力を出して戦っているため、枯渇しそうな魔力を度々エーテルで補給している状態だ。父から教わった生命力を魔力に転用する技術など使った時点で敗北が決定する。
水流を呼び出した所で全てミストラルの土に止められるというのが何度も繰り返されている。もはやエリアの魔力も、ミストラルの気力も尽き果て、二人は変わり果てた庭に仰向けに倒れ込んだ。
「はあ……はあ……これで……打ち止めかしら……」
「まだ貴様を縊り殺す余力は残っていますの……ですが、流石にこれ以上は星が保たなくなりますの……」
「あのさあ……もう一度言うけど、なんでプレゼントを送っただけでそんなにムキになるのよ……ここまで削ったんだから答えなさいよね……」
「本当に口の減らない小娘ですの……実の曽孫がいる前でこんな事を言うのはあまりにも恥辱ですが、明かすしか無いんですの」
「ええ……何の事かさっぱりだけど、言っちゃうの……?儂、心当たり多過ぎてのう……」
マドは指を折りながら心当たりを探している。両手の指が往復した所でプリスは渋い顔で曽祖父を凝視する。
「恥ずかしながら、実は私……処女ですの」
「は?」
「あっそれかあ……」
「おい、ショジョって何……」
「はああああああ!?あり得ませんよそんな事!じゃあどうやっておじいさまを産んだんですか!?」
言葉の意味を理解していないネクターはともかく、実の曽孫であるプリスが最も驚いている。自分が神のクォーターであることが真っ向から否定されたような発言であったからだ。
「処女懐胎など神の世界では珍しくありませんの。つまり私はマドと体を重ねた事が無いんですの……」
「あー、だからそんなに信用が無かったのね……ごめんね、辛い事言わせて……」
「ひいおじいさま、ちょっとそれどういう事ですか。言葉次第では大気ごと纏めますよ」
「え?何この空気……あっひいじいさんが空気に溶けていく……」
だが、先程までマドがいた地点にミストラルのエアが飛んでいく。その先の茶室にはマドがうつ伏せの状態で実体を取り戻していた。
「エリア。一旦停戦ですの。どうやら我々が立ち向かうべき真の巨悪はあいつですの」
「そうね。何よ、私達似た者同士だったんじゃない」
畳から生えた水と土の槍がマドの身体スレスレに生えていく。エリアとミストラルは冷や汗を流して怯えているマドに笑顔で近づいていく。
「ネ、ネクターさん!もう依頼は達成しましたし、私達は帰りましょう!さっき飛んでいた時、近くにいい温泉宿を発見しましたし!」
「え、ええ……じゃあ、達者でな!」
「それは儂にお達者しろと言っとるのかーッ!」
ウジの夕空にマドの叫び声がこだまする。マドの家が大量の泥に覆われた頃にはネクターとプリスは離脱していた。
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