エリアのはなし その3


それから数時間後、やっとデスクとティアの結婚についてまで話が終わった。


「……かなり濃かったな俺たちの人生」


「ええ、文字に起こすと15万字ぐらいになりそうな長さでした」


「小説が一冊出せるレベルじゃないか。しかし、兄を娶るとはおぬしサンセットの神どもの悪影響でも受けたか?」


「グラスロッド家の血筋のせいのような気がしてならないんですの」


「否定出来ねえ……」


ネクターの兄妹および従姉妹は全員ピエットかアリアの子だ。ティアは言わずもがな、エリアも伝聞では相当キマった性癖を持っている。


デスクもよくよく考えれば親戚の幼女を20年もの間愛し、プリスに至っては法的にアウトだ。


「にしても、おぬしが脱走した事なんぞウィンドウから一切聞いとらんぞ。あいつ父親として大丈夫か」


「ダメだと思う」


「嫌われとるのう……おや、気配が」


「あ、ようやくエリアが帰って来ましたか。長話をした甲斐があったというものです」


「……そろそろ限界ですの。後の話は皆様にお任せしますの」


そう言うとミストラルは和服を着たまま布団に入ってしまった。ネクター達は退室し、玄関へと歩いていく。


「ひいばあちゃんも役目に縛られているのか……」


「いや、家内はエリアを避けているだけじゃ。その気になれば何処へでも足を運べるぞ」


「だったらたまには顔を見せてくれてもいいのに」


「面倒くさがりなだけじゃて。地球を維持している以上、無茶が出来ん故な」


アウトサイド、厳密に言えばミストラルの能力はアウトサイドの上位種であるアストロノミカサイドに分類されるが、発動には気力を要する。


ミストラルの能力に関しては常時発動しなければ地球が即崩壊するものなので気力切れによる能力の途絶はあってはならない。


この星が生まれて以降、能力の発動を保っているのだ。それがどれだけ困難な事かネクターもプリスも十全に理解している。


むしろそれでも活動出来るという事自体が化物じみているのだ。そのためウィンドウですら畏怖し、敬意を払っている。


「それはひいおじいさまも同様でしょう?だからエリアを小間使いにしたんでしょう」


「わかっておるではないか。あれが星の内側なら儂は外側よ。その気になれば大気を消し去って生命体が存在出来ん星にしてやるわい」


「怒らせたら星が崩壊する夫婦が曽祖父母ってのも難儀なもんだな……不幸すぎる」


「文字通りそういう星の下に生まれとるんじゃお主は。あきらめろ」


「ただいまー。あれ?プリス姉に、誰?」


玄関につくと同時に、丁度エリアが帰ってくる。エリアはネクターの顔を見てもピンと来なかったが、ネクターには覚えがある。ウィンドベル入社試験の時にいた、水色の髪の試験官だ。


「あ、あの時の試験官がエリアだったのか」


「そういや会ってましたね。お邪魔してますよエリア。さあとっととセントラルシェルに飛ぶのです」


「プリス姉の話は突飛過ぎて困るのよ!事情を説明しなさい!まずそこの男の人は誰なのよ!?」


「察しが悪いですねもう。この人こそ私の兄であり同僚であり夫のネクターさんです」


「そんなもん察せるか!」


ネクターとしてはエリアがティアの妹であることが信じられなかった。彼女もアルパの孫であるならティア同様厳しく育てられているはずだ。だが彼女の言動からは育ちの良さがまるで伝わって来ない。


それもそのはず、ピエットとアルテリアは初期の育児に携わったものの、幼い頃からマドに預けてしまったため躾ける事が出来なかったのだ。これは第二子ぐらいは自由に生きていて欲しいとアルテリアが願ったためでもある。


「お使いありがとうな。それは儂が運んでおくからこやつらと一緒にセントラルシェルへ渡ってくれんか?何でも水魔法使いが早急に必要とのことでな」


「ふ、ふん。別にあんたのために買って来たわけじゃないんだからね。頼まれたから仕方なく買って来たんだからね。有り難く思いなさいよ。あとその依頼は却下よ」


「は?」


プリスの右腕が光って唸る。今にもエリアに振りかぶらんと雷光が走る。


「ぼ、暴力反対!」


「ガボッ!?ガッボボボボボ!?」


エリアが目を閉じながら両手を振りかざすと、プリスを包むように水が出現する。ネクターは慌てて酸素ボンベを作り出してプリスに取り付け、マドはボンベの中に酸素を発生させる。


「何も無いところからこのレベルの水を……」


「反則だろおい」


「しれっと酸素ボンベ出してるあんたの方が反則でしょ!?」


「そりゃそうなんだが……で、何で断るんだよ。マカリスターさんが困ってんだよ。セントラルシェルの水道が全部ストップしちまってな」


「尚更却下よ。あの人には天然の水の価値を分かって貰わなきゃならないわ」


エリアの厄介な性癖はもう一つ。あまりにも水が好き過ぎるのだ。そのためエーテルドライブから作り出される人工の水を嫌悪している。それがこの地から極力離れたくない理由の一つでもある。


「だったら力尽くでも同行させなきゃならんな。大人しく」


ネクターがエリアに向かって両手を突き出すも、突然両手が水に覆われる。ロープを呼び出してエリアを拘束しようとするが、何故か出ない。


「どうやら正解のようね。あんたの発動体は手と見た。そこをインサイドの水で封じてしまえば能力は使えないようね。プリス姉も同じだけど、面倒な事に全身を封じないと素の戦闘能力でブン殴られるのよね」


「畜生、戦闘センスはひいじいさん譲りかよ!」


「左様、エリアは儂が育てた」


「だっ誰があんたなんかに!」


「……さっきからえらくひいじいさんに対して反抗的だなあ。話と違うぞ」


プリスは何か言いたげに口をモゴモゴと動かすが、酸素ボンベから口を外してしまうと呼吸が出来なくなるので何も言えない。そもそも水に囲まれているから発語したとしても伝わらない。


「いつもこんなんじゃぞ。育て方間違えたかのう」


「別に……間違ってなんか……」


「そこでしおらしくなるのはなんなんだよ……なあ、頼むからプリスの両腕だけでも水を無くしてくれないか?このままだとまずい事になるぞ」


マドは全てを察してネクターから露骨に距離を置く。エリアはその言葉の意味が分からずに首を傾げる。


「何それ?嫌よ。プリス姉の腕を解放したら水を纏められて終わりじゃない。そんな脅しには屈しないわ」


「そりゃそうなんだが、もう一度警告するぞ。このままだとお前は不幸に落ちる。死なない程度に加減は出来ないレベルの不幸が舞い降りるぞ。それがどんなものかは分からんが」


「何をするつもりかは知らないけど、やってご覧なさいよ。私にアウトサイドは効かないわ」


エリアは両手を広げてネクターを挑発する。その身体は水のベールで覆われており、アウトサイドを完全に遮断する構えだ。


「そうかい」


ネクターの目が座る。自らの意思で靴と靴下を消し裸足になる。そのままエリアに蹴りを繰り出すが、ヒットする前に水の塊を出現させられ、威力を殺される。ネクターの脚はエリアの首に触れたまま止まった。


「無駄よ。私に攻撃は届かない」


「いいや、届くんだな。何故か。助かるよ、お前が強力なインサイド使いで」


「ハッタリもいい加減にしなさいよ!」


今度はネクターの全身も水で覆われる。プリスは慌てて自分の酸素ボンベをネクターに取り付ける。


バビバビダやりましたゴベバガンゼヅギズデズべこれは間接キスですね!」


「そんな事言ってる場合!?そりゃプリス姉は持ち前の肺活量で耐えられるでしょうけど!」


エリアは水魔法の素養のおかげで水中で言ってる事も聞こえるぞ。


バガデズベバカですねゾベバゴッビボベビブベブそれはこっちのセリフです!」


「プリス姉まで!それがどうしたって言うのよ!」


「……何やら騒々しいですの」


エリアにとって望ましくない事が起きた。先程寝たはずのミストラルが、自身を嫌い自身も嫌いお互い顔を合わせるはずの無いミストラルが目の前に現れたのだ。


「な、なんでアンタが!?」


「嫌な予感がしたので来てみれば。私の可愛いエア使いの曽孫に何をしているんですの?」


ミストラルが拳を振りかざすと、ネクターとプリスを纏っていた水の塊が一瞬にして吹き飛んだ。


これこそ普段プリスが用いている闘法、エアだ。大気をそのまま殴る事によりインサイドの発露すら突破し遠くの対象を拳のみで打ち倒せる、ミストラルが編み出したアウトサイドのための戦闘法。空気をクッションにする事でマナを間接的に介しアウトサイドでも擬似的に魔法が使えるようにするというものだ。


今回は空気のみを打ってネクターとプリスの水を剥がしただけに過ぎない。むしろプリスにはこのような芸当は出来ない。それもそのはず、ミストラルこそがエアを編み出した張本人だからだ。


本来は空気に溶けて逃げたマドを制裁するための痴話喧嘩専用奥義であることをプリスももう一人の継承者であるウィンドウも知らない。


「よっしゃ死ね!」


「アババババ!」


プリスも負けじと雷を纏ったエアをエリアにぶつける。水のベールに覆われているエリアはそれだけで電気を通しやすくしていたのだ。


「しかし、インサイドで守られていたエリアに不幸を通すなんてやりますね。っていうか本当にアウトサイドなんですかそれ?」


「俺も詳しくは知らんけど、かなり昔にアンチアウトサイドフィールドを張った伯父さんが知的好奇心の為とか言って愚かにも触って来た事があったんだよ。そしたら何故か突然アルテリアさんが浮気の証拠を突きつけながらコブラツイストをかましたんだよな。だから強力なインサイドの発露相手なら不幸が軽減されるだけってのは証明済なんだ」


ちなみに浮気の証拠とはピエットが日がな幼女を見かけては声をかけていただけの事であり、明確に浮気ではないということを彼の名誉のために言っておこう。むしろ名誉が傷つけられている気もしないが。


そしてこの言に関してマドが渋い顔をしていた事については誰も気づいていない。それどころではなく、ミストラルがエリアの首を片手で吊り上げていたのだ。もう一方の手には刃渡り5mはあろう巨大な剣が現れている。


「今まではグラスロッドとアルパの顔を立てていましたが、逆鱗に触れましたの。今すぐここを出るか、現世からいなくなるか、どちらか選ばせてあげますの」


「あ、あんたには関係ないでしょ!そもそも私はプリス姉から身を守ろうと!」


「おーい、ウヅキを振り回すなら外でやってくれんか?」


「庇う気ゼロ!?」


「ミストラルを怒らせたお主が悪い。儂ゃ知らんぞ」


マドからも見捨てられたエリアは涙目になりながらも抵抗する。負けじとミストラルの首を掴み、体内の水分を奪い取ろうとする。


「よっぽど死にたいようですの」


しかし、ミストラルの肌は未だに潤ったままだ。エリアを掴みながら外へ出て行く。


「待った待った!そいつがいないとセントラルシェルの水道が止まったままになるんだよ!殺されるのは困る!」


「それに、エリア殺したら戦争ですよ戦争!このボンクラ、一応統合大統領の孫ですからね!」


「……プリスちゃんに言われたら仕方ありませんの」


ミストラルはあっさりとエリアを離し、巨大剣を消失させる。ネクターもプリスも、そしてマドですら安堵の息を漏らす。


ミストラルは基本的にエアを継承したウィンドウとプリスには甘い。もしこの場にプリスが居なかったらこの時点でエリアは命を落としていただろう。彼女が怒ればマドはおろか、アルパですら止める事は出来なかった。


「さて、もう一度言います。とっととセントラルシェルに飛ぶのです。私やネクターさんはともかく、ひいおばあさまに逆らうのがどれほど愚かな事かよく分かったでしょう?」


「わ、私はまだ負けてなんか……!」


「そうですか……次、反抗したらティアさんにチクります」


「ヒッ……!?」


エリアの顔が一瞬で青ざめる。彼女が最も苦手とする姉の名を出され、今までのプライドを全てかなぐり捨ててその場で土下座する。


「それだけは!それだけはどうか!」


「……最初からこう言っておけば良かったですね」


「気持ちはよく分かるから何も言えねえ」


同じくティアのオモチャになっているネクターは同情の眼差しをエリアに向ける。


「というか、今生の別れってわけじゃないんですよ。仕事が済んだらすぐに返しますから安心なさい。これ以上抵抗しなければティアさんに会わせる事がないよう手配致します」


と言ってもティアはデスクと一緒に新婚旅行中だ。セントラルシェルで出会う事は無い。


「二度と帰って来なくていいのに」


「ミストラルはもう寝とれ。これ以上は話が拗れる」


「……命拾いしましたの」


ミストラルは不満気に家の奥へと引っ込んで行った。


「それで、どうやってセントラルシェルまで戻るの?言っとくけどプリス姉の背中に乗るのは御免被るからね」


「えっ」


「えっ、じゃないわよ!何度胃の中身を戻したと思ってんの!?」


「そんなに不満なら泳げばいいじゃないですか。水中なら私が飛ぶより早いでしょ」


「手前までは行けるけど、あそこ川しかないじゃない!嫌よあんな濁った水潜るの!」


セントラルシェルは内陸部に位置する都市だ。そのため海に隣接しておらず、生活排水が溜まっている河川を通るしか水路は無い。エリアがあそこを忌避する理由の一つだ。


ただし、これに限っては矛盾がある。ウジもまた内陸部に位置しているのだ。結局のところ、彼女がウジに住み着いているのはマドが居るからという事だ。


「しょうがねえなあ。ひいじいさん、ちとエーテル貸してくれねえか?」


「何をするつもりじゃい」


「これに補給する」


そう言ってネクターが創り出したのは、リザード級全長3.5mほどのエーテルドライバーであった。名をヴェロキラプトル。マカリスターが最初に作り出したEDであり、かつてネクターが山菜を取りに山へ行くため使っていたものだ。


ただ、突然EDが目の前に現れた事にマドもエリアも驚愕していた。


「え、エライ子を産んだの、うちの孫は……」


「あ、あの時手を封じて無かったらどうなってたのよ私……」


「多分ミョルミルで腕か脚の一本を潰してた」


「今しれっと怖い事言ったわね!?」


「ムキー!そんなクソすっとろい乗り物なんか私は御免ですよ!せめてワイバーン級ぐらい出せないんですか!」


今度はプリスが文句をつけた。ヴェロキラプトルはせいぜい時速180kmしか出せない上に空を飛べない。プリスの言うようにワイバーン級なら時速1000kmを叩き出せる上に空も飛べるのだ。それでもプリス基準なら遅いが、背に腹は変えられない。


「だって燃費いいしこいつ」


ホームレス時代、ヴェロキラプトルを愛車にしていた理由はまさに燃費だ。1ℓのエーテルにつき、エアコンやライトを用いなければ110kmも走ってくれるという優れものだ。ホームレス時代のエーテルは貴重品であったため、なるべく節約したかったのだ。


さらに言えばこのタイプはニュートラルドライバーに採用されていたガソリンを用いての走行も可能なハイブリッドタイプだ。いざとなればエーテルに頼らず走れるが、現代ではむしろ需要の低下のためエーテルより貴重なのであまり使えなかった。


「燃費はどうでもいいんですよ!それより何よりも速さ!速さが肝心なのです!」


「そこはお前が距離を纏めればいいだろ。そうすれば数ミリのエーテルで済むし」


「貧乏性が抜け切っていませんね……分かりました。それなら最短で到達出来るでしょう」


「……じゃあ、行ってくるから」


「土産待っとるからはよ行ってこい。屠殺場に送られる牛みたいな顔をせんでよいわ」


ヴェロキラプトルにエーテルを汲みながらそっけなく答えるマドに、エリアは頬を膨れさせながらEDの後部座席に乗り込んだ。

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