エリアのはなし その2
フォッサマグナと呼ばれる非干渉地帯は土着の民が暮らす西側と移民で構成される東側を隔てる中立地帯である。
かつては東西分割の後に幾度も戦端が開かれた地であるが、東側の圧勝に終わった事で和平が結ばれ現在では東西の人間が諍いなく交流出来る地として定められた。
その中のウジは非干渉地帯の自治都市から離れた穏やかな田園地帯だ。特に茶葉の産地として有名であり、東西への茶葉の輸出により莫大な利益を上げている。マドも茶葉農家の一人であり、ここを隠棲の地と定めている。
そのマドの所有する茶畑の上空にネクターとプリスが出現する。見渡す限りの茶畑を見たネクターはその光景に唖然とする。
「あれ全部茶畑かよ……茶葉多すぎだろ」
「これ、全部ひいおじいさまの土地ですからね。統合大統領府を定年退職してから統合大統領に無理を言ってここら一帯を丸ごと譲り受けたらしいです」
「神に定年退職とかあるんだ……」
マドがこの地球に発生したのはこの星がまだ不毛の地であった頃からであった。彼の仕事はこの星に大気を創ること。空を作り、雲を作り、水を産んだ。
それが仕上がった時点で、彼はお役御免となった。ウィンドウが産まれるずっとずっと昔の出来事である。
「どちらかと言うと、任期を満了したからですかね。さて、ひいおじいさまの家はどこでしたっけ。茶畑に埋もれて分かりづらいんですよ……あ、アレです」
「見えねえ」
プリスの驚異的な視力がマドの家を捉えても、写真記憶だけがウリのネクターには到底見えない。茶畑が生い茂る中でポツンと建つ平屋の一軒家がそれなのだから。プリスはネクターが見えると思われる位置まで近づいていく。
「ここなら見えるでしょう。毎度見つけにくくて困ります」
「広大な土地を有しているにしては随分小さい家だな。うちに比べたら広いけど」
「マンションの一室と比べるのは流石にどうかと。あっ、ひいおじ……!」
プリスがマドを視認した時には、既にマドが花火をプリスめがけて射出していた。プリスは回避に専念するが、花火はしつこくプリスを追尾する。
「……相変わらずしつこい花火ですね!」
「花火!?花火なんで!?どっちかっつーとミサイルじゃねえか!」
「待ってください!ネクターさんそれだけはやめ……いやあああああ!!!」
焦ったネクターは窓ガラスを展開し、花火を防御する。窓は花火の爆発をガードするが、何らかの血や肉片が窓にこびりつく。
「キャーーーーー!!!」
それを間近で見てしまったネクターは叫び声を上げる。じっくり観察したそれは、蛙の飛び散ったものであると分かってしまった。写真記憶をまた呪ってしまった瞬間である。
花火の先端に蛙がくっついていると分かっていたプリスはネクターの眼前に広がる光景を想像しただけで制御を失い、墜落してしまう。
地面に激突する寸前で我に返ったネクターは地面にクッションを生成。窓に張り付いた蛙と同じ末路を辿ることなく無事に不時着した。
「なんじゃ、
「UFOに蛙ボムはどうかと思いますが!」
「えっと、この人がひいじいさんでいいんだよな……?親父の変装とかじゃないよな?声が全く同じなんだが」
眼前にはウィンドウをそのまま老けさせたかのような顔立ちの、麦わら帽子を被り背の籠にたっぷりと茶葉を詰め込んだ老人が、ロケット花火の先端に蛙を差し込みながらネクターの方を怪訝な顔で見ている。
「なんじゃこいつ」
「あなたのひ孫ですよ。ついこないだまで行方不明だったネクターさんです」
「ほう、帰って来とったか。と言っても実物を見るのは初めてじゃからのう。お前に関しては接触を固く禁じられていたのでな」
「はあ、そりゃどういう……」
「儂に触れると不幸が丸ごとエアロゾル化して大気中に拡散するだとかなんとか。まったく、儂の能力を何だと思っておる」
マドの能力は大雑把に言うと大気に干渉することだが、ネクターに触っただけで不幸が拡散するという事実はまるでない。こればっかりはウィンドウが珍しくついた嘘である。
「父さんは単純にひいおじいさまの悪影響を与えたくないから近づけなかっただけだと思うんですけど……それより、エリアはどこに?とっとと連れて帰らないとセントラルシェルの水道が止まったままで困るんですけど」
「マカリスターからもその件は聞いておるが、あやつも愚かよのう。従来の水道網を生かしておかんからこうなる。まあ、エリアの魔法に頼っとる儂が言うのもなんだが……あやつは買い出しに出掛けておるからしばらく帰って来んぞ」
「困ったな……帰ってくるまで暇だな」
「ほほう、それならちと手合わせ願えんか?なんかおぬしを打倒せんといかん気がしてのう」
そう言うなりマドはさらにロケット花火に蛙を突っ込んでいく。アレを飛ばした上で炸裂させていたのだろうが、追尾する原理は不明だ。
「勘弁してください……」
「なんじゃ、つまらん」
先程、窓に飛び散った蛙が張り付いたのを思い出したネクターは力無く拒否する。恐らく防戦に持ち込んだところでまた同じ事の繰り返しだ。
「ネクターさん、こんな妖怪クソジジイ触れば一発で御陀仏ですよ。能力解放しちゃいましょう」
「お前はお前で嫌ってるねえ?」
「大気全てが敵ですからね。どこ飛んでも水蒸気爆発で迎撃されるんですよ」
「アレ、儂の持ち得る最大の攻撃なんじゃが」
マドは決して本気を出さずに相手をおちょくるタイプだが、ウィンドウとプリスにだけは一度だけ本気を出したことがある。
ウィンドウは単純におちょくるだけでは勝てないため、プリスに関しては真の能力を引き出される前に潰す必要があったからだ。
「戦うのだけは絶対に嫌だけど、それはそうとして暇だなあ。いっそエリアが帰ってくるまで観光でもしてるか?」
「それなら儂の茶でも飲んでいけ。おぬしらが
「茶って言うと緑茶の事だよな?ハーブティーはセーフ?」
「レモネード無いんですかレモネード」
「ネクターはともかく、プリスは異教徒どころか邪教徒じゃな」
マドが嫌悪しているのはコーヒーだが、プリスの嗜好品に関してはもはや茶ですらないとして論外の域にある。彼女がレモネードを好む理由の一つに雷属性が扱い易くなるからという事実無根の理由があるからだ。
「ところで、ひいおばあさまはいつも通り家の中で?」
「ああ。折角だから顔を見せていけ。いつも通り動けんからな」
「身体が弱いのか?」
「いえ、むしろ働いていると言いますか……」
「ついでに茶を入れてやるからしばらく会話しとれ。儂を初めて見たという事はミストラルにも会ってないという事じゃろ。さあ上がった上がった」
マドに促され、二人は家の中に上がっていく。どちらかと言えば西側の古民家という風情であり、居間には囲炉裏があるほどの古い家だ。ネクターは初めて見る畳を凝視する。
「はー、井草を編んでマットにするのか。西側の家も面白いな」
「畳と言ってな。この上で茶を飲まんと風情が無くなる。おぬしらの実家にもあるはずだぞ茶室」
「父さんしか使わないので立ち入った事が無いんですよね」
「右に同じ。奇妙な小部屋があると思ったが、なるほどそれか」
「帰ったら寄ってみろ。さて、入るぞミストラル。客人だ」
さらに奥に進んだところに、床の間がある。マドが襖を開けると西側の着物を着た水色の髪の女性が鎮座していた。マドの老け具合とは相反した、とても曽祖母には見えない若々しさにネクターは驚く。
「まあ、プリスちゃんとは珍しいですの。そちらの方は?」
「お、お久しぶりですひいおばあさま……あ、こちら兄のネクターさんです」
「初めまして……ほ、本当にひいばあちゃんなのか……?下手すると母さんより若く見えるが」
「正真正銘、ウィンドウの祖母ですの。若作りでごめんなさいね」
「儂が意図して老けただけじゃて、神を舐めるでない。確かアルパにも会ったんじゃろ?アレと儂らは同世代じゃからの。じゃ、茶を淹れてくるからな」
マドは退室し、襖を閉める。ネクターとプリスもミストラルが用意してくれた座布団の上に座る。プリスは慣れているのかその上に正座するが、ネクターは慣れない様子で脚を投げ出している。
「本当に久しぶりですの。最近はウィンドウすら滅多に寄り付かないから退屈しておりましたの。何か変わった事でもありましたの?」
「あー、まあ変わった事と申し上げますと、セントラルシェルの水道が止まっちゃったんですよね。だからエリアを借りに来たんですが」
「あの小娘だったら今すぐ叩き出してやりたいので大歓迎ですの」
「え?ちょっと待って?めっちゃ嫌われてない?」
「そりゃそうですよ。その理由も含めて、何故エリアがここに住み着いたのか解説いたしましょう」
エリアは産まれた時から水魔法の才能を持っていた。ティアに勇者の剣が乗り移ったのと同様、エリアは海に愛されて産まれたからだ。
水魔法に適性のないピエットとアルテリアは困り果てた。そこでこの地に水を作った張本人であるマドに相談した所、稽古を買って出る事を承諾したのだ。エリアがまだ6歳の頃の話である。
扱えるだけで特級扱いされる水魔法と地魔法は元々天津神であるマドと地母神であるミストラルが生み出した、ニュートラル寄りの魔法である。
エリアはめきめきと成長していき、水魔法だけであれば実父のピエットはおろか、マナを生み出した統合大統領府魔法省長官であるマギすらも凌ぐ世界最大の使い手にまでなった。
プリスですら、水に逃げられれば速度で負けるほどだ。こと水中という環境に於いて絶対の勝利権を持つのがエリアである。
「で、それから12年。既に極まり切ったエリアですが、まだズブズブとここに寄り付いているんですよね。ここの高校を卒業し次第帰ってくるらしいです。既にウィンドベルの代理人課にも内定していますから、我々の後輩となる予定です」
「代理人課って事は、レイダーさんに勝ったのかよ。どんだけ強えんだ」
「それが、レイダーさんは相手が全力を出せる環境で戦いたがる悪癖を持っておりまして、無謀にも水中での戦闘を選んだそうです。結果、惨敗したようですが」
「それを加味しても即戦力には間違いないだろ。それなのに何でまだここに?」
「マドが甲斐甲斐しく世話をしたのが裏目に出ましたの。口惜しい事にあの小娘、マドに慕情を持っていますの」
曽祖母の言葉に、ネクターは唖然とする。プリスは額に手を当てて溜息をついている。
「は……?え……?待って……?確かに血縁こそ無いが、エリアにとってもひいじいさんみたいな存在だろ……?それが……?何だって?」
「分かりやすく言うとマドの事が好きなんですの」
「いや、それは分かってんだけど!」
「これがエリアの持って生まれた性癖の一つです。オヤジ趣味を通り越してジジイ趣味なんですよあいつ」
「どうしてうちの家族は揃いも揃って変態ばっかなの……?」
話を聞く限りではプリスの性癖に関してはまだ理解が及んでしまう程の厄介な性質だ。自分の曽祖父が恋慕の対象になっている事に、未だに理解が及んでいない。
「とにかくそれが未だにここに寄り付いている原因です。これに関しては伯父さんも伯母さんも、果ては父さんですら頭を抱えていますからね」
「んなしょうもない……兄さんとティアさんの問題が軽く見えて来たぞ」
「あら、デスクもあれの姉とくっついたんですの?」
「あ、それもご存じない?こないだ式を挙げたのですが、まあ来れませんよね」
「まあ関係が関係だったから近くにいる身内だけでパパッと済ませちゃったもんな。ああ、クソッ……思い出したくない事を……」
いとこ同士の結婚という事もあって、デスクとティアの挙式は慎ましく行われた。呼ばれたのはウィンドベルの幹部と孤児院の子供たちだけだ。
その後が問題で、新婚初夜の前にネクターはティアに呼び出されウェディングドレス寝取られプレイとやらの餌食となったのだが、そこでネクターがやらかしてしまったためなるべくその話には触れて欲しくは無かったのだ。
「そうなると色々と近況報告が必要のようですね。例えば行方不明になっていたネクターさんを見つけ出して一緒にウィンドベルへ入って即婚約を決めた事とか知らないでしょう?」
「サンセットの神々みたいな事をしたんですのね」
これには流石のミストラルも引き気味であった。
「で、兄さんの挙式にすら出られないってのはどういうことなんだ?俺、ひいばあちゃんの事はさっぱりだから」
「ああ、ちょっと地球自体を維持していますの。だから極力活動を控えなければなりませんの」
「スケールがでか過ぎない!?」
ミストラルの能力は12個の複合権能であり、それら全ては地球の維持に使われている。地球の自転や地殻の変動は全てミストラルによって機能していると言って良い程だ。
そのために生まれて来たのが彼女であり、また大気を作ることを目的として生まれたのがマドである。
マドとミストラルがくっついたのも必然であり、ある意味この夫婦によって地球が存在しているようなものである。創世神話のその後という存在自体が巨大なスケールなのだ。
そんな二人が隠棲しているのは神としてではなく人間らしいセカンドライフを送ってみたいという願いに起因する。
「その余りにもスケールが大きいお2人の血を引いているのが私達なんですよ。その権能はもはや我々の世代では薄れていますがね」
「あら、それはお門違いというものですの。プリスちゃんはともかく、ネクターちゃんは……」
「すまん、蒸らすのに時間がかかった」
そこへマドが急須と湯飲みを持って現れる。
「……話の続きはまたいずれ。それよりも貴方達の話を聞かせてくださいません?外の様子はとんと聞かないもので」
「ひいおじいさまは何も伝えていないので?」
「ウィンドウの証明以来、向こうに寄り付いとらんでの。正直お主らの話は全く伝わっとらん。ウィンドウも全然連絡をよこさんしな」
「それ私達の生い立ちから説明しなきゃいけませんね?」
「どのみち暇だし、話すだけ話しちまおうぜ。あっこのお茶おいしい」
ネクターとプリスは生まれてから今に至るまでをお茶を飲みながら解説していく。お茶を褒められたマドは少し上機嫌のようで、親身に話を聞いてくれている。
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