第6話 エリアのはなし

エリアのはなし その1

ウィンドベル本部の下層は温泉施設として一般開放されている。それもただの温泉施設ではない。よくあるスーパー銭湯との違いとして、多種多様な全ての浴槽が源泉を引っ張って来ている事が挙げられる。


当然のように宿泊施設も兼ねており、クスター監修の食事処やマッサージ器とテレビが複合した休憩施設、レイダーが主に使っているトレーニングルームや道場に併設された卓球場。果ては料理対決用のキッチンまで備え付けられている始末である。


浴槽も基本的に混浴であるが、専用の浴衣をつける事で混浴初心者にも優しい造りとなっている。その温泉施設の外にある樽風呂一つにネクターとプリスは詰まっていた。


「離れんかバカ!狭いわ!」


「何をおっしゃいます。ネクターさんの不幸がお湯に移らないように頑張っているだけですよ」


「樽風呂は元々1人用だろうが!」


当然ながら他の客は奇異の視線を二人に投げかけている。子供の目を覆う母親もいる程だ。


「……しかし、水魔法の出力がセントラルシェル全域で止まったからってここに来るか?確かにここは源泉引っ張って来てるし、職員割で安く半額になってるけどさあ」


「本部に近づきたくない気持ちはよく分かりますが、そこは抑えてください。水魔法系統がイカれるということは、修理に時間がかかるも同義なのです」


エーテルドライブは魔法のショートカットを用いてあらゆるエネルギーを生産する。水を作り出す水魔法の使い手はほとんどおらず、術式を組み直すのが困難である。エーテル網が整備されてからはや30年、今まで壊れた事が無いのも手伝っている。


旧来の水道はもはや使い物にならず、エーテルドライブの故障はセントラルシェル住民にとって大打撃である。第一人者であるマカリスターは炎属性を専攻しているため水魔法とは非常に相性が悪い。


「だからって公共施設で家と同じ絡みをするのはやめてくれないか?流石に衆人環視はマズいだろ。知ってる顔もいるだろうし」


「……野外で従姉ティアさんに何をしようとしていましたっけ」


「やめてくれ。もう思い出したくない」


あれからさらに1ヶ月が過ぎた。ティアは暇を見つけてはネクターを呼び出し、あらゆる場所でアブノーマルなプレイを強要して来るのだが、その話はとてもこの場ではおぞまし過ぎて口には出来ない。


「というわけで、私にもそういう事をする権利はあると思うのです!私に非があるとはいえ、浮気を容認している以上は!」


「やめんか!それはあの人の思う壺だ!」


「いいえ!私、堪忍袋の緒が切れました!というわけでさあ!バッチコイ!」


「……お客様。当店での淫行は禁じられおりますが」


「お前らが仲良いのは分かったが、温泉でやるな。風情がない」


ふと横を振り向くと、隣の樽風呂に見知った顔がいた。何を隠そう憎悪の対象である実父ウィンドウと、憧れの存在であるマカリスターの二人だ。


「げっ、親父……」


「チッ、何やってんですかこんな所で。特にマカリスターさんはここで油を売っている場合ではないのでは?」


「ウチの会社の風呂に入って何が悪い。それに水道が止まって困ってんのはこっちも同じだ」


「俺は方々回ってその帰りだよ。俺に出来る事はもうない。後はウィンドベル総出で水魔法使いをかき集めるだけだ」


「じゃあ最初に水魔法の術式を組んだ人に頼めばいいんじゃ?」


「……それが、当時組んでくれた人はかなりの老齢だったんだよ。今は故人だ」


マカリスターは困った様子で天を仰ぐ。ウィンドウもまた同様だ。


「だったらエリア使えばいいじゃないですか。あいつ、水魔法のマスタリーでしょ?」


「エリアって……ああ、ティアさんの妹か。今はひいじいさんの所にいるんだろ?」


「……お前が俺に会いたくないのと同じで、俺もジジイには極力接したくないんだよ。多分それは殆どの幹部も同じだ」


「俺はあの人に火薬卸してるからまだいいが、俺じゃエリアが快諾してくれるとは到底思えん。あいつ、次のボンバイエまで帰ってくる気が一切ないらしいからな」


ボンバイエとはイム教の行事で、冥界から帰ってくる先祖を迎える日である。別にイム教徒でなくとも霊が帰ってくるのは本当の事であり、エリアにとっての祖父母が帰ってくるためエリアも帰省せざるを得ないのだ。


「ボンバイエって……あと1ヶ月ですよね?あいつ、まさかまだひいおじいさまの事を……」


「そのまさかだ。ウィンドベルの人間じゃないから命令も出来んし、ピエットとアルテリアは既に諦めている。ティアでも連れて行けば一発で言うことを聞いてくれそうだが、今はデスクと新婚旅行に出かけていて不在だ」


「……ふむ、でしたら私とネクターさんを派遣すれば宜しいのでは?私達は丁度手が空いていますし、上手いこと拉致してくるのも容易です。そして何より都市管理部所属の私達としてはライフラインの復旧は急務だと思うのですが」


「技術部としてはネクターを欠くのは痛いが、背に腹は変えられん。じゃ、マドには俺が言っとくから、ウィンドウはアリアに許可取ってくれ」


「助かる。俺としてはネクターをあの妖怪ジジイに会わせたくは無いんだが……」


珍しく自分の心配をする父を奇妙に思うが、どうせいつもの偽善だろうとタカをくくる。ウィンドウの言はほぼ本心であるが、ネクターはそれを信じきれていない。


「俺には出来ねえって口ぶりだな、おい」


「まあまあネクターさん落ち着いて。それより父さんは私の心配はしないんですか」


「お前は何度も会ってるし、何度も痛い目に遭ってるだろ。あ、ばあちゃんに会ったら俺は元気だって伝えといてくれ」


「また連絡するから、それで正式に依頼を渡す。お前らはゆっくり風呂に浸かっててくれ」


ウィンドウはその場で消失し、マカリスターは風呂から出て行く。後に残された二人は一旦樽風呂から出て近くの岩風呂に場所を移した。


「で、勝手に決めちゃったけどいいんですか?」


「どうせ暇だし。ひいじいさんとひいばあさんに物心ついた時に会ったことなかったしな。それにエリアって奴も気になる。なあ、そいつはティアさんみたいになんか厄介な性癖を抱えていたりしないよな?」


「……行けば分かります。ティアさんほどキマってはいませんが、ある意味ティアさんより酷いといいますか……ああ、ネクターさんに危害を加えるようなものではないのでご安心下さい」


「頼むよホント……」


もはやネクターにとってティアはトラウマと化している。かといってアルテリアからの依頼を放り出す訳にもいかず、途方に暮れているというのが現状だ。


「しかし、ネクターさんにも触れず湯にゆっくり浸かっていろだなんて拷問ですか。私としてはとっとと動きたいのですが」


「マカリスターさん温泉大好きだから、温泉でのマナーにはとことん煩いんだよ」


「昔からそうでしたよ。私なんか入浴は10秒で済ませたいのにいつも10分は浸かれって言ってくるんですよ。それを父さんも言ってきますからね」


ウィンドウはマカリスターの影響で温泉にハマり、マカリスターとは温泉仲間としてマナーを喧伝している。実際プリスの入り方は烏の行水を通り越しているため、温浴効果を全く得られていないのだ。


ただ、その言いつけを守っているネクターと一緒に入る時だけ我慢しているため二人からは密かに喜ばれていたりする。


「……そういや、ひいじいさんってどこに住んでるんだっけ?セントラルシェルでは殆ど見ないな」


「ひいおじいさまはウジにいます。西側と東側を隔てるフォッサマグナに居を構えているので、温泉地としても有名です。最も、あのお方がそこにいるのは茶畑が有名だからですね」


「茶ねえ……親父の愛飲する嗜好品だったか」


「あれもひいおじいさま譲りだそうですよ。父さん、周りの人に影響受けてばかりですね」


それもそのはず、ウィンドウは無として生まれて来たため周囲の環境に左右されやすいのだ。彼の自我を形成する要素は殆ど周囲の人間の受け売りとも言える。アリアに出会ってすぐ恭順の意を示したのも、彼女がウィンドウを証明した事に起因する。


それは、その在り方はプリスと似通っている。


「親父の事は相変わらず気に食わないが、風呂にゆっくり浸かれという教えはごもっともだと思う。なんせそれはマカリスターさんからの影響だからな。せっかくだし温泉旅行もいいかなあと思ってる」


「温泉……旅行……!それは良い響きですね!とてもロマンがあります!」


「よう、アリアとマドのじいさんとは連絡取れたぜ」


そこへマカリスターが戻ってくる。ネクターとプリスはすぐに湯船から上がろうとするが、マカリスターから手で制される。


「落ち着け。このまま口頭で指令を飛ばす。一応これは都市の危機として扱われるからAランク相当の任務とする。とにかく何としてでもエリアを連れて来て水魔法術式を組み直して貰う。それさえ済めば後は自由だ。望み通り温泉旅行に行っていてくれ。是非」


「ありがとうございます!ではネクターさん、早急に出発致しましょう!」


「まあ待て。マジで待て。先に釘を刺しておくが、風呂場での淫行は厳禁だ。風呂上がりに客室で酒を呑んでからまぐわうというのが最も風情があるぞ」


「……なんのアドバイスだよ」


「マカリスターさん、こんなオッサン臭いキャラでしたっけ?」


「俺も歳って事よ。ああ、そうだ。マドのじいさんはいつでもエリアを返してやっていいと言っていた。こりゃスムーズに事が運ぶかもな。じゃ、俺はまた外回りしてくるから」


再びマカリスターが去ったが、プリスの表情は晴れない。むしろ先程までのテンションが嘘かのように落ちている。


「……マカリスターさんはエリアの事をちっとも分かっていませんね。余計難易度が跳ね上がりました。これは拉致も視野に入れないと」


「どういうことだ?」


「エリアは非常に面倒くさい性格をしているんですよ。とにかく私達も行きましょう。早いところ対処しないとマズいので」


「はあ……」


二人は湯を出て脱衣所で着替えを済ませて牛乳を飲み干した後合流し、即座にウジへと飛んで行った。

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