デスクとティアのはなし その3
「何やってんだお前ら?」
「はぅあッ!?デ、デスク、おはようございます!」
「……あと50時間」
翌日の朝、二人は人をダメにするソファに完全な敗北を喫していた事に気付いた。ソファから難儀しながら起き上がり、ネクターはそっとソファを消滅させた。
「や、これはダメですね。封印指定ですよ」
「本当にいざって時に使おう。下手したら捕獲用に使えるぞこれ」
「……本当に何やってたんだ」
事情を知らないデスクは置いてけぼりであった。
「と、とにかく、今は孤児院へ行くのが先決です!今何時ですか!?」
「まだ7時だが?手伝いに行くのは8時からだからまだ余裕はあるが……」
「ならまだ大丈夫ですね。そういえばデスクっていつも孤児院で何を手伝っているんですか?私、覗きに行った事がありませんので」
「あそこ、男手が伯父さんぐらいしかいないからな。主に力仕事をやらせてもらってる。後はインサイドの試し打ちの的とか」
「……不憫ですね」
アウトサイド同様、インサイドも強力な権能だ。力の使い方を間違えると大変なことになるのは同じだ。だからデスクが率先して的となる事でフラストレーションを発散させているのだ。
「これが意外と好評なんだよ。伯父さんとティアさんに」
「それを仕事に出来るのは世界狭しとデスクだけです」
プリスはほんの少しだけデスクの事を尊敬した。世界最高レベルの火力と魔力を相手に出来るのはデスクぐらいのものだろう。
その時だ。チャイムが1度だけ鳴った。ネクターはその頻度から母の来訪ではないと安心し、ドアを開ける。
「はーい、どなたで……」
「御機嫌ようネクターさん。お久しぶりですね」
目の前では身の丈わずか110センチの少女が恭しく挨拶をしていた。長い緑髪を後ろに纏め上げ、スカートの裾を摘んでお辞儀をする姿は、その見た目に似つかわしくない上品さを醸し出している。
「……ティアさん?どうしてここに?」
「デスクさんをお迎えに。今はこちらにお住まいとお聞きしましたので」
「左様で。おーい兄さんー、ティアさんが迎えに……」
ネクターは居間までデスクを呼びに戻るが、そこには呆然と立ち尽くすプリスと開け放たれた窓があるのみであった。
「あのバカ……ティアさんの声を聴いて一目散に逃げやがりました……」
「……何で逃げるんだ?よく分からんが兄さんはティアさんに恋とやらをしているのだろう?」
「世の中にはそういう人間もいるのですよ。まったく、あのチキンめ……」
「鶏がどうかされましたか?」
突然後ろに現れたティアを見たプリスは驚きのあまり素の脚力を以て跳びのき、壁に激突してしまった。
「ピィーッ!?何でもありません!」
「相変わらずおかしい子ですね。ところでデスクさんは?」
「さあ……どうやら窓から飛び降りたらしいんだけど」
「まあ、入れ違いですか。なんと間の悪い」
ティアはちらりと玄関の方を一瞥する。先程まであったデスクの靴が無くなっているのを見ると、何事も無かったかのように二人の方へ向き直る。
「入れ違い……ということにしておいて下さい。それで、ティアさんは何でまたデスクを迎えに?あいつ、ついに正式に孤児院で働く事になったんですか?」
「いえ、そういう訳では……これは私事であって、特に殿方の前でお話しするのは非常に気恥ずかしいと申しますか……」
「ネクターさんだったら問題ありません。そういう話は疎いですから」
ネクターはいかにも頭の上にクエスチョンマークを乗せているような顔でプリスの方をじっと見ている。
「そういう問題では無いのですが……良いでしょう。本当はお二人がいない事を想定して訪問致しましたのですからね」
プリスは今まで、ティアがここまで動揺する所を見た事が無かった。元はと言えばティアの調査が今回の任務である。彼女からいかなる反応が出るか、見定めなければならない。
「変な話と思われるかもしれませんが、私、デスクさんの事をお慕い申し上げております」
「…………はあぁぁぁぁぁーーー!?」
「おい、それって」
プリスが「余計な事を言うな」という旨のアイコンタクトを送ってきたので、ネクターはやむなく黙る。一方のティアは余程恥ずかしかったのか両手で顔を押さえている。
「ああ、どうしましょう。私、この事は誰にも告げておりませんのに……」
「いやあ、生まれて二番目ぐらいにビックリしましたよ。一番はネクターさんがウィンドベルに入ると言った時ですが……それはともかく、何でデスクが好きだからって迎えに来るなんて行動を起こしたんです?」
「単純に交流を深めたいと思いまして。実家にいらっしゃる時に同じ事をすれば叔母様に感づかれてしまいますので」
「うちの家系、女性の方が積極的だよなあ……でも、それはティアさんにとっても茨の道だろう?」
「ええ、ご覧の通り私は体躯が非常に小さいものですから。デスクさんが気にいるかどうか……」
違う、そこじゃない。と二人は心の中でツッコミを入れる。箱入り娘として育ってきたティアは、どこか抜けている部分があるというのは承知の上だが、あえて何も言わないでおく。
「ということは、デスクが手伝いに来てくれているのはむしろ嬉しかったと」
「ええ、とても。お陰様で接点が持てるので、嬉しい限りです」
「強引に押しかけてきたどこぞの誰かさんと違って奥ゆかしいな」
「ネクターさんの場合はそうでもしなきゃ人と関わらなかったじゃないですか」
「ふふっ、お二人はとても仲睦まじいようですね。羨ましいです」
ティアのその言葉は、とても実感がこもっていた。二人からすればいつもの口喧嘩なのだが、その光景すらティアにとっては本当に羨ましかったのだろう。
「デスクとは、会話すらされないので?」
「私の方から話しかけても、すぐに仕事があると言って去ってしまうのです。だから買い出しなど理由を作って一緒にいる時間を確保しているのですが……」
「だからあの時、シオンで会ったんだな。たしかに、あの時は兄さんからティアさんに声をかけていなかったな」
「覚えていらっしゃるので?」
「兄さん、記憶力凄いんで」
シャドウファンタズムを扱う上で、ネクターは写真記憶が出来る。その副産物として聞いた事も大体は覚えているのだ。
「……何にせよ兄さんの引っ込み思案な所が問題か。こればかりは様子を見んとな」
「予想はついていましたがこれほどとは……そういう訳なので今日は孤児院に遊びに行ってもいいですか?デスクの働きぶりも見たいですし」
「お二人ならいつでも歓迎しますよ。お母様もネクターさんに会いたがっていましたし」
「アルテリアさんが?」
「はい。恐らくアルパライトがらみの事でしょうけども」
ネクターにとっては願ってもいない事だ。アルパライト鉱石は彼にとって最良の対インサイド防御手段だ。研究が進んだ今なら鉱石の加工に成功しているかもしれない。
「是非。とはいえ、まだ早くないか?朝食もまだだし」
「でしたら、朝食も孤児院で摂られては?」
「いいんですか!?長旅から帰ってきたばかりなので食材が枯渇していたんですよ!あとお金も……」
「では、そのように。せっかくですから、私のEDでお送り致しますが?」
「お気遣いなく!私とネクターさんはもっと速い交通手段がございますので!」
プリスはネクターを掴み、デスクの出て行った窓からそのまま飛び出していった。残されたティアはキョトンとした顔でその光景を見送っていた。
「はい、到着です!」
「……後で戸締りしてこいよ」
ネクターはプリスの音速飛行に耐える事に成功していた。この1ヶ月間の旅で慣れきってしまっていたのだ。それだけでなくEDのコクピットに搭載されているシステムを投影することで重力を制御しているためでもある。
「どうせティアさんも来ていませんし、ここはギリギリ能力使用圏内ですからね。今すぐ行ってきます!」
プリスはさっき通ってきた方角に向かって一瞬で飛んで行った。数秒もすれば戻って来るだろうと思ったが、なかなか帰ってこない所を見るにまだ残っていたティアと話をしているのだろうと推測する。
「どうしよう、一人じゃ入るの嫌だし待ってみるか」
「む、どうした不審者。教会は日曜しかやっとらんぞ」
「違う違う。ありゃネクターだ。旅から戻って来ていたんだな」
「あ、伯父さんと伯母さん。久しぶり」
孤児院の前で座り込もうとした所でピエットがアルテリアを肩車して孤児院から歩いて出て来た。アルテリアもティア並みの小ささだが、これはアルパから受けた願いの影響である。
「伯母という呼び方はあまり気に入らんが……どうした。まさか土産でもくれるのか?」
「それもあるんだけど、ちょっと兄さんの様子を見に来ようかと思って。あっこれペンギン帝国土産」
ペンギン帝国特産の等身大皇帝ペンギンぬいぐるみを作って渡すが、アルテリアは顔をしかめたままであった。
「……どうしたんだ?ペンギン嫌いなのか?俺チョイス間違えた?」
「いや、可もなく不可もなくといったところだ。それよりはデスクの事だな」
「あの小僧、
「……とまあ、こんな様子でな。こいつデスクの事大嫌いなんだ。というよりはティアに近づく者すべてに敵意を持っているんだが」
デスクとティアにとって解決すべき障害がまた一つ増えた。
「伯父さん的にはその辺どうなんだ?」
「ん?ああ、俺はティアが幸せになってくれるならなんだっていいぞ。ただ、
「そういえばくびり殺そうにもあの能力のせいで
ピエットの考えは恐らく自分やプリスと同じだ。アルテリアはそもそも触れる触れない以前の問題と見た。
「すごく失礼な事言うけど、伯父さんって歳を取らない幼女大好きだよな?ティアさんはどうなんだ?」
「流石に実の娘はヤバいだろ。それ抜きに考えたとして、アルテリアの子なんだから宇宙一可愛いに決まってる」
「なるほど、
「同率一位!同率一位だから!」
アルテリアが綺麗に三角絞めを決め、ピエットがタップする。この二人の惚気を見るのは実に20年ぶりなのだが、相変わらずのようで安心する。
「そういやおば……アルテリアさん、俺に用があるとかなんとか」
「うむ、貴様がアリアとの戦いでアルパライト鉱石を投影したと聞き及んでいてな。ちと頼みたい事があるのだが……プリスの阿呆はどこだ?流石に奴無しの貴様に触れるほど
「家の戸締りをしてから来るかと。ギリギリ能力の範囲内らしいから大丈夫だとは思うけど……あと伯父さん顔が紫色になってるけど大丈夫か?」
「しまった。大事ないか?」
「死にそう……」
チアノーゼを起こしたピエットを見て慌てて離れると、ピエットは酸素を肺いっぱいに吸い込んで回復を図ろうとする。そんなピエットに脇目も振らず、アルテリアは孤児院の中へ入っていく。
「時間が惜しい。とにかく研究室まで来い。いいものを見せてやる」
「あの、プリスを待たなきゃなんだけど」
「あの変態なら悪運の渦を見て貴様の位置ぐらい簡単に割り出せるだろう。心配ない」
それもそうか、と納得したネクターはアルテリアについていく。この孤児院は元々アルテリアの所有物である教会の土地に建造されたものである。彼らは寄ってくる孤児たちをなだめながらも教会の地下へと進んでいく。ピエットは未だに入口でむせ込んでいる。
「久しぶりだな、研究室まで入るの。親父がここへ連れて来た理由については想像が出来る分不快だけど、貴重な体験だった」
「アルパライトの原石なぞ貴重中の貴重品だからな。単純に貴様に自慢したかったのだろう。発掘したのはクロスのたわけだがな」
「あの不思議鉱物、そんなことやってたんだ……」
ちなみにクロスはマカリスターと組んで鉱石の発掘に勤しんでいる。その事を知って羨ましがるのはまた先の話となる。
「奴もある意味アルパライトに近しい存在故、鼻が効くらしい。最も奴に鼻は無いが」
「アルテリアさんが冗談を言うなんて、よっぽど楽しみにしてたんだな」
「ふん、貴様こそ多少は人間らしい機微が生えて来たと見える。着いたぞ」
教会の地下は、宗教観など糞食らえと言わんばかりの無機質な研究室へと変貌していた。アルテリアが正式にここセントラルシェル教会の司教として赴任した際に改装を行っていたのだ。余りにも無茶苦茶な職権濫用ではあるが、神の子自らが行なったとあればアルパ以外意見出来る者がいないし、そのアルパも許可を出している。
研究室とは言ってもアルパライトの魔力を引き出す実験しか行っていないため、内部にはデータ入力用のパソコンが一台と、様々な形のアルパライト鉱石しかない。筈であった。
「……も、もしかして、これ」
20年前には無かった、高さ3m幅1mほどの緑色の板がある。素材すら判別出来るようになったネクターにとって、それは驚愕せざるを得ない事態であった。
「早速それに目をつけたか。聞いて驚け、ついにアルパライトの鋳造に成功し、ED用の装甲として実用化の目処が立ったのだ」
「嘘だろオイ!?融点がアホみたいに高すぎて太陽にでも射出しないと溶かせないとか言ってなかったか!?」
「急に不敬になったな貴様。まあ、その通りだったのだが。ちとマカリスターに無理を言って本気を出してもらってな」
「本気……?まさか本当に太陽にEDを射出して……?」
「そんな事をしたらコストが嵩み過ぎてピエットに怒られるではないか。
マカリスターは発明家としてあまりに有名であるため、優秀なインサイドという印象を誰からも持たれていなかった。彼自身が実弾兵器に頼る性癖を持っており、魔法に頼らない事も原因の一つだ。
しかし、素質を見抜いていたピエットが嫌がるマカリスターをアルパライトのためだとなんとか説得し、彼が持つ絶対溶解の独自魔法を使わせた。
「ただ、その魔法を使うには代償が要る。何らかの筒として認識されるものを触媒にしなくては発動が出来んのだ。当初はちくわで代用していたが、これまたアリアとクスターの
「いいじゃんちくわで……」
「筒の口径が小さ過ぎて話にならんのだ。そこの板を作るだけでセントラルシェル中のスーパーからちくわの在庫が消え失せたからな。口径を極限まで広げた鉄パイプを触媒にすることを提案したが、これも資源の無駄遣いと却下された」
「大口径のちくわでよくね?」
「この世からスケトウダラを絶滅させる気か。さて、ここで本題に入るが、貴様には技術部に協力して貰う」
ネクターにとっては願ってもいないオファーだ。自分の複製品は加工してしまえば消えてしまい、技術部に対し何の役に立つ事は無いと思っていた。
先の話を聞くに、マカリスターは一度使えば触媒が壊れる独自魔法を使う。その触媒は筒であれば何でも良い。ということは、同じく一定の破損で消滅する自分の能力と非常に相性が良いということだ。
「それならお安い御用だ。どのみち暇だし」
「話も聞かずによく了承したな。まあいい、一つは話の流れで察したと思うが、マカリスターの使う筒の複製。もう一つは、これの複製だ」
アルテリアが指差したのは、アルパライト製の板であった。
「あ、あの、それ加工は出来ないけど?」
「そのまま使うのだ。アルパライトがインサイドを弾く、というよりは吸収する性質を持っているのはアリアとの戦いでよく分かっているだろう。しかも形状に変化は無いし、ある程度の物理攻撃に耐性があるのは鉱石の時点で分かっているだろう」
その通りだ。実際その便利な性質からネクター最大の盾として多用しているのだ。
「つまりだ。それを追加装甲として採用したいのだ。一定の衝撃には流石に耐えれぬ故、ノーコストで製造出来る
「いや、充分だよ。技術部からオファーが来ること自体が嬉しかったし。ただ、その純度だと1日に何枚生産出来るかってところだなあ」
「構わん。こいつから
アルテリアの宣言から1秒も経たないうちに、プリスがネクターの隣に現れる。
「ただいま戻りました!あっこれもしかしてアルパライトの装甲ですか!?ちょっと試し打ちを」
「するな馬鹿。それより、貴様らデスクの小僧に用があると言ったな」
「そうです。しばらくあいつがどんな醜態を晒しているのか見に来ようと思いまして」
「悪い虫の監視、
「私は脂質制限を課しているので、お手柔らかに」
アルテリアの得意とする大陸料理はこれでもかと油を使う。プリスが苦手としているものの一つだ。
「どうせ一瞬で発散出来る癖に。そうだ、ティアさんは?」
「こちらに向かっていると思います。もうすぐ着くかと」
「あれが単独で外に出るとは珍しい。大方デスクの小僧でも迎えに行ったか」
(ば、バレてる……)
「全く、あれも何故あのような小僧が……何だ、とっとと行かんか。そろそろ面白いものが見られるはずだ」
「面白い……?」
「なに、デスクの日課よ」
そう言ったきり、アルテリアはパソコンに向かって作業に没頭し始めてしまった。
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