第4話 エージェントのはなし

エージェントのはなし その1

「やることが……無い」


彼の名はネクター。無事ウィンドベルに入ったのは良いものの、それから1週間が経っても全く依頼が来ずにソファでダラダラしていた。


ウィンドベルの依頼は基本的に仲介人クスターが受領したものを幹部が下級代理人に任務として下す。それが全く舞い込んで来ないのだ。


「仕方ないですよ。私とネクターさんは基本的にセットで運用しないと意味がありませんし、私達に見合う仕事なんか父さんたち幹部が片付けるべき高難度の依頼だけですからね。そう簡単に世界の危機なんか訪れませんって」


プリスが緑茶の入った急須と茶菓子をテーブルに置いてネクターの隣に座る。そのまま強引にネクターの頭を膝に乗せて何かを摘む動作をする。するとプリスの手に耳かき棒が出現する。


「すまない……俺がウィンドベルに入ったばっかりに……」


「いやいや!謝らなくて結構です!そもそも私一人でも下級の任務は渡されていませんでしたからね!それに、ネクターさんがウィンドベルに来てくれなければ新しい任務を受領することすら出来ませんでしたからいいんですよ!おかげ様で一生暮らせる分の額は稼がせていただきましたからね!」


プリスはネクターの耳を掻きながら必死で諭す。プリスに与えられたネクター保護の任務はネクターのウィンドベル入りによって達成された。Sランクに指定された最高難度の任務を達成した報酬はプリスの言う通りだ。


とはいえその金の出所はピエットのポケットマネーが殆どだったので、ネクターには内緒で全額返している。そうした所で基本給だけでも充分生活出来る素地はあるからだ。


では依頼を全く受けずに基本給だけ貰ってのうのうと生活しようなんてそんな甘い事は出来ない。自分で仕事を拾ってくるのも代理人の仕事だ。タダ飯喰らいはピエットの判断によって即座に解雇される。


但しこの二人は特例で、幹部が認めた任務しか出されないようになっている。二人のアウトサイド能力が極めて強力なため、飼い殺す他無いのだ。聞こえの良い言い方をすれば、最終兵器である。


「でもなあ……暇なのも困るよなあ……金が入って来るから食料を調達する必要は無いし、ホームレスのみんなからもあんまり依頼入って来ないし……」


「だから私は毎朝レイダーさんと鍛錬して母さんの暇を見ては花嫁修行をして鍛錬鍛錬アンド鍛錬みたいな感じだったのですよ。今でもネクターさんが起きる前にウィンドベルへ走っていってレイダーさんに付き合っているのですが……」


「自己鍛錬ねえ……俺もよく通販番組に出て来る怪しげなトレーニング器具を試したりしていたけど、あれって飽きるんだよな」


「やはり走り込みですよ走り込み。原始的な鍛え方が一番……ちょっと待って下さい。鍛錬と言えばネクターさん、アウトサイド能力を鍛えてみませんか?」


「は?そりゃどういう……」


プリスはネクターを自分の方に向かせて逆の耳を掻く。それと同時に圧縮してあったパンフレットを取り出しネクターに渡す。


「セントラルシェル博物館春のゴールデンウィーク刀剣展示フェア〜聖剣もあるよ〜?何じゃこりゃ」


「デートのお誘いついでにネクターさんの戦闘能力を強化しようと思いまして。ここにはウィンドベルが寄贈した伝説の武器が数多く所蔵されているんですよ」


「ふーん……なるほどな……」


ネクターは今まで自分が武器にしていたもののラインナップを思い浮かべる。主に使っているのは母の鋳造した雑多な(とは本人の弁であるが)ロングソードとマカリスターの家具ぐらいのものだ。


ホームセンターの商品は全て見終わったが、武器と呼べるものは遥かに少ない。以前アリアに使った雑貨の大量投射はコストに合わない。決め手が欲しい。


「私と任務をこなすということは確実に荒事に巻き込まれるという事でもあります。折角ですし、もうちょっと幅を広げてみましょう」


「親父が家出する前に博物館行こうとか言ってたのはこういう事か。野郎、やっぱ俺を戦闘要員にするつもりだったか」


「うーん……父さんがその辺何考えてたのかよく分かってないのでコメントは控えますが、今は晴れてウィンドベルの代理人なんですから見に行って損は無いと思いますよ」


プリスは耳かきを終え、耳かき棒を折って消滅させる。そしてネクターをうつぶせにして自分の太腿に頭を押し付ける。


「ところで眼前に股があるのって興奮しません?」


「知るか!」


「……こないだ隣に座っていた私の身体をまさぐってきたのはどこのどなたでしたっけ」


「あ、あれはお前がそこがどういう構造になってるか教えて差し上げます!とか言ったからだろ!強いて言うなら、暇だったからやってみただけでまさかあんなことになるとは……」


「暇つぶし!?あれ暇つぶしだったんですか!?そりゃ娯楽の乏しい農村は祭りと子作りが盛んと聞きましたが!ああもう折角ネクターさんが性に目覚めたと思ったら……」


プリスが狂乱した隙を突いてネクターは膝枕から脱出する。


「あっ!逃げる気ですか!?だったらまた暇つぶししましょうよ!」


ネクターを逃すまじとプリスが飛びかかる。その時、玄関のチャイムが鳴る。


「おい待て来客!来客来てる!」


「そうやって嘘ついて逃れようって算段ですね!?騙されませんよ!」


「聞こえねえのかこの短気なおばさんみたいなチャイムの連打を!」


おばさんとネクターが言ったあたりでしつこく鳴らされていたチャイムは鳴り止んだ。数秒後、玄関は真っ二つに裂かれた。その先には両手を交差させ、居合の構えを取ったアリアが居た。


「誰が短気なおばさんですって?」


「か、母さん!?いや待てそれだよ!ドア斬っちゃうあたり短気じゃん!年齢的にもおばさんじゃん!」


虹色の刃がネクターの髪を掠っていく。ネクターにしがみついていたプリスは身の危険を感じたのか、既に離れていた。


「申し訳ありません。私がデリカシーを教育していないばかりに……」


「ネクターの教育に関しては私に非があるから何も言えないわ。それより、喜びなさい。あんた達に初の依頼を持って来たわ」


アリアは納刀し、そのまま懐から一枚のチラシを取り出す。先ほどプリスがネクターに見せたセントラルシェル博物館の物だ。


「ああ、そこさっき行こうとしていたんですよ。デートに」


「だったら悪い事したわね。実はそこにアウトサイドの怪盗グループからの予告状が届いたのよ。今回の特別展示品を全て奪うってね」


「怪盗とかベタな連中がリアルにいるもんだな……俺達に任せるって事はそのトンチキ集団、かなり強いのか?」


「それが、交戦出来たことが無いの。以前インサイドの結界を張って捕らえようとしたんだけど、何故か引っかからずに目標を取られてしまったの。恐らく相手にはインサイド使いかニュートラル能力者のどちらかが絡んでいるわ」


「そん時奪われたのも刀剣なのか?」


「……恥ずかしながら私の最高傑作、ヒナギクとシュンギクを両方やられたわ。今使ってんのは適当に打ったナマクラよ」


アリアは抜刀し、ネクターに峰を向ける。以前はそれだけで巨大化した刀には何の変化も起きない。


「探し物にかけては最高の占い師に探して貰ったけど見つからない。相手がステルス能力者であったら確実に感知出来るウィンドウですら気づかない。こと盗むという事に関してはウィンドベルより上でしょうね、そのトンチキ怪盗団は」


「母さんいつも刀どこに置いてんだ?」


「自室に掛けるスペースを作ってあるのよ。私はともかくウィンドウにすら気づかれないって相当よ」


「マカリスターさんが変に部屋を拡張したせいで隠れるポイントなんか大量にありますからねえ」


「というか実家って堂々と玄関開いてるもんな」


正直あまりにも杜撰なセキュリティなのだが、ウィンドベル幹部の家と知って空き巣をするような者はいない上に大抵の侵入者はウィンドウが感知してしまう。それだけ盗人の能力と度胸が優れていたということだ。


「それで、私達はいつ行けばよろしいのですか?盗むとしたら深夜でしょうけど」


「いや、あと3時間ね」


プリスとネクターは部屋の時計を見る。現在は9時。


「いやいやいやいや!正午に盗み入るとかナメてんですか!?守衛のシフトが緩くなるとかそんな頭悪いこと考えていたりしないでしょうね!?」


「そうだとは信じたくないけど……とりあえず今の内に行っときましょうか。盗まれるより先にネクターには展示品を見てもらいたいからね」


「ん?母さんも行くのか?」


「私の最高傑作を奪うなんてナメた奴を自分の手で捕まえたいのよ。あ、あまり戦力にはならないから期待しないでね」


先程ドアを軽く真っ二つにした人に言われても説得力に欠けるとネクターは思ったが、そんなことを言ったら今度は自分がドアと同じ運命を辿ると感じあえて口に出さなかった。

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