ウィンドベルのはなし その4

それから数日が過ぎ、あっという間に試験日となった。


ネクターは着慣れないリクルートスーツ(もちろん能力による生成品)に身を包み、大鏡の前で人生において初めて締めるネクタイと格闘していた。


「うぐぐ……なんだこれどういう構造してんだ……」


「ネクターさん、準備……は出来てないようですね」


「あ、ああ。すまない。このネクタイとやらの付け方が分からなくてな……」


「ふむふむ。ちょっと任せてくださいね」


プリスは汚く巻かれたネクタイを一旦解くと、慣れた手つきであっという間にネクタイを結ぶ。ネクターはその早業を見て素直に感心する。


「凄いな」


「良妻たるものネクタイの締め方ぐらい学んでおきませんとね。いやあクスターさんで練習した甲斐がありましたよ」


「よく付き合ってくれたな」


「第二の師匠みたいな方ですからね。さあ、試験会場まで飛んでいきますよ!」


「ちょっ!待って!」


プリスはネクターを抱えそのまま玄関から飛び出していく。一応ネクターの体を気遣ってスピードは落としてあるが。


「結局あれから対策一切してませんね」


「そうだな。結局ホームセンターに通い詰めだったしな」


「新生活を始めるに当たって色々と必要なものが出来てきましたからね。まあネクターさんの場合はそれ自体が対策になり得ますから良いんですけど」


「筆記試験には役に立ちそうに無いが、能力の幅が広がるのはいい事だな。面接で多少は有利になるはずだ」


「そればっかりは武運を祈ります」


ネクターは眼下に広がるセントラルシェルの街並を見やる。大勢の人やエーテルドライバーがひっきりなしに動き回る。


「今まで気にしていなかったけどさ、こんなに人っているんだな」


「彼らを助けるのが我々の仕事です。大変ですよ」


「……ここだけで橋の下の数十倍はいるじゃねえか」


「数万倍の間違いじゃ無いですかね」


ネクターにとって己の世界とは実家か橋の下ぐらいのものであった。プリスと出会ってから、世界の一端を見た。これからもそうだ。彼女が居なければそれすら見ることなく閉ざされた世界で人知れず朽ちて行くだけであった。


この世にはまだ見ぬものがごまんとある。もう一度かつての世界へ戻ることでそれらに触れる事が出来る。同じく閉ざされた世界に囚われた兄を救う事が出来る。プリスがやったように自分もそうする。


それが虚無から生まれたネクターに芽生えた願いだ。もう一度やり直す。家族と共にかつて歩むべきだった道を往く。普通の人としての第二の人生を謳歌する。それだけだ。それだけで自ずと目的は達成出来るのだ。


ウィンドベルを受けた理由はプリスにもある程度自由になってもらうためだけではない。かつて自らを鍛え上げた父親を見返すためだ。お前の教育なぞ無くても自分は通用すると証明したかった。父に育てられたプリスの強さは嫌というほど分かっている。


「さて、懐かしのウィンドベル本部へようこそ!いやあ、いっぱいいますねえ」


セントラルシェル市役所から線路をまたいですぐ、ツキミサト城址の北口にウィンドベル本部はある。入口には大勢の受験生と思わしき人達が列を作って待っている。


「こんなにいるのか……昔は殆ど家族だけしかいなかったのに」


「前にも言いましたけど、合格倍率は600倍です。この中の殆どは落ちますからね。さて、最後尾は……」


ネクターを抱えたプリスが最後尾に降り立つと、列の中からどよめきが起こる。プリスをウィンドベルの代理人と知っている者の驚きが少々、そもそも人が空を飛んで来たことに対する驚きが多数だ。


「……この程度で驚いた雑魚の顔は覚えましたか?あれらは不合格ですね」


「そこまで見とらん。なんなら不運まとめんのやめてもいいぞ。俺が全員不幸にして落とす」


「ネクターさんまで落ちるのでやめておきます。それじゃ、私は適当にブラブラしてますからね。ご健闘をお祈りしています」


プリスは再度飛翔し、堂々と玄関から中へ入っていく。それと同時にネクターを睨む者が列の中に見受けられる。先程プリスの噂をしていた者だ。恐らく関係者だと勘付かれたようなのだろうが、ネクターは気づいてすらいない。


しばらくして列が少しずつ前に進んでいく。入口が解放されたのだろう。ネクターは受験票を確認する。数日前にプリスが無理やり発行して来たものだ。本来であればとっくに願書提出は締め切っていたのだ。


「……変わらねえな」


20年ぶりにウィンドベル本部に入ったネクターは受験票の番号と入るべき部屋と座るべき席を確認する。どうやら部屋割りは無く、7階にある催事場で全員が筆記試験を受ける事になるようだ。


入ってすぐのエレベーターにはまた列が出来ている。ネクターはそれを尻目に階段から7階へ登っていくのだった。







「というわけで父さん。任務達成ですよ!兄さんを生かしてウィンドベルに連れてくる事が出来ました!」


プリスはウィンドベル本部最上階、幹部室で任務の報告を行なっていた。そこでは全幹部が思い思いくつろいでいた。


報告を受けたウィンドウは額に青筋を立ててプリスを睨んでいるが。


「……おい、プリス。誰がここまでやれと言った」


「誰も言ってません。大体ウィンドベル入りたいって言って来たのは兄さんの方ですからね」


「ふーん、ネクターがねえ……ウィンドウ。ネクターの面接私に行かせてよ」


「えっ、ちょっと待てよアリア。俺が行きたかったんだけど」


「待て待て、マカリスター兄貴に任せられるか。俺が行く」


アリア、マカリスター、レイダーの三者が睨み合う。それを見たピエットは間に入り落ち着かせる。


「まあまあお前ら。とりあえず筆記試験の結果待ちだ。あ、俺とウィンドウはいつも通り確実に行かせてもらうからな」


「……プリス、念のため聞いておくがあいつ料理は出来るのか?」


「私がやったほうが確実に上手いでしょうね。兄さん山菜しか調理したこと無いですから」


「んじゃ俺は行かねえ。勝手にお前らで取り合ってろ」


クスターはそのままソファに寝転がりテレビの電源をつける。一切の興味を失った師匠を見てプリスは密かにガッツポーズをする。


「……あんた達、なんか勘違いしてない?特にそこのグータラ眼鏡」


「あん?」


クスターは器用に上半身だけを起こしアリアを睨む。それを見かねたアルテリアがクスターの耳を思いっきり捻る。


「あだだだだ!!!やめて!後で殺す!」


「静まれ下郎。アリア、何となくではあるがわたしには貴様の魂胆が見えた。連れて行ってやれピエット」


「……本気か」


ウィンドウも納得したかのように頷いている。少し顔をしかめているようだが。


「えっちょっと何ですか。怖いんですけど」


「残念だけどね、プリス。あんたにとっては多少不本意かもしれないけど……私、ネクター落とす為に行くから」


「……はい?」


今まで唯一の味方であった母親の思いがけない言葉にプリスは冗談かと疑ったが、母親の目は真剣そのものであった。




「試験終了です。筆記用具を置いて解答用紙が回収されるまでお待ちください」


一方ネクターは筆記試験を終え、机に突っ伏していた。


(なんだよあれ……なんなんだよあれ!)


ウィンドベルの筆記試験は全10問しか出されない。しかしその出題範囲は膨大であり、ジャンルも全てバラバラだ。


これは問題を幹部一人につき一問を各々が自由に考えていることに起因する。ウィンドウであれば現代文読解、アリアであれば生物学、マカリスターであれば工学といった風にだ。


(なんだよ気象学って!新マナ再生学各論って!人工知能工学って!何に使うんだよ!)


必然的にマイナーな専門学が出る事も珍しく無い。皆その分野のスペシャリストであるからだ。特に意地悪なのがピエットで、経済学、特級魔法各論、一般知識のいずれかからランダムで出題してくるため傾向が読めない。


今回は「風が吹けば桶屋が儲かるについて幼女を交えながら400文字以内で証明せよ」という問題であった。これを見たネクターは危うく問題用紙を破り捨てそうになった。


ちなみにクスターは「今晩のおかずを考えろ」という極めてふざけた問題を出してきた。ネクターは腹いせにありとあらゆる山菜を天ぷらにすると書いて提出した。


参考書を丸暗記したネクターではあるが、最後のページに書いてあった通り全く新しい問題が出てきたため意味は無かった。というよりはこの筆記試験、ハナから意味はほとんど無いのだ。


ウィンドウ達幹部はあくまで受験生の珍解答を心待ちにしているだけである。つまりこれはただの暇潰し。とはいえ爆笑解答など出ようものなら筆記試験は即合格。仮に一問でも正答していたとしたら正答したジャンルに対応する幹部が見込みありと見なして合格となるため無意味とは決して言い難い。


その事実を知らないネクター含むほとんどの受験生は沈痛な面持ちで解答用紙が回収されていくのを見守るしか無いのだが。


「では、1時間後に筆記試験の合否を発表します。発表時間まで自由時間としますので施設内を見学するなり好きにしていてください」


青髪の試験官が集まった解答用紙を揃えて退出する。受験生達は結局その場から動かず皆一様に絶望しているため出てくるような者はいない。精々トイレに向かう者ぐらいだ。試験官は深いため息をつき、幹部達の待つ最上階へと向かう。


(はあ……何で私は毎度毎度あの重い空気に晒されなきゃならないのかしら……)


試験官を乗せたエレベーターが最上階に辿り着く。そのすぐ先の扉はピエットの執務室だ。試験官はドアをノックし、返答も聞かずドアを開ける。


「親父、解答持って来……何事ー!?」


執務室の中央には正座しているプリスと、プリスの眉間に刀を突き刺そうとしているアリアの姿があった。


「よう、試験官のバイトご苦労だったなエリア」


「待ちなさいよ!何でプリス姉がこんなことになってんの!?今度は何をやらかしたのよ!」


「ちょっとお灸を据えているだけよ。はいはいとっとと解答確認するわよみんな」


アルテリアはエリアと呼ばれた試験官から解答用紙の束をひったくり、全員に配る。


「いや、見ものだったぞ。いきなり飛びかかってきたプリスをアリアが例の魔法で無力化した時の落ちようと言ったら大爆笑間違いなしだったからな」


「お母様が大爆笑している所の方が正直レアだったから見たかったけど……何で飛びかかったのよ」


「だって……母さんが兄さんを落とすとか言うから……つい殺っちゃおうと思って」


「それはプリス姉が全面的に悪い。って、兄さんって事はまさかデスク受けてたの?」


「私がデスクを兄扱いするわけないでしょ。ネクターさんですよ」


エリアは首を傾げる。プリスの後に生まれた彼女はネクターの事を一切知らない。


「ふむ……風が吹けば幼女のスカートが捲れ上がりそれを隠すために桶が必要になり桶屋が儲かる……か。うーむつまらん」


「ダメだなこの解答は。栄養バランスがなっとらん。最低でも30品目をだな……」


「おい待て兄貴、こいつやべえぞ。面倒くせえから山菜ありったけ天ぷらにするだとよ」


「なんだそりゃ……ハハハ!馬鹿かあいつ!さては俺が料理作ってやったこと忘れてやがるな!」


「まさか……ふざけんなよあいつ!幼女って何ですか意味が分かりません。まだ病気ロリコン直ってなかったんですか。じゃねえよ!意味わかってるじゃん!」


一方男性陣は解答を見て笑いながら採点している。プリスはその解答をピエットからひったくり、わなわなと震えている。


「に……兄さん……さては本物のアホですね!?受かる気あるんでしょうか!?」


「へえ、どれどれ……全く、あの子はどういう教育を受けて来たのかしら。これじゃあ一次試験で落とせないじゃない」


プリスの後ろから解答を覗き見たアリアは悔しそうに歯噛みする。名前の欄にはネクター・スモールサイズと書いてあった。


「……ほーん。なるほどね」


ウィンドウも横から自分の問題だけを盗み見る。そこには解答を無視して「戻ってきてやったぞ、クソ親父」とだけ書かれていた。


「母さんはともかく、父さんこれ通します?」


「たりめーだ。通す。真面目腐って解答するテンプレ受験生より数倍はマシだ。根性が据わってる。だから直接面接で説教してやる」


「さっきから何なのよ。その人、隠し子?」


「まあそんなものだ。所でエリア、次はいつ帰ってくるつもりだ?」


「次のボンバイエかしら。じゃあ私は姉さんの所に寄ってから帰るから」


エリアは執務室からそさくさと退場する。アルテリアはネクターの解答用紙を採用と書かれた箱に入れ、次の採点に向かった。


「エリア、まだひいおじいさまの所に入り浸っているんですか」


「うむ。大学に通うようになったらこっちに帰ってくるらしいが、正直母親として不安だ」


「妖怪ジジイの孫としてはアレのどこが良いのかさっぱり分からん。にしてもうちの子達はどうしてこう性癖が歪んでいるんだ」


片方はアリアの、もう片方はピエットの血を受け継いでいるから、と言うのをこの場の誰もが理解しており、誰もが口を噤んでいた。グラスロッドの血筋は総じて変態を生み出すのは周知の事実であった。


「私は愛した人が実の兄だったってだけですよ!」


「充分アウトだ。しかし、今年は不作だな。ネクターの以外めぼしい奴が居ない」


他のメンバーも同様に頷きながら解答用紙を不合格の箱に入れていく。ウィンドウはプリスの方を見るが、首を横に振る。プリスが行なっているのはあくまでネクターから悪運を吸い取っている事だけだ。


「いいじゃない手間が省けて。全員不採用なんて珍しくもないじゃない」


「よくない。とりあえずかませを何人かピックアップして当てがっておけ。対外的に示しがつかん」


「んじゃ、ネクター以外の奴には俺が行くのか。めんどくせえ」


今までソファで寝転がっていたクスターが跳ね起き、欠伸をする。


「丁度いい。一番長くなりそうなネクターが受験番号一番後ろだからな」


「んじゃ、私は一足先に昼食でも拵えとこうかしら。クスターが全部処理するまで暇だし」


「……お言葉ですが、クスターさんに作って貰った方が良いかと。その方が暖かい昼食にありつけそうです」


「あら、どうして?」


「兄さんは強いからです」


アリアは期待通りと言わんばかりに満面の笑みでプリスの頭を撫でる。


「分かってんのよ、んなこと」


そして、笑顔のまま小声でプリスに囁いた。

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