ウィンドベルのはなし その3
明朝、ホームレス達に軽く別れを告げた後徒歩で新居へ向かう。ダンボールハウスから持っていく物は何も無い。全てネクターが複製した物であったからだ。使っていた家は新入りの住居なり集会所なり好きに使えと言い残した。
新居に着くと先日応対した不動産屋の店員が玄関先で待っていた。内部構造の説明を受け、誓約書を何枚かしたためた後、店員は職場へ戻っていった。
「さて、ここが私達の新たな愛の巣となるわけですが……見事に何も無いですね」
「アイノス……?よくわからんけどまあいいや。さて、備え付けられているのはキッチンのエーテルコンロとトイレと風呂の一式といった所か。そこのリノベーションは不可能だとの事だが、充分過ぎるな」
玄関から入ってすぐ右にトイレ、左に脱衣所と風呂場。真っ直ぐ進むとキッチン兼ダイニング兼リビング。それに連なる形で部屋が三つある形となっている。二人で住むには広過ぎるぐらいだ。
ネクターは手始めに思いつく限りの必要な家具をそれぞれの部屋に配置していく。脱衣所には水魔法式洗濯機と炎魔法式乾燥機、トイレには炎風魔法複合式ハンドドライヤーと光魔法式消毒機、ダイニングにはテーブルと椅子、リビングにはソファーとテレビといった具合にだ。
「あ、ネクターさん。そこの洗面台にはドライヤーと櫛とコップと歯ブラシ、あとタオルとバスタオルを数点お願いします」
「あいよ」
細かい物の指示は追ってプリスが出す。今までホームレスと生活してきたネクターにとって普通の家庭に備え付ける物など分からない。ましてや女性が必要とする物など以ての外だ。それに一人だけでは発想力に限界がある。
勿論ネクターにとって未知の調度品は数多く存在する。それらはメモを取ってシオンなりMマートなりに探しに行けば良いという話だ。これはネクターのアウトサイド能力の使用限界が来た時点で行うことにした。
この異質な引っ越し作業の開始から既に2時間が経過した頃には残りの3部屋を残すこととなった。
「さて、後は寝室ですが……ここはどうしましょうかね」
「今までダイニングにあたる部屋にベッド置いてたから違和感あるなあ。よしここにまず一つ」
「待ってください」
ネクターが1つの部屋にシングルベッドを精製し、すぐさま隣の部屋にもシングルベッドを精製した時点でプリスがネクターの首根っこを掴む。
「なんだよ」
「いえ、ベッドは一つで充分です。後は子供を産んだ後で宜しいのでは無いでしょうか」
「待て、子供作るなんて気は無いぞ。それにせっかくこんなに部屋あんだから寝室ぐらい別にしようぜ」
プリスは深くため息をついてネクターを向き直らせる。
「はー……いいですかネクターさん。私は毎晩貴方を抱いて眠ることでパフォーマンスが倍以上に向上するのです。つまり悪運を纏められる範囲も向上し、貴方の行動範囲も拡大する。これは最早寝室を一つにするべきでは?」
「俺のパフォーマンスはどうなるんだよ」
「そこは問題ありません。今は気づいていないかもしれませんが、ネクターさんのパフォーマンスも向上しているんですよ。アウトサイドは精神の力。相思相愛の真柄である私達が共に愛し合うことで幸福感が充足され、より潤いのある生活が実現するのです!」
ネクターはまた始まったかこの狂人の戯言が、と思った瞬間全て諦め精製したベッドを消去する。代わりにシングルベッドからダブルベッドへグレードアップさせた。
「別にシングルベッドのままでも良かったのですがねえ」
「今までは間取りを気にしてアレにしていただけだ。広く取れるなら広くした方が良いだろ」
「そうですけど……まあいいです。それで、隣の部屋は衣装部屋にでもしましょうか」
「衣装……?そんなに服っているもんか?」
「要ります!実家のタンスから持って来たら余裕で一部屋使うぐらいは持ってますからね私!今までは数着選んで使い回していましたが、ここに引っ越すと決まってからはもう容赦しませんからね!」
ネクターの目から見ればプリスの服装はいつも同じに見える。プリスがショートパンツとTシャツしか着ていないのも一因であるが、ネクターはあくまでその種類でしか判別していない。
ましてやネクターは服を精製し、汚れては消去してまた同じ服を着るという方法でずっと生きてきた。人前に出ることは無かった為か、気にすることも無かったのだ。
「分かった分かった。二つ目の部屋は衣装部屋だな。となるとあと一部屋は……」
「未来の子供部屋です。これは譲れません」
「つまり今の所は空き部屋で良いと。そうか、別に全部埋める必要ねえもんな」
「……それ、マカリスターさんにも言ってやりたいですね。うちの実家もこないだ新築したんですけど、あの人が余りにも気合い入れて作っちゃったもんだから何に使うか分からない空き部屋が大量にあるんですよ。だから一部をウィンドベル職員の寮として解放しているのですが」
「マカリスターさんらしい」
ネクターがそう言って少し微笑んだのを見て、プリスに嫉妬心が芽生える。父親もそうだが、この家系は何故か同性の友人を優先するきらいがある。母親の気持ちが少し分かったような気がした。
「……とりあえず、足りない物を探しにシオンにでも行きますか」
「何でだ?こういうのならどっちかっつーとホームセンターの方が揃いやすいんじゃ」
「ついでに食材も大量に買い込みますからね。それに、ネクターさんにはちょっとシオンじゃなきゃ見れない物を大量に見てもらいます」
「はあ?あっ待って何でドア開けて俺の腕を引っ張って」
「私に似合いそうな服を見繕っていただきます」
プリスが言葉を終える頃には既に外へ向かって飛翔していた。家主のいなくなった部屋は一人でにドアが閉まる。オートロックのため、施錠は必要では無かった。
再び家に戻ってきたネクターは衣装部屋に篭りすぐさま大量の衣類を精製し続ける。プリスは冷蔵庫に食材を詰め込んでいる。時刻は既に夜の10時を回っている。
「ネクターさーん!終わりましたかー!?」
「ふざけんなよお前……服屋多過ぎだろ……」
「まだのようですね。いやーにしても下着コーナーで女性物の下着をガン見しているネクターさんが警備員さんに目を付けられて連行されそうになった時は冷や汗ものでしたよ」
「お前が止めてくれたから良かったものの、周囲の客が小声でなんか噂してんだもんな……俺はただお前が着る服を選んでいただけなのに……」
ネクターが衣服を精製し続ける傍でプリスはそれらをじっくり吟味する。そして、おもむろに衣服を脱ぎ始めた。
「何やってんだ」
「試着ですよ。ネクターさんにちょっと評価してもらおうかと思いまして」
「俺が評価出来るわけ……待て、下着も脱ぐのかよ」
「下着もコーデの一つですよ。それより見てくださいよこの体!」
ネクターは作業しつつプリスの一糸纏わぬ裸体をまじまじと見つめる。前にも見たように病的に痩せ細ったようでいて、骨格が目立たないふくよかさを残している。筋肉も脂肪も能力によって圧縮した結果がこれだ。
お世辞にもスタイルが良いとは言えない。胸も腰も尻も均一に細いためだ。自信有り気に胸を張っているが、その胸は平坦であった。
「細い。以上。ほら、さっさと着る」
「リアクションそれだけですか!?うう……分かりましたよう……」
しぶしぶプリスは服を着ていく。ネクターはあの胸にブラジャーを当てる意味はあるのか考えたが、そういうものなのだと解釈する。
プリスが選んだ服は普段とまるっきりタイプの違う、白いワンピースであった。これ見よがしにくるりと一回転し、下着をちらつかせる。
「うーん……お前はなんかタイトな服を着た方がしっくり来るなあ」
「うぐっ!ち、ちょっと母さんみたいなファッションにしようかと思ったのが裏目に出ましたね……っていうかネクターさん、ちゃんと評価出来てるじゃないですか」
「こんなもんでいいのか?」
「忌憚なく意見をくだされば何でも構いません。さて、タイトな服ですか……」
プリスが着せ替えたのは白いブラウスに黒のオフィス用スカート、タイツも着用し何故か眼鏡までつけている。いわゆるオフィスレディのコーデだ。
「あーいるいる。市役所で助けた人達こんな格好してたよな」
「どうです?これは似合ってますか?」
「……すまん、ちょっと試させてくれ」
「えっ!?ネ、ネクターさんいきなり何を!?」
ネクターがプリスの胸に両手を当てて念じると、プリスのブラウスが一瞬にして灰色のワイシャツとベストに変わる。
「うん、こっちの方が似合うかもしれん」
「ああああの、ネクターさん、胸!胸掴んでます!」
「俺には何の感触も感じないんだが。もしかして触ったらまずかったか?」
「そ、そんなことは無いのですが!私、非常に恥ずかしいので!」
「人前で平気で全裸になる奴が何言ってんだ」
ネクターはプリスの胸から手を離し、今度は離れた所から手をかざす。するとプリスの衣服が消滅し、代わりに着せようと思っていた衣服がプリスの手前に落ちる。それを確認するまでも無く、プリスはネクターに抱きつく。
「そうか……兄さんは自分で作った衣服を簡単に消滅させる事が出来る。つまりいつでも裸にひん剥けるということ。つまりいつでも私を襲えるということ。つまり、今がその時という事ですね!?」
「そっちから勝手に襲ってきたくせに何がつまりだ馬鹿者!」
ネクターは急いでプリスの服を再精製する。しかし時すでに遅し。そのまま押し倒されてしまった。
「そういえば、兄さんの服も自分で作ったんですよね!なら、これで!」
「あー!俺の一張羅ー!」
プリスが力任せにネクターの服を破くと、服の残骸は跡形も無く消滅する。
「やはり、一定の破損があると消滅してしまうのですね。ご飯を食べても腹が膨れないのはこういうことだったんですね」
「お前、まさか俺の能力を解析するためにわざと……」
「というわけで兄さんの乳首舐めますね」
ネクターは乳首を舐められる直前の宣言で怖気を感じていた。一点の曇りも無いストレートな狂気を感じ取ったからであろう。
「何が!どういうわけだ!」
当然予見していたネクターは咄嗟にプリスを突き飛ばす。
「も、もしやこれは押し倒……」
「いいから大人しくしろ!あと頼むから頑張って出した衣類畳んでくんねえかな!?」
プリスに服を装着させ、ネクターは再び衣服の複製を始める。
「わ、わかりました……申し訳ございません……!」
ネクターに叱咤され我に返ったプリスは急いで洗濯物を畳みにかかる。叱られたにも関わらず、プリスは笑みを湛えていた。
「……兄さん、なんだか母さんみたいです」
「あ?母さんってそんなんだったのか?」
「ええ、叱りかたなんてそっくり」
「……俺は母さんに叱られた事なんか無かったからな」
「年季が違いますよ。そりゃもう厳しかったですよ」
ネクターが衣服を出し終わる頃には洗濯物はほとんど畳まれていた。驚異的なスピードを持つプリスならではの芸当だ。
「……よく考えたらさ。俺、母さんの事ほとんど知らねえんだよな。母さんはいつだって優しかった」
「母さん……ですか。そうですね、もしかしたら面接で当たる相手かもしれませんから、少し母さんの事について話しておきましょうか」
「試験対策かよ」
「もののついでです。あの人は……万能です。いえ、正確に言うと万能にならざるを得なかったってとこでしょうか」
「は?そりゃどういう……」
畳まれた衣類をタンスにしまい、リビングに移る。二人はソファに腰掛けながら話を続ける。
「全ては父さんの為です。残念な事に父さんは家事の一切が出来ません。それで結婚に当たって危機感を覚えた母さんはまずあらゆる家事を短期間でマスターしました。とりわけ料理に関してはクスターさんと張り合う程だということは存じておりますね?」
「ああ、そんぐらいは」
「次いで、ウィンドベルの業務を手伝うにあたり戦闘能力の研鑽、行政職業務の丸暗記、果ては自らインサイドウェポンの製造にまで手を伸ばす程です。これはネクターさんが居なくなってからやり始めたらしいのですが」
「他にも、アウトサイド能力を無効化するなんかも使っていたが、母さんが戦うところ想像できんなあ……治癒魔法の詠唱速度はズバ抜けていたが」
「そこが重要なんです。場合によっては母さんを倒すことが面接突破の条件にもなり得ますからね。率直に申し上げますと、あの人は一度父さんに勝ってます」
ネクターは驚いてソファから転げ落ちる。ウィンドウに勝つ事がどれだけ困難な事か、ウィンドウのスパルタ教育を受けてきたネクターにはよく分かっている。
「驚くのはこれからですよ。基本の戦闘スタイルは二本の刀を用いた変則の居合、それにインサイド属性を乗せてきます。さらに独自魔法によりあらゆるものを地面から生やし、聖魔法の乱射、先程ネクターさんが言った通り高速治癒魔法や防壁魔法での耐久戦を得意とする厄介な方です。私はもう二度と戦いたくありません」
「おい待て、それが親父と何の関係が」
「あ、戦闘能力に関しては素であったそうです。かつてしつこく言い寄ってきた父さんを真っ二つにしたとかなんとか。それが馴れ初めのようでして。勿論今ではその時より強くなっているはずです。父さんと並び立てるように、そして兄さんを二度と傷つけないために」
「まさか……」
かつてアリアの身体からロングソードを生やした時の事を思い出す。すぐに罪悪感から振り払うが、一つだけ思い当たる点があった。あの時、アリアは常人なら死んでいたはずなのにロングソードを自ら引き抜いていた事を。
「私だって同じです。貴方を救うためにあらゆる事を学んできました。貴方を守るために毎日研鑽を積んで来ました。それでも母さんには敵わない。父さんには一度も勝てていない。親とは、先達とはかくも偉大なものなのですね」
「だったら俺が直接触れれば」
「失礼を承知で言わせてもらいますが、恐らく今の兄さんにそんなことは出来るはずがありません。それ以前にアウトサイドを封じられて効果時間内に切り捨てられるのがオチです。第一、私が不運を封じていないと必ず試験に落ちると思います」
「おう、そうだな……待て、ついてくんのか」
「敷地内に居るだけですよ。一応ウィンドベルの職員ですし。何か不都合でも?」
むしろプリスにとっては実家に帰るようなものだ。それは、ネクターにとっても同じことなのだが。
「いや、いい。母さんの話になってからなんかやけに真面目になっちまったと思って調子が狂っただけだ」
「ほほう、不真面目な私の方が好みという事ですね!」
プリスは座ったまま横へ跳躍し、ネクターの膝の上に座った。
「ギャア!でも軽い!」
「ふっふっふ……兄さん好みの体型になるためにダイエットもとい鍛錬は欠かしていませんからね!兄さんの好みとか知らないんですけど!」
「俺もまともに見た女性とか母さんぐらいしかねえよ!考えた事も無かったよ!」
「母さん……」
プリスは自分の胸に両手を押し当てて沈み込む。何度も言うが、彼女の胸は平坦であった。
「……今日は大人しく寝とこう、な?」
「はい……」
ネクターにはプリスが沈み込んでいる理由は全く理解できなかったが、何故か不幸の波動を感じて気を使ってしまった。
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