ウィンドベルのはなし その2
翌日、二人は不動産屋にて提示された資料と向かい合っていた。
大まかな条件は現住しているダンボールハウスからネクター基準で徒歩5分以内、家具無し。それだけで5件は見つかった。
「だから寝室は別の方がいいって。最低でも2DKでだな」
「嫌です!そこは譲れません!私達ならワンルームで十分です!」
だが二人の意見は食い違っていた。エーテルが通っていること、家賃に糸目はつけないこと、別にトイレと風呂は一体型でも良いということなどの細かい条件ついては事前に合意が成立しているが、ネクターが寝室を別にしたいと言ってからこの有様である。
「だって折角なら広い方がいいじゃないか。どうせ金はお前持ちだし」
「ネクターさんが働くようになったらワリカンですからね!だったら今からでも支出は抑えるべきかと!」
「それなら尚更だ。もっと広いの選べるぞ」
「いーやーでーすー!私はネクターさんと一緒に寝たいんですー!」
「あ……あの、お客様……?」
その二人の間に挟まれた店員が申し訳無さそうに口を挟むが、プリスの鋭い眼光に気圧され一歩引いてしまう。かれこれこのやり取りが実に1時間は続いている。
「それにですね、ワンルームなら選択肢が一つしかありませんからね!これ以上悩む必要が無いんですよ!」
「独居じゃないからそれ以外のが多いんだろうが。大体その部屋6畳ってなんだよ。実家の部屋どころか今のダンボールハウスより小せえじゃねえか。キッチンも玄関にあるし」
「兄さんお坊っちゃま育ちでしたねそういや!私もですけど!でもだからこそ私はこういう慎ましやかな生活に憧れていたんですよ!狭苦しい部屋で二人身を寄せ合って生きる、そんな感じのに!」
「だったら今までのダンボールで充分だろ。エーテル家具は使えねえけど風呂もキッチンも独立してるし、何より自由に間取りを変えられる。ダンボールはいいぞ」
「ぬうう……このままじゃ平行線ですね……仕方ありません!店員さん、あなたの意見を伺いましょう!」
突然話を振られた店員は詰め寄るプリスに恐怖し、身を振るわせていた。とても話を出来る状態では無い。
「おい、怯えてるじゃないか。少しは落ち着け」
「誰のせいでこうなってると思っているんですか!」
プリスの拳が飛んでくるのを予測していたのか、ネクターは即座に強化ガラスを呼び出しガードする。
「というわけでこいつの攻撃は飛ぶ恐れは無くしておいた。もう俺としては正直どうでも良くなってるからあんたの意見を聞こう」
「どうでもいいならじゃあワンルームでモゴーッ!」
ネクターはプリスの喉に真綿を呼び出し詰め込んだ。呼吸が困難になり床をのたうち回るが、ネクターは気にせず店員を助け起こした。
「い、いいんですか?突然苦しみ出しましたが……」
「いつもの発作でな。死にはしないから安心してくれ」
「それならいいんですけど……あの、私の所見を申し上げますとお二人で御入居となるとやはりお部屋は複数ある方がよろしいかと」
プリスの動きが更に激しくなったのでロープを呼び出して手足を縛る。他の客や奥にいる他の店員からは白い目で見られるが、ネクターは一切気にしない。
「だろうな」
「お二人はその、ご夫婦になられる予定なんですよね」
「こいつの口から出まかせだけどな。まあそういうことにしておこう」
「でしたらお子様を御出産される予定があると思います。そうなった時に備えて広めの家に住んでおくのが宜しいかと」
「ですよねー!」
プリスは拘束を筋力で引きちぎり、飛翔する。もはや周囲の人々は目を合わせようとしていない。
「ネクターさん!ここは将来産まれてくる子供のためにもっと良い家に住むべきですよ!具体的にはこの3LDKのとことかどうでしょう!」
「お前さっきと言ってることまるっきり違うよね!?あと喉に詰めた真綿どうした」
「凍らせて喉締めて砕きました!いいじゃないですかどうせお金は私が全額負担しますからね!はいコレに決定!ネクターさんも異論はありませんね!?」
「お前がそれでいいなら構わないんだが……あの、というわけでこれでお願いしたい」
「畏まりました。では明日には入居できるよう手配しておきます。細かい契約はその際にしましょう」
店員が奥に引っ込むと同時に客の注目が二人から逸れる。ネクターはため息をつきながらプリスの指定した物件書を眺める。
「月々18,000ギル……?おいおい、こりゃやり過ぎなんじゃねえの?」
大体1ギル=10円と思ってもらって構わない。一人の稼ぎでは結構きつい方だと思う。
「広い方がいいって言ったのはネクターさんですからね。それに、この程度なら私の基本給で賄えるでしょう。もしネクターさんが受かれば晴れて共働き!負担も半減ですよ!」
なおウィンドベルは新卒でも3万ギルの手取りがある。さらに依頼解決料が支払われるため、実はプリス一人でもなんとかなる。
「……これは責任重大だな」
「いえいえ。そこまで深刻に考えて下さらなくて結構です。なんせネクターさんのおかげで食料以外は全て揃いますからね!さあ、今度はホームセンター行きましょうよホームセンター!きっとネクターさんなら気に入りますよ!」
「……そうなの?」
ネクターは世俗に疎いため、どこに何があるのかさっぱり分からない。シオンの商品で永遠に暮らせると思っているぐらいには。
「勿論です!さあさ、とっとと行きましょう!」
「おまっ!だからそれはやめっ!?アアーッ!?」
プリスはネクターの腰をがっちり掴み、不動産屋を超高速で後にする。客も店員も、その場にいた全員が目を点にして入口の方を見つめるのであった。
「オゴーッ!」
ホームセンターに到着するなり、ネクターは路上に吐瀉物を撒き散らす。プリスはネクターの背中を撫り、落ち着かせる。
「おーよしよし。大丈夫ですかネクターさん?」
「大丈夫じゃねえよ……だからもう体壊すの分かってんだからこの輸送方法やめてくんない……?」
「いい加減慣れたと思ったんですがねえ……まあいいです。それより、こちらが弊社の運営するホームセンター、Mマートです!」
「エム……?」
「安直ですが、マカリスターさんの頭文字を取ったらしいです。ここの商品はほとんどマカリスターさん謹製の代物。ここならネクターさんのお眼鏡にも適うかと思い」
プリスが長ったらしく説明している間にネクターは既に店内へ侵入していた。プリスが慌てて追いかけると、ネクターはいつもの濁った目とは似つかわぬ輝かしい目で商品を隅々まで見ていた。
「なんだ……ここは……ここが天国……?」
「あちゃー……予想以上にハマっていますね……」
シオンに行った時とは違い、ネクターの足取りは極めてゆっくりであった。まるで骨董品を鑑定するかのように、商品の一つ一つをじっくり眺めている。
「あれから20年……マカリスターさんの家具も進化しているなあ……それにほとんど商品に差がない……いい仕事していますなあ……」
「性格ガラッと変わりましたねえ。余談ですが、これを商品として作っているのはウィンドベル技術部の面々であって、マカリスターさん本人の特注品ではない大量生産品と申しますか。マカリスターさんの発明であることはあるのですが」
「……それ、早く言ってくれない?」
ネクターはそれを聞いた途端、足取りが軽くなった。とはいえ手に取る行為をしなくなっただけで、じっくり見ているのには変わりないが。
「どんだけマカリスターさん好きなんですか。まあいいでしょう、ご覧の通りここにはありとあらゆる家具が網羅されています。エーテル家具の品揃えも豊富、というかむしろそっちがメインと申しますか。下手なエーテル家具専門店より質は良いですよ」
「ほーう。ということは技術部に入れば俺もこういう仕事が出来る……?」
「ダメです!私が一緒に働けません!」
「冗談だ。そもそも俺の複製品は売れない」
「いや、目がマジだったんですが」
だが、プリスの懸念は杞憂である。ウィンドベル技術部はマカリスターに惚れ込んで弟子入りして来る技術者の卵かマカリスターを恨んで打ち負かしてやろうと躍起になっているベテラン発明家の溜まり場だ。その技術レベルは国の研究機関に匹敵、あるいは超越しており専門的知識に欠けているネクターが足を踏み入れてはならない魔境だ。
とはいえマカリスターがネクターの複製能力に魅力を感じているのも事実。金銭の対価が無い、代理人達が用いる武器やエーテルドライバーの量産には極めて便利な能力と言えよう。事前の根回しはマカリスターに対しても必要だとプリスは考えた。
「しかし、今までエーテル家具とは無縁だったから分からんかったが……油を使わずに揚物が出来る?自動で掃除をしてくれるロボット?空気を綺麗にする機械?最近のは進歩したなあ」
「ネクターさんの家がおかしいんですよ。今時ガスコンロとか古代にも程がありますって」
「エーテルドライブ様々だな……いかん。このままだと日が暮れる。ここの商品全部見るのは骨だな」
「また来ればいいんですよ。今日は最低限必要な家具だけ見て帰りましょう」
プリスは目にも止まらぬ速さでメモに欲しいものを記入する。氷魔法式冷蔵庫、ミスリル鋼包丁数点、ミスリル鍋とミスリルフライパン、炊飯器や雷魔法式レンジなど料理に関係するものばかりだ。
「となると、またシオンに行って食材を買い足さなきゃだな」
「それは明日でいいでしょう。冷蔵庫が使えなければ腐らせるだけですからね」
「いや。今日はパーティーだ。みんなに振る舞わなきゃな」
「パーティー……?何のですか?みんなって……まさか」
「俺が引っ越すんだ。ホームレスのみんなに一応の別れを告げなきゃな」
その夜、ホームレスの溜まり場では大々的な宴会が催された。河川敷に置かれたテーブル(もちろんネクターが複製したマカリスター製の)には所狭しと料理が並べられ、ホームレス達は焚火を囲んで飲み食いしていた。
ネクターはそこから遠く離れた橋の支柱に寄りかかり、アフロヘアーのホームレスと呑んでいた。
「そうか……神様行っちまうのか……」
「なに、ちょっと遠くに引っ越すだけだ。なんか作って欲しいんなら新居まで来てくれ」
「それはいいんだけどよ……ただ、寂しくなるなって」
「そうか……でも、ウィンドベルに入るためなんだ。そうすればあんたらをここに住まわせる事が出来る。何だったら養うことだって出来る。土地買ってそこにマンションでも作ってさ、みんなダンボールで凍える事も無くなる。屋根のある家で住めるんだ」
ネクターと話していたホームレスは酒を一気に煽り、向き直る。
「ありがてえ……ありがてえんだけどよ。そこまであんたに甘えちまったらそれこそダメになっちまいそうな気がするんだ。浮浪者は浮浪者らしく精一杯生きていきてえんだ」
「いいや、こちらこそ差し出がましい真似をしてすまない。でもあんたらに何か出来ねえと俺は駄目なんだ。俺を拾ってくれた人に、申し訳が無い」
「もう十分恩は返したと思うんだがねえ。俺たちの事は気にしないでいい。ただ、少し遊びに来てくれないと寂しくて死ぬかもしれねえな」
「そうか……それだけでいいんだ……」
「難しく考える必要なんてねえさ。そんなもんだよ。で、そこの嫁さんは酒あんま呑めないんだな」
ホームレスはネクターにしなだれかかっているプリスを指差した。
「うーん、意外な弱点を発見した。うちの家系は強いはずなんだが」
「家系って……神様、まさかその子親類なの?親類とイチャついていたの?」
「あ、やっぱ世間一般的にはアウトなの?」
ホームレスは返答代わりにネクターから離れ、焚火の周囲にいる集団に混ざり深刻そうな顔で相談する。
「……よほど不味いんだな」
「う……うう……兄さん……」
「漸く起きたか。今日はもう寝てろ。まさかお前が
「そんなことより……一緒にトイレ来てください……一人じゃ無理なんです……」
「……はあ?」
ネクターの思考が一瞬固まる。トイレに、一緒に?
「兄さんに見られていないと……私、無理なんです」
「ホラー映画を見た子供じゃあるまいし、一人で行けよ」
「兄さんに、見られてたいんですよ!ウプッ!」
プリスの慟哭を聞いて思い出す。ああ、この女は狂人だったと。
「分かった分かった。ほら、歩けるか?」
仕方なくネクターはプリスに手を差し伸べる。プリスはそれをしっかりと掴み、二人でダンボールハウスに入っていく。ホームレス達のどよめきがより一層大きくなるが、二人は気にも留めない。
家の中に作ったトイレに二人で入るとネクターは目を背ける。
「人の排泄行為を見るのは忍びない。ほら、とっとと出すもん出せ」
「嫌です。こっち向いて下さい」
「んなこと言ったってなあ……分かったよ。見ればいいんだろ見れば……」
ネクターが想像していた光景とあまりの食い違いが目の前に広がっていた。プリスは便器に座らず、顔を便器に押し付けていたのだ。
「オゴゴゴゴーッ!」
そしてそのまま便器に吐瀉物が流し込まれていく。ネクターは慌ててプリスの背中をさする。
「あー……うん、楽になったか?」
「はい……ありがとうございます……」
「いつもやってもらってるからな。気にすんな、うん」
水を流し、さらにプリスの背中をさする。こうすることにより吐き気は治りやすくなると、自分の経験が物語っている。
「初めてお酒飲みましたけど、まさかこれほどとは……」
「お前はペースが速かったんだよ。あれじゃ酔っても仕方ねえよ」
「くっ……私が遅い?私がスローリィ?」
「そこかよ。そういう競技じゃねえから」
「いえ、私が速度で負けることなどあってはならないのです。もう一度リベンジを……ひゃっ!?」
ネクターはプリスを後ろから抱きしめる。こうすることによりプリスを無力化出来ることも証明済みだ。
「馬鹿言ってないで早く横になれ。死にたいのか」
「あ……あわわわわ……こ、これは実質入ってるやつですよねそうですよねうふふふふ」
問題点はこうして訳のわからない事をまくし立てるようになる事だが、もはや慣れてしまった。ネクターはそのままプリスを持ち上げ、プリスのベッドに寝かせる。
「今日はもう俺も寝る。変な気を起こすんじゃないぞ」
ネクターも自分のベッドに入り、横になる。だが、プリスはすぐに起き上がり口をゆすいだ後ネクターのベッドに入る。
「おい、何してんだ」
「に、兄さんがいけないんですよ。兄さんから誘って来たんですからね。これは合意の上ということで宜しいのですよね?」
「あーもう面倒臭い」
危うく服を脱ぎにかかっていたのでそれを阻止するために抱きついて両腕を拘束する。
「はひぃ!?き、今日は大胆ですね!」
「逃げ出されても困るからな。今日はこうしとしてやる」
ネクターはプリスを抱きながらふと思う。あまり力を入れてしまうと折れそうなぐらい華奢な体を。ネクターはその体を確かめるためにある程度自由の効く右手をプリスの背に這わせる。
暫くするとプリスの息が荒くなり、言葉を発しなくなる。それを確認したネクターはすぐさまその手を止める。
「……よし、おとなしくなったな。そんじゃおやすみ」
「ここまでやっといてその仕打ちですかー!?」
「うわっ!?せっかく落ち着いたと思ったら何だよ!?」
「……いいです!私は一人寂しくしてますから、兄さんは勝手に寝てればいいんですよ!」
「お、おう。それじゃ、おやすみな」
ネクターは背を向けて横になるプリスとは反対の方を向いて寝に入る。即座に寝られるプリスにしてめずらしく、10分間は寝息を立てる事は無かった。
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