第3話 ウィンドベルのはなし
ウィンドベルのはなし その1
兄の突拍子も無い宣言から6時間後。あまりのショックに気絶していたプリスは目を覚ました。
隣にネクターは居ない。正確にはすぐ隣には。ベッド一つ分を隔てた所で彼は寝ている。
時刻を確認する。午後6時。これが夢であると信じたかった。しかし、夢ではない。ネクターと同じベッドで寝ない日は無かったはずだ。
現実逃避したプリスはネクターの寝顔を眺めるべくネクターのベッドへと移った。アウトサイド能力の酷使で相当負担をかけていたのだろう。ぐっすり眠っている。
寝顔を間近で覗き込む。心臓が高鳴る。いつもやっていることのはずなのに、心拍数はいつもよりずっと多い。いつも通り抱き締めるのも躊躇われる。
「ざまあ無いですね。私が今更、恋に落ちるなんて」
ネクターの寝顔をひとしきり堪能した後、プリスはベッドから出てキッチンに立つ。とはいえ残りの食材は心許ない。冷蔵庫というものが無いのだ。ホームレス達にとってエーテルは貴重品だ。おいそれと使うわけにはいかない。
ネクターにエーテルを複製してもらったとしても意味は無い。シャドウファンタズムの原則に於いて食物や飲料はその効果を果たすこと無く消え去ってしまうためだ。
かといって氷の複製もいけない。こちらはアウトサイドの原則に則っている。マナの産物を作り出すこともまた不可能である。
では旧式の電力式はどうか。これも不可能。マカリスターによるエーテル革命が起きてはや40年ほど。電力式の家具は出回っていないのでネクターは見たことが無い。先程重機を動かせていたのはあれが旧来のガソリン式であったからだ。
エーテルを用いるエーテルドライバーと違い、ガソリン式は各部の動作をニュートラルに依存している。ロングソードを飛ばした時のようにネクターは複製物を
ただ、各部の動作を全部自分で管理しなければならないため、ネクター自身に大きな負担がかかる。おいそれと使える代物ではない。
「うーん、文明が無いってこういうことですか兄さん。私けっこう嘗めてました」
自分の能力で冷蔵することも考えたが、プリスはネクターの悪運を纏めることに多大なリソースを費やしている。このまま常時冷蔵なんてことは出来ない。瞬間発動なら大した消費にならないのだが、常時発動はその比ではない。
プリスはたとえどんな環境にあろうがネクターに一生ついていくと決めている。しかし、生活レベルを向上させる事を諦めたわけではない。便利なものは便利なのだ。それにあやかりたいというのは文明人として必然の思考である。
「……いつの間にか寝てたのか」
「あ、ネクターさん。おはようござい……いえ、この時間帯の場合何と声をかけたものか……」
「おはようで構わん。さて、夕飯どうすっかな」
「……ところでネクターさん、ウィンドベルを目指すというのは本当ですか?
「マジだけど」
プリスはそのままの姿勢で後ろに倒れる。後頭部を強打したが、特に問題なくすぐに起き上がる。
「そんなに驚かれても困るんだが……だって、このまま俺が好き勝手行動してたらいつまで経ってもお前が他の任務受けられなくなるだろ?どうせ離れられないならそうするのがベストかと思って」
「アッフゥフン!」
「お、おい!大丈夫か!?死ぬぞ!」
またプリスが倒れる。ネクターはプリスを心配して肩を叩き続けるが、その度に身体がビクンビクンと跳ねている。
「ご心配無く!あまりの嬉しさに死んでしまいそうなだけなので!」
「なんだ。またいつものアホが出たか」
「……失礼ながら、アホは兄さんの方です。まず最初に言っておきますけど、ウチの会社縁故採用は絶対にしませんからね」
「んなもんハナから期待してねえよ。正面切って受けるだけだ」
「あの……ネクターさん。ウチの合格倍率知ってます?」
ネクターは首を横に振る。
「……600倍です」
「待て、そもそも倍率って何だ?」
「そっからですか!?はあ……これは一次試験でアウト臭いですね……」
「大体試験って何すんだ?アウトサイド能力の非凡さなら自信あるぞ俺」
「せめてそれぐらい調べてくださいよ!」
プリスはネクターの残念さに落胆し、再び深いため息をつく。
「いいですか?まず、合格倍率というのは総受験者の数を合格者の数で割ったものです。これが高いほど難易度が高いと思ってください」
「その600倍ってのは高い方なのか?」
「滅茶苦茶高いですよ!普通の企業なら高くても2桁しか行きませんからね!」
ウィンドベルにおける合格倍率は少し意味合いが違うのだが、プリスはあえて伏せる。伝えた所でネクターの意思が変わるわけではない。
「それで試験内容ですが、一次と二次があります。一次は筆記試験。ウチの幹部……具体的には父さんや母さん、伯父さんや伯母さんとかが考えた嫌がらせ問題が出揃っています。生半可な学力では突破出来ない内容でした」
「マジかよ……俺そもそも小学校にすら通ってないんだけど」
「それも大問題ですが、もっとヤバイのは二次です。これは幹部いずれか3人との面接試験となります。そのうち父さんと伯父さんは超高確率で出て来ます」
ネクターはウィンドウの顔を思い浮かべ、露骨に嫌な顔をする。
「ええ……親父と顔合わせんの……?やだなあ……」
「ウィンドベルに入れば嫌でも顔を合わせることになりますけどね。そしてもう一人が肝なんですが、これは筆記試験で計った適性に応じて出て来る方が違います」
「ほう」
「代理人部向けならレイダーさん。この場合、まず間違いなくレイダーさんと一騎討ちすることになるでしょう。勿論勝たなきゃ不合格です」
「それ無理ゲーだよな!?だからそんなに倍率高いのか!」
レイダーはウィンドベル最強の代理人と噂される人物だ。実際ネクターもウィンドウとレイダーの模擬戦やEDの操縦テクニックを知っている故、絶望した。
「手加減はしてくれますけどね。続いて私と同じ都市生活部向けなら母さんが担当します。私の場合は顔見ただけで採用って言われたので参考になりませんね」
「やっぱ縁故採用あるんじゃ」
「私の実力なら一発OKだと前々から言われてましたからね。で、技術部向けならマカリスターさん。この人が出てきたら緊張せず気さくに話せばいいと思います」
「……マカリスターさんこないだブチ切れさせたからなあ」
「私が直接聞いたところだとキレたにはキレたらしいんですけど、かなり褒めてましたよ?それより問題なのはクスターさんが出てきた場合ですね。まず間違いなく不合格だと思ってください」
ネクターの記憶を辿る。自分の御飯をどうするかでいつも母親と揉めていた人だ。それ以外にあまり関わりが無く、レイダーとマカリスターの兄ということだけしか分かっていない。
「なんでまた」
「あの人のアウトサイド能力に由来するのですが、とにかく何にでも反逆する性格なんです。一次試験失格者を落とすために配置されているとの噂もあります。あまりにボロクソ言われるためクスターさんに引っ掛かったが最後、二度と受験しに来なくなるとか」
「マジかよ……このままだと筆記試験ドボンしてクスターさんにボロクソ言われるだけかよ……」
「それが嫌だったらレッツ勉強!今から本屋行って参考書複製しましょう!ついでにご飯も外で済ませちゃいましょう!」
「お前本当はそっちが目的だろう……まあいいや、行くぞ」
結局今日も二人はシオンのフードコートにいた。
「便利すぎるだろここ……」
「本屋もありますし、食材も調達しなきゃですしね。にしてもよくそんなピンポイントな参考書ありましたね」
「全くだ。なんだこれ。ウィンドベルどんだけみんな入りたいんだよ」
ネクターがパクったもとい複製した本には『絶対に受かる!ウィンドベル試験対策本!赤シートもあるよ!』と書かれている。
ネクターは複製する前にほとんど覚えてしまったため本はプリスの手にある。プリスはゆっくりページを捲っていく。
「ふーん……しっかり幹部ごとの頻出問題が纏められていますね、それも気持ち悪いぐらい正確に。これ書けるの内部の人間でもそうそう居ませんよ」
「分析されてんのか?そもそも出版どこだよ」
「分かりません。あまり本には詳しくないですから……伯父さんあたりに聞けば一発ですね。でも聞いたこと無いんですよねアンノウンなんて出版社」
「いいじゃねえか。お陰様で問題の一次試験はパス出来るんだし」
「甘いですよ……こんな対策されてるって知られたが最後、みんなガラッと問題変えてきますよ。幹部全員もれなく偏屈ですからね」
プリスの言うとおりの言葉がそっくりそのまま開いたページにあった。一次試験対策の章の最後だ。まるで著者がこちらの考えを見抜いているようだった。
「つかえねー!」
「タダなんですからいいじゃないですか。それに、ここにある問題が出ないということは、他の問題しか出ないということです!」
「意味ねえよ!お前のそのポジティブ思考どうなってんだ!」
「要はこんなもんに踊らされない純粋な知識と運の持ち主が突破できるようになってるんですよ。ウチに必要なのは努力して参考書を丸暗記出来る人材ではありません」
「その運がガバガバなんだが」
知識なら写真記憶持ちのネクターにはどうとでもなる。だが、出て来る問題がランダムな以上はネクターにとっては不利と言えよう。
「強烈な悪運も時には必要とされるんですけどね。続いて二次ですが……あっやっぱり代理人部は余程の戦闘力じゃないと無理って書いてあります」
「だろうな」
「続いて都市管理部は……母さんに気に入られろですって。技術部も大体同じで、クスターさんが出てきたら諦めろと」
「何の参考にもならないんだけど!?」
「何の参考にもならないという事が参考になったじゃないですか。ウチの試験の本質を的確に捉えてますよこれ」
つまり、対策するだけムダだということだ。ただし、その参考書に載っている程度の問題が出来なければ話にならないのは事実だ。
「ところで、ネクターさんは私とバディを組んで働きたいと仰いましたね。となると都市管理部に選ばれなければいけないんですよ」
「そういやお前そんなに強いのに何で代理人部所属じゃないんだ?」
「ネクターさんを探すためです。とはいえマカリスターさんに先を越されてしまいましたが……後は母さんに溺愛されていたからですね。プリスは私にちょうだい!って父さんと伯父さんにゴネたそうです」
「やっぱ縁故あるんじゃ」
「兄さんの場合、正直どうなるか分からないんですよ。滅多刺しにしたことは水に流しているようですが、20年も家をほっぽり出した息子をどう思っているかは知りません。下手すると父さんが代理人部にかっさらっていく可能性だってありますからね」
ネクターはあからさまに嫌そうな顔を見せる。それこそ最悪のシナリオだ。
「その場合、意地でも私が代理人部に転属します。というか私とネクターさんを離して運用するほどうちの親もアホではないと思います」
「つまり、受かればいいんだな?」
「余計な根回しをしなくて済むなら都市管理部に、根回し込みなら代理人部に。本当に最悪なのはネクターさんの複製能力を買われて技術部行きになることですね。私はそこ専門外でして」
「あー、それはありえる……」
実際、技術部長のマカリスターはネクターの事を買っているし、ネクター自身もマカリスターに対して尊敬の念を持っている。そうなる可能性は非常に高い。
「どうせネクターさんの生存はバレてるから母さんに掛け合っておきますか。試験日まで1週間も無いですし」
その言葉を聞いたネクターは一瞬固まる。
「おい待て、1週間?」
「そうですよ?まさかそれすら調べて……いるわけ無いですよね。願書の方は飛び込みでもオッケーなので問題はありませんが」
「……落ちたらごめんな」
「ダメ元でやってみるだけやってみましょう。今更じたばたしても仕方ありません。明日は新居を探しに行きましょう」
ネクターは渋い顔をする。プリスは20年暮らしてきたダンボールハウスを離れる事が嫌なのだろうと推察する。
「だったらあそこの近くに住みましょうよ。そうすれば依頼もいつも通りこなせます。多少行き来に時間はかかりますが、たった1刹那ぐらい」
「お前のスピードを判断基準にするな」
「それは失礼しました。ですが、ちゃんとした家に住めばエーテル家具だって使えます。家賃とエーテル代は私が持ちますから」
「よしそうしよう。対策はやめだ。帰るぞ」
「……本当、お金の事となると弱いですねえ」
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