プリスのはなし その5
「さて、今日も張り切って外出頑張りましょう!」
「お、おう……」
ネクターとプリスはセントラルシェルの中心街まで来ていた。無論いつも通りプリスに抱えられ一瞬で到着している。先日と同じようにプリスがネクターの腕を抱いて歩いている。
行き先は市役所。結局結婚しておいたほうがいろいろと都合が良いということが分かったので婚姻届を受け取りに来たのだ。ついでに子を孕んだことを想定して出生届も貰うつもりだ。
「なあ、別に受け取りに行くだけならお前一人でいいんじゃねえか?」
「何を仰いますか。私から離れたらまた能力が復活するんですよ?それで宜しいのであれば私は止めませんが」
「悪かったよ。しかし、お前時々気持ち悪いぐらい冷静になるよな。母さん譲りかそれ?」
「そうですねえ。遺伝的なものも確かにあるんでしょうけど、そもそも纏めた知識はほとんど最も近くにいた母さんのものでしょうし、影響は強いんでしょうね」
「……なるほど。で、あれが市役所か?初めて見るが、でかいもんだな」
ネクターの目の前には城があった。ツキミサト・キャッスル。かつて初代タケダ・ツキミサトが拠点とした城がそのまま残され、現在では市役所として流用されている。
しかし、そのすぐ北には鉄道が通っており、かつての敷地を南北に両断している。これはサンライズアイランドが統合政府の占領下に置かれた際、嫌がらせとして通されたものだ。
現在南側の城郭部分が市役所、二の丸と三の丸があった北側は公園として利用されている。
「老朽化が進んでいるはずなんですが、領主が先祖代々のなんちゃらかんちゃらがどうのこうのとか言って一向に手をつけようとしないんですよね。お金は充分あるはずなのですが……」
「そりゃどうでもいい。とっとと貰うもん貰って帰るぞ。正直ここも人が多くて怖い」
「大丈夫ですって!それよりこの後新居を探しに不動産屋さんに寄ったり、必要な家具を揃えにもとい複製するためにホームセンターに寄ったりしますから……」
プリスはこちらにぶつかりそうな者の気配を察知し、ネクターの腕を引こうとする。だが、一瞬考えてやめる。その者に敵意の無いことを感じ取ったこと。自分のスピードではネクターの腕がもげかねないこと。一回他人に触れさせネクターを安心させることを勘定に入れていた。
数秒後、プリスの狙い通り何者かがネクターにぶつかった。案の定ネクターの顔が青ざめる。プリスはぶつかった衝撃で倒れた者に近づく。
「だ、大丈夫ですか!?お怪我などはありませんか!?」
「いてて……えっ!?あっ!こ、こちらこそすみません!ぶつかったのは私なんですから気にしないで下さい!」
プリスが助け起こそうとした者は一人で立ち上がる。眼鏡をかけた冴えない男だ。インサイドの反応もない、ましてやアウトサイドでもないただのニュートラルだ。
「いいんですよ。ぼーっと立っていたこちらにも非がありますし」
「いや、お連れの方なんかぼーっとしていたじゃ済まない顔しているんですけど……」
男がネクターを指差す。ネクターは身体中をガタガタと震えさせ、歯が小刻みに音を立てる。目は瞳孔が開かれんばかりに大きく開かれている。
「あっ……えーっと、ちょっと潔癖症のきらいがありまして……そういえば貴方は何故そんなに急いでいたのですか?」
「お恥ずかしながら、今度結婚することになっておりまして、つい舞い上がってしまいこのような事態に……」
「まあ!実は私達も同じなんです!ちなみにお相手はどのような関係で!?」
「それが、幼馴染みなんです。仕事の大きなヤマが終わったら結婚しようと前から言ってあったんですよ」
「幼馴染み!素晴らしいですね!とっても死亡フラグあふれるシチュエーションで!」
ネクターの心がさらにささくれ立つ。プリスはそれを感じ取りながらも無視して話を続ける。ネクターには自分の能力を克服して貰わねばならない。それさえ済めば、ウィンドウも納得してくれるであろう。
「あ、あはは……で、では急いでいるので!それじゃ!」
「頑張ってくださいねー!さて、私達も」
「……やめろ」
「あのですねネクターさん。悪運は吸いとっていますから大丈夫で……」
「おい!そこのあんた!今行くんじゃない!頼むから走るのをやめてくれ!」
ネクターのただならぬ剣幕にプリスは気圧される。しかし、その言葉が男に届くことは無い。
「ど、どうしちゃったんですかネクターさん。だから運は」
「違げえんだよ!あの城、崩れちまう!さっきから数ミリ単位で各部がズレてやがるんだ!」
ネクターは特異なアウトサイドを2つ持っているだけではなくもう一つ、
正確には
大きな音がした。城はその数瞬のうちにメキメキと音を立てて崩れていった。テロか事故かそのどちらでもない。誰の瑕疵でもない偶然によって市役所は倒壊した。
「あ……ああ……」
ネクターはその場にへたり込んだ。また自分に触れた者が不幸になった。また一人死んでいった。一人の人間の幸せをぶち壊した。
それだけではない。今回は多くの人間を巻き込んだ。全て自分のせいで。その怒りの矛先は、隣で呆然としている妹に向けられていた。
「……うそつき。運を纏めるなんて嘘をついていたんだ」
「ち……違います!それより早く助けないと!」
「もういい。俺はやはり生まれるべき人間じゃなかった。親父は間違っていなかったんだ。俺は誰とも関わらないほうがいいんだ」
「……そんなこと、ありません」
「気休めはよせ!もういいんだよそういうくだらないのは!」
ネクターの慟哭を、プリスはただ黙って聞いているだけだった。あの時と同じだ。かつてアリアが刺された時と同じ。ネクターの根底にある絶望を。
「お前に何が分かる!何の不自由も無く産まれてのうのうと生きているお前に俺の何が分かる!親父も母さんも何で俺に優しく出来る!もう嫌なんだよそういう下らない善意を振り撒かれるのは!」
「………………」
「そうやって落伍者を見下して楽しいか!?上から目線で哀れんで楽しいか!?弱者を良いように弄んで楽しいか!?お前にとって俺はさぞ体のいい玩具だったろうな!」
「…………いい加減に」
「あ?」
ネクターはプリスの一撃を認識する間も無く地面に転がっていた。気がついた時にはプリスが自分の胸ぐらを掴んでいた。今まで絶対に見せたことの無い、怒気を孕んだ表情であった。
「いい加減にして下さい!さっきのは流石の私でもカチンと来ましたよ!見下した?哀れんだ?弄んだ?いつ私がそんなことしましたか!被害妄想も大概にして下さい!」
「あ……あ……?」
「いいですか、アレが倒壊したのはネクターさんが不幸にしたからではありません!仮にあの人を不幸にしたとしたら、あの人だけが死んでいるはずなんです!他の人を巻き込むこと無くね!人の不幸は全部自分のせい?運命神でも無いただの人間が自惚れないで下さい!」
今度は逆にネクターがプリスの迫力に圧され、黙ってしまう。それに、プリスの言い分は全て筋が通っている。普段ふざけた事しか言わないあの狂人が。
「もし私の能力が通用していないとしたら、毎晩ネクターさんを抱いて寝ている私はどうなんですか!?いえ、不幸のドン底どころか幸せの絶頂と言えるでしょう!幸せを知らない者が不幸を勝手に定義しないで下さいよ!」
「おま……え……」
「お説教の時間は終わりです!もうちょっと夫婦喧嘩していたい所ですが、まずは今やるべきことをやりましょう!いちゃつくのは後でいくらでも出来ますからね!」
「おい、何を……?」
「決まってるじゃないですか!
プリスはネクターから手を離した瞬間、市役所だったものの瓦礫を掴んで投げていた。まるで紙屑をゴミ箱に放り込むかのように、片手で軽々と。
(なんで)
そのスピードは常軌を逸していた。瓦礫の周囲を縦横無尽に駆け巡り、広場の空いているスペースに瓦礫を投げていく。広場にはあっという間に大量の瓦が積まれていた。
(なんでやさしくするの)
積まれた瓦礫は塵にされていた。いや、塵も残さず吹き飛ばれていた。その度に雷光が走り、プリスは身体を痙攣させる。それでも止まらない。
(なんでひどいめにあってまでやさしくするの)
それでも、ようやく一人の人間が助け出されただけだ。このままでは埋まっている人間は死に絶えるであろう。市役所に駆け込んだ男だけではなく、沢山の市民と市役所職員が。
(なんで……ああ、いや。理由なんか無いんだ)
ネクターは立ち上がり、瓦礫に向かって手を翳す。次々と大型の重機が瓦礫の前に姿を現す。かつて自分達の住処を壊そうとしたブルドーザー達が。
「……ネクターさん?」
「遅い。効率が悪いんだよ」
「私が遅い!?私がスローリィ!?まーた聞き捨てならないことをずけずけと言ってくれちゃいますね!それにその重機では中の人達を傷つけてしまいます!」
「うっさい、退いてろ。お前にちょこまか動かれるとせっかく作ったこいつらがオシャカにされちまう。精々治癒魔法持ちをかき集めるぐらいして来い」
さらにショベルカーとクレーンも大量に生成する。無数の重機群は意思を持ったかのように動いていく。ショベルカーが的確に瓦礫のみを拾い上げ、それをブルドーザーが手際良く片付けていく。
人が見えたらクレーンが吊り上げていく。玉掛すらも自動で行われていく。開始から既に2分ほどで全工程の半分が終わってしまっている。
その手際をプリスはしばらく呆然と見ていた。だが、そんなことをしている場合ではない。
「どなたか治癒魔法使いか、治癒能力持ちの方はいらっしゃいませんか!?居ましたら是非御協力下さい!申し出て下さるなら私が直に連れていきます!」
手を挙げた者を順次負傷者の下に連れていく。クレーンによる操作のはずなのに負傷者達は整然と並べられている。治癒魔法使い達は順番に治療を行っていく。
(やはり、兄さんは凄いお人です)
複製能力という類を見ない特殊能力を有すのはもちろん、能力で呼び出したそれら全てを精密に扱える器用さにプリスは感嘆していた。
アウトサイド能力を精密に操るのには余程の修練が必要とされる。プリスですらネクターの悪運を狙って纏められるようになったのはつい最近、ウィンドウとの一ヶ月間の戦闘の間であった。
だとしたらネクターはどれだけ能力を酷使してきたのだろうという考えがよぎる。ホームレスの中に余程知識のある者がいたか、兄が天才であったか。答えはそのどちらでもあるのだが、今のプリスには知る由も無い。
結果的に瓦礫の除去と負傷者の救助はわずか5分で終わった。負傷者の中には奇跡的に即死した者はおらず、さらに5分後到着したウィンドベルの職員達が持ってきたクスター特製の回復薬により、全員命をとりとめた。
「結局、しばらくの間結婚はお預けですね」
あれから二人は家に帰って来ていた。別任務に就いているプリスはあの後倒壊した市役所の後始末に参加することは出来なかった。
というよりは全てネクターが片付けてしまったのだ。全ての瓦礫を消し飛ばしてしまった以上、後は他の職員の仕事だ。他のメンバーにネクターと一緒に居ることがバレないためにも早々に退散する必要があった。
「そう……だな……うっぷ!」
その代償にネクターの胃から内容物が逆流しそうになっているのだが。そんなネクターを見かねてプリスが背中を擦る。
「あーよしよし。まあそのうちマカリスターさんが3日ぐらいで新築するでしょう。それまでの辛抱ですね」
「……早くね?」
「マカリスターさんはこと建築のスピードに関しては化物ですからね。あれだけは流石の私も敵いません。一軒家ぐらいなら一晩でやりますから」
「マジ……かよ……うげっ……わ、悪い……ちと寝かしてくれ……」
「お構い無く。私も疲れましたので」
ネクターがベッドに入ると、さも当然のようにプリスもネクターと同じベッドに入る。ネクターはプリスに背を向けた。
「あら?つれないですね。私はネクターさんの寝顔見たいのに」
「いや……ゲロ吐きかけたくないし……それに、なんだかもやもやするんだ」
「もやもや……?」
プリスはいつも通りネクターを抱き抱える。だが、プリスは異常を察知する。普段なら微動だにしないはずのネクターが抱いた瞬間にピクリと動いた。心拍数も上がっているようだ。
「もっともやもやが増えた。それに、すごくドキドキする。なんだこれ……」
「ふむ……もしやネクターさん、ついに私の事を異性として意識するようになりました?」
「……分からん。だが、お前を認めたのは事実だ」
「はて、それはどういう……?」
「さっきさ、俺を叱ってくれただろ?あれ、最初に俺の面倒を見てくれたオッサンに言われたことと全く同じ事だったんだ」
オッサンと比較されて不機嫌になったプリスはネクターのわき腹をつねる。だがネクターは微動だにせず、話を続ける。
「でもその人は俺が会う前から不幸のドン底だった。お前は自分が幸せの絶頂だと言った。だけどどっちも理由は違えど自分より他人の事を考えていた。最もその人はその後すぐに死んじまったけどな」
「そうだったんですか……」
「何だろうな……俺は自分の事に精一杯で、そんな風に他人の事を考えられる人が羨ましかった。だからホームレスのみんなを助けたかった。その生き様に憧れていたんだ。だから同じ人種のお前を認めた。だのに、なんだこの……」
「……恐らく、その感情は恋と呼ぶものかと思われます」
「恋……?これがそうなのか?」
戸惑うネクターをさらに強く抱き締める。またもネクターの体が跳ね上がったのを確認し、プリスはほくそ笑む。
「はい、確定です。恋というのは一言で言い表すには難しいものでして、有り体に言えば人を好きになる事なんですがこの感情は厄介でして。なんか相手の事を意識しちゃっていろいろギクシャクしちゃうんですね」
「えらく曖昧だな」
「曖昧なんです。その人の事を考えるだけで胸がドキドキする。その人を視るだけで胸がドキドキする。その人に触れるだけで心臓が張り裂けそうになる。一種の病ですね」
「……お前もそうなのか?」
「まさか!私は一つランクが違いますからね!言うなれば愛です。本質は恋と似たようなものなのですが……私の場合は貴方に尽くしたいという気持ちが強いですね。無償の奉仕、アガペーとも呼びますか」
ネクターは無償の奉仕というものを絶対に信用していない。対価があるのは当たり前という考えに支配されている。
「……信じられるかそんなもん」
「人間、感情次第でどうとでもなるもんなんですよ。大体現にネクターさんだってホームレスの方々に無償で家具とか提供しているじゃないですか」
「それは、ゲンさんを殺した罪滅ぼしのためというか……俺がここに居続けるための対価というかだな」
「そんなもの、その人は求めていましたか?ここの人達は対価ありきで暮らす資格を求めていましたか?」
「……ない」
思い返してみればゲンがネクターを拾ったのも、ホームレス達を助けたのも全て善意であった。それが理解できなかった。だからこそ自分はそれを模倣してその感情を理解しようとしていた。
「まあいいでしょう。ネクターさんがそれに気づくまでには時間が必要でしょうしね。ところでさっきの恋についての続きですが、恋をするとその人と付き合いたい。一緒にいたいという欲求が生まれます。ですが、それを達成出来ないと余計にもやもやが強くなるのです。これを恋煩いと呼びます」
「はあ」
「ネクターさんも私に恋をしてしまった以上それからは逃れられません。ですが、ご安心下さい。私もネクターさんの事好きですからね!相思相愛の真柄というわけですイヤッホウッ!」
「何だよいきなりテンション高くなって」
「その胸のドキドキに任せて私を好き放題何でも出来るんですよ!いやあ幸運でしたねネクターさん!普通恋に落ちてからすぐ欲求を達成できる人なんてそうそういませんよ!さあ、何でもおっしゃって下さい!何でもしますから!」
そう言ってプリスが両手を広げ、拘束を解いた瞬間。隣にベッドを呼び出し、プリスをそっちに追いやる。
「って、ちょっとー!何やってんですか!」
「うるさい!恥ずかしいから離れて寝てくれ!何でもするんだろ!?」
「は……恥ずかしい!?キャー!やりましたよ母さん!ネクターさんが恥ずかしいですって!」
一人で騒ぐプリスを尻目にネクターはそのまま背を向けて寝転がる。
「まあ、いつでも手を出して構いませんからね。今回はその言葉に免じて大人しくこっちで寝ますが、私はずっと待ってますから」
「……気が向いたらな」
「はい、言質取りました!まあ気が向かなくても私も勝手に行きますからねうふふふふ!」
「そのアホが治ればいいやつなんだけどなあ……あ、そうだ。俺決めたよ。いつまでもブラブラしてんのも悪いし、定職に就こうと思う」
「ほうほう!それはいいですね!私も陰ながら見守ってますよ!具体的には半径1km以内で!それで、何をしようと思っているんですか?」
ネクターはプリスの方に向き直る。先程まで慕情に目覚め、緊張していたとは思えない真剣な眼差しでプリスを見つめる。
「ウィンドベルでお前と一緒に働こうと思っている」
プリスは笑顔のまま固まる。灰色にはならず、まるで時が止まったかのように。
「えええーーーーー!?」
プリスの叫び声が橋の下に木霊する。数分後、ホームレス達から苦情が来たが、まとめてアフロにしてやった。
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