プリスのはなし その4
結局この1週間でプリスがネクターと同じベッドで寝なかった日は無かった。今日も今日とてネクターを抱き枕にして寝ようとしている。
「なあ、毎度毎度俺を抱き枕にして楽しいか?」
「はい!とっても!」
満面の笑みで返されては仕方がない。この狂人の思考を理解することなど到底不可能であるからだ。
「抱いて寝るのは恭順の証……とか言うのは散々聞かされて来たが、何故抱くんだろうな。母さんもそうだったけど」
「愛しいものは抱きたくなるんですよ。細かい理由は分かりません。ほぼ本能のようなものでしょうか」
「……好きな人を抱けないってどんな気分なんだろうな」
「1週間もすれば餓えで干物になります」
「そんなに深刻なの!?」
そこまでではない。プリスはアリアの例を参考にしているだけで、一般的にはそこまでではない。
「あ……でも、お……母さんは3日に1度、お……父さんと一緒に寝ないとダメとか言ってましたよ?」
「もっとひでえじゃん」
「だから毎日ネクターさんは私に抱かれるのです!人助けだと思って!」
「……その理屈だと兄さんは今ごろミイラになっているだろうな」
「あれは……気の毒ですね。歯がゆいと思います」
言わずもがな、ティアとの事だ。デスクがそのせいでどれだけ苦しんでいるのかが分からない。そんな自分に腹が立つ。
「……逆にさ、人を抱くってどういう気分なんだろうな」
「それはもう、幸せに包まれます!生きてて良かったと思えるほどです!」
「なるほど。じゃあちょっとだけ拘束を緩めてくれ」
「拘束!?今までネクターさんずっとそう思っていたんですか!?ちょっとそれは聞き捨てなりません今から表に出てひゃあっ!?」
プリスが手を離した隙にネクターがプリスの背に手を回した瞬間、プリスの体が跳ねる。
「あわわわわわわわわわわわわ……」
「うわあ、なんかすげえ鼓動がダイレクトに伝わる。あとあったかい」
「こ、ここここれは実質セックス!セックスなのでは!?父さん!母さん!私はやりましたよ!フーッ!フーッ!」
「……多少うるさいのと息がかかるのを我慢すればいいカイロになりそうだな。寒い時期だし、ちょっぴり幸せかも」
先程までネクターを抱いていたプリスが動くこともままならなくなっているのと対照的に、ネクターはいたって冷静であった。
「あひぃ!そ、そんなに見つめないで下さい!私を殺す気ですか!?真の英雄は目で殺すってこういうことだったんですね!」
ふとプリスを見るとすごい勢いで目を逸らされる。180度は首が回転しているのではないかという勢いだ。
「……何だ?直視されると死ぬのか?変な弱点だな」
プリスの妄言を真に受けたネクターはプリスの目を見ようと体を乗り出す。しかし、バランスを崩してしまいそのままプリスの上に覆い被さる格好になってしまう。
「わ、悪い!重くないか!?」
慌てて両手を離し、プリスに体重がかからないように腕の力だけで上体を上げる。はたから見たらまるで押し倒しているかのようだが、プリスはずっとネクターを見つめたまま動かない。
「……おーい、直視されると死ぬんじゃなかったのかー?」
「………………さんが私を押し倒した」
「ん?」
「兄さんが私を押し倒した、兄さんが私を押し倒した、兄さんが私を押し倒した、兄さんが私を押し倒した、兄さんが私を押し倒した、兄さんが私を押し倒した」
壊れた。由々しき事態だと悟ったネクターは慌ててプリスから離れようとする。
だが、プリスが両手をネクターの腰に回し再びホールド。そのままの姿勢で空中に飛び上がり、そのまま180度回転。あっという間にプリスがネクターを押し倒した格好になってしまう。
「うふふふふふふ!これは合意と見て宜しいですね!?こうなったのも全部兄さんが悪いんですからね!」
「ちょっと待て!落ち着け!何がなんだかよく分からんが、俺が悪かった!許してくれ!あと兄さんって誰だ!」
プリスは答えず、ネクターの唇を奪う。ネクターは抵抗するが、両肩を押さえられ身動きが取れない。
「ンンンーッ!?」
口内に異物が押し込まれる。舌だ。プリスが舌を絡めて来たのだ。その行為が理解できないネクターは舌を押し出そうと自らも舌を出す。
しかし、その行為が舌を絡め合うことと誤認させてしまいプリスの動きがより激しくなった。右手を離しシャツをまくり控え目で邪悪ではない胸をネクターに押し当てる。
そのままプリスの右手はネクターの股間にゆっくりと伸びようとする。ここで一つ思い当たる。かつて父親との鍛錬の際に教えられた事がある。
(もしかしてこれ、金的というやつでは!?)
違う。違うのだが、ネクターはプリスの一連の行為をそう解釈した。睾丸というものは唯一露出した臓器であり、男である以上は避けられぬ弱点であると教えられてきた。
睾丸を握り潰されると勘違いしたネクターは、今まさに股間へと触ろうと画策するプリスの右手をすんでの所で掴み、回転させる。プリスはベッド上で横に一回転し、驚きながらも両手をベッドのマットレスに掴みかかり回転を止めた。
「レイダーさんの技を……!?」
プリスが驚くのも無理はない。ネクターは能力の性質上打撃や投げといったニュートラルの戦法を使うことは無いとタカをくくっていたのだ。だが現実はどうか。実際に技を食らっているではないか。
同じくネクターも驚いていた。かつて父親にかけられた技をそっくり再現出来てしまっていた事にだ。恐るべきは自身の記憶力。一度食らった技は、その細部を覚えてしまっているが故に、再現する事が容易だったのだ。
「そうか、マウントを取ったから闘争本能を刺激しちまったんだな。悪い事をした」
「と、闘争じゃなくて生殖本能ですー!ええい父さんめ余計な事を!」
「伯父さんがどうした?身体能力雑魚の伯父さんが投げ技を教えるわけないだろ?」
「……頭が冷えました。闘争はセックスという言葉を今この身で理解致しました。実を言うと打撃以外は苦手なのですが、それを克服しなければならないようですね!」
プリスは両手でネクターをホールドし、ローリングする。そのままベッドからネクター共々落ちるが、ネクターの呼び出したクッションに衝撃を殺される。
「あっ危なっ!やめろ!謝ったじゃん!」
「これを闘争と勘違いした兄さんの誤りです!いいでしょう、ニュートラルでの立ち会い受けてやろうじゃありませんか!」
「よ、よく分かんねえけどこうなったらとことんやるしかねえ!」
プリスは力任せにネクターを引き起こし、立たせた。それに応じるかのようにネクターはプリスの腰を掴む。その行為にプリスの身体が跳ね上がるが、ネクターはその隙を見逃さず腰を掴んだまま上体を後ろに逸らした。
プリスは脳天をクッションに叩きつけられる前にネクターの肩から両手を離し、クッションに両手を押しつけ回避する。奇しくも逆立ちのようになっている。
「ふ、フロントスープレックスなんてどこで覚えたんですか!?」
「ホームレス狩りの中にこういう手合いがいてな。接触を許しちまったから供養のためにそいつの技を覚えさせて貰ったんだよ」
そのレスラー気取りは不幸にも同じ技を返されてボートに流されてしまい絶命してしまったのだが、ネクターの知るところではない。
「不幸なのはこっちですよ!」
プリスは腕の筋力のみを駆使し、腰を抱えているネクター共々跳躍する。驚きのあまりネクターは両手を離してしまい、ブリッジ体勢のままクッションに落ちてしまう。プリスは空中でひねりを加えながら両足で着地し、倒れてしまったネクターを引き起こす。
そして、お返しと言わんばかりにネクターの腰を掴み、そのまま上体を逸らして投げた。
「ゴボッ!?」
両手で受け止めたプリスとは違い、ネクターの頭はクッションに叩きつけられた。クッションが無ければ即死であったろう。
だが、それでもプリスの攻撃の手は緩まない。即座に元の体勢に戻り、ネクターの前にわざわざ回る。
「うふふふふ、女性が後ろに回ったところでなんの意味もありませんからね!これで決めさせていただきます!」
頭を打ち付けられた衝撃でプリスの言っていることの意味が分からないが、ネクターはなす術なくプリスに首を締め付けられる。フロントネックロックだ。
「あがっ……やめて……死……!」
「兄さん……これが最後の技です……受け取って下さい……!」
非常にマズイ。プリスは一応殺さないように手加減しているのだが、彼女の筋力から放たれた絞め技にかかればものの10秒足らずで意識を落としてしまうだろう。
(まずい……!こんなことで死ぬなんて……!)
死に際のネクターが予想だにしない爆発力を生んだ。プリスには申し訳ないが、こちらもお返しをしないと死んでしまう。ネクターは幸か不幸か、自由になっている脚で金的を試みた。
「〜〜〜〜〜ッ!?」
プリスはそのままネクターの上に倒れ込む。緊張の糸が解けて気絶してしまったのだろう。ネクターを締めていた腕にはもう力が無い。ネクターは呼吸を取り戻し、一気に肺へと酸素を取り込む。
「結局なんだったんだ……あと金的の感触が無かったのは何故だ……?アレか?キンタマを引っ込ませる技ってやつか……?」
ネクターも疲れからかすぐにまどろみに落ちてしまう。いろいろ疑問は残るが、フロントネックロックによる酸素濃度低下は脳にしっかりとダメージを与えていた。
「しかし、こいつ……軽いな」
そんな呑気な事を考えながら、ネクターは眠りに落ちた。
翌日、プリスはネクターの前に正座させられていた。
「あ、あの……どうされたのでしょうか……いきなりそこに直れと言われましても心当たりしか……」
「全部聞いたからな。お前の言っていたセックスってのは子供を作るための行為だったんだな。だからみんなお前を迎え入れるのを危惧していたんだ。役立たずの食い扶持が増えるからな」
ホームレス達の言いたかった事と昨晩の投げ技の応酬は明らかに違うのだが、ネクターはそう解釈した。
「いや、それだけじゃないんですよ!避妊さえすればパートナー同士が愛し合うための営みと化すのです!」
「ヒニンとやらがなんだか分からんが、あとちょっとで死ぬところだったんだぞ!世の中のパートナーが怖いよ!……ともかく、その辺はどうでもいいんだ。俺が怒っているのはそこじゃない」
「えっ……?」
「………………兄さんって誰のことだ」
「あっ……ああーっ!」
プリスは頭を抱えて地に伏してしまった。まずい。自分が実の妹とバレてしまっては結ばれることは不可能。なんとか言い訳を考えなくては。
「確かグラスロッドにはティアさん、お前、あともう一人の妹しか居ねえんだよな。どういうことか説明してもらおうじゃねえか」
「あ……あの……あのですね?スモールサイズ家とグラスロッド家は非常に仲が良くてですね?ほら、ネクターさんも孤児院でティアさんと一緒だったじゃないですか。だからこう親しみを込めて兄さんと……」
「兄さんは呼び捨てにしていたよなあ?デスクって。初日の寝言でも言ってたからひっかかっていたんだ。それに、会ったばっかりの従兄をそう呼ぶのは明らかにおかしい。……お前、何者だ?嘘は嫌いだぞ?」
「そ、そんなところまで父さんに似ちゃったんですかー!?」
「……あっ」
ボロが勝手に出た。確定だ。嘘や裏切りの類いが大嫌いな父親の顔を浮かべて嫌悪からすぐに消す。間違いない。
「お前……まさか……実の妹だったりしない?」
プリスの顔はこれまでに無いぐらい青ざめている。ネクターはその反応を見てさらに確信を深める。
「……実妹なんだな」
「は……はい……そうです、そうなんです。今はいろいろあって戸籍上はピエット・グラスロッドの娘なんですけど……」
「何で身分を隠していたんだ?というか従妹を名乗るなら妹でも同じだったじゃないか。偽るならいっそ赤の他人を装えば良かったものを」
「だ、だって……気にしていないんですか?」
「何が?」
サンライズアイランド……いや、全ての先進国に於いて近親間での婚姻は認められていない。そうでなくとも近親姦は禁忌と見なされ慣習的に忌避されている。
もはや常識として根付いているため、誰も教えることは無かった。そもそもネクターにはそれ以前の常識が欠けている。
「何が?じゃないですよ!妹に……そ、その……」
「えっ?あれもしかして兄妹間でやっちゃいけないことだったの?お前知ってたの?知ってて何でやったの?」
ネクターは投げ技の事だと勘違いしているが、妹にフロントスープレックスをかけるのは実際ダメだと思う。
「そ、そんなことはありません!別に兄妹がくっついたって何もおかしなことはありませんよ!」
プリスの周囲に大量のロングソードが展開される。特に出口を念入りに固めていることから殺意が伺える。
「嘘だな。だから従妹を名乗ったんだな。どうやら実の兄弟姉妹というのはそういうのが禁じられているらしい」
やめよう、実の兄弟姉妹にフロントスープレックス。
「す、すみませんでしたー!や、やっぱり嫌ですか?実の妹と……その……結ばれるというのは……」
「いや……特に考えた事は無いけど……というかそもそもお前と結婚する気なんか更々無いからな」
プリスの体が石化した。原理は分からないが、色も全身灰色だ。ネクターが触ってみても今までの柔らかい肌とは違い、まるで石になったように固い。というか石そのものだ。
ネクターが金色の針を出しプリスに突き刺すと石化は解け、そのまま崩れ落ちた。
「うっ……うっ……ひどいですネクターさん……私とは遊びだったんですね……」
「遊びもクソも、それが本当に必要なのか分からないだけだ。一緒にいたきゃ勝手にすればいいし、俺も悪運清浄器として利用している身なもんでな。別に突き放すというわけじゃ」
「じゃあ結婚ですね!今から市役所行きましょう!」
「何でそうなる!?」
「だって、そのほうが社会的に見ておかしくありませんし、お腹の子も人権が確保されます。何より家計が一緒になりますし、どうせネクターさんと一緒に暮らすのであれば配偶者控除も乗り」
昨晩の行為で子供など出来るはずが無いのだが、無知なネクターは信じ込んだ挙句家計のあたりに反応し、プリスの腕を掴む。
「よしそうしようとっとと結婚しよう」
プリスはいつも通りネクターに触れられたことで身体を跳ねさせるのだが、ネクターの言葉を聞いて即座に我に帰る。
「今絶対金目当てで決めましたよね!?じゃあダメです!愛の無い結婚はノーサンキューです!」
「お前10秒前ぐらいの自分の台詞覚えてる?」
「それとこれとは話が違います!ネクターさんには乙女心が分からない!」
「乙女……乙女ねえ……」
ネクターはふと思い出す。あの忌々しい、アリアを刺してしまった事件の事だ。確か母親は自分を抱いた時、お腹に赤ちゃんがいると言っていた。
「そういえば、お前何歳だ?」
「女性に歳を聞くとかよっぽどデリカシーありませんね!でも私は気にするような年齢ではありませんから教えてあげましょう!現在は19歳、もうすぐ20歳になれるんですよ!」
「ほーん、俺の4つ下なんだな……って事は、待てよ?まさか……」
ネクターの疑念は確信へと変わる。あれだ、あの時触らせてくれたお腹の中にいた子……それがプリスだ。
「お前よくあの時刺されなかったな!」
「胎内からしっかり見させていただきましたよ。ネクターさんの絶望を。でもあなたは私を刺さないでくれた。母さんを刺した事を一生悔やむことにした。母さんを殺さなかった。だからあの時、惚れちゃいました」
「外見えたの!?そもそも意識あったの!?」
「先天性アウトサイドでしたもんで、勝手に知識を纏めていたようです。いやあ、羊水で呼吸って出来るもんなんですねえ。腹から溢れないよう維持しなきゃなりませんでしたが」
ネクターは頭を抱える。アウトサイドは名の通り非常識の塊だ。かつてウィンドウも無として産み出されたらしいが、目の前の妹はそれ以上だ。
「と、とにかくだ。事情は大体分かった。これからも今までと同じ関係でいることには異論は無い。たとえ妹だろうが何だろうがお前はお前だ。だからこれからもいろいろとよろしくな」
「つまりそれはプロポーズと受け取ってよろしいのですね!?」
プリスがネクターに抱きつき、そのままの勢いで押し倒す。ネクターはそれを剥がそうとしてもがく。
「そこまで言ってねえよ!離せ!ああ、畜生!軽いなお前!重いとか言えねえ!」
「……すみません。ですが、もう少しこのままでいさせて下さい。私、嬉しすぎてこうでもしていないと心臓が爆発四散しそうなので」
「……人の迷惑がかからないところで飛び散れよ」
「はい。大好きです。兄さん」
これ以上この狂人に何を言っても無駄だと悟ったネクターは抵抗を止め、しばらくなすがままにされるのであった。
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