プリスのはなし その3
現に1分とかからず数キロの行程を終え、シオンに到達する。ネクターが指定した速度の数倍は出していただろうが、まだ人間に耐えられる速度であった。
「ああ……世界が遠のいていく……」
「アホ言ってないでとっとと店入るぞ。ん?なんだこれ」
ネクターの目に留まったのは店舗の外に陳列されている自転車だ。学生がよく使っているのを見たことはある。
「それはエーテルドライブ補助付電動自転車ですね。なんでもペダルの重さを電力でアシストするとか……あーやだやだこんなスットロい乗り物。せめてワイバーン級ぐらいの速度出せるようになってから出直して来いってんですよ」
エーテルドライバーには等級が存在するが、プリスの言うワイバーン級は速いもので音速に到達するものもある。自転車で出していいスピードではない。
「免許がねえ奴からしたら大した乗り物じゃないのか?疲れないし」
「疲れる方が悪いんですよ」
「お前と一般人を一緒にするな」
人の身で音速を叩き出せるプリスは異常だ。それは
「ふーんだ。ネクターさんの裏切り者ー。そんなもんより先に服とか見に行きましょう。一通り見終わったら適当にごはん食べて、最後に食料品を買いましょう」
「案内は任せる。にしても……人多いな」
時刻はまだ9時だというのに、大勢の客がシオンを訪れている。ネクターは生まれて初めて視界を埋め尽くすほどの人混みを見た。それと同時に恐怖する。絶対にぶつかってしまう。不幸にしてしまうと。
「大丈夫ですって!ささ、それじゃあ行きましょうか!」
プリスはネクターの左腕に抱きつく。
「おい、何してんだ」
「何って、ネクターさんは人に触れるのが怖いんですよね?だから私がある程度動きを制御することによってぶつかる確率をより少なくするんです」
いつも愛がどうだとか恋人ならこうするとか抜かしていた狂人がさらっとまともな答えを返してきて吃驚する。今回の行為もろくでもないことだとばかり思っていたネクターに取っては不意討ちを食らった格好だ。
勿論プリスにそのような意図は一切無く、単純にネクターと腕を組んで歩きたいだけなのだが、当然ネクターは気づいていない。
プリスに腕を引かれながら店内に入る。突然ネクターの目が輝く。今までコンビニにすらまともに入ったことの無い彼にとってはその物量は衝撃でしか無かった。
所狭しと陳列された商品の数々。衣類はともかく、装飾品の多様さにまず目を引かれる。用途は分からないが小瓶に入った液体や筒のようなもの、それらが部屋ごとジャンル分けされている。
その前をプリスはあっさり通過していく。
「おい待て、さっきから気になるものばかりなんだが」
「ああ、すみません。ですがこの辺のものは私もネクターにも不要な物ばかりです。私はメイクなんか一切しませんからね。ネクターさんが女性ものの化粧品に興味があるというのであれば構いませんが」
「ケショウヒン……?なんだそれ」
「少しでも面を良く見せるためのものです。私はナチュラリストなのでそういったものを使いたくないんですが、多くの女性に取っては必要不可欠な日用品と言えるでしょう」
今の発言で周囲の女性客を敵に回したが、彼女達はプリスの顔とスタイルを見て何か納得したように落胆する。
「面を良く見せてどうすんだよ」
「意中の男性を手に入れたいが為の見栄ですかね。私にも良く分かりませんが。それよりもっとネクターさんが喜びそうな所へ行きましょう」
プリスに引っ張られ、数分歩いた先にあるものを見てネクターはさらに目の輝きを増す。これまた見たことも無い、それでいてジャンルはバラバラな用途不明のものが陳列されている店舗に到達する。
「な……なんだこれ……」
「所謂雑貨店ですね。殆どは飾り物ですが、先程の反応を見るにネクターさんこういうのお好きかと思いまして」
これならホームセンターを回ったほうが良かったですかね?と言うプリスを尻目にネクターは商品の一つ一つをじっくり見ていく。
ネクターの能力で生み出すには全てを目視しなければならない。裏を返せばちょっと見ただけで事足りるということでもあるのだが、精巧に作り出すためにはこうした観察が必要となる。
マカリスターの家具を寸分狂い無く作り出せるのはマカリスターがいちいち機能について実演を交えながら嬉々として説明していたからだ。ネクターもそれを聞くのは嫌ではなかったし、むしろ唯一の娯楽ですらあった。
こうして雑貨店の商品を余すところ無く見ること優に3時間。ネクターの趣味にウィンドウショッピングが追加された瞬間であった。
フードコートで昼食を摂った後、二人は食料品店を回っていた。あまりにも豊富な食材を前に、それを実際に買って食べられることを喜んでいる。
「すげえ……世の中こんなに物で溢れているのか……」
「確かネクターさんの能力では食べ物は複製できないんでしたっけ」
「作れるには作れる。味だけは分かるんだが、腹に入った瞬間消えるらしい」
「な、何ですかそれ!それって無限に試食出来るってことじゃないですか!ちょっとそこの唐揚げ全部作ってください!」
「お、おう」
プリスに言われた通り目の前に並べられている唐揚げを全種類一つずつ作り出す。それを順次プリスの口に放り込んでいく。
「ふむ……ふむふむ……これが一番美味しいですね。これ買っていきましょう」
プリスは最後に食べたのと同じ唐揚げを1パックカゴに入れる。それと同じ事を別の惣菜でも試していく。
ネクターはアンドレが似たようなことをやっていた事を思い出す。アンドレは拾ってきた山菜とネクターの出した料理を同時に食うことで味を欺瞞していた。
そんな彼の死因は食中毒であった。
などと回想しているうちにカゴがいっぱいになっていく。プリスの稼ぎが良いとは言え、この量は異質に感じられた。だが、他の客を見る限りそう珍しいことでも無かった。
「いやあ、ネクターさんの能力はズバ抜けてますねえ!生肉や生魚ではとても試せませんが、惣菜には十分通用しますよ!」
「いや、俺一人じゃこの活用法は思い付かなかった。外に出て良かった。楽しみが増えたよ」
外に出ることに対して不安を持っていたネクターも今となってはショッピングの虜だ。プリスは心の中でガッツポーズする。
「さてさて、お会計を済ませましたら家に帰りましょう。今度は別のお店に行きましょうね」
「……まだここの商品を充分見てないんだが」
「それで良ければまたここに来ましょう。ですが、折角色んなお店があるんですからもっと見聞を深めてもよろしいと思います。ネクターさんの能力はそうすることでより強固になるのですから」
「そうだな」
二人はレジに向かって歩いていく。ネクターが1つ、プリスが4つのカゴを持っている。普通は男性が多く持つのが常であるが、プリスの筋力であればむしろこちらの方が正解であろう。
「あれ?プリスじゃないか」
その時だ、レジ待ちをしている男に話しかけられプリスは顔をしかめる。男はネクターとプリスを見比べて不思議そうな顔をしている。
「デ、デスク!き、奇遇ですね……」
「デスク……?おい、ちょっと待て。まさか……」
ネクターも顔を伏せる。デスクなんてへんてこな名前、この世に一人しかいないはずだ。それは20年前生き別れた兄の名に違いない。
「あら、プリスちゃんじゃないですか。ご機嫌麗しゅう」
「ティアさんまで!?」
ネクターは横目でティアと呼ばれた女性を見て愕然とする。あり得ない。ネクターの知っているティアとほぼ変わらない体躯の少女がデスクの隣にいた。
その少女こそプリスの姉(とネクターは思い込んでいる)であり、自分にとっても従姉にあたるティア・グラスロッド本人に相違ない。
(ちょっと待て、さん?実の姉をさん付けするものか?いや、俺もさん付けしてたしなあ)
「ところで、プリスちゃんの隣にいらっしゃるのは……?」
ネクターの疑問を遮るようにティアが質問を投げ掛ける。ネクターは自分の正体がバレていないことに安堵する。それに対し覚えられてないことに少しショックを受けるが、20年も会っていなければ分かるはず無いだろうと思い直す。
「……兄さん、ティアさん。すまない。勝手にいなくなって」
その寂しさが正体を明かす気にさせた。デスクは驚いているようだった。ティアは……先程と変わらず笑みを絶やしていない。
「おい……プリス……まさか……」
「そうです。やっとネクターさんが見つかったんです」
「う、うおおおお!どこ行ってたんだよバカ野郎!」
「近寄るなアホ!」
「ごべえ!?」
デスクが抱きついて来るのをとっさに出現させた窓で防ぐ。窓に激突し、潰れた蛙のようになったデスクを見てティアが笑う。
「あはははは!デスクさん無様です!」
「うぐっ!?」
そして何故かデスクは精神的ダメージを負ったように見えた。プリスにはその理由が分かっていたが、あまりにも鈍いネクターですら察していた。
(昔からティアさんの事好きだったもんなこいつ……)
人を好くという感情がどういった反応をもたらすのか、彼は兄を見て学習していた。
「再会が嬉しいのは分かるが、軽率に行動しすぎだ。俺の能力を忘れたか」
「お前可愛く無くなったなあ……でもプリスがいるって事は能力無効化されてんだろ?だったらいいじゃないか」
「……やけに信頼しているようだな。でもだからといっていきなり抱きつかれる趣味は無いぞ」
抱きつかれるのはプリスのせいで軽くトラウマになっている部分もある。それよりデスクもプリスの能力を信用しているようだ。兄からのお墨付きならと信用度が上がった。
「あ、あの……お二人ともこの事は父さん達には御内密に……」
「プリスちゃんの考えている事は分かります。安心して下さい、私はプリスちゃんの味方ですからね。固く口を閉ざしておきましょう」
「あ、ありがとうございます!」
「……但し、条件がございます。こちらへ」
プリスがティアに手招きされ、何か耳打ちされる。プリスの顔が一瞬青ざめたが、それに気づく者は誰もいなかった。
「ところでティアさん、あれから体が成長していないようだが……どうしたんだ?まさか伯父さんの趣味とかじゃ……」
「あら?ネクターさんはご存知ありませんか?私が
「知ってる。勇者の剣だかを媒介にして産まれたとかどうとか」
「私も後で知ったのですが、
「なっ!?」
ネクターは自分の境遇について苦悩しているのは自分とデスクぐらいのものだと思っていた。ティアにも同じぐらいの仕打ちを課せられていたことを知り、それを恥じた。
「と言ってもジェットコースターに乗れないぐらいなのでそこまで気にしていないのですが」
だがティアはそれでも笑っていた。自分に課せられた試練をまるで当然のように受け止めている。確かにデスクや自分よりは深刻ではない問題ではあるが。
ただ気になるのは先程のデスクを見るに、未だにティアへ好意を寄せているのは確実であった。ということはこの体躯ですら愛せるということなのか、それとも兄にそっちの趣味があるのか。前者であると願いたい。
しかし、デスクにはそれでは済まない最大の壁が存在している。マナデストラクション。デスクの持つニュートラル能力であり、彼に触れた者は魔力を消し飛ばされる。魔力はインサイド能力者にとって生命と同義である。尽きれば、死ぬ。
それもティアは希代のインサイド能力者の名門グラスロッド家当主ピエットと最高神の子であるアルテリアの間の子だ。現代において最も優れたティアの魔力を消し飛ばしたなんてことになると、死では済まされない。
ティアを好くということ自体が茨の道だ。たとえ相思相愛の間柄となったとしても、お互い一生触れること無く人生を終えるだろう。それがどういうことなのかはネクターには一部理解が及ばないのだが。
「……みんないろいろあったってことだ。だけど、みんなとりあえず無事に生きている。それだけでいいじゃないか」
「何でデスクが綺麗にまとめようとしているんですか」
「なんだとプリスてめえ」
「そうですね。デスクさんはそういう柄じゃありませんし」
「ぐぱぁ!?」
デスクは喀血し、その場に倒れ込む。相も変わらず分かりやすい。ネクターは兄が昔から全く変わっていないことに安堵した。
「それじゃあ、もう行くよ。また会うこともあるだろう」
「はい、ネクターさん。必ずまた会いましょうね」
幼い見た目ながらまるで聖母のような笑みを浮かべるティアに、ネクターは狼狽する。ティアも全く変わっていなかった。昔からこの人は全く読めない。正直言って、苦手であった。
それぞれ違う方向のレジに進む。シオンの食料品店に限りセルフレジが導入されている。プリスは震えながらレジに商品を通していく。
「ネクターさん……申し訳ありません……私は悪魔と契約を結んでしまいました……」
「自分の姉に対してなんて言い種だ」
「ネクターさんはティアさんの本性を知らないからそういうことが言えるんですよ!」
「……気になってたんだけどさ、何で実の姉にさん付けしてんだ?兄さんは呼び捨てなのによ」
「何故かさん付けしたくなるんですよあの人は。デスクはナメても良いと思っていますので」
プリスの言い分にはどちらも共感できる。あの全てを流水の如く受け流すティアと、情けなさ全開のデスクでは当然であろう。
「しかし、ウィンドベルには俺が居たことは伝わっているはずだろ?何であの二人は知らなかったんだ?」
「恐らく、ネクターさんの所在は幹部と私にしか伝わっていないはずです。そもそもあの二人はウィンドベルの所属では無いので」
「は……?そりゃどういう……」
ネクターの裡に疑念が生じる。何故プリスだけがウィンドベルに。何故自分も訓練を積まされてきたのか。何故デスクとティアは免れたのか。
「ティアさんはとても溺愛されていますからね。それも祖母に。危険を犯させるなどもっての外でしょう」
ティアの母アルテリアは統合大統領にして最高神アルパの娘だ。そのアルパが溺愛するということはどういうことか、一般常識の薄いネクターですらおぼろげながら分かる。デスクの先行きがより不安に満ちる。
じゃあプリスはそうではないのか。こちらも非凡なアウトサイドを生まれ持っていたはずだが。
「デスクは……存在そのものがウィンドベルの理念にそぐわないのです。あいつはアウトサイドの敵であるインサイドを滅ぼすニュートラル。アウトサイドの討伐や保護とは真逆の存在ですからね」
「じゃあ今は何をしているんだ?」
「実質無職です。とはいえ何もしないのは癪らしく、孤児院を手伝っているようですが……どうせティアさん目当てでしょうね」
「なんというかまあ……」
ネクターには言葉が見つからなかった。恐らくデスクは自分の置かれた状況を把握した上で行動しているのだろう。ならば何も言うまい。責任を放り出して勝手に居なくなった自分がとやかく言う資格はない。
「いずれ……ネクターさんが生家に戻ることがあればまた会えるでしょう。そうしたら面白おかしくいじってやればいいのです」
「……帰る?俺が?」
レジに全ての商品を通し終わったネクターの眼光が鋭くなる。プリスはネクターの地雷を学習した。そして後悔した。
「あのクソ親父と顔を合わせるのは二度と御免だ。それに、母さんにあんなことをした俺が家に帰れるわけ無いだろ。次にお前が家に返すなんて言ったら今度こそ殺すからな」
「あ、えっと、ぶっちゃけ母さんはそこまで気にしていないと言いますか」
「何で
またもや地雷を踏んでしまった。自分がグラスロッドの子という設定を失念していた。そのせいで余計にネクターの機嫌が悪くなる。
ネクターは全ての購入品を自分で持ち、歩いていく。意地を張っているだけなのか、すごく重そうにしながらも耐えている。
「……わかりました。ですが、これだけは覚えていて欲しい。私も貴方を家に返す気は毛頭ありません。私はあくまで貴方を救うために来たのです。貴方が望むのであれば、私はどこへだってついていきます」
「ふん……」
どこまでが本当の決意なのか、言葉だけでは何とでも言える。無償の奉仕などありえない。ネクターはプリスの在り方に改めて疑問を抱いた。
その疑念は最後まで徒歩でついてきたプリスを見て揺らぐのであった。
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