プリスのはなし その1
あれから20年ほどの時が経った。ネクターが居なくなってからもう19年半とちょっと。プリスはそれまでずっとウィンドベル
というよりは出生直後に自分から稽古をつけるよう懇願してきたのだ。兄さんを救うために、と。当然それを聞いたアリアはビックリして失神した。産後失神連続記録の更新であった。
これにはウィンドウすらも驚いた。出産直後の幼児が既に発語出来た例など今まで見たことが無かった。それよりも、何故ネクターの事を知っているのか。まさか、自分と同じように前世の記憶を得ているのか。
「え?だって母さんが刺された時に隙間から見えたんですもん。前世って何ですか怖い。父さんなんか変なハーブでもキメているんですか?」
あまりにも気になって生後10分と経たない赤子に質問した結果がこれだ。あり得ないことだが、恐らく胎内で知識を習得していたのだろう。
「じゃあ何でネクターを救おうと考えた。まさか見ただけで判断したんじゃ無かろうな」
「今まで会話は全部聞いていますからね。兄さんは本来虫も殺したくないほど優しい御方。だから無意識に致命傷を避けた。私を刺さなかった。私を気遣ってくれた。つまり私を愛しているのでしょう。ならばそれに応えるのが道理ではありませんか?」
だめだこいつ狂っている。何故こんな変態が産まれた。何故こんな結論を弾き出せる?アリアが、
だが、ネクターを救うために教育する手間が省けた。それはウィンドウにとっては幸いだ。これだけの知能があれば、アウトサイドを暴走させず御することは容易であろう。
これだけの知能があれば自分がネクターを見棄てたことが早々に露見し、プリスのアウトサイド能力の被害者になるとまでは予想できて居なかったようだが。
それからネクターを救うためのプランを練ることとなった。プリス自身はネクターを救えるだけの能力を鍛えるための訓練を続ける。ウィンドベル
戦闘訓練はレイダーとマカリスター。アウトサイド訓練はウィンドウとクスター。教育はピエットとアルテリア。そして花嫁修業はアリアが担当することとなった。
ネクターの捜索は困難を極めた。彼がホームレスに混じって生活し、神として崇められているなど誰が予想できようか。仮に偶然見つけるなどという事は出来ない。運悪くネクターは見つからないのだから。必然的な事象が起きない限り、ネクターは見つからないのだ。
皮肉にもネクター捜索が難航する事がプリスを極限まで鍛え上げる時間を与えてくれた。レイダーと互角に戦える格闘力、マカリスターの射撃にも対応できる回避力、クスターの足が出るより先に拳を叩き込めるスピード、ピエットやアルテリアの魔法を相殺できるほどのマナ回収力。
正にウィンドベル最強の戦闘マシーンと言っても過言では無い。それだけでなくアリアの8割ほどではあるものの、家事技術も習得している。現在では十分過ぎるほど、ネクターを救う力は手に入れた。
ただ、その過程で手合わせそのものが趣味に変じてしまったのはウィンドウにとっては残念であり、予測していた事態であった。今日もプリスはレイダーと一緒に山を超スピードで走っていた。
セントラルシェルから直線距離で70kmは離れた登山口。そこから襲い掛かる標高3776mの山頂。通常徒歩であれば往復に2日かけるであろうサンライズアイランドで最も高い霊峰マウントサクヤ。
その登山道が二人の散歩コースであり、その山頂が修業の場であった。
「はあ……はあ……23秒と52フレーム……また世界を3フレーム縮める事が出来ました……」
「お……おう……あ、あと21フレーム縮めれば……音速、到達だな……」
プリスの到着から1分ぐらい遅れてレイダーが山頂に到着する。それもプリスは能力は使っていない。空も飛んでいない。距離を纏めるには二点間に障害物があってはならない。全てに激突し、破壊してしまうからだ。
レイダーも人間離れしすぎたタイムの持ち主だが、それは筋力を魔力として貯蔵できる望人間の特性に加え、脚力に風属性魔法をエンチャントしたからだ。プリスのは純粋な脚力だ。
だが、筋肉を鍛えすぎると身体が重くなりタイムは落ちる。しかし、プリスの細身では筋肉どころか骨があるのかすら怪しい。アウトサイド能力者の身体能力強化では説明がつかない。
答えはプリスのアウトサイド能力、コンポジットエア(命名:ウィンドウ。名付けの瞬間難色を示した)にある。全てを纏めるという理解していないと扱いづらい能力ではあるが、そこは無という範囲のでかすぎるものを扱っているウィンドウがうまく説明した。
それで何をやっているのかというと、ずばり体型の維持。増えすぎた筋肉を増えては圧縮というのをこれでもかと言うほど行っている。
一度全筋肉の圧縮を解放した事があったが、見るにも耐えない肉団子へと変貌してしまったため二度とやらないと誓った。アリアも可哀想だからとプリスへのフラワリングガーデンの使用を禁じているぐらいだ。
「で、今日はどうしましょうか?またいつものいきます?」
「おう。いつものやろうぜ」
プリスとレイダーは互いに礼を交わした数フレーム後、消えた。読者の方々がドラゴンボール愛読者若しくはニンジャ動体視力の持ち主であれば超高速で木人拳めいたミニマルな打ち合いが繰り広げられているのが見えるだろう。そうでなければ辛うじて火花が散っているのが見えるぐらいだ。
家からマウントサクヤ山頂までの全力ダッシュが終わった後は
これは一度本気で戦った後で決めた事だ。レイダーがインサイドの雪を降らせてしまうとプリスがちょっと動いただけで霜だらけになってしまい、勝負にならないからだ。真の最強の座はプリスに譲れてはいない。
ニュートラルであれば二人の勝率は均等になる。プリスの成長に合わせてレイダーも強くなっているためだ。レイダーが可能な限りトレーニングに毎日付き合っているのは自身の成長のためでもある。
そんな折、山頂に一機のワイバーン級EDが降り立とうとする。二人は即座に打ち合いを中止し、EDに飛び乗る。中から現れたのはレイダーの兄、マカリスターである。
「よっ、相変わらず精が出るな」
「はい!マカリスターさんおはようございます!」
「どうした兄貴。朝飯にはまだ早いだろ?」
「お前ら走った方が早いだろ……迎えじゃねえ。プリス、お前に朗報だ」
「私……ですか?」
マカリスターはマジカルカメラ(魔法の力で写真を撮れる新商品で特許出願中)の画面を見せる。プリスはそれを見た途端、目を爬虫類めいて開きながらマカリスターを揺さぶる。
「マカリスターさん!どこで!?どこでこれを!?兄さんは!兄さんはどこにいるんですか!」
「おまっ!やめろ!機体が!機体が落ちちゃう!」
「落ち着け!」
「へぶっ!」
プリスはレイダーに殴られ地面に落下。する前に飛んで戻ってきた。マカリスターは寸での所で操縦悍を握り直す。
「すみません、私ったらつい興奮しちゃって……」
「いや、こんな所で見せたのが失態だった。気にするな。それで場所なんだが、聞いて驚け?なんとセントラルシェルのどこぞの橋の下だ。ホームレス達と暮らしていやがった」
「兄さんが……ホームレス……?それは盲点でしたね」
「そういや何で兄貴はそんな所に行ったんだ?」
「どうも政府が立ち退き作業をしようとしたら追い返されたらしい。で、ぶち壊されたブルドーザーの修理に行ったんだが、そこで作業員に俺の作った家具が大量にあったと言われたんだよ」
マカリスターの家具は一般家庭に広く流通しているから決しておかしい話ではない。
これが一般の家庭であったならばの話だ。相手は家具など手を伸ばしにくいホームレスである。一部粗大ゴミを流用することはあっても、それが大量となると明らかにおかしい。
「もしや、と思ったさ。そしたら案の定神様とやらが俺の作品をパクってやがった。その神様とやらがネクターだった。ああ怒ったさ。人の製品パクられてキレねえ技術者はいねえ」
「それで、兄さんの御身にお怪我を!?マカリスターさんと言えどぶっ潰しますよ!」
プリスは右手を虹色に光らせながら引くが、マカリスターは片手でプリスを制する。
「待て!待てコラ!それがあいつ、嬉しいこと言ってくれたんだよ。俺はマカリスターさんの製品しか信頼して無いからマカリスターさんの家具しか出したくないってよ!他のは複製する価値が無いんだと!」
「……で、そのまま帰ってきたと。まあウィンドウ以外がネクターと接触するのは禁じられているからなあ」
「私ももう接触できます!出来ますよね!?」
マカリスターとレイダーはかぶりを振る。戦闘面では確かに足りているが、精神面ではある意味完成されているこの狂人とネクターを引き合わせたくなかった。
「ま、まずはウィンドウの判断を仰いでからだな。お前らもう帰れ。下手したら即日出動だからな」
「もちろんです!駄目だったら父さん負かしてでも行きます!」
「出来るもんならな。よし、降りるぞ」
レイダーとプリスはEDから飛び降り、セントラルシェルに向かって猛ダッシュした。この日、プリス下りのタイムは22秒と12フレーム。ネクターに会える嬉しさのせいか、タイムを大幅に更新することが出来た。
「ダメだ」
「何でですか!?」
幹部室でウィンドベルの幹部達が朝食をとりながらネクター保護について話し合う。いの一番にプリスが助けにいくと宣言したが、ウィンドウに一蹴される。
「あのね、プリス。これはあんたのためでもあるのよ。ネクターと結ばれたいんでしょ?」
「そっ……それはそうですけど……どのみち一緒にいなければ意味がありませんからね」
「だったら大人しく待つ。兄妹で結婚できないのは知ってるでしょう?ネクターの生存と所在が確認されたならまずは兄貴が戸籍をいじって自分の子にする。そういう約束だったはずだけど?」
アリアに諭され、プリスは押し黙ってしまう。
「流石の俺でもそんな無茶を通すのに最低でも1ヶ月はかかる。こんなんだったら産まれた時点でそうしとくべきだったな」
最もそんな常識はずれの事を予想できるか。とピエットは一人ごちる。
「に……任務外で会うのは大丈夫ですよね……?」
「もっとダメだ。お前に今から任務を与える。Sランク、本来なら俺たちが総動員でかからなきゃならん対災厄任務扱いでだ。指示書はさっきピエットが仕上げた。ほれ」
ウィンドウはプリスに書類を渡す。色々と細かい規約が書いてあるが、要点だけまとめると「代理人の戸籍改竄が済むまで本部から出ないこと」「目標は必ず生かして本部に出頭させること」「規約を破った場合は反逆者として処断される」の三つだ。
つまりプリスに「勝手に動いたら殺す」と念を押しているのだ。駆け落ちする可能性も封じてある。ウィンドベルは任務受領中の勝手な退職も反逆と見なされる。
なお反逆者は例外なくウィンドウの手によって処刑される。たとえそれが実の娘であってもだ。
「ほ、本部から出られないって……それじゃあ私はどこで鍛えればいいんですか!?」
「心配するとこそこ!?安心しろ、今まで通り俺が地下の道場で相手してやるから。お前の持ち味を殺すことになるが、まあ鍛えようはいくらでもある」
「それよりも、あんたにはやって貰わなきゃならないことがあるのよ。この1ヶ月で確実にネクターの不運を纏められるようにして貰うわ」
「アウトサイド能力の強化って事ですか?まさか……」
「そうだ。レイダー、お前は自分でトレーニングしてろ。プリスは俺が鍛える」
ウィンドウが立ち上がり、いつの間にか持っていた大剣をプリスに向ける。
「ほほう。父さんですか。いいでしょう。けちょんけちょんにして差し上げましょう」
「無論そのつもりで来い。俺を倒せないような奴にネクターを渡すわけにはいかんからな。ああ、今まで娘だからって手加減していたが、本気で消してやるからな」
「……一応死にかけても私が蘇生するから安心して死になさいな。それじゃ、後は頼んだわよ兄貴」
親子三人揃って仲良く笑いながら会議室を出ていく。行き先は遊園地ならず死地、その笑みは殺意にまみれたものであっだが、この親子にとってはそれが日常であった。
結局プリスは戸籍改竄までの1ヶ月間、ウィンドウを打倒することは叶わなかった。ただ、無を相手取ったことで能力の幅が広がったことだけは収穫であった。
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