ネクターのはなし その6



二人はコンビニに着くや否や本のコーナーに寄った。実家の本棚ほどではないが、多種多様な本が置いてあることにネクターは驚いた。


「凄いな、こんなにあるのか。初めて来たから知らんかった」


「コンビニまで初めてなんですか……あ、ここの未成年者には見せないで下さいと書かれた一角のがそれです。毎度思うんですけどこれ対策になっていませんよねえ」


「……ちょっと待て、これ全部か」


ざっと見ただけでも20冊はある。そのどれもが表紙で際どい格好をした女性だらけだ。外を歩く者は当然そのような格好はしていない。


「なあ、どれがいいと思う?本の複製って全部読まなきゃならんから時間がかかるんだ」


「それを私に聞きますか!?知りませんよそんなこと!適当に選んでて下さい!私は今日のごはん見繕ってますからね!」


プリスは怒った様子で弁当のコーナーへ歩いていく。当然ながらプリスの機嫌を損ねた理由は分かっていない。


仕方なく適当に選んだ本をめくる。『人妻』『熟女』『背徳な』などの威圧的ゴシック体文字が連なっているが、それがどれだけ重要なのか知りはしない。


ページをめくっても出てくるのは女性の裸ばかり。ネクターは理解に苦しむ。こんなものを見て何が楽しいのだろうか。週間少年漫画でも見た方がよっぽど楽しいのではないか。


しかし、気になる点が一つだけあった。男性にあるはずのものが女性には無いのだ。プリスもそうなのだろうか。尿はどうやって流すのだろうか。ネクターの内心に疑問が湧いてくる。


「お、お客様。立ち読みは困ります」


「あ、ああ。悪い」


ネクターは女性店員(その胸は豊満であった)に咎められ、慌てて本を棚に戻す。店員は先程までネクターが読んでいた本の表紙を見て目を細める。


さらにその後ろではプリスが困ったような顔をしている。片手にビニール袋をぶら下げている所を見るに、会計はもう済んでいるようだ。


「はあ……店長が利率とかがどうのこうのとおっしゃるからこんなものを置いているのに、まさかそれを立ち読みするような勇者が居るとは……」


「勇者?立ち読みは勇者の行動なのか?」


ありえん。とかぶりを振る。プリスの姉、ティア・グラスロッドは勇者の剣を媒介にして産まれた亜神器インサイドウェポンであるが、立ち読みなどといった行為をするような女性では無かった。


わずか二歳歳上だったとは言え、当時のネクターから見ても品行方正だとか清楚と言った言葉がよく似合う。まさに聖母とでも言えるべき気品を6歳の時点で感じさせる少女であった。このあたりは両親の教育も良かったのだろう。妹のプリスとは大違いだ。


「皮肉を込めた比喩です。さあさ、とっととお帰りください。店に金を落とさない輩は力ずくでも排除せよと店長の命令ですので」


「コンビニってそんなに怖いところなんだな!?分かった、分かった。もう二度とタチヨミとやらはしないと誓うよ。それより、あんたに質問があるんだが」


「はい?」


「あんたも、チンコ無いのか?」


ネクターの発言と同時に空気が固まる。凍った世界でプリスのため息が鮮明に聞こえる。硬直から回復した店員は後ずさりながら目に涙を溜める。


「すまん。質問を間違えた。どうやってチンコも無いのに尿を出すんだ?女性ってのは出さなくても生きていけるのか?もし出すならどうやって出しているんだ?教えては」


「て、店長ーーーッ!変態です!変態!今すぐ警察かウィンドベルを寄越して下さい!ああ!開かない!まだサボっているんですか店長!助けて!もしくはアーティスティック貸してください!後生ですからーーーーーッ!」


異常を察知したプリスはネクターの腕を掴み、ネクターが吐かない程度のスピードでコンビニを去る。


そして人目のつかない路地裏に逃げ込み、落ち着いた後にネクターの顔面にパンチ。ネクターは10mほど先の壁に叩きつけられた。クッションで防御したため外傷は無い。


「ね、ネ、ネクターさんのお馬鹿ー!もうあのコンビニ寄れなくなっちゃったじゃないですかー!」


「……そういやお前にもチンコ」


「もうその話は止めましょうね!?後で教えてあげますから!……と、とにかく、ネクターさんのやった事はまごうこと無きセクハラですからね!」


「セクハラって?」


「ああ!もう!無知とは罪ですね!ようやく理解しましたよ母さん!」


プリスが何をそんなに怒っているのか、そんなにハイテンションになっているのか、全く理解できないネクターであった。


ただ、少なくとも分かるのは先程の行動は何かいけなかったのだろう。何がいけなかったのか、ピエットもガルシアも教えてはくれなかった。


「……すまん。俺が軽率な行動をしたばかりに」


「何が悪かったか分かっていないようなので謝られても困ります。……いいでしょう、不良アウトサイドの更正もウィンドベルの努め。ネクターさんにはこれから常識というものを学んでいただきます!」


「マジか。よろしく頼む」


一切悪びれないネクターの態度にプリスはため息をつく。それと同時に納得する。この人は本当に何も知らない、純粋な者なのだと。


プリスは諦めてネクターの腰を掴み、橋の下に戻る。ネクターの家の前にはエロ本を注文したホームレスが期待と不安が入り交じった様子で待っていた。


ネクターが先程読んでいた本を出すと「そうか……神様ってこういうのが趣味か……」と言って肩を落としながら自分の家に帰っていった。



あれからみっちりこの世の常識を教えてもらうこと10時間。すっかり夜もふけてしまった。


とはいえ常識などたった10時間ほどで覚えきれることも無く、未だに課題は残ったままであった。幸いネクターには時間がたっぷりある。これからも教え込んで行けば良いだろう。


「それじゃあ、今日はお開きですね。明日また頑張りましょう」


「お、おう……疲れるな、常識ってのは」


プリスが使用したのは小学校の道徳の教科書だ。普通常識など生活していくうちに自然と身に付くものであるが、ネクターにはそれがない。


ピエットも無から生まれ出たウィンドウに対し同じような事をやったという。ウィンドウの場合は生まれてからすぐ。全てがまっさらな状態から教え込んだのだという。


しかしネクターには24年分の人生がある。既に構築されきった自意識がある。教えていくのは非常に困難だということだ。


「そういや、お前はどこで寝るんだ?近くにホテルなんかあったか?」


「いいえ。もちろんここで寝ます」


「何がもちろんなんだよ……仕方ねえ。狭くなるが、ほれ」


ネクターは自室の空いたスペースに自分の使っているものと同じベッドを作り出す。マカリスター謹製のシングルベッドだ。マットレス、枕、布団に至るまであらゆる工夫が施されているが、ここでは割愛する。


「人と寝るなんて初めてだから落ち着かんが、まあいい。そのうち慣れるだろう。こういう時はおやすみ、とでも言うのが筋か?」


「はい。勉強の成果が出ているようで何よりです。それでは、おやすみなさい」


ネクターは自分のベッドに入る。プリスも同じベッドに入った。明かりを消し、まどろみに落ち……


「何やってんのお前ー!?」


落ちて行けるわけが無い。


「いえ、ですから寝るわけでしょう?ここで」


「そうじゃなくて!何で俺がわざわざベッド作ったと思ってんだ!」


「ああ!すみません!私としたことが枕を使わず寝るなんて!」


「そっちじゃねえよ!そっちのベッドで寝ろっつってんだよ!」


「……ネクターさん。一つ伝え忘れている事がありましたね。愛する者同士は同じベッドで寝るのですよ」


ネクターは両親を思い出す。そう言えばウィンドウはいつもアリアと同じベッドで寝ているのだった。ピエットとアルテリアも……


「……伯父さんと伯母さんは別々に寝てるって言っていたが」


「そうなんですか!?」


「お前あの二人の子供だろ!?何で知らねえんだよ!?」


「い、いえ、私が幼い頃は一緒に寝ていたもので……」


ネクターはプリスの境遇を羨ましがる。デスクも自分も能力が妨げになって母親と一緒に寝たことは無い。父親はそういう性格では無いので、いつもベビーベッドで寝かされ、成長してからは別室に隔離されたものだ。


「そうか……すまん。俺にはそういった経験が一切無くて……」


「いえ、謝ることはありません。むしろこっちが謝らなければなりません。ですが、今は人肌を感じて眠れるときです!さあ、存分に御堪能下さいまし!」


「……待て、冷静に考えろ。俺とお前がいつ愛し合った?」


「え?私は好きですよ?ネクターさんのこと。つまり、何の問題もありません!」


「一方的なものだろ!お前はそうでも俺は違うからな!?」


しかし、プリスからの返答は無い。代わりに静かな寝息で応答されてしまう。恐らく狸寝入りであろう。そう考えたが、数分経ってその考えが間違いであることに思い至る。


「おい、まさか……もう寝たのか?」


ウィンドウの特技の一つに、即座に睡眠状態へと移行できるというものがある。恐らくプリスも同じ人種なのだろう。ウィンドウもそうだが、こうなってしまっては無理矢理起こそうとしても全く起きてこない。


「……結局枕取りに行かねえじゃねえか。首に負担がかかるぞ」


見かねて、プリスの頭を少し上げてその下に枕を出す。ただでさえ静かだったプリスの寝息がさらに大人しくなる。


それと同時にプリスが横を向き、ネクターを抱く。ネクターは驚きプリスを剥がそうとするが、びくともしない。人を容易に吹き飛ばせるパンチ力を持った化物だ。ろくな鍛練をしていないネクターでは引き剥がすのは不可能だろう。


「畜生、痛いな……この細身にどんだけの力を隠し持ってんだこいつ……」


プリスの体型は全体的にスレンダーだ。むしろ病的に痩せていると言っても良い。アウトサイドは身体能力を強化する事もあるらしいが、ここまでとは思っていなかった。


あとその細さ故に骨の感触を感じやすい。スケルトンに抱かれたらこんな気分なのだろう。


(しかし、同じアウトサイドでもこんだけ差があるんだな……仕方ない。観念して寝よう)


ネクターは劣等感を味わいながら、目を閉じて眠ろうとした。その時だ。


「……兄さん」


プリスの口から寝言が発せられた。ネクターは訝る。プリスの上には姉しか居ないはずだ。しかし、今さっき確かに兄さんと言った。もしやピエットには隠し子が?と思った。


いや、夢でも見ているに違いない。姉妹に囲まれていたせいで兄や弟に憧れているというケースも否定できない。


「やっと……会えた……」


折角幸せな夢を見ているのだから無下には出来ない。幸福な者を害したくは無い。幸せな者には寛容だ。自分とは違う生きざまを体現できるのだから。


それに、幸せな夢を見れているということはこの女の能力がしっかり機能していることを証明している。彼は少しばかりプリスに感謝し、自分もまどろみに落ちていった。

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