ネクターのはなし その4

あれから20年の月日が流れた。ネクターはずっとホームレスに物を提供し続け、今やホームレス達の主と呼ぶべき存在となっている。いや、神とでも呼ぶべきだろうか。


新たに入居してきた物には家屋を与え、不足した家具や衣服があれば即座に作り出し、資金不足で家業を失ってしまった者には社会復帰の足掛かりとして仕事道具を提供してきた。大掛かりな機械類を呼び出すのも、今の彼にとっては造作も無い事であった。


ただし、その見返りとして金を受け取ってしまうと作り出した道具は失せてしまうため全て無償で提供せざるを得ない。彼自身は今は亡きアンドレに教わった野草の知識を活かして自給自足の生活を営んでいる。


ガルシアには本来学校で覚えるべき読み書きを教わった。孤児院を経営している伯父に教わっていた下地があったためか、ネクターの習熟は目覚ましいものがあった。年相応の学力まで引き上げてくれた彼も、昨年帰らぬ人となった。


彼らの死はネクターの仕業ではない。運が悪かったわけではない。時間と病には打ち勝てない。薬の類いはネクターの能力では飲んだ瞬間消え去ってしまうし、老衰を克服するのはどんな治癒魔法使いインサイダーでも不可能な事だ。


だが、それすらネクターは自分のせいだと思い込んでいる。自分と関わった者は非業の死を遂げる。そう信じているため、彼は他人と接することを恐れている。依頼は彼の居宅に設置されたポストを介して承る。


今やホームレスの神として崇められているネクターではあるが、住民との積極的な交流は行っていない。まるで地蔵のようなものだ。


そんな彼の日課が、彼のせいで死んだ(と思い込んでいる)ホームレス達の墓参りだ。橋のすぐそばに自分で作った墓へ、毎朝線香を上げに行っている。線香も着火材も自前だ。


「……よう、みんな。あれからもう20年だ。相変わらず俺達はここでひっそりと暮らしている」


右手にライターを、左手に線香を生み出し、火を付けながら墓に向かって語りかける。着火した線香は半分ぐらいまで燃えた後に塵も残さず消滅した。


「ゲンさんは知らないと思うが、あれから何度かホームレス狩りが来た。行政の立ち退き勧告も、あと実家ウィンドベルのエージェントがちょっと。全部追い払ってやった」


ネクターは両手を合わせ、これまでの戦いを述懐する。幾度となく流したホームレス狩りのクズども、強制執行に踏み切ったタケダ家のブルドーザーにエーテルドライバーEDをぶつけたこと。自分の家具が複製されていると知り怒りに打ち震えた赤髪の男の襲来。


「尊敬している人がまさか完全武装で襲って来るなんて思いもしなかったよ。あんたの家具以外の粗大ゴミなんか複製したくないって言ったらなんとか引き上げてくれたんだけどな」


だが、それはウィンドベルに。両親に居場所が割れているということだ。しかし、それなのに姿を現さない両親に対する怒りが芽生えたのも事実だ。


マカリスターの襲来はおよそ1ヶ月前。それから何の音沙汰も無い。絶対に助けると言ったウィンドウは、20年もの間ずっと姿を現さない。


やはり自分はいらない存在なのだろう。自分はただ綺麗事を並べられただけだ。幼いガキだと思って甘言で惑わしただけなのだと。


「それじゃあ、もう行くよ。明日また来るから……?」


ネクターが立ち上がった瞬間、右肩に何かが当たった。恐る恐る右を向くと、そこには人の手があった。


(クソッ!誰だ、こんな無用心な事をする奴は!)


ネクターは驚き、飛び退いた。己に触れること、それすなわち死を意味する。それもとびっきりの不幸な目に遇って。ホームレス達には周知の事実だ。


「あなたが、ネクターさんですね?」


「……誰だ、あんた」


見たことも無い、初対面の人間だった。それも、ネクターが見ることすら希少な女性だ。最も長く見たことのある女性である母親と比較してわずかに長身かつスラッと伸びた細い手足。その胸は控え目である。


モデルもかくやと思わしき体型をカジュアルなハーフパンツとラフなTシャツで包んだ、栗色セミショートヘアの女だ。今は4月の頭なのでその格好ではまだ寒いだろう。頭は残念なのだろうと推測する。


そのような情報はネクターにとってはどうでも良かった。どのみちこの女は不幸にも死ぬのだから。あとロクに女性を見たことの無いネクターに美醜の基準は分からない。母親と比較してどっこいどっこいというのが初見の感想だ。


「私はプリス・グラスロッド。ウィンドベルから派遣されてきたエージェント。貴方を幸せにするためにやって来ました」


「グラスロッド……?ハッ、母さんか伯父さんの縁故かよ。俺を幸せにするだあ?夢見てんじゃねえよ人殺し。とっとと失せろ。どうせそのうち野垂れ死ぬけどな」


グラスロッド家は優秀な魔導師インサイダーの家系だ。母であるアリア、その兄であるピエットもその一員だ。だが、ネクターの記憶に傍系は居ないはずだ。彼らの子孫はネクターの知るその二人と、ピエットの娘一人だけのはずだ。


「御察しの通り、私はピエット・グラスロッドの次女です。貴方が失踪してから生まれたんですから知るはず無いんですけど。あ、ちなみに三女も居ますよ」


「マジかよ、伯父さんと伯母さん頑張ったな……じゃなくて、それなら俺のアウトサイドがどういうモンか知ってるはずだ。もう一度言うけど、あんた野垂れ死ぬぜ」


「御心配無く!それを解決するのが私のアウトサイドです!だから言ってるじゃないですか、貴方を幸せにしに来たって」


「グラスロッドも堕ちたもんだ。魔術師インサイダーの名門がアウトサイド能力者アウトサイダーを産んじまうなんてな。話にならん。死ぬ前に親父連れてこい」


アウトサイドには魔法インサイドを使うための魔力が無くなるという障害を例外なく患う。インサイダーの家系からしたらとんだ忌み子だろう。


「まあ、そこは父さん寛容ですから。ともかく、私のアウトサイドはあらゆるものを纏める能力。ネクターさんの不幸を纏めることだって、ほらこの通り」


プリスは両手を合わせてニッコリと微笑む。ネクターはあからさまに疑いの眼差しを送っている。


「どの通りだよ」


「あっ、ネクターさんには見えないんでしたね。そりゃそうですよね。うーん、どうやったら信じて貰えるんでしょうか……私の能力って説明が難しすぎて」


「いいから早く帰って死ね。それとも、今ここで死にたいか?」


ネクターはプリスに向かって右手をかざす。彼の後方、虚空よりどこからともなくロングソードが大量に生成される。ロングソードは意思を持ったかのように、プリスに剣先を向ける。


「あっ!分かりました!じゃあこれですこれ!ちょっと痛いですけど我慢してくださいね!信じてもらうには実践するのが一番です!」


プリスはネクターに向かって拳を構える。相対する前から右腕を引くという奇妙なスタイルだ。


「じゃあ死ね」


合図と共にロングソードがプリスめがけて射出される。それと同時に、ネクターが吹き飛ばされ墓石に叩きつけられた。


ネクターの立っていた位置にはプリスが右腕を振りかぶった状態で立っている。ネクターにはわずか一歩しか踏み込んでいないように見えた。


墓石に激突する前にクッションで防護していたため衝撃は無かったが、体が痺れて動けない。まるで強烈な電気ショックを受けたかのようだ。現に振りかぶったプリスの右腕には青白い雷光が迸っている。


「ゲホッ……おまえ……アウトサイドじゃねえのかよ……」


「いえいえ、歴としたアウトサイドですよ。ちょっと距離を纏めたり電気を纏めたりしただけです。ちょっと痺れますけど」


「そう……かよ……!」


ネクターの体がゴムの被膜で覆われる。それと同時に戦車の履帯を空中に召喚する。それもゴム製。数はざっと見て百を越える。敵がアウトサイドと偽っている電撃の攻撃魔法使いインサイダーと踏んだ対策だ。


その予想は見事に外れた。プリスは迫り来る履帯の雨を難なく掻い潜り、ネクターに向かって拳を振る。拳から火炎が迸り、ゴムの被膜を全て焼く。


それと同時にネクターの全身に水膨れが生じる。あれはまごう事無きインサイドの仕業だ。ニュートラルやアウトサイドの火ではこうはならない。


ネクターは炎を防ぐため耐熱ガラスを出現させる。相手が火と雷の二重属性であると踏んでのことだ。自分の知る中で三重以上の属性を操れるような天才は2人しか知らないため、これ以上は無いと踏んでいる。


ガラスは絶縁体のため雷も通さない。加えて衝撃に耐性を持つよう強化を施してある。実家の窓が、そうであった。


それはプリスの四方を囲うようにも配置される。これで敵は閉じ込めた。後は狙って体内からロングソードが出るようにすれば殺せる。


プリスはガラスを砕こうと拳を叩きつけるが、ガラスはびくともしない。火を放っても効かない事をゆっくり確認する。プリスは笑った。


「覚えていてくれたんですね。とうさ……ウィンドウさんがやけに窓に拘りを持っていたことを」


「自分と同じ名前だからってな!だからどうした、とっとと死ね!」


「それだけで十分です!やはりあの時の私は間違っていなかった!」


ネクターはプリスの体内から無限の剣が生えるようイメージした。プリスは右手を引き、渦が巻いた。


読者の方々が特級魔法使いインサイダーであれば見えるであろう、その手に大気中のマナが集約していくのを。この世に溢れ出る火、氷、雷、風、聖、闇、全ての基本属性が。


「シャドウシルエット!」


「コンポジションエア!」


ネクターとプリスは同時に右手を振りかぶる。ネクターのイメージした無限の剣はプリスを体内から貫……かない。プリスの周囲を取り囲んだだけに過ぎなかった。


一方、プリスの右手からは虹色の光弾が放たれる。それは自身を隔てるガラスと剣を巻き込み、ネクター目掛けて飛来する。


「何でだ!?何で……!」


ネクターは慌てて自分と光弾の前にガラスを生成する。その数、実に50枚。だが、それでも光弾は無慈悲にもガラスを突き破っていく。


それもそのはず。ネクターの作り出した物は全てアウトサイド属性を纏っている。インサイドはアウトサイドを無力化する。だから全てのインサイド属性を束ねた光弾が負けるはずがない。


最もそうでなくとも六つの属性を束ねた代物に貫通されない物など片手で数えるほどしか無いだろう。究極魔法に耐えうる物があるものか。結局全てのガラスを貫通し、ネクターに届いた光弾は爆ぜた。


「ぬわーーーっ!!!」


「あっ……あーっ!大丈夫ですかネクターさん!私ったらつい本気を出しちゃいました!消し飛んでませんか!?」


「ゲホッゲホッ……消し飛んだ奴が悲鳴上げられるかバカ……!」


プリスが駆け寄ると、そこには鉱石を生成し、何とか難を逃れたネクターの姿があった。


「これは……アルパライト!?」


「ああそうだよ。あんなインチキ魔法に対抗するためにはこれしかねえだろ。六属性使いとか、伯父さん以来の化物だからな……」


アルパライトとは世界最硬と呼ばれているレアメタルだ。大気中のマナを取り込む性質があるとのことで、現在研究が進んでいる。


そのため極めて高い対魔力性能を有しており、EDの装甲に利用するための実験も行われている。但し、希少なため実用は見送られている。


何故そんな希少な鉱物をネクターは見たことがあるのか?何の事は無い。ネクターの伯母にあたるアルテリアが研究の第一人者であるからだ。


「それより、何で俺の剣はお前の体内から生えなかった?いつも剣を出すとそうなるはずなんだが……」


「それは、ネクターさんが本当は優しい方だからですよ。本当は私の事を殺したくなかったんでしょう?」


「は?何を根拠に……」


「あなたは誰も殺したくないから、自分の意思に反して運悪く相手を殺めるようにしてしまう。だけど私が悪運を吸い取ったからそれは起こらなかった。そう考えられません?」


「またそれかよ……大体あんたはただのインサイドで……!?」


ネクターはプリスの右腕をよく見る。その手には水膨れ、凍傷、麻痺、切り傷、腐蝕が同時に起こっており、光を絶え間なく放っている。これらはアウトサイド能力者が各属性の魔法を受けた時の症状だ。


確かに大気中のマナを集めればアウトサイドでも魔法は行使出来るだろう。だが、それは自身も魔法に侵されることに他ならない。自爆にも等しい行為だ。


「何で……」


「だから言ったじゃないですか。信じてもらうには実践が必要って」


「痛い目見るのはそっちの方じゃねえか!なんだってそんな無茶をした!俺なんかのために!」


「こんなもんほっとけば治りますから大丈夫ですよ。それに、私は貴方を幸せにするためなら何だってやれますから」


「だから何でだよ!?任務だからとは言え、そこまでする義理があるか!」


プリスはネクターの手を取り、真摯な眼差しでネクターを見た。ネクターは離そうとしたが、プリスの右手を見て罪悪感からその手を払えなかった。


「いや、これ任務じゃないんですよ。派遣されてきたってのは全くの嘘です」


「なおさら訳がわからん!」


「だって私、ネクターさんのこと好きですから」


「………………はぁ?」


あまりの突拍子も無い言葉に、ネクターは固まった。プリスの目はなおも真剣であることが余計にその疑問を加速させた。


「いや、ですから。好きな人を助けるのに何か理由はありますか?」


「余計に分からん!大体どうやって俺を知った!?俺が家を抜け出したのはお前が生まれる前だろ!」


「父さんと母さんから話は伺っていますし、写真も残っていますし、デスクからも人となりは聞いていますし、つまりアレですよ。一目惚れって奴ですね」


(こ、この女……狂ってる!?)


ネクターは戦慄した。そもそも家に残っているのは4歳までの写真だけだ。それと生き別れた実兄の伝聞だけで一目惚れと言い放つこの女は異常だ。逃げろと、彼の魂がそう言っている。


ネクターの体は魂の言うとおりプリスの手を払いのけ、真っ先に自宅へ向かってダッシュした。あの女はヤバイ。頭の中はそれだけだった。

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