ひとまずは『地歩を固める』大切さ

 研究書や、「史実に忠実な」と銘打った作品はさておき、歴史『物語』なら脚色は許される。
 史実においてはほぼ100パーセントなかっただろうと思われる描写も、エンタメ性を高めるための創作ならば許されることも多い。(その善し悪しは作品の完成度にどの程度その「嘘の脚色」が貢献しているかに依るだろう)
 ならば、面白い作品なら、史実を無視した『歴史物語』は有りだろうか?

 そもそもそれって『歴史』物語じゃないですよね……

 研究をする場合は当然のことながら、『歴史物語』を書くうえでもやはり大切になってるくるのが「当面、分かっている『史実』はどこまでなのか」。
 調べれば主役にしたい人物はもとより、その時代背景、人間関係、たまには文化的背景なんかも見えてくる。
 楽しい。でも苦しい(調べるのが)。
 さらには文献相互の記述の矛盾も……
 興味深い、でも苦しい(なぜそんな矛盾があるのか考えるのが)。

 でもそれって全部、これから書く作品に役立ちますよね?
 矛盾した記述の片方を採用したとしても、もう片方の存在を知ってるのと知らないのでは作品の深みが変わってきます(くるような気がします)。

 なかなか大変なこの『地歩固め』のノウハウの一端を、「劉裕」の家格考察を通じて教えてくれる本作。

 面白いです。(読み物として楽しむ分には)
 でもきっと苦しい(へつぽつさんとおなじ沼に嵌まると)。

 ってことで、自分の創作の役に立てなくても、立てても楽しい作品なので、是非ご一読を!