第12話 逃走

 イエニスはずいとドルクの前に出、面と向かって語り出した。

「私たちに付いてくると良い、もっともっと強くなる」

「今でも……充分……」

 ドルクは激しく鼻血を噴き出した。血が喉まで流れ込んできてせき込み、吐き気を催す。

 イエニスは肩を竦めつつ仮面に合図する。仮面は暴れる美形を抑えたまま、頷いて部屋を出た。

「医者が来るから安静にしていなよ」

「まだだ……まだ―」

 ドルクは、ニッキとアグウを振り払ってイエニスに向かった。というよりも殆ど倒れ込んだと言っていい、勢いだけに頼って突っ走っただけだった。

 愚行に対するイエニスの返答は蹴りの一撃であった。

ドルクの脇腹に突き刺さったそれは鋭く重く、彼はとうとう嘔吐して倒れこんでしまった。

 アグウは絶叫してイエニスに飛び掛かるも、蹴り上げで顎を割られた上に天井へ叩きつけられた。

一瞬虫の様に天井に張り付いた後、法則に抗わずに落下する。赤子は信じられないと言うようにイエニスを見上げることしかできなかった。

 ニッキはドルクの吐しゃ物に顔を顰めつつ、意を決して近場の掃除布でそれを拭った。ドレスに汚物が付いたことに気付きながらもやり遂げて、その姿にはイエニスも感心していた。

 ドルクは鼻血と目の出血、吐しゃ物に塗れながらも必死にイエニスを睨み上げる。手加減された屈辱が、失神を許さなかった。

「まだ……だ」

「なら明日、またここに来ると良い。待っているよ」

 その時、ドルクの顔にははっきりと不安がよぎっていた。

強がりであり、負け惜しみであるから受けられれば負けるとわかってしまう。そして、既にそれを理解している自分をこの上なく恥じた。

 心の機微をイエニスは見透かし、三度諭す口調でドルクへ語り掛けてくる。

「君がこのまま成長すればいずれは私に勝てるかもしれない、しかし、私たちと同行すればその未来は遥か手前で実現する。時間を頼ってはお終いだよ」

「ぐ……!」

「それでは明日にね。どう行動するかは君次第だよ」

 イエニスは去った。屈辱と苦痛に震え、震えさえ起こす青年を残して。

 アグウもドルクの背に戻り、赤子の姿のまま不敵な嗤いさえ消してしまった。美形に続きイエニスにさせ“天敵”となり得なかったのだから。

 最年少のニッキが、この場で唯一冷静さを保っていた。守護者であり今や家族と言える青年を気遣い、出来得るなら痛みを癒したい。

「ドルク……」

 ドルクは少女を抱いた。

己のために抱きしめた。折れてしまいそうな気を、庇護する者を抱くことで塗りつぶした。

当然それは少女には過大であり、逃れようと足掻いて暴れた。彼の腕力は体を軋ませたし、肌と肌の触れ合いは両親以外に経験がない。

「い、痛いわ……ドルク……‼」

 ドルクの潰れた目から流血が止まらない。それは涙の代わりとなった叫びであった。


 治療は過不足なく終わった。

動かぬように厳命され、デュオンらにここで養生すればいいと言われたのを振り払い、ドルクたちは家へと戻った。

『大腕』の男がドルクへ声をかける、父、すなわちドルク・ヤマヨコへ紋章の形から至ったのだ。

面識があるらしく、もし可能であるなら墓に参りたいと申し出たが、ドルクは邪険に突き放してしまった。


イエニスの来訪一色に染まっている中でも、ドルクを認めて気さくに挨拶をする人々が少なからずいた。

そのたびにドルクは胸が裂けそうになった、彼らの認識と実像を比すると消え去りたい気分になる。

何が最強か、何が名誉か。

礎であった父の夢は代替で、矮小な力しか持ちえない。弱きにあれば強くあるように足掻くべし、この状況にうってつけの言葉も、父の口から出たとあっては素直に縋れない。

 家に戻ると同時に、ドルクは気絶同然に倒れ込んだ。

「父……」

 それは恨みか、はたまた嘆きか。

 ニッキはどうにか寝床に彼を寝かそうと奮闘したがやがて諦め、ドレスを脱いで洗濯の真似事を始めて“濡らしただけ”のそれを椅子にかけて寝入ってしまった。


 朝陽と行きかう人々の賑わい、加えて戸を叩く音でドルクは目を覚ました。

 昨日の戦いと、硬い床で寝たために痛む体を引きずり応対すると、開けた戸の向こう側でスキンが片手をあげて軽く挨拶していた。

「よお」

「どうした……」

 ひどくせき込んだドルクは、喉に血の塊の味を感じた。固形しかかった鼻血を呑んでしまったと気づき、気分が悪くなる。

 スキンはやれやれと首を横に振ってドレスのかかった椅子に座り、濡れそぼったそれを背で感じて小さく声をあげて飛び上がった。

「あっ、こっちの台詞だ、あんたがどうしてるか気になって」

「ど、どうってことない」

 強がるドルクをなだめるようにスキンは舌を鳴らした。昨日の一件は当然把握している。

「そっちじゃない、お嬢様だ」

 ドルクは漸くニッキの不在に気づいた。輿を開けても中身はなく、そもそも部屋に隠れるような場所はない。一人で出歩きもしないはずなのに、姿が捉えられなかった。

 探しに出ようとして、ドルクはふと何故スキンがわざわざ口に出して知らしめたのかを思考する。そして、答えに至ると猛然と彼女に掴みかかった。

「ニッキはどこだ⁉」

 スキンは冷静に答えた。

「『知れず射ち』を雇った村憶えてるか?」

「は? 何を―」

 一瞬遅れて、ドルクはスキンの言わんとしていることを理解した。

 ニッキは村人らに攫われたのだ。

 ドルクは素早く剣と鞭を握り飛び出ようとしたが、スキンが明確な意志を持ってそれに立ちはだかった。

「行くのか?」

「当たり前だ!」

「だろうな、それについて知っておいてもらう」

「なんだ! 急ぐんだぞ⁉」

「村人の手を出せば、『我ら』はあんたを放っておけなくなる」

 思わずドルクはスキンの顔を真顔で見つめた、その意図が全く読めなかったからだ。

 代わりに、背中のアグウが唸りながら解説を始めた。

「『のっぽ犬』共は、民からの心証を悪くさせられないってことだねえ」

「その通り」

 スキンが皮肉交じりに拍手をする。 

 ドルクはスキンへ食って掛かかった。

「殺されるんだぞ‼ 助けるなって言うのか!」

「違う違う、覚悟しろって言ってる。助けるのはいい、あたしはしないけど皆支持する。けど、その結果追撃されるのは確実」

 問いではなく宣誓であった。『我ら』として、スキンはドルクへ告げる。

「貴族と『我ら』含めた一部への扱いは全てが許される……だからイエニス様たちは足掻いてるんだ。貴族を庇護するっていうのは、思ってるよりもやばいことだ。それでも、イエニス様はできる限りやってるけどな」

 内心は不満であるとスキンは滲ませながら言葉を続けた。

「実行犯は雇われたならず者、理由は……いうまでもないだろ?」

「イエニス……全員が来るのか?」

 震えを必死に誤魔化しながらドルクは尋ねる。

 スキンは頷いた。

「不名誉、不名誉なことだ。けど、やる。やらないといけない。……それと、イエニス様への挑戦はどうする?」

 虚を突かれた思いだった。ドルクは、当初の目的である彼との戦いをニッキの危機を前にすっかり忘れ去っていたのだ。

 青年の心中で天秤が激しく上下する。

 少女の命と引き換えに逃亡の不名誉を受けるか。

 名誉のために立ち向かい、少女を見捨てるか。

 事実の確認と同時に、あらゆる感情がドルクの中を駆け巡った。

最早イエニスの言に従えばいいのではないか、ニッキは自身に『胎矛具』を植え付けた憎むべき貴族でないか、父に思うところはあるが夢のためにも『我ら』として動くべきではないか。

「そうだな……」

 “何か”が彼の中に生まれた。口を突いて答えが出ようとしたとき、ドルクは椅子にかかったドレスを視界の端にとらえた。

 見よう見まねの洗濯はなっていない、水洗いをする素材でないためにしわができ、清めようとした汚物は殆ど落ちていない。

 だが、それはニッキが自分を助け起こさんとした結果であるとドルクにはわかった。

「……スキン」

「なんだ」

「逃げるってのは……恥ずかしいな」

 ドレスを輿へ詰め込み肩に乗せ、ドルクはスキンを押しのけ走り出した。

 背なでアグウが大きく笑う。

「パパンたらせっかちでおばかさん! ママンがどこにいるかわかってもいないのに!」

「我が子がいる、鼻が利く女の子がな」

「きーっひっひっひ! 褒めちゃいやねえ!」

 アグウは熊へと変じた。驚く住民の間をかわして、ドルクと共に一心不乱に走りぬける。

 ドルクの潰れた片目が見開かれる。後悔と迷いを多大に抱えているが、彼は自身で決心を下したのだ。


 家に残されたスキンは、呆れとも感心ともつかない顔で濡れた椅子へ腰かけた。飾られた花や石を眺め、片目の男と醜悪な赤子気に入らない貴族の娘の日々を思う。

 報告をせねばならない、彼が思うほど逃亡は大きな事象でなく、民を手にかけたことこそが問題になるだろう。恐らく追手によって、二人は殺害され『胎矛具』は回収される。そしてその任は、監視を命ぜられた自身も組み込まれるはずだ。

 経緯は違えど同胞を手にかけた経験は何回もある。いずれも後味は良くなく、できれば逃れて欲しいとすら思ったが例外はあり得ない。

 比して、ドルクらはどうか。指導者へ無謀な喧嘩を売り、貴族気分が抜けず、醜悪な顔面と言動、正直に言ってしまえばあまり同情できる要素がない。

 にもかかわらず、スキンは彼らが奇跡か何かでここに戻ればいいと思っていた。

 偶にふらっと寄り、鍛錬に勤しむ青年と気に入らない貴族の娘と赤子に土産を渡して言い合いする。

 ほんの数回のそれが、無性に懐かしいのだった。

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