第62話 自ら挫折
なんとか、泥沼の上にあるフロアまできたぞ。
今までのドタバタが嘘のような静けさで、ちょっと椅子に座って一服したくなるような雰囲気。
「ふう……」
壁際の椅子に座って一息つく。
うっかり立ち入ると踏み抜いてしまう上げ底の地面を見ると、その中央に軽そうな椅子とテーブルが置いてある。
さらにその上には『麦茶』と書かれた素焼きのポット。
そしてグラスが二つ、ホコリが入らないようひっくり返して置いてある。
テーブルの周囲の地面は特に薄く出来ているので、麦茶につられて近づくと、そのまま下にドボンというわけだ。
「……さて」
侵入者の立場になって考えるのだ。
初見のプレイヤーなら、果たしてここからどう動く?
テーブルの上の麦茶はあまりにも怪しすぎるが、この下に泥沼があるとは思うまい。
ポットの中身を確認するために近づいてしまうかもしれないが、それだけでもアウトだな。
大抵の侵入者は、幕の張ってあるいかにもな横穴に入っていくだろうが、そこに大したものは無いことは一度入ればわかる。
オトハ迷宮の攻略情報なんて、すぐに出来上がるだろうし、タンスの裏の隠し階段を見つけられた時点で、本当の居住区画への侵入を許すことになる。
(だが……)
だから何だという話なのだ。
つい本能的に最深部を目指してしまうプレイヤーは居るだろうけど、それすらも罠みたいなものか。
侵入者の目的はジャスコール王国を乗っ取ることであり、そのためには俺たちを『全滅』させなければならない。
領民全体に12万以上の大ダメージを与えて、それでようやく、俺が『王ではない』ことを知るのだ。
俺は立ち上がると、壁沿いに歩いて幕の張られた横穴へと入っていった。
奥には一段高くなった所があり、その上に廃材でつくった玉座が置いてある。
「ふぉふぉふぉ、よく来たの勇者よ」
「先生!」
なぜか、マジュナス先生が魔王役をやっていた。
妙に似合っているから困る。
「ここにはワシしかおらんし、追手なども来ない。どうじゃな? ワシをボコボコにして、そなたが新たな魔王となるかえ?」
「うっ……!」
毎分2万超の自然回復量を押し切って12万以上もあるHPを削るのは、俺1人では不可能だ。
仲間を沢山ひきつれてきて、罪のない爺さんをタコ殴りにしなければ。
「うっ……」
「どうたのじゃ? 遠慮はいらぬぞ?」
だが、そんなこと出来る人間が果たしているのか?
そうまでして人の国を奪い取りたいか?
たかだか、ゲーム内での金儲けをするためだけに……。
「で、出来ねえ……!」
そして俺は挫折した。
少なくとも俺には、オトハ迷宮を攻略することは出来ないようだ……。
オトハ迷宮をクリアするには、この世界のNPCを『人と思わぬ』精神が何よりも必要だ。
* * *
俺はトボトボと居住区へと降りる。
オトハ迷宮を『本気で落とそう』としてくるプレイヤーの人物像を想像して、何となく鬱になってしまった。
(ただのNPCキルとは訳が違うぜ……)
普通のNPC相手であれば、『デヤー!』『グワー!』なやり取りで終わるのだが、うちの領民を倒すには、弱い者を狙って集中攻撃をかけなければならない。
よほどの鬼であるか、まったくNPCに感情輸入しない人じゃないと難しいだろう。
さらに言えば、仮にそれを成し遂げたとしても、600人を超える公爵領の民を一気に失うことになるので、ジャスコール王国の価値毀損は免れない。
テオドアさんが微妙だと言った理由もわかる……。
本気でここを攻めてくるハイランカーって、そりゃもう世紀末ヒャッハーな人達くらいなんじゃないか。
「はっ、お嬢様」
横穴の奥では、サーシャがルナさんのまわりで何かしていた。
「先ほどは申し訳ありません、うっかり寝てしまって……」
「ううん、いいんだよサーシャ。それよりも今は何を?」
「はい、ルナ様の寝処をつくっていました」
「ほうほう」
壁際に座ったままログアウトしていたルナさんは、サーシャの手によって藁の上に横たえられ、さらには毛皮を被せられていた。
「あのままでは、目の毒ですので……」
「う、うん……」
世話を焼くというより、危険物を処理するような感覚だな。
「お嬢様、もしかてご気分がすぐれませんか?」
「うん、実はちょっと……」
「そうでございましたか……。何かお飲み物でも用意しますか?」
「じゃあ、いつものミルクティーを」
「はいっ、かしこまりました」
俺がそう言うと、サーシャはどこか嬉しそうに微笑んだ。
椅子に座って待つこと1分。
ミルクティーが運ばれてくる。
「ねえサーシャ」
「はいお嬢様」
温かい飲み物で喉を潤しつつ言う。
「みんなは、襲撃を受けることが怖くないんだろうか?」
白金の絆は強力な称号だが、それと同じだけの危うさも秘めている。
それはみんなも解っているはずだ。
「万が一、恐ろしい襲撃者に捕まってしまったら、どんな目に遭わされるかわからないのに……」
「お嬢様……」
言ってて思わず溜息が出てる。
「一刻も早く竜人同盟に加えてもらいたいけど、ネカマの俺じゃあやっぱり厳しいんだろうし……この先ずっと、危ない戦いを続けることになるのだと思うと、やっぱり心配で……」
ああ本当に、ネバーエンディングENDのままで止めて起きたかったよ。
「サーシャは、怖くないの?」
「そうですねえ……」
俺がそう問いかけると、サーシャはしばし目を閉じて、何かを思っているようだった。
「……ふふっ」
そしてにわかに、口元に笑みを浮かべた。
「もし私がお嬢様の立場で、そしてお嬢様が私の立場だったら、オトハ様はどう思われるのですか? 怖くて逃げ出したくなりますか?」
「そ、それは……」
言われてみれば、そういう方向では考えたことがなかった。
「そうだな……」
サーシャが領主で、俺が領民……。
婚約破棄で王太子をぶっ倒したのがサーシャで、俺はそんな彼女を心から慕う使用人のメイド……。
もしそんな関係だったら、俺は一体ここで何を思うのか。
公爵令嬢スタートではなく、メイド長スタートだったら、俺はどんなプレイヤーになっていたのか。
「確かに、怖くなんかないな……」
「そうですわ、お嬢様」
「サーシャのためにと思って、喜び勇んて立ち向かっていくだろうな……!」
「はい、お嬢様!」
そうか、そうだったのか!
言われてみれば簡単なことだった。
俺は思わず立ち上がる!
「みんな……同じ思いということだな!」
「わかっていただけて嬉しゅうございます!」
そして俺はサーシャの手をとりあう。
俺はなんて良い領民たちに恵まれたんだ!
「こっちこそありがとうサーシャ、何だかふっきれたよ!」
「本当にオトハ様は、繊細でお優しい方でございますね。だからこそみな、喜び勇んでついていくのです……!」
そう言って見上げてきたサーシャの顔は、後光が差すかのように輝いていた。
彼女たちはしばしば、こうして眩しくて見ていられない状態になる。
(ゴクリ……)
うっすら頬を赤らめ、キラキラしたした表情で俺を見上げてくるサーシャ。
こ、これは……! ラブコメの予感!
そういや、俺の気持ちを伝えたあの日以来……そ、その……き、キスとかは……していないな。
「……んー」
「……はっ」
俺がジッとその顔を見ていると、サーシャは何も言わずに目をつむった。
OKサインだ!
(ドキーン!)
二度目のキスは迷宮の底……!
ここならまず、邪魔は入らない……。
(ハアハア……)
俺は眩しさに目を細めつつ、ゆっくりと顔を近づけていく……。
「よっしゃ、きたー!」
「!?」
「!?」
だがその時、ちょうどルナさんがinしてきた!
ムクリと起き上がってこちらを向く。
そして……!
「おはよー、お嬢ちゃ……んほ!?」
「…………」
「…………」
俺とサーシャは、完全に固まってしまった。
しまった……油断した!
「あー、えっとー」
どこかバツが悪そうに頭をかくルナさん。
「もうちょっと寝てよっかなー?」
そして何も見なかったように再び横になった。
(ぬあー!?)
ついにリアルの人に! 俺の禁断の恋を見られてしまった!
うおー! あとでなんて言われるんだー!?
「ああ……オトハ様、今度こそ邪魔に入られてしまい……にゅっ?」
だが俺は、そのまま容赦なくサーシャの唇を塞いだ。
見られたから……なんだってんだ!
もう開き直っちゃう!
「んー!」
「んんん……!」
さらにヤケクソ気味にギュッと抱きしめたもんだから、やたらと濃厚なキスになってしまった……。
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