第44話 大切なこと
平穏ながらも、どこか切ない5日間が過ぎていった。
夜更かしプレイにもってこいな金曜の夜ですら、俺は早々とログアウトして寝てしまった。
領民たちの顔色を伺う以外に、特にすることがなくなったのだ。
使用人たちの忠誠度も押しなべて100であり、性格マイペースなマジュナス先生だけが90だ。
もうこれ以上、どうゲームを進めたら良いかわからない。
サーシャは相変わらず冷めている。
ツンデレとか、そういった類の冷たさではない。
ただひたすらに、俺に対して心を閉じてしまっているようだ……。
(結婚しようだなんて、言うべきじゃなかった……)
きっと愛想を付かされたのだ。
俺は責任を取るとか言いながら、最高に無責任なことを言ってしまった。
そう遠くないうちに、俺はAROの世界を離れる。
それはサーシャだって、何となくわかっているはずだろう……。
(うーん……)
だが、忠誠度は相変わらずの100だ。
きっと、お願いすればなんだってやってくれるだろう。
それこそ、夜伽の相手だって……。
俺も健全な男子であるし、そういったことに興味がないわけではない……。
(うむむむ……)
どうにも、あのキス顔のサーシャが脳裏から離れない……。
否応なく心が疼いてしまう。
AROは15歳以上推奨のゲームだから、もちろん出来ることには限りがある。
服を脱いだ下には、生殖器はもちろんのこと、おへその穴すら描写されていない。
しかし、かなり『それ』に近いことは出来てしまうという……。
(……むがー!?)
だが、それはいけないことだ!
そこに手を伸ばした瞬間、今までAROで培ってきたものが、全てが失われてしまう……。
そんな気がしてならない……むがぐぐ。
――ゴロン、ゴロン!
そして俺はベッドの上、枕を抱えて身悶えた。
あられもなく、みっともなく。
身悶えた。
そもそも俺は……あの世界で何を得たのだろう?
とにかく色々な経験をした……現実の世界じゃ、とても出来ないようなことを。
特に、公爵令嬢となって領地を運営した経験は、この先のリアルでも生かされそうな気がする……。
(……だがそれ以外には?)
そう改めて問いかけると、はっきりとした回答は見つからなかった。
ただ単に『よいべんきょうになった』と言うだけで……。
どうせ愛想をつかされているのなら、いっそとことんまで……。
そんな不埒な考えすら、今は脳裏にチラついてしまう。
それではたして、俺は一体何を失うというのだろう。
もとよりサーシャは、その覚悟を決めて俺の部屋に入って来たんだぞ……。
ああ、俺の中の悪魔がささやく……。
(いいや……!)
でもやっぱり、何かそれは違う。
それこそ俺は、この世で最も大切なものを失ってしまいそうだ。
人として、何かとてつもなく……重要なものを。
上手く言葉に、出来ないのだけれど……。
どうすれば良い……。
俺は、いつまでもあの世界には居ないんだぞ……。
時間は限られている……考えろ。
考えるんだ……俺!
* * *
翌日、俺は朝早くからログインした。
「ちょっと、出かけてきます」
「マッ!」
「はっ!」
門の前に立つグルーズさんとオルバさんに声をかけ、俺は改めて領地を散策した。
たぶん、メドゥーナもついて来ているだろう。
家で悶々としていても、たぶん答えは見つからない。
ならば足を使って探すのみ……!
「あっ、領主さま」
「マキーニさん!」
ノックス村で、コヌールさんのお母さんと出会う。
「こんなに早くからお仕事ですか?」
「ええ、まあ……そんなところですわ、おほほほ」
領民と語らう時は、何故かお嬢様になってしまう俺である。
マキーニさんは、以前よりもずっと顔色が良い。たまにお屋敷までやってきて、オルバさんにお弁当を渡したりもしているようだ。
「お元気そうでなりよりですわ」
「はい、領主様のお陰で……!」
「うふふ、何かお変わりはありませんこと?」
「万事順調でございます、亭主もあんなにお給料を頂いて、もうすぐ家を建て替えることもできます。本当にありがたいことです……!」
と言って、深々と頭を下げてくるマキーニさん。
俺は『いえいえ、彼こそ良くやってくれていますわ』と言って、合わせて頭を下げた。
それからキミー村に向かい、拡張された麦畑を見渡す。
この世界の麦は、面積あたりの収穫量はさほど多くないのだが、その代わりに月に1回収穫できる。
そのくらいサクサクとした収入がないと、ゲームとしての面白みが無いんだろうな。
――ザクッ、ザクッ!
近くで、グママーで耕しきれなかったところにクワを入れている人がいる。
ちょっと話しかけて見よう。
「お疲れ様ですわ!」
「ああ、これは領主さま!」
よいお歳をしたお爺ちゃんなのだが、クワを振るう姿は力強い。
日頃の鍛錬と、十分な食事により、筋骨隆々となっておられる……。
「よければ、ちょっと手伝わせてくださいまし?」
「えっ、領主さまが?」
「はい、わたくし何でもやってみたいのです!」
俺はピンクドレスのまま畑に入っていき、クワを握って振り下ろした。
「えいっ!」
――ぶうん!
――ドカーン!
「うひょほー!?」
流石に腕力80超でクワを振るうと凄まじいな。
「えいっ、えーいっ!」
――ドカーン!
――ドカーン!
お嬢様口調でドッカンドッカンやる。
地雷でも爆発させているじゃないかってくらい、盛大に土が爆ぜるな。
それが目立ったのか、ワラワラと農民たちが群がってきた。
「うおおおー!」
「ワシらも負けてられねーべ!」
やがて触発されたみんなが、力いっぱいドッカンドッカンと畑を耕し始めた。
この辺にしておくか。
みんなの腕力がますますヤバイことになりそうだ。
「ところでおじいさん、やっぱり畑は耕さないと良くないんですか?」
「まあ、そうですのう。耕すのは基本ですのお」
「んまあ……」
農民としてプレイを始めた場合、初期装備として『木のクワ』が与えられるらしい。プレイヤーは適当な未開墾地を耕して、自分の畑に変えるところから始めるのだ。
「別に耕さんでも、種を蒔けば芽は出るんですがのー」
雑草ばかり生えて、あまり収量が増えないのだそうだ。
ちなみに今は殆どみんな、鉄のクワを使っている。
この世界の畑の面積はa(アール)という単位であらわされる。都会で暮らしているとあまり馴染みのない単位だが、早い話が10m四方だ。
これが100集まると1ha(ヘクタール)となり、なんともデッカイドー感が出て来るのである。
坪に換算すると3000坪、野球場よりちょい広く、サッカーグラウンドよりちょい狭いといったところか。
まったく耕さないで種だけ蒔くと、その1ヘクタールあたりの収穫量は未脱穀ライ麦で100kgとなる。
これをさらに粉にすると半分の50kgになり、ライ麦粉のキロ単価が100アルスなので、5000アルス分の収穫となるのだ。
野球場ほどの面積の畑があっても、単に種を蒔くだけでは月5000アルスの収入にしかならない。これではあまりにも侘びしい。
そこでクワを入れるとどうなるのか。どのような作物でも、単純に収量が倍になり、肥料のいらないライ麦の場合は4倍にもなるのだという。
しっかりクワを入れて耕すことで、月5000アルスの収入が、2万アルスに増えるのだ。
「グママーは本当にええですぞー?」
「でしょうねー」
収穫を終えたあとの畑も、やはり再度耕して種を巻く必要がある。
なので耕す速度が早まることは、絶大な生産力向上をもたらすのだ。
ハレミちゃんがいないと動かないのが玉に瑕だが、グママーは100人の大人が1日かけてやる面積を、はものの10分で耕してしまう。
(怪我の巧妙、怪我の巧妙……)
食費以上のものを産み出すようになる日も、そう遠くはないだろう。
* * *
クワを返して、麦畑をさらに進んでいく。
――ウィンドカッター!
――シャキーン!
魔法を使った麦の借り入れが行われている。
経験値の貯まった農民の何人かに、魔法を習得させたのだ。
これで作付けだけでなく収穫までもが効率化された。
麦畑は浮遊大陸の辺縁まで続いている。
辺縁は文字通り崖になっていて、かの名作小説さながらの光景が広がっているのだった。
――ビュオオオォォ。
切り立った崖の先、背後にはライ麦畑が揺れて、遙かなる蒼穹へと風が吹き抜けていく。
「うおお……」
下を向けば、底知れぬ空の蒼と、幾重もの白雲が見下ろせる。
思わず、今はない玉がヒュンとすくみ上がるが、そこで俺は、勇気を出して一歩踏み出してみた。
――ぐわん!
「うおおお!?」
すると、重力の方向がぐわりと90度変化した。
ジェットコースター的な目眩が一瞬生じる。
さっきまで崖の側面だったところが大地となり、逆に、今まで歩いていたライ麦畑が、まるで空の底まで続いていく断崖のようになってしまう。
このように、一歩大地を踏み外すと、重力の方向が変わって浮島に固定されるので、ライ麦畑で遊んでいる子どもが、崖から落ちるという心配はないのであった。
「うーん……ぶるぶる」
それでも『股間がヒュン!』は否めないので、俺はさっさと元の大地に体を戻した。
* * *
最後にオトハエ村の鍛冶場を見学した。
炉は特殊なレンガで出来ていて、見上げる程の高さの立派なものだった。木炭と鉄鉱石を重ねて投入し、赤熱するまで熱した後に、ハンマーで叩いて鍛え上げる。
鉄器時代の初期と同等の技術であろう。
すでにアイアンメイスの製作が始められている。
いずれ、ヘビーフルプレートを自前で用意することも可能になるはずだ。
このあたりは200mくらいの比較的高い山がいくつかある。
その中でも、道が整備された登りやすい山を登っていく。
「ぬおおおおおー!!」
登るというか……駆け上がる。
HPが減るだけで、疲労感がまったくないものだから、ついこのようなはしたない動きになってしまうのだ。
「はあ……」
5分とかからなかった……。
標高200メートルなんて丘のようなものだが、それでもジャスコール王国の全体を見晴らすには十分だった。
俺という、ただ1人のために創造された浮島は、たかだか10km四方の地表面積しかないのだから。
「おおお……」
俺の右手側の奥の方、地表面積の半分を占めるのが王国直轄地で、その中央付近の丘陵地帯にジャスコール城がある。
その手前、全体の4分の1を占めるのが、我がキミーノ公爵領だ。5km四方ほどの面積の中に、3つの村と1つのお屋敷がある。
残りの4分の1は、侯爵領と伯爵領、そして2つの子爵領だ。
「こんなにも狭い世界だったんだな……」
現実のそれと比べれば、まさに箱庭と言って良いサイズだ。
「でも……」
俺はここで、色んな人に出会った。
正確に言えば、AIで動かされているNPCだが、ここはあえて人と言おう。
現実世界で出会う人と、そう変わらない影響を受けているのだから。
思えば色々あった。
いきなり22人+犬に出迎えられて、ハシもロクに持てなかったお嬢様が、あれよあれよという間にゴブリンキングなんてものを倒してしまった。
無茶をするたびにサーシャを泣かせて、ちょっと問題のある使用人や村人を何とかしようとして結局空回りしたり、予期せぬ厄災を招いてしまったり……。
1日2〜3時間という、限られたプレイ時間ではあったけど、本当に色んなことがあったものだ。
「そうか……」
何となく今、俺がこの世界で経験したことを大切なものと思っていた、その理由がわかった。
この世界はまさに『俺の心そのもの』なのだ。
プレイヤーであり領主でもある俺の想いが、人々の思考や行動を通して、公爵領の隅々にまで行き渡っているのだから……。
だから俺が、何かこの世界に対して不誠実なことをするというのは、この世界に生きる人々のみならず、俺自身の人格をも、損ねてしまうことなのだ。
――俺そのものが国だ。
ああ、そうだ。
まさにその通りだな王太子!
お前は何も間違っていなかった。
この小さな浮島世界は、まさにその支配者の写し身だ。
だが――。
それでも、俺とお前は別物だ。
お前にはお前の理想があるように、俺には俺の理想がある。
俺は何よりも、みんなとの心のつながりを大事にしたい。
ただ生産し、納税するだけの機械のようには、俺は民を扱いたくないのだ。
だから俺は、その大切な民、そして使用人達との心のつながりに支障をきたしたままで、この世界を後にはしたくなかった。
「サーシャ……」
そして俺は拳を胸に当て、彼女のことを強く思った。
「俺は……」
どうしたら上手くいくかなんてわからない。
だが、このままゲームを終わらせるようなことだけはけしてすまい。
それだけを胸に誓う。
何としてでも。
この胸にの奥にある『本当の気持ち』を、あの人に伝えるんだ。
「それが俺なりの……」
この世界に対する、向き合い方なのだ――。
その少し後に俺は、木の陰に倒れてビクンビクンしているアサシンを発見する。
どうやら、青臭い独白を全部見られていたようだな……。
恥ずかし!
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