第42話 傷心
「いやちょっと転んだだけだから! 大丈夫だから!」
俺は部屋の外で、物音を聞きつけてやってきたセバスさんと侍女の2人に説明していた。
「いやしかし、すごい音でしたが……」
「本当になんでも」「ないのでございまし?」
「大丈夫です! だいじょーぶでーす!」
何とか言いくるめて、みんなを退散させる。
そして――。
「さ、サーシャ……」
――うっうっう……シクシク、ヒック。
部屋に戻ると、その隅っこの方でサーシャが打ちひしがれていた。
近くでメドゥーナが慰めようとしているが、相当に恥ずかしい思いをしたらしい。
恥ずかしがり第一人者であるメドゥーナにも、どうにもならないようだ。
「ご、ごめん!」
俺はとにかく床に膝ついて謝った。
「俺の不注意で、サーシャにひどい恥ずかしい思いを!」
「い、言わないで下さいまし! 放っといてくださいまし!」
「で、でも……」
ここ俺の部屋なんだよな……。
「ああ! いっそ死にとうございます! 私ったら、何というバカなことを!」
「だから、それは俺が悪いんであって……」
「いいえ! お嬢様に落ち度なんてあるはずありませんわ! だってお嬢様は、お嬢様なのですから……! うっうっう……」
ああ、どうしよう……もう理屈は通じないようだ。
恥と後悔の塊になっていらっしゃる。
こういう時はどうしたら良い……。
教えてください、メドゥーナさん。
そんな思いで、彼女の目をじーっと見る。
「…………(こくり)」
「…………はっ」
そうか、男なら最後まで責任を持てということか。
女性にこれほどの恥をかかせてしまったのだ、やることはやらねば……。
「さ、サーシャ……」
「うっうっ……シクシク、ヒック」
思えばサーシャって、結構よく泣くよな。
「そ、その……責任をとりますわ……」
「えっ……」
何故ここでお嬢様口調になる……このヘタレ男子め!
「責任をとって、サーシャ。貴方を私の妻にいたします……」
「……!?」
「……(!?)」
あれ? 二人とも、この世の終わりのような顔になったぞ……。
「と、ととと、突然何を申されるのですか! オトハ様には吉田さまが!」
「…………(こくこくぶんぶん!)」
「えええええー!?」
何でそこで、吉田がでてくるんだ!?
「そそそそ、それに、王太子殿下とのご婚約だって!」
「…………(こくこくぶうんぶうん!)」
2人の中で、俺は一体どんな目に合わされているんだ!?
メドゥーナさんはもはや、ヘッドバンキングの様相を呈してきたぞ!?
「いいえ……わたくし、男ですことよ?」
「どの口調で申されますか!?」
「…………(クラクラビクビク)」
だんだん自分のセクシャリティがわからなくなってきた!
ひとまず気持ちを落ち着けよう。
「ひっ、はっ、ふー」
「それは、子をお産みになれる時の呼吸では……?」
「…………(ひっ、はっ、ふー)」
もう、何をやってもメチャクチャだ……。
「え、えーと。とにかく俺は……男ですよ?」
「はい……知っております」
「女の人に恥をかかせたら、責任を取らなくてはいけません」
「ごごご、ご立派にございますね……」
「だからサーシャ」
俺は半ば無理矢理に、サーシャの手を掴んで引き寄せた。
「俺と……結婚してください!」
「…………」
い、言ったあああああ!
言ってしまったああああ!
「その、サーシャ?」
「…………」
何だか時間が止まったみたいに、空気が凍りついていた。
サーシャは一切の表情を失ったような、それでいて、何らかの情熱をその奥に秘めているような、限りなく真摯な瞳で、俺の顔を見つめていた。
「その……あの…………ゴクリ」
その沈黙はあまりにも長く。
本当に、心臓が止まるかと思うほどだった。
やがてサーシャは口を開く。
「……いやでございます」
「えっ!」
そして、その言葉によって、今度こそ本当に俺の心臓は凍りつくのだった。
「そんな……責任とってだなんて……そんな理由で妻にされるのは、イヤでございますわ!」
「サーシャ!」
「離してくださいましぃ!」
「ああっ!」
サーシャはすごい力で俺の手を振り払うと、そのまま部屋から駆け出して行った。
「サーシャ……」
俺はズキズキとした胸の痛みを抱えながら、彼女が開け放っていった扉の向こうを、ただ呆然と眺める。
「…………」
メドゥーナもまた、その口を開くことはなかった。
* * *
その後すぐに、俺はログアウトした。
頬に付着した聖女の呪いは、綺麗さっぱり浄化された。
しかしながら、より深刻な別の問題が、俺の胸にわだかまる結果となった。
(くうっ……胸がシュクシュクする……)
なんでこんなに苦しいんだろう。
ただのゲームのはずなのに……。
俺はそんな苦悶を抱えつつ、明け方までモゾモゾともがき、そしてようやく少し眠ることが出来たのだった。
* * *
――オトハルー? お母さんちょっと、お父さんとデートしてくるからねー?
「ん……んあああああい」
――朝ごはん冷蔵庫に入れてあるから、起きたら温めて食べるのよー?
「んふうぅあ……」
そんなやり取りを夢現でして、ようやくベッドから出る気になった頃には、すっかり日は高くなっていた。
「ううーん……」
頭をボリボリとかきながら一階に下りる。
洗面所で鏡を見たら、酷い寝癖になっていた。
水を付けたくらいじゃどうにもならないので、服を脱いでシャワーを浴びてしまう。
なるたけ熱いお湯を、頭からざぶざぶとかぶる。
「ふう……」
そうしてようやく息を吹き返した俺は、誰もいなくなった家で一人、朝ごはんだったハムエッグとコブサラダを食べ、かーちゃん特製のコンソメスープを飲んだ。
「もぐもぐもぐ……」
でもまったく食が進まない。
トースト用のパンも用意してあるのだが、なぜだか眺めているだけでお腹が一杯になった。
(あーあ……)
全部、俺の心の弱さが招いた結果なんだよな……。
(当分は、ログインしたくないな……)
俺は食事を終えたあと、しばらくリビングでぼんやりし、それから何となく外に出かけた。
そして、行く宛もなく近所をぶらぶらとしたのだった。
* * *
(いい天気だなあ……)
近くの公園でポカポカと、俺はお爺ちゃんのようにベンチに腰掛けて、ぼんやりしていた。
――キャッキャ
――走るとあぶないわよー?
小さな子供とお母さんが、わりと近くで遊んでいた。
遠くでは、どこか大学のサークルみたいな人達が、ダンスの練習をしているようだった。
(平和だなぁ……)
こうして天気の良い休日に外に出ていると、まんざらリアルも悪くないと思えてくる。
もっともこっちの世界には病気があったり、事故があったり、時たま頭の変な人が事件をやらかしたりと、困ったことは数多くあるのだが、そういったことと無縁である限りは、ここ日本という国は地上の楽園のようにも思えるのだった。
――グウウー。
(なんだか今になって腹が減ってきたぞ……)
日に当たって、少し元気が出たのだろうか?
さっきまで胸に重い物がつかえて食欲がなかったのに、今は逆に、そのつっかえがゴッソリと溶け落ちて、その空白を埋め合わせようとするかように、強烈な空腹感が押し寄せてきている。
(コンビニでラーメンでも買って帰るか……)
そんなことを思いつつ、ベンチから立ち上がろうとした、その時だった。
――んおっ! 公野!
「ん?」
振り返ると、公園の入口に吉田の姿が見えた。
たまたま通りがかったようだ。
「おーい! 公野ー!」
そいつはいつも通りの屈託ない笑顔で、手をブンブン振りながらこっちに走ってきた。
その後ろから、同じ歳くらいの女子が追いかけてくる。
「どうしたんだよ、こんなところで!?」
「うむ? いや……何となくな」
「ふーん変なのー、公野って休みの日は、ずっと家でゲームしてそうなイメージだけどなー」
ええい、オタク体質で悪かったなっ!
「ちょ、ちょっと吉田くん……?」
「あ、わるいわるい、紹介するわ! こいつ俺の小学校からのダチの公野ってんだ」
「どうも、公野っす……」
「あ、はいっ。私、熊谷っていいます……」
といってペコリと頭を下げてきたのは、サラサラのストレートが眩しい、やや背の低めな女子だった。
くまがやさんか……本当に、吉田の言うとおり可愛い子だなぁ。
「これからデートか?」
「うん、まあな。俺んちに行くんだよ」
「ま、まじか……!」
早くもお家デートとは、進んでんな……。
「その……親とかいねえの?」
「姉貴がいるぜ?」
「そうか……なら安心だ」
「お、おい! 公野、オレのこと何だと思ってんだよ!」
と言って拳を握りしめ、鼻息を荒くする吉田。
そりゃあお前、あんだけ色ボケしているところを見せられたら、つい心配にもなってしまうわい。
「その、熊谷さん?」
「はいっ?」
「その……なんつうか……吉田のこと、よろしくお願いします」
「ええ!? あ、あわわ……こ、こっちこそ不束者でございますが……」
と言って、腰を90度に折ってギクシャクと頭を下げてくる。
なんだろうな、妙に腰が低くてキョドっているこの感じ、いっこ下とかなのかな?
「なあ、公野も暇ならこねえ? 久々にみんなでスマブラしよーぜ!」
「んあ?」
「ふなぁ!?」
おいおい、マジで言ってるのかよ……。
彼女さん顔引きつってんぞ!
電撃くらったコ◯キングみたいな顔になってんぞー!?
「い、いや……オレちょっと寝不足でさ、帰って寝直すわ」
「そっかー、残念だな……じゃあ、またな!」
「ああ、楽しくやれよー」
「おう!」
「ふう……」
すると彼女さん、だいぶホッとしたようだ。
「さーて……」
2人も居なくなったので、公園から退散することにする。
そしてその帰り道にふと思った。
(あ、結局『よかったな』って言えずじまいだ……)
まあでも、言ったようなもんだよな。
オーケー、オーケー!
それから俺は、レジもない人も居ない今時コンビニで豚骨ラーメンを買い、家で腹を満たしてから2時間だけ眠った。
そして突然、思い立ったようにしてとーちゃんとかーちゃんの趣味部屋に行き、そこから適当な少女漫画をずらりと引っこ抜いてきて、自分の部屋で読み耽った。
何故か、少年向けの漫画は、表紙を見る気にもならなかったのだ。
こうして俺の週末は、ひたすらに少女漫画を読むことに費やされたのである。
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