第41話 サーシャ再び
「はあ……」
濃い一日だった。
ログアウトした時間は丁度夜中の0時。
シンデレラの魔法が解ける時間だ。
変な汗をいっぱいかいたので、1階の洗面所に降りて顔を洗う。
とーちゃんもかーちゃんも寝ている。
妹はまだ起きているみたいだけど、下手に刺激しないように静かにやる。
「ふう……」
タオルで顔を拭く。鏡に移っているのはどこからどうみて男くさい俺の顔だ。
その顔に、以前ペマさんとオルマさんに仕上げてもらったスーパーお嬢様な顔がダブる。
あのアバターは、元の俺の面影を結構残して作ってあるから、いとも簡単に重ね合わせられてしまう。
気を抜くと、自分がどっちの世界にいるのかわからなくなるな……。
まさにクラインの壺だ。
(やばいね……)
まるで魂があちらの世界に引き寄せられているようだ。
何度も頬を拭ってみるが、聖女に舐め上げられたあの感触は消えない。
(すごかったもんな……)
あれが仮想現実(VR)だなんて、未だに信じられないくらいだ。
ヨダレの粘っこさとか、舌のザラザラ感まで再現されていた。
計算機工学の発展は、今や仮想空間に無数の人口人格を構築するに至っている。
テレビとかでもたまにやっているけど、あのリアリティーが現実を侵食し始める日も、そう遠くないのかもしれない……。
部屋に戻って明かりを消す。
そしてベッドに潜り込む。
(うーん、うーん……)
疲れているはずなのに、寝付ける気が全然しなかった。
(うーん、やめろぉぉ……)
静寂の中に、変な幻聴が聞こえてきて落ち着かない。
――俺そのものが国なのだぁ……
――私ってやさしいでしょお……
(ぬ、ぬおおおお……)
むう、これはもうトラウマだ! ゲームであって、ゲームじゃない!
俺はムクリと起き上がり、ぶんぶんと首を振った。
(誰かに話しを聞いてもらおうか……)
とーちゃんと話せば少しは楽になるかもしれない。
だが流石に、こんな時間に、そんな話は出来ないよな……。
(じゃあ後は誰だ……吉田か……)
あいつなら起きていそうだけどな。
いや、だめか。きっと彼女とTELしてる。
今は幸せいっぱいな吉田の邪魔はしたくない……。
「うぬぬ……」
結局俺は、再びVRギアをかぶり、AROの世界へと戻っていく。
幸いなことに、明日は休みだった――。
* * *
屋敷の庭に出て夜風にあたる。
『 ぐー ぐー 』
大きなクマさんが寝ている。
ドキドキしながらステ値を確認。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
名前 マスコット・グママー
身分 テイムドモンスター
職業 マスコット
年齢 1
性格 おんこう
【HP 12000】 【MP 0】
【腕力 555】 【魔力 0】
【体幹力555】 【精神力 5】
【脚力 555】
【身長 18m】 【体重 200t】
耐性 全物理攻撃
特殊能力 なし
スキル 寝る 転がる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
身長と体重の単位がおかしい。
あとHPのケタがおかしい。
色々おかしい。
どんだけエサ代かかるんだろうな?
ハレミちゃんは「ここで公爵ちゃまに養ってもらいなちゃい」みたいなことを言って、グママーを置いていったのだろうし。
「増税やむなしか……」
まあ、今ならちょっとくらい上げても大丈夫だろう……。
俺は屋敷にもどる。
夜中だから殆どみんな寝ている。
メドゥーナは起きているだろうけど、喋らないからな……。
「ログインをしても独り……」
俺は俳人のようなことをのたまいつつ、2階の自室に戻った。
するとその廊下で――。
「お嬢様?」
白い寝間着姿のサーシャと出くわしたのだった。
「あ、サーシャか……」
メガネを外して髪を下ろしているから、一瞬誰かと思った。
普段とは違うその姿に見入っていると、サーシャはにわかに視線をそらした。
「こ、このような姿で失礼いたしました。お目覚めとは思わず……」
「い、いや、いいんだ。こっちこそこんな夜中に……」
何となく、気まずい空気が漂う。
だが俺は、今のこの気持ちを話せる相手は、サーシャをおいて他にはいないとも感じていた。
本当に、渡りに船だ。
「眠れないのでございますか?」
「うん……そうなんだ。城でのことを色々と思い出しちゃって」
「そうでございましたか……」
「それで良ければ、少し話をしたいんですが……」
「えっ……」
思い切って言ってみる。
こんな夜更けだからか、なんだか胸が高鳴っていた。
そのまま、サーシャの寝間着姿をじっとみつめる。
昼間のいかにもお仕事できそうなお姉さんから、今はどこか温かみのある姿にチェンジしている。
何ていうか、家族って感じがするな。
見ているだけでホッとする……。
「はっ……」
そのようなことを考えていると、サーシャは突然、その頬を赤くした。
あまりジロジロ見ては失礼だったか。
しかし俺はどういうわけか、サーシャの寝間着姿から目を離せないのだった。
(そうか俺は……)
心が弱ったことで、すっかり赤ちゃんになってしまったのだな。
俺は今とっても……サーシャに……甘えたい。
「で、では、着替えてまいりましょう……」
「え? そのままでも……」
「……!?」
俺がそう言うと、サーシャはビクンとその体をひきつらせた。
なんだろうな?
ちょっと話をするだけなのに、わざわざメイド服に着替えることもないだろう。
本当にきまじめなんだから……。
「ただ少しの間……そばにいて欲しいだけなんだ。せめて、眠れるようになるまでの間だけでも……」
「お、おおお、お嬢様……!」
するとサーシャはさらに息を荒くし、その瞳をぶるぶると揺らした。
「はっ……はっ……ごくん」
そしてまもなく、何かを決意したような表情で、俺をまっすぐ見据えてきた。
ごくりと喉をならし、胸元でキュッと手を握る。
今まで見たことがないほどに、それはどこか、思い詰めた眼差しだった。
「かしこまりました……」
「う、うん、何かごめん……」
「いえ……」
子どもみたいに、甘えてしまってな。
いやはや、中身はいい年こいた高校生だっていうのに……。
「お嬢様のご心労、この身をもって癒やさせて頂きましょう……」
「う、うん?」
なんだか大げさな気もするけど……まあいいか。
そして俺は、サーシャとともに自分の部屋に入っていった。
その間ずっと、彼女は俺の袖を掴んだままだった。
* * *
天蓋付きの、無駄に豪華なベッド。
そのサイズは恐らく、クイーンと呼ばれているものだ。
(ぶっちゃけ、現実世界のベッドより寝心地良いんだよな……)
本当に眠るとログアウトしちゃうのが玉に瑕なわけだが。
「ベットの上でいいよね?」
「!? は、はい! もちろんです……!」
なぜだか緊張しているサーシャとともに、並んでベッドに腰掛ける。
そして、うーん……何から話したら良いものか。
「……そわそわ」
「ん?」
サーシャはそれこそ、袖が触れ合う程の近くまで詰めて座ってきた。
呼吸の音やらシャンプーの香りやら、なんなら相手の体温までもが、生々しく伝わってくる距離だ。
「う、うほんっ……」
「……はらはら」
何となくこそばゆいのを、咳払いをして誤魔化す。
身をもって心労を癒してくれると言ったが、本当に全力で相談にのってくれる気なんだな。
流石はサーシャ、きまじめだ。マジで助かる。
「そ、その、お嬢様」
「は、はいっ」
「わたくしその……こういうのは、あまり馴れていなくて……」
「え、そうなの?」
この間は、そっちから相談にのりますとか言ってきたのに。
「あ、当たり前です! そ、それで……ですので、オトハ様のなさりたいことを何でも……その、遠慮なくおっしゃって頂きたいのです……それでわたくしが、精一杯に、その……お務めいたしますので……」
「う、うん……?」
肩をもんだり、背中をマッサージしたりもしてくれるってことかな?
確かにそういうのも魅力的だな……。
でも……。
(女の人が何でもしますとか……あんまり言っちゃいけないと思うんだが……)
サーシャは俺より年上だけど、意外とその辺は鈍感なのかもしれないな。
見た目はこんなだけど、中身は男の子なんだぞ!
「ほ、本当に何でもしてくれるの?」
「はい……どのようなことでも」
「本当に本当?」
「本当に本当に本当でございます……!」
「……う、うん?」
するとサーシャは、さらにグイッとこちらに体を寄せてきた。
たぶん、本当に何でもしてくれる気だ。
(そういや、忠誠度100だしな……)
主人に命を差し出せと言われれば、本当に差し出してしまう。
それが、忠誠度100の意味なのだと、最近知った。
「そ、そうだな……」
何だか顔が火照ってきた。
聖女に舐められた跡を、無意識のうちに手でこすってしまう。
中々消えそうにないこの感触、サーシャなら消してくれるだろうか……。
「じゃあ……お願いしちゃうよ……?」
「はい、なんなりと……」
「そ、それじゃあ……ごくり」
流石に忠誠度が下がってしまうかもしれないが、物は試しだやってみよう。
「じゃあね、サーシャ……何も聞かずにその……俺のほっぺたのこの部分を……舐めてくれないか?」
「……!?」
――ガタッ!
天井から物音がして、俺とサーシャは反射的に上を見てしまう。
メドゥーナか……やっぱりマズかったか?
「そ、そのような嗜みが……」
「……えっ?」
「い、いいえ……なんでもございません……仰せの通りに」
すると本当に、サーシャが鼻でフーフーと息をしながら、その口を近づけてきた。
「失礼を……」
そして。
――チロッ、チロッ、
「……おょっ!?」
口からちょっとだけ舌を出し、俺のほっぺをチョンチョンと突っついてきたのだ。
「……い、如何でございましょう」
「う、うーん……」
何というか、期待していたのより遥かにソフトだったな。
(ぎんぎんらんらん)
そして天井裏から、強烈な波動を感じる。
無茶なリクエストに答えてくれたことは嬉しかった。
しかしどうにも、すっきりした気持ちになれないのも確かだった。
故に俺は、より具体的な要求をすることにした。
ここまできたら、もうとことんやってもらおう!
「うーんと、もっとこう……こっからここまでを、舌全体をつかって……」
「……!?」
――ガッタァン!
再び2人で音のした方を見る。
アサシンさんが、激しく調子を崩しておられるな……。
「そ、その……そこまで本格的だとは……」
「えっ! その……嫌なら無理しなくても……」
「いいえ、お嬢様。わたくし、最後まで務めきる所存です……いざ!」
「おっ!?」
そして今度こそサーシャは、俺が聖女に舐められた跡を完璧になぞるようにして、べろーりと頬を舐めあげてきたのだった。
「……れろぉ……んふうっ……」
そして、感極まったかのような声を上げてきた。
(はうっ……!)
俺はブルリと身を震わせる。
まさに、心に清水を感じるが如くであり、深い吐息を漏らさずにはいられなかった。
(本当に……)
本当になんでも、頼んでみるもんだな!
俺の頬にこびりついていたバッチイものが、見事にすくい取られて浄化されたかのようだ……。
「さ、サーシャ!」
「……はい!」
俺は思わず、サーシャの肩を掴んでしまう。
「気分……悪かったりしない?」
バッチイものを舐め取らせてしまったからな……。
「いいえ、全然にございます……ハァ……お嬢様のご尊顔をお舐めしてハァハァ……どうして気分の悪くなることがございましょうか……フウ……」
「そ、そうか……」
それは良かった。
知らぬが仏と言うやつだな。俺の頬を舐めさせた真意は黙っておこう。
「ありがとう、何だかすごく、楽になったよサーシャ」
「はい……それは宜しゅうごさいました……ではいよいよですね……ん……」
「……へ?」
するとサーシャは、もうどうにでもなさいませと言った風に、瞳を閉じて、俺に向かって唇をさし出してきたのだった。
(えっ……!?)
いくら鈍感な俺でもこれはわかる。
キスしても良いよってことだ。
でも何でそんなことになっているのかはわからない。
ちょちょちょ、ちょっとまて。それは俺にはまだ……早すぎるぞ!
「えっ……え?」
どどど、どうする。
なんだかよくわらんがどうする!
ぶっちゃけ俺は今、どうするべきなんだ?
キスしちゃっていいのか!? むしろしなきゃマズイのかー!?
「ま、まま……ちょっとたんま」
「えっ?」
「そ、その、流石に……心の準備が……がが!」
「ええっ?」
俺があたふたしていると、不審に思ったサーシャが目を開けた。
そして、いまだ荒い呼吸で。
「お、お嬢様、もしメドゥーナを気にしているのなら、大丈夫でございますわ……。私も彼女も、口は白金のように硬うございます。今宵のことは……この場限りのことにございます……!」
「え、ええ……!? ちょ、ちょっと!?」
「わたくし、当家に仕えてより、いつかこのような時が来るのではと覚悟しておりました……。その相手がお嬢様とは思いもよりませんでしたが……この胸に、もはや微塵の迷いもございません!」
このような時って、どのような時なのかな!?
「だからどうぞ、ご遠慮無く……!」
それになんだ。
このあまりにも壮絶なサーシャの決心ぶりは!?
「え、えーとサーシャごめん! 俺は一体、サーシャに何をさせようとしていたんだっけ!?」
「んへ!?」
そこで、サーシャは何かとんでもないことに気づいたようだ。
緩みきっていた表情筋が凍りつく。
俺もまた、自分がとてつもなくおバカなことを言っていることに気がついた!
「その、お嬢様は私に……『夜伽』をお命じになったのでは!?」
「アイエエエー!?」
俺は反射的に、ベッドの上で土下座した。
ハラキリ・セップク!
そんな思いで、目にも留まらぬ超高速土下座を繰り出したあー!
「すんませんでしたああああー!」
「違ったのですかああああーっ!?」
俺はとんでもない勘違いをしていた!
そして、させていたあああー!
――ズンガラガッシャン、ドーン!
さらには天井裏の人が、板を踏み抜いて落っこちてきたー!
「ぬあっ!?」
「メドゥーナ!?」
彼女は仰向けになったまま、ゆらりと短刀を取り出す。
そして――。
「とんしぬ!」
「うわー!?」
今度は……!
頓死だ!
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