第32話 仰げば……


 俺はサーシャの前にしゃがみ込むと、その肩を掴んだ。


「お、おおお、俺何か悪いこと……」


 黙ってクマ狩りをしていることは、確かに悪いことかもしれないが……。


「い、いえ……その、取り乱してしまいまして……」


 と言って目を拭いつつ、割れたお皿を片付けようとするサーシャ。


「危ないからいいよ、こうすれば……」


 俺は割れた欠片に指をあてて、システムコール・セールと唱える。


【割れた皿  1アルス】


 謎の物流業者にリサイクルしてもらう。

 そして改めてサーシャに言う。


「その、ごめん……! 絶対に俺のせいだよね!?」

「それはその……なんと申しますか……」


 彼女ほどの者が取り乱すなど、よほどのことだ。


「お願いだから、遠慮なく言ってくれ! サーシャ!」

「はい……では、お言葉に甘えて……」


 ひとまずサーシャを立たせ、近くの椅子に座らせる。


「その……急に心細くなりまして……」

「心細く?」


 気丈そうなサーシャでも、そんなことがあるのか。


「お嬢様が……急に遠くに感じられてしまいまして……」

「え……」

「どうしてかと言われると、上手く答えられないのですが……。たぶん、同じような気持ちを、他の使用人たちも感じていると思います……最近のオトハお嬢様はその……どこか」


 サーシャは胸に手を当て、沈痛な面持ち。まるで頭の奥から、何か適切な単語はないかと、言葉を掘り起こしているみたいだ。


「サーシャ、気にしないで思ったことを言ってください!」

「はい、では……失礼ながら……。その……私達を信じて下さってないように感じられるのです……」

「……え」


 そんな風に思われていたなんて……。

 俺自身は、みんなに全幅の信頼をおいているし、だからこそみんなに村人の指揮を任せて、クマ狩りに出かけていた。

 みんなが俺を信頼してくれていることもまた、忠誠度を見るまでもなく一目瞭然だ……。

 なのに、なぜ……。


「そうですね……その……あの日オトハ様が、このダイニングで1人でおられたとき……あの日あたりから、急にオトハ様のお心が遠くなってしまわれたのです」

「あ、あの日から……?」


 吉田から彼女出来ました報告が来た時のことだ。


「何故そのように感じられるのか、私達に何か落ち度があったのではないかと、みなで相談したりもしたのです。しかしながら、オトハ様の行われていることは全部、公爵領と公爵家、双方の発展を揺るぎなく目指すもの……。それ故に私達は、より深刻な悲嘆に暮れることとなったのです……特にメドゥーナは……」

「メドゥーナは?」


 途中で護衛を放り出したりして、様子が変だったけど、それと吉田の報告との間に、一体どんな関係があるっていうんだ。


「オトハ様の狩りの仕方に、心底怯えているようでした。アサシンとしての厳しい訓練を受けた、あのメドゥーナがです……。彼女は殆ど喋りませんので、オトハ様がどのような狩りをしていたのかは、存じませんが……」

「あ、ああ……」


 怯えていたのか……。

 怖くて怖くて見ていられなくて、それで仕事をほっぽり出してしまったのか……。

 それは何だか……とても悪いことをした。


「メドゥーナ、いる?」

「……(スッ)」


 普通に後ろにいた。もうあんまり驚かなくなったな。

 俺は椅子から降りて、彼女の前にひざまずくと、深々と頭を下げていった。


「ごめん! メドゥーナ!」

「……(!?)」

「怖がらせていたなんて、気づかなかった!」

「……(ふるふるふるふる!)」


 メドゥーナは、俺の肩を持ち上げるようにして、むりくり頭を上げさせてきた。


「……(ふるふるうるうる)」


 そして、いつもの黒頭巾の奥で、その瞳を潤ませていたのだった。


「その、お嬢様……一体どんな狩りを……」

「そ、それは……」


 観念した俺は、チート熊狩りの内容をサーシャに教えた。

 数十頭のブラウンベアーを一箇所に集め、ドゥーム・ストライクとともに発動する10秒の無敵時間を利用して、瞬間殲滅する。


 ワンミスゲームオーバーなその内容を理解するや否や、サーシャはみるみる青ざめて、軽く意識を失いかけたほどだった。



 * * *



「お嬢様、正座です」

「はい……」


 俺は言われた通りに座った。

 椅子の上に正座で。


「恐ろしいにも程がございます!」

「すみません……」


 サーシャは怒っているようで泣いているようで、それでもやっぱり激怒していた。


「1頭でも討ち漏らしがあったら、その時点で終わりではないですか!」

「はい……まったくです」

「それでメドゥーナに、一体どんな護衛をせよとおっしゃるのです!」

「面目次第もござらん……」


 一応、集めるクマの数は、結構な安全マージンとっていたし、最悪逃げれば良いやと思っていたのだけど、まあここで言っても始まらないな……。

 仮に、サーシャやメドゥーナが同じようなリスキーな狩りをしていたら、俺だって激おこぷんぷんお尻ぺんぺんデストロイヤーになるであろう。


「そこまでして……そこまでして……!」


 と言ってサーシャはテーブルに突っ伏すと、しばし声を押し殺して泣いた。

 俺はそう……背負い過ぎたのだな。


「ごめん……」


 言われてなるほど、信頼してもらえてないと思われても仕方ない。

 こうまでならなきゃ解らないとは……俺は古典的鈍感主人公かよ。

 みんな俺が1人で、すごく危険なことをしているようだと気づいていたんだ。

 メドゥーナだってきっとみんなに言いたかったのだろうけど、護衛には主人の秘密を守るという責務もある……。


「もう二度と、そのような狩りはしないとお誓い下さいまし! でなければ私、今すぐにでも出奔いたしますわ!」

「う、うがぐぐ……?」


 と言って俺の襟首を締めてくるサーシャの形相に、嘘はなかった。


「わ、わかりました。もう二度としません! 主神アルサーに誓います!」

「はい……もう……本当に……うっう」

「……(こくこく)」


 ああ、女を泣かすってキッツイなぁ……。

 ちなみにこのゲーム、世界創造のエピソードもあるから、気になる人は公式サイトを覗いてみると良いぞ!


「はあ……ところでございますが」


 ハンカチでメガネを拭いてかけ直したサーシャは、そう切り出してきた。


「あの日、お嬢様が変わられたのは、本当に何があってのことなのでしょう? 確かリアルがなんとやらと申されていましたが……」

「……しんしん」


 やっぱりそこ、気になるのね。

 メドゥーナは、興味津々って声に出ているのに気づいていない。

 初めて聞いたが、可愛い声だ……。


「いいやそれは……大したことじゃないんだけど……」

「そんな訳はございませんでしょう……」

「……(こくこく)」


 もう態度でバレバレか。

 ここはみんなを信頼しているって意志を表明するためにも、しっかり話しておくべきだな。

 そう……俺がこのゲームを始めた経緯ってやつを。



――かくかく、しかじか……



「つ、つまり……!」


 サーシャは目を丸くして言った。


「お嬢様は、幼少よりの想い人の恋路を叶えるために、あんなにもひたむきに領地運営をされていたのですね……!?」

「う、うん……?」


 何となく妙なニュアンスで伝わっているが、概ねそのようなところだ。


「そのようなこととは露も存じませんで……」

「いやまあ、言わなきゃわからないよね……」


 サーシャの目が徐々に、ブラックホール如き闇に染まっていく。


「……(ギンギンらんらん)」


 メドゥーナもなぜか目を血走らせてこっちを見ている。

 なんだなんだ、二人とも何を考えている……。


「え、えーと、驚くかもだけど、俺の中身は男でして……」

「そんなの知ってます!」

「……(こくこくぶんぶん!)」

「初めて会った時からわかってます!」

「そ、そうだったんだ……」


 ネカマ、バレバレや。

 というか、サーシャさんのキャラが壊れていないか……!?


「な、なんて高貴な……いえゲフンッ、深刻な悩みをお抱えでしたのでしょう……ヌフッ。自らの報われない想いを押し殺して、純粋にその……ウホッ。吉田さまの幸せのために尽くされていたなんて……」

「……(ホモモモォ!)」


 え、いや……吉田はただの腐れ縁の友人……。

 一体何が、こんなにも2人のテンションを上げているのか。

 わかるようなわからないような……それでいてやっぱりわかってしまうような。


「そ、その吉田さまを誑かした女狐は、まことけしかりませんが、お優しいオトハお嬢様のことでございます。きっと、心よりの祝辞を送られたのでしょうね」

「……(ハスハスフッフ!)」

「いやそれが……出来てなくて……」

「!?」「……(!?)」


 何だ何だ?

 すっごい期待の視線を感じるのだが。


「いや、なんつうか……こう、妙なんです。本当はすぐにでも祝ってやるべきだとは頭でわかっているだけど、どうにもこう胃がムカムカして……」

「胸がシュクシュクして!?」

「……(シュクシュクー!?)」

「う、うん?」


 ムカムカとシュクシュクの違いって微妙だな。

 胃と胸も近いっちゃ近い。

 そうか俺は、知らない女に吉田を取られて胸がシュクシュクしていたのか。


「う、うん……胸がシュクシュクするんです……」

「まーっ!?」

「…………(ゆらぁ)」


 するとにわかに、メドゥーナが懐から短刀を取り出した。


「ん?」


 そして自らに刃を向けると、高らかにこう叫んだのである。


「とうとしぬ!」

「うわー!?」


 俺は突如として自刃を開始したメドゥーナを、必死になって取り押さえた。

 仰ぐな尊し!

 仰ぐな危険!

 そして死ぬな! そんな変な理由で!


「尊い……尊いですう……」

「とうとしぬぅー!」

「ぬわー!?」


 うっとりとのけぞって鼻から血をたらすサーシャ。

 なおも刃物を握ったまま、恍惚郷から戻らないメドゥーナ。


 こ、コレは……腐!

 いい加減にしろぉー!


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