第1話 彼の相棒へ
「ねえ、由比。アベル大尉のこと、聞いた?」
「いや、まだ。処分が決まったとか?」
朝7時半からのブリーフィングまで少し時間があったので、私と友香は格納庫の2階で短いティータイムを楽しんでいた。
アベル大尉とは、我々の前隊長のことだ。彼は脱走を企てた結果、現在独房に収容され、軍法会議にかけられている。空軍士官学校で「脱走は重罪」と教わったはずなのに、なぜそんな愚かな真似をしたのか。友香によると、除隊処分と空軍刑務所行きが確定したらしい。
「空でも逃げて、陸でも逃げるからだろう」
「あはは! 本当だよね!」
私がため息まじりに呟くと、友香が笑いながら相槌を打つ。これはいつものやりとりで、特に新鮮さはない。
「あ、それと、もう一つ」
「もう一つ?」
「ライアー・フィリベルト中尉が今日着任するそうだ」
「ああ」
ライアー・フィリベルト中尉は、アベル大尉の後任として私の新しい隊長になる人物だ。なんでも『黒鷲』の異名を持つ凄腕パイロットで、撃墜数はすでにスーパーエースの領域に達していると聞く。
「さて、そろそろ時間だよ」
「わかってる」
そう答えたものの、実は今日初めて時計を見た。朝起きてから一度も確認していなかったのだ。私は椅子から立ち上がり、ティーカップをトレーに乗せて部屋に置き、ブリーフィングルームへと向かった。
今日のブリーフィングでは、連合国の情勢、基地の運用スケジュール、そして我々の基地の現状が報告された。私が配属されてから状況は多少改善したものの、数週間に一度は殉職者が出る厳しい状態が続いている。このままでは、いずれ撤退を余儀なくされるだろう。一昨日、新しい作戦が決定されたらしいが、まだ詳細は発表されていない。おそらく司令と私を含めた数人しか知らないはずだ。
「以上だ。解散」
号令とともに隊員たちが次々と退室していく。私は人混みに紛れるのが苦手で、いつも最後まで残ってから出ることにしている。やがて部屋に一人になった時、誰かが再び入ってくる気配を感じた。
「……誰?」
「ライアー・フィリベルト。階級は中尉。今日から第49飛行隊第42外国人要撃飛行班に配属だ」
「あ」
思い出した。先日すれ違った人物だ。私は敬礼したが、彼は首を振った。
「堅苦しいのはなしにしようぜ」
「……ああ、そうだな」
私は敬礼をやめ、自然な姿勢に戻した。
「私は第42飛行班の霧乃宮由比。一人を除いて、みんなからブルイヤールと呼ばれてる」
ちなみに『ブルイヤール』は、アスラーフ共和国の言葉で“霧”を意味するらしい。私の名字「霧乃宮」から取ったのだろう。それが私のTACネームになっているようだ。
「作戦中はレイ、それ以外はライアーでいい。よろしくな」
「うん、よろしく」
その後、私たちは空へ飛び立った。新たな第42飛行班として、哨戒を兼ねた訓練飛行を行うためだ。現在の高度は1万2000フィート、約3500メートル。この辺りでは時折薄い雲に突入し、視界が遮られることがある。
『こちらAWACS。42番隊、まもなくウェイポイント3を通過』
『了解。ウェイポイント3通過後、方位240へ旋回。2番機、ついてこられるか?』
『大丈夫(ノープロブレム)』
私は簡潔に返答した。AWACSとは早期警戒管制機のことで、いわば“空飛ぶ管制塔”。これなしでは作戦の遂行は難しい。ウェイポイントは、簡単に言えば飛行中のチェックポイントだ。
私はライアーに続き旋回し、彼の右後方に位置を取る。今日は気流の乱れもなく、飛びやすい空だ。雲の切れ間を縫うように飛び、時折横に一回転して再び元の位置に戻る。空はやはり広い。あの人が空に憧れた理由が、今なら少しわかる気がする。そんなことを考えていると、AWACSから無線が入った。
『42番隊、聞こえるか? WP4通過後、方位240を維持しろ。多数の敵性反応を確認』
『早速お出ましか』
「敵性反応」という言葉に、私は即座に反応した。ライアーの横に並び、戦闘に備える。
『基地に増援を要請した。ただし到着まで20分ほどかかる。持ちこたえろ』
『
戦闘の激化
私たちは高度を上げ、敵が飛行する5000メートルに到達した。レーダーによると、接敵まで約28マイル(約45キロメートル)。敵が近づいてくる。
『1番機へ。敵の数は10。爆撃機2機、護衛8機だ』
『了解。この数なら、増援を待ちつつじっくり相手をしよう』
『了解(ラジャー)』
普通なら緊張する状況だが、レイからはそんな様子は感じられない。彼には私にない何かがある。私はそう確信した。
距離が20マイル、15マイル、10マイルと縮まる中、敵がミサイルの射程圏内に入った。私とレイはほぼ同時にミサイルを発射した。
『FOX2、FOX2!』
白い尾を引くミサイルが敵の爆撃機に向かう。微かに聞こえる敵の無線からは、動揺が伝わってきた。
『敵はたった2機だ! 早く落とせ!』
『護衛は何をしてるんだ!』
私は敵の声を無視し、戦闘に集中することにした。敵爆撃機の背後に回り込んだ瞬間、まるで待ち構えていたかのようにミサイルアラートが鳴り響く。
『後ろは任せろ。すぐ静かにしてやる』
レイが後方を処理してくれるおかげで、私は目の前の戦闘に専念できる。一度の回避機動でミサイルアラートが消え、ひとまず安心だ。
敵戦闘機との距離は約300メートル。操縦桿のトリガーを引くと、20mm機関砲が火を噴き、弾丸が敵の翼の付け根からエンジンにかけて命中した。黒煙と炎が噴き出し、敵機が墜落していく。
『ブルイヤール、1キル』
『こっちは2キルだ』
私が1機を仕留める間に、レイは2機を撃墜していた。噂通りの腕前だ。これで爆撃機は残り1機、戦闘機は6機。しかし、この時、私は違和感を覚えた。陽動にしては数が少なく、不気味な感覚が拭えない。
『レイ、敵の様子がおかしい』
『ああ、わかってる。AWACS、他に機影は?』
『待て、予感が的中したようだ。先の集団は撤退を始めたが、増援を確認。数は4機、速度660ノット』
時速約1220キロメートルで4機編隊を維持する敵。かなりの実力者だ。しかし、ここで死ぬわけにはいかない。
『深海の餌になるのはごめんだ。生き残ろう』
『了解(ラジャー)』
『敵はたった2機だ。いつもの戦法でさっさと片付けろ』
敵の隊長らしき声が無線から聞こえる。自信満々のようだ。ヘッドオン、つまり正面から機関砲で攻撃を仕掛けてきたが、私は右に旋回して回避した。
『馬鹿! 次が来るぞ!』
レイの叫び声で我に返り、左に機体を捻って上を見た。敵の機首の向きを瞬時に判断し、さらに左に旋回。機首を水平に戻し、操縦桿を引いて宙返り。頂点で視線を地面に移すと、黒煙を噴きながら墜落する敵機が見えた。レイの警告がなければ、やられていたかもしれない。一瞬たりとも気が抜けない相手だ。
『1キル!』
レイのキルコールと同時に、私は敵の背後に回り込む。スロットルを全開にし、距離を詰めていく。
『小国の雑兵に落とされただと!? 誰が落ちた!』
『スコーピオン3だ! ベイルアウトは確認できたか!?』
『わからん! クソッ! スコーピオン1、後ろだ! 6時方向!』
私が狙うのは敵の1番機らしい。急旋回で翼端に飛行機雲が生じているが、逃がさない。私は体に9Gの重力を感じながらも追従し、相手が動きを緩めた瞬間、トリガーを引いた。
『スコーピオン1!』
20mm砲弾が左翼に命中し、主翼が折れて敵機はきりもみ状態で墜落。しかし、まだ2機が残っている。私は機体を逆さにし、前後左右を確認しながらレーダーを睨んだ。
「目視した!」
左上に敵を見つけ、スロットルを最大推力(アフターバーナー)にして一気に追い詰める。
『スコーピオン2だけでも高度を下げて逃げろ!』
『まだ数が同じだ! 勝機はある!』
『クソッ! 振り切れねえ!』
レイが1機を仕留め、私は最後の1機の背後に付いた。動きが鈍った瞬間を狙い、トリガーを引く。砲弾がコックピット付近に命中し、敵機の動きが止まる。無線からはノイズだけが流れた。
戦闘の終わりと新たな提案
機体の姿勢を立て直した後、私は操縦桿を握る右手を見つめた。出撃するたび、撃墜数は無情にも増えていく。
「……」
『2番機、正直お前が1番機の方が戦いやすいな。どうする?』
「は? 私が1番機?」
思わず素っ頓狂な声が出た。なぜ私が?
『ああ。俺は隊長って柄じゃないみたいだ』
「だからって……」
言いかけて、やめた。
「話は基地に帰ってからにしよう」
今は帰還が先だ。無線でやりとりをしながら、私たちは基地へと飛び続けた。
『ただ、お前とならやれそうだ。よろしく頼む』
『相棒』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます