第2話 「休息」


南方に浮かぶこの島は、雨季を迎えていた。

窓の外ではしとしとと雨が降り続き、室内にこもる湿気が気分を重くする。

「雨って嫌いだな……」

ため息交じりに呟くと、反対側のベッドに腰かけていたライアーが顔を上げた。

「濡れるのが嫌いなのか?」

彼の声は軽い調子だったが、私の返事を待つように少しだけ沈黙が流れた。

私は少し考えてから、ゆっくりと口を開いた。

「いや、あまりいい思い出がないからさ……」

ライアーはそれ以上聞かず、「なら無理に聞かないでおくよ」とだけ言った。

その気遣いが嬉しくて、感謝の気持ちを胸に、私はベッドにどさりと倒れ込んだ。

……やることがない。時間だけが無情に過ぎていく。

「そんなに暇なら、ハンガーでも行ってみるか?」

ライアーの提案に、私はふと思い出した。そういえば、私たちの機体は今メンテナンス中だった。

友香たちの手伝いでもしに行こうか。

「そうだね。ついでに差し入れでも持って行こうか」

私は部屋着からジャージに着替え、売店で扶桑国から輸入されたジュースを数本買い込んだ。

ライアーに半分を持たせると、彼は少し渋い顔をしたが、文句も言わずについてきてくれた。

格納庫に着くと、機体のエンジンが外され、メンテナンスの真っ最中だった。

友香がこちらに気付き、声を掛けてくる。

「あ、由比! ちょうどいいところ。この間の新型燃料ポンプなんだけどさ」

「ああ、どうしたの?」

私の問いに、友香は少し深刻な顔で説明を始めた。

「9G近い負荷がかかると、部品にクラックが入るみたい。最悪、エンジンから火が出るよ」

「……え?」

隣に立つライアーも顔を引きつらせていた。すでに元の部品に戻してあるというが、友香が持ってきた新型を見ると、確かに小さなひびが入っている。

「耐用試験はしたのかよ……?」

私の呟きに、友香は肩をすくめた。

「一応9.5Gまではしてたみたい。でも、由比みたいに最大12Gとかかける人はそういないからね」

「普通、そんなGかけたら失神するだろ」

ライアーが呆れたように言う。

確かに。私は配属されて1ヶ月、失神したことは一度もない。12Gでもまだ余裕がある気がする、と伝えると、整備士を含めた全員が唖然とした表情を浮かべた。

……これって普通じゃないのか?

「まあ、由比は小柄だしね。それもあるかも」

友香が笑いながら言うと、ライアーが補足した。

「女性パイロットは男性よりG耐性が高いって言うしな」



格納庫での作業が終わり、私と友香は基地の浴場へ向かった。

この基地に所属する女性は少なく、15人用に設計された浴場は、たいてい私と友香だけで使っている。他の隊員はシャワーで済ませることが多いのだ。

「相変わらず広いよね、ここ」

友香が呟くと、私は少し不安げに返した。

「そのうち縮小されないか心配だよ……」

服を脱ぎ、タオルを巻いて浴室へ。髪と体を洗い終え、湯船に浸かると、ようやく緊張が解けた。

ここ数日で一番落ち着ける瞬間かもしれない。

「そういえば、1番機を引き受けて大丈夫なの? 今まで列機だったのに」

友香の問いに、私は少し考えて答えた。

「2番機でカバーをするより、感覚的にはライアーと背中合わせで戦う方がしっくりくるんだ」

「なるほどねー」

友香は納得したように頷き、私は両手で戦闘機の動きを真似ながら説明を続けた。

友香は昔から戦闘機が好きで、大雑把な説明でもしっかり理解してくれる。

やがて話は戦術から気持ちの話へと移っていった。

「ねえ、由比はさ、どうして兵士になろうと思ったの?」

突然の質問に、私は言葉に詰まった。

「……」

言えない。言いたくない。

本当はこんな理由で兵士になるべきじゃないってわかってる。でも……でも、そうじゃなきゃ……。

「ごめん、先に出るね……」

私は慌てて湯船から上がり、浴場を後にした。

――そうじゃなきゃ、空を選べなかったんだ。



日が沈み、暗くなった格納庫に私はいた。

メンテナンス途中のイーグルの大きな翼に登り、寝転がる。

誰もいない静かな空間が、私の心を落ち着かせてくれた。

「……」

私は昔から空に憧れていた。

手を伸ばせば届きそうで、でも届かない。

遠く、広く、どこまでも自由に行けそうな空。

少しだけ手を伸ばしてみた。格納庫の天井に向かって。

「由比、こんなところにいたのか」

聞き慣れた声が響き、同時に何かが飛んできた。

反射的にキャッチすると、それは扶桑製のアンパンだった。

私は身体を起こし、声の主――ライアー――を見た。

「ちょっと考え事してたんだ」

封を開けて一口かじりながら、私は翼から飛び降り、近くの段差に腰を下ろした。

「兵士になった理由、話せないのか?」

ライアーの言葉に、私は少し迷った後、先ほどのことを打ち明けた。

「ライアーは、どうして空を飛ぶの?」

私の問いに、彼は迷いなく答えた。

「俺はそれが自分の選んだ道だからだよ。ただそれだけ」

「そうか……ライアーはすごいね」

そう呟いて、私は再び地面に寝転がった。冷たい感触が心地よかった。

「俺の理由を聞いたんだ。お前も話せよ」

ライアーの言葉に、私は決心した。

「……うん。話すよ」

深呼吸して、私は口を開いた。

「両親の仇討ち……かな」

あの日、祖母から話を聞いた。最初は信じられなかった。でもその日から両親と音信不通になり、記事にも名前が載っていなかった。

何もかもがわからなくなって……。

「あまり思い出せないんだ。気づいたら中学卒業間近で、戦争が始まってて」

「なるほどな……って、中学?」

ライアーが突然慌て始めた。

「お前、今何歳だよ?」

「17。もうすぐ18になるよ」

「どうりで若く見えるわけだ……本当に若いんだな……」

ライアーが呆れたように呟く。

でも、話してなんだかスッキリした。瞼が重くなり、時計を見るとまだ8時前。

「ちょっと早いけど、部屋に戻るね。聞いてくれてありがとう」

私は軽く立ち上がり、格納庫を後にした。

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