第二十五話 『ユングリングの王女』

『祈織をフェネクスとの戦いに巻き込まない』


 俺は悠との約束を破った。


 今、巨鳥を連れて、祈織は空へと飛んでいく。

 たった一人で、死地へと飛び込んでいく。


 きっと、事の顛末を聞いたら、幼馴染の男は俺を恨むのだろう。

 目に浮かぶ。


『君は、目的の為になら祈織が傷ついたって構わなかったというのかい』


 そんなわけがなかった。


 俺も、祈織を巻き込むことは本意では反対なんだ。

 どうしても、想像してしまうから。


 水宮祈織が敗北する未来。


 昔からの付き合いだから、祈織が万全の策を立てて現れたことくらい、分かる。

 奇縁の単存在の力で、今の彼女が絶好調であることも知っていた。


 でも、俺は目の前で祈織が悪魔の炎に苦しめられるのを見た。

 もう一度だって、彼女をあんな脅威に相対なんてさせたくなかった。


 そもそも、負けないのだとしても、大切な女の子に怪我なんてしてほしくない。


 だから。

 さっさと帰ってくれ。


 彼女がこの場に乱入したとき、そう言うべきだったと思う。悠もそれを期待していたんだろう。


 けれど、祈織はとっくに渦中へ巻き込まれていた。

 俺も祈織もフェネクスには一度殺されかけている。その裏には、彼女の教授も関わっている悪意が存在するらしい。


 だったら、祈織を止めるなんて無理だ。

 あいつだって理解しているだろうに。


 祈織は手の付けようがない、我儘少女なのだから。


 前に悠自身が言っていたことだ。


『祈織は、僕なんかよりずっと賢いくせに、厭と思ったら意見もリスク度外視して自分で完璧に解決したがるんだから、いつか後戻りできなくなった時が本当に怖い』


 そう。

 どんなに俺達が不安を抱えたところで、祈織は気にも留めてなんかくれやしない。


 ひとの気持ちは受け止めるだけ。


 いくら説得したところで、その心遣いを感謝してくれるだけなのが関の山だって確信できる。


 昔からそうだったんだ。

 平気で一回りも年が上の不良達の犯罪行為を止めに入る。

 水宮傘下の子会社が犯していた不正を、名を傷付けてでも改革する。

 中学の時なんて、反社会的組織と絡んでいた危険な特殊能力者集団を二週間で壊滅させたこともあった。あの時は三人とも死にかけた。


 いつだって祈織は超人でなくても、ヒーローであろうとする。

 お金持ちの令嬢なのだから、悪事は誰かに頼んで解決させて、安全地帯から見ているだけで良いはずなのに、彼女は自分が手を下さないなんて認めない。

 自らを甘やかすことを拒否するんだ。

 今回だって悠に捜索を頼んだのは、彼に悪魔を討伐してもらうためではなく自分で復讐するためで、別行動は悪魔を斃すための策を用意するためだった。


 世界で一番のお嬢様。

 水宮祈織とは、そういう少女なのであった。


 まあ、そういうところに俺達は惹きつけられたんだろう、と思うのは内緒。


 だからもう、今の祈織を俺には止められない。嫌われることを覚悟すれば適ったかもしれないが。


 ————いや、祈織はそれくらいで人を嫌うことはない、な。


 それに俺は、心配するのと同じくらい————否、それ以上に祈織という少女を信じていた。

 彼女は一度決めたことは実現する少女。

 誰よりも正しい我儘で、世界を変えてしまう、スーパーヒロインなんだって。


「フェアリィ・ドロップ」


 遠い空にいる祈織の呟きを、研ぎ澄まされた五感は捉えていた。

 同時に、彼女の姿が落ちるように、空間に沈んだ。

 一瞬にして、祈織は姿を消していたのだ。


 逃げた? そんなわけがない。


 次の瞬間、悪魔の周囲に、祈織の纏っていた装甲を象った光が三つ、形成される。

 不明瞭な翡翠色の光達は、確かな鎧の形を急速に得ると、すぐさまアンカアへと飛翔。


 だが、悪魔は光の装甲へ巨大な炎球を放ち迎え撃つ。


 恒星の炎と電光が触れて、融けて、激しい光量を伴って炸裂し————。


 ————長約の空に、翡翠の極光が降り注いだ。


「ああ……」


 ほら、もう。


 輝いてる。


 世界にオーロラを掛ける少女。

 自分だけの理論、自分だけの法則で、世界を彩る少女。


 青空さえこの光の中では夜闇と同じ。

 街をオーロラが照らし出す。


 爆心地の中に、一際ひときわ亜光速はやい稲妻が迸った。


 稲妻は、少女の形を纏っていた。

 身体を覆う色が、蛍雪みたいに滑らかな光。


 一部を分離パージした装甲から、金色こんじきの髪が靡いていた。


「二度も同じ手を喰らうわけがないだろう!」


 閃光の隙に飛び込んできた少女の斬撃を、悪魔は焔槍で受け止める。

 剣と槍とが、鍔迫り合うその瞬間、叫ぶ。


「今よ!」


 虚空から、彩色の光槍が現れて。

 世界を無限の色に染め上げて————。


 ああ。ほら、やっぱり。


 輝いてる。


 ————蒼天を暴力的に、貫いた。


 ***



 側方から発射した彩色の光は、アンカアの実体を貫いていた。


 流石に悪魔というべきか。

 彼はあたしの突撃もフェイクである事を見抜いていたようで放たれた白亜の光を、その右腕に持つ焔槍で迎え撃ち、


「再生ごと……持って行ったな!」


 右肩からその先を、永劫において失っていた。

 恨みがましくも、どこか昂る声音で唸る悪魔。

 対して、あたしは装甲をパージしたことで露出した顔ではにかんだ。

 パージしていたのは、高速移動の為である。


「ありがとね。あんたがあたしに喰らわした焔、きちんと受け取ってやったから」


 ああ、多分凄く悪い顔してるわね、あたし。


 本来であれば、あたしの持つ理論や法則じゃ、この悪魔の本質は毀せない。

 富詩焔の悪魔フェネクスには、不死鳥フェニックスないしベンヌの死から甦るという性質、権能が存在基底レベルで紐づけられている。

 故に、通常の物理攻撃では傷付けることすらできず、例え攻撃を当てることが出来ても再生、蘇生されてしまう。


 だが二日前、悪魔はあたしを灼いていた。自身の分身とも呼べる再生の焔で。


 現像の種から生まれた世界に存在する森羅万象は、その事象の過去から未来までの材質や構造、定義、経験、関連、解釈といったあらゆる情報、智識を保有している。


 あの時は痛みと恐怖で考えてもいなかったけれど、あたしの肉体には悪魔の焔に焼かれたという記録、そして焔の情報が記されていた。


 おかげで、焔は悪魔を滅ぼす情報源になった。


 万物は存在が完成する前に、必ず結果までの成り立ち、過程を経る。

 過程が無ければ、原因と結果は結ばれない。宇宙でさえその開闢から一歩も進めない。物語は、未完で始まりもしない。

 想造の種は、その過程という概念を生み出した種であった。

 故に、その因果のどちらかと理論さえ分かってしまえば、素材も過程もカットして結果に辿り着く。

 無から有、有から有を作り出す。

 それが想造の種の持ち主に与えられた権限だ。


 そしてあたしは、種の権能で既にプレアの完成と同時に製造していた。


 悪魔の現実体の構造、素材の智識を崩壊させる、物語そのものからのデリートキー。

 その、鋳型を。


「四回で俺を殺す! 手前はそう言った……であれば、次を躱せば未来は狂うだろう⁉」


 悪魔はあたしが何を想造したのか、それを理解したのだろう。


 焔翼がその背に吹き上がった。そのサイズは、巨鳥形態時の其れと相違ない。

 そして一度、巨大な翼を畳むと、大きく羽搏き、一気に飛翔した! 


「ここが賭け、だな!」


 火山弾の如き火の粉が、鱗粉のように空を舞う。


 熱圏のさらにその向こう、高度一万キロメートルまで僅か0.034秒で跳躍したところで、慣性を無視した直角度で転換。

 失った右腕とは反対、左手に焔槍を形作ると


生命起源・原始隕樹パンスペルミア・イシェド————‼」


 既に物質限界光速と同等だった飛翔より更に速い、超光速の急降下。

 瞬間、再び悪魔は日常を超えていた。


 白亜の光を認識した今、生半可な投鏑では躱される。

 例え直撃させても、先程と同様の光では、出力が足りない。左手を落とす程度の破壊力では、次の瞬間にあたしはタキオン級の速度に轢殺されるだろう。

 プレアには、光速を超える機能がまだ、備わっていないのだから。


 故に、次の一撃を致命的弱点へ必中にさせる。そのための、エルピスの未来予知だった。


「突っ込んでくるのなら、その前に叩き落としてあげる!」


 白亜の光を生成し、その手で掴む。


 途端に、背中の妖精跳翼アールヴダンサーが真紅に明滅した。


「く……ぅ……っ!」


 紅い点滅は危険信号。

 安全装置が作動して、再び全身が自動的に装甲に覆われた。


 モノクロの槍から激しく漆黒の雷が溢れる。迸る稲妻の通り道には、暴力的な亀裂だけが刻みつけられていた。


「こ、れ……きっつ、い……!」


 情報を崩壊させるという性質が、情報に溢れた世界という現象と相反している。

 一秒でも保つのは、例え死なないのだとしても、耐え難い痛みが伴っている。


 槍の鋳型は不完全。

 白亜の光、漆黒の稲妻を握り直す。


「……拡張!」


 無秩序に光を放つ光槍を拡張し、定型へと鎮める。


 次第に二色の超常現象が、物体としてのカタチを手に入れていく。


 螺旋、を描いて。

 無彩の色が、抜け落ちて。


 神槍を————鋳出いだす。


「【■■■■槍・鋳型グングニル・モルド】」


 製造したのは故郷の一振り。

 半機半神の王に贈られた、アスガルドの星神兵器。


 手にした得物は白と黒の螺旋を描く、灰がかった長い槍だった。

 太い根元から先端にかけて細くなる、いわゆる騎槍ランスと呼ばれる種類の形状にも近い穂は、見た目とは裏腹に酷く軽い。柄を握る装甲の籠手越しでさえ、雪のような冷たさが伝わってくる。

 全体的に、かつて秘められていた温度が抜け落ちたような、そんな印象を覚えさせる一筋。

 何よりも奇妙だったのは、この不安定な一本の棒が妙に手に馴染んでいることだった。


 だが、それを気にしている時間はない。


 一条の赤雷が、空を駆けた。

 熱波が外骨格プレアの白い装甲を朱く照らす。

 隕石にも見紛う、巨大な焔塊との距離は、既に僅か二百メートルを切っていた。


「既に遅かったようだな────ッ!」


 けれど、これも予知の内。


「冗談! この天才・祈織が、視ていないわけがないでしょう!」


 想造から間髪入れずに翼のスラスターを噴かし、悪魔の槍を迎え撃つ。


「はァ————ッ!」


 揺れ動くものグングニル

 世界をひずませ、触れる全てを崩落させ突き進む星界樹の一枝回路


 西方の太陽と、終末の到来予見者。

 論理と法則を超えて、二つの宇宙論が交錯する。


「これで、よんどめェ!」


 そして、白亜の神槍が焔槍へ触れる時。


 不死の神秘を容易く凌辱、焔槍を粉砕し────。


「然りッ…………か!」


 ————穂先は悪魔の胸を貫き、その深奥に在る魂を捉えていた。


 しかし、グングニルの名を冠された一筋の槍は、魂に突き刺さってなお、さらにその輝きを増す。


「訂正、これが、五回だったわね。インストール!」


 命令コマンドの直後、穿たれた胸を中心に、悪魔の不定形な身体から光が零れだした。

 朱い焔の色ではなく、無彩色の黒。

 発生源は、胸に突き刺したままのあたしの神槍だった。


「じ、ガアアアアアアッ————!」


 悪魔が、獣のように絶叫した。


 同時に悪魔の身体から勢いが失われ、焔の揺らぎまでもが急停止する。

 アンカアは藻掻き、初めて悪魔らしからぬ動揺を見せた。


「————ッづゥ! やはり其の槍、世界樹の性質そのものさえ模倣していたな……‼」

「? よく分からないけど、あんたの焔はもう死んだわ」


 槍には、悪魔の不死焔を構成する情報を記録しておいた。

■■槍・鋳型グングニル・モルド』には、記録した情報に宿る智識を解析する機能を付与している。

 そして解析の副次的機能により、智識から成立しうる現象や存在と相反する、いわば生命が侵入者に対して持つ抗体のような物質情報を自動的に生成するという性能が与えられていた。

 悪魔の言動から察するに、似たような武器が彼の知る世界にもあったのだろう。


「フゥ……ァァ……!」


 魂に刻印した反不死焔構成情報は、瞬く間に魂の中心から巨翼の羽根の一辺までに伝播する。

 ウィルス汚染された不死性の焔が、致死焔に犯され、アンカアの身体を崩壊させ始めた。


 空中で不自然に停止する悪魔に、あたしは努めて笑わず、ただ冷淡に告げる。


「あたしの勝ちよ」

「チ……ッ」


 プレアの頭部装甲を収納し、生の視覚で悪魔の姿を捉える。


 ほんの一瞬で、勝負はついていた。

 長い、沈黙が流れる。


「…………」


 停止した焔の暗い空洞ひとみからはもう、上空の冷たい風のみが吹き抜けていた。


「……そのよう、だな……まったく、長かった」


 妙に落ち着いた口調でアンカアは答えた。

 あれほど激しかった悪魔が、敗北を認めたとでも言うように。

 藻掻くことすら止めて、黒光にただ呑まれていく。


「ああ、伝えておこうか……」


 ふと、悪魔はあたしの顔を見下げるとその空洞を視線に合わせ、静かに零した。


「一つ。……今、彼らが戦っている俺の本体、フェネクスだがな」

「何よ、もしかしてあんたと同じやり方じゃ倒せないって言うの? そんなの分かってるわよ」


 見上げながら答えるあたしに、悪魔はそれもそうだが、と前置いて。


「あれは、クリファに戻すべきものだ。巫女を……幽妃を救えば、永劫、言霊の種へ閉じ込められる。あの純真な少女は救われるだろう……!」

「————はぁ?」


 ————突然、こいつは何を言ってんの?


『クリファ』。それはカバラ思想における虚無のシンボル、樹状に連なる邪悪クリフォトの樹の果実のことだ。そして、クリファには対応する悪魔が存在すると考えられている。でも、そこにフェネクスの名は無い。なら、クリファに戻すという発想はどこから来ているものなんだろう————?


 っていうか、そもそもさ。


「な、なんでそんなことを……?」


 訝しむのを、隠せない。


 彼はつい十秒ほど前まであたしに殺意しか向けていなかった。総汰達が救おうとしている少女の事なんて、口にすらしなかった。疑いようもなく、悪意の塊だった。だっていうのに、どうしてそんな奴から純真な彼女を救えなんて言葉が出るっていうの。

 悪魔には在り得ないこと。絶対ではなくても、少なくとも、悪意も無しに救えだなんてことは無いはずなんだ。


 情報量が膨大で、動機が不明瞭。頭が混乱する。


 ————いや、だというのなら、もしかして。


「あんた、もしかしてわざと」


 ————負けた?


 彼が悪魔へと定義される前の、紀元前の原始太陽ならば、あるいは。


「ははは、さぁてな! 我が身は既に両の現世において異教の神と定義されし者。君たちからすれば、そこにそう差はないさ!」


 豪放磊落。

 大きく笑って、アンカアはそれ以上の答えを与えてはくれなかった。


 単に身体の維持が限界に達したのか。

 それとも伝えたくないことでもあったのか。


 その両方なんだろう。


 アンカアの笑声が静まり返って数秒立たず、焔の一切の動作が停止した。


 もう、火花の音は聞こえない。

 プレアの静かな駆動音だけが聴覚を満たす。


 やがて一人の富詩焔がまるごと漆黒の中に、沈んでいった。

 太陽の元、空を浮かぶのはあたしだけ。


「……なんだったのかしらね」


 ぽつりと、率直な感想が冷たい風に流れていく。

 悪魔である彼の言葉なんて、どこまで意味があるのかさえ怪しい。

 でもそれがもし悪魔ではなく、一柱の神様としての言葉なら。


 ————まあ一応、礼を言っておこう。


「ありがと」


 宇宙に浮かぶ太陽が、一瞬輝きを強めた気がした。


 此処に、蘇生の神鳥は悪魔の繋鎖けいさより解き放たれた。


 ────無事、天使どもを御して見せろよ。遥かユングリングの王女よ!

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