第二十六話 『アイシー・アイズ』
祈織達の戦いは決着が着いたらしい。
上空の空気から熱が失われたことを、マリッジ=ユニの力が空気と共感して知覚していた。
勝者は祈織。
俺の心配を他所に、彼女はたった一人で悪魔を斃してみせた。
やはり凄い。祈織という天才は。
なら、次は俺達の番だ。向き直って、意識を戻す。
対峙する悪魔との距離はざっと三十メートル。
フェネクスが何もない空間を横凪ぎに切り裂き、発生させた横一文字の焔。
発生からほぼ同時に俺の元へ到達する超音速の斬撃を、軌道の更に下に滑り込んで回避する。
「前っ、危ない!」
歩の声が響く。
飛び込んだ目の前には縦方向の刃がすでに在った。俺が飛び込む前には、悪魔は剣を振るってはいなかったのに、である。
一射目を上回る速度で斬撃が射出されていた。
俺の選んだルートでは、通常なら反応・予測出来ても躱せない。
だが、悪魔が剣を振るうより先に、俺には思惑が視えていた。
智識の種の権限で。
回避コースを前方に選んだ今、回避不能になった焔を、物理法則を無視した速度と角度で手をバネにして横に飛び、すんでのところで躱す。更に空中で空気を蹴って跳躍の角度を変更し、フェネクスへ疾駆した。
感情の種の形態の一つ、紅炎の激情で。
そして、剣状に構築した形相の腕に紫電を纏い、悪魔の元へ叩きつけ————焔の剣を両断。そのままフェネクスの首にあたる部位を斬り落とす。
器の種の権限と自らの力の組み合わせによる代物。
三人の力を借りた俺は、単独で悪魔と互角に渡り合っていた。
更に、着地した俺が屈んだ隙に、二人の矢と怪腕がそれぞれ分離された頭部と胴体に放たれ、爆裂。
悪魔の肉体から熱が失われ、朱い焔が白い灰へと移り変わる。
戦闘の優勢自体も、俺達の手の中にあった。
だが。
「今度こそ……!」
未だ決着が着いては、居なかった。
形相の腕を悪魔の灰へと伸ばし、文園幽妃の情報を捉える。
「戯け……」
冷たい白が、朱い熱を持つ。
「く、この……程度」
痛覚を刺激する高温、それは関係ない。
「俺は滅ぼせぬと、いイ加減に学べ‼」
少女の魂が、心の声が聞こえなくなる。
同時に、焔の激流が再び立ち昇った。
「は————?」
思わず、驚愕が口から漏れた。
何度となくフェネクスが死から再生することにではない。
「なん————」
再び、勢いを取り戻した焔が突風を形成し、激しくうねりながら目前の俺へと迫りくる。
それも、智っていた。
問題は、既知の急襲に、身体が反応しなかったこと。
突如として、肉体に法則の超越を拒まれた————!
「動かな、くああっ!」
腹部に重い衝撃が走るとともに、視界が真っ赤に染まった。
土手っ腹に直撃した超高熱の突風は、俺の全身を一瞬で焔に包みこみ、軽々と後方へ弾き飛ばす。
「総汰さん‼」
「————っ⁉」
地面に激突する寸前で、紫色の物体が現れ、柔らかい感触に覆われた。
歩の浮遊する怪腕が俺の身体を受け止めてくれていたのだ。
「ありが……ぅ、ぐ」
ゆっくりと着地させてくれた歩に礼を言おうと立ち上がって、がらりと崩れ落ちた。
「ち、ちょっと、まだ一人で立つのは危ないわ」
蹲りかけた身体を智富世が支えてくれる。
「今度は、ボクが何とかして見せます!」
「手前エに相手出来る俺じゃねエ!」
好機と見たらしく、剣を持たぬまま距離を詰めてきたフェネクスの鉤爪。それを歩が紫の巨腕を両腕に纏って押さえ付けた。
「ボクの我儘を、舐めるな!」
彼の力を借りた際に知ったことだが、器の種はモノを封じ込め保管するという性質において、最上級の特権を持っている。
歩の作り出す器の中に包み込まれたものは、彼の許可無くして開封されることは許されない。例え、それが現象である焔であるとしても抜け出すことは叶わない。
「あァア、なかなか面白い力をもッっているな、手前エ」
それを早急に察知したのだろう。
フェネクスは包み込まれた腕を自切し、後方へ飛び退く。
突如力を失った俺の代わりに、歩が気丈として前に立っていた。
だが、俺と戦った時と同様、少年の覚悟は決まっていてもやはり恐怖はあるのだろう。
顔が強張っている。心の線に、少しだけ不安の緑色が見えた。
そして、そういうところにこそ悪魔は付け込んでくる。
長く前に立たせるのは、危険だ。
細腕で俺を支えている智富世に声を掛ける。
「智富世……もう大丈夫」
だが、俺の言葉に彼女は静かにかぶりを振った。
「貴方の状態、私も分かるもの。貴方の力は、乱用すれば自分という存在が他人と合一して無くなってしまう。恐らく貴方が動けないのは生命の本能がそれを拒んでシャットアウトした状態。だから、今は無理しちゃ駄目」
————やっぱりだ。
三重もの借用は、俺にはまだ早かったらしい。
本物のマリッジ=ユニであるフィリアと過ごしていた智富世だからこそ知る、奇縁の単存在の欠点————というより性質。
消費概念の無い単存在に、エネルギー切れという概念は無い。
人間の肉体に、単存在の性質。
両方を持つ神在総汰だからこそ起こる、単存在の本質の否定。
他者との根底的な共感など、個を保存する命題を持つ生命が許容する余地などない。
許容すればその瞬間、個に存在意義は失われてしまうためだ。そうなれば、智富世の言うように自己は崩壊する。肉体も、意識も他者と融け合って別の一になる。
故に、俺の身体は力の行使を拒んだのだ。
それ以上、人に近づくことは無いように。誰かと一つになることの無いように。
「でも、彼だけじゃあいつを倒すのは難しい、はず」
そう。歩だけでは、フェネクスは倒せない。無論、彼の器の種は強力な戦力だ。しかしそれでも、あの不死を攻略することは不可能に近い。いずれじり貧になることは目に見えている。
そうなれば、残るは————。
真横に佇む、少女の顔を覗く。
微かな輝きを帯びた瞳の奥で、何を思案しているのだろう。
心の線とその表情から分かるのは、警戒と、悪魔に対する敵意、そして僅かな葛藤。
葛藤の意味は、きっと俺と同じ。
————もし、智富世が力を使えば……。
彼女に敵うものは誰一人としていなくなる。
力を使った彼女からすれば、たった一人の悪魔など、塵芥とさして差はないのだろう。
智識の種を攻略しようと、智富世という孤高は揺るがない。
静まる単存在という窮極は。
創世と滅亡さえ無関係な絶対に、不死程度など無関心だ。
一度、彼女が戻ればもう、その征服に抵抗など許されない。
およそ力という概念からは程遠い小さな少女に宿る、暴力的な性質。
瞳に映る一切合切の静止。
邂逅のあの日と同じ、凄絶で完全な停滞が再演されるだろう。
この無意味で長い蘇生合戦にも、決着が訪れる。
————でも、俺は。
身体の筋肉に再び力が入ることを確認し、智富世の回している腕からそっと逃れる。
「ありがとう」
「ええ」
智富世はお礼の言葉に一度頷いた後、俺より少し、前へと進んだ。
その手には、白く滑らかな大弓が握られていなかった。
「私も、決めた」
ただの武器の一つも無しに、燃え盛る焔へと向かっていく。
つまりはその気、なのだろう。
「……智富世」
「なに?」
少女は振り返らず、言葉だけで俺に答える。
もう、間違いは犯さないと、そう言うように。
艶やかな紫苑と白の長い髪だけが、ゆらゆらと揺らめいていた。
『決めた』。そう宣言した少女に伝えるべき言葉でないことは分かっている。議論するほどの悠長な時間がないということも。
————それでも。
俺は伝えたかった。
それが悪魔の目論見であったということもある。
けれど、そんなことより————。
「その瞳を、使ってほしくはないんだ」
————あんな顔を、もう二度としてほしくは無かったから。
想起してしまう。邂逅の日の、彼女の心。
郷愁と後悔のあいいろ。
君には似合わない。
あんな風に、誰もを拒絶するような、悲しい顔は。
***
神在総汰。
素朴な人だと思った。
人目を引くであろう印象的な容姿と対照的に、もしくはそれこそが相まってか、動作も雰囲気も掴みどころない印象を抱かせる青年。
けれど、言葉ははっきりしていて妙に人間くさい、ふしぎなひと。
彼は見知らぬ私の為に命を貼ってくれた。
敵対したはずの他人に手を差し伸べた。
ごめんなさい、フィリア。
私、彼の事を貴方によく似ていると思っていたのだけれど、実際は少し違ったみたい。
貴方もあの時の総汰と同じ立場だったら、歩という男の子に手を差し伸べていたのかしら。
多分、差し伸べていたのかもしれないわね。
でも、そうね。貴方と逢ったばかりの時、機械の女の子を殺したでしょう?
仕方が無いと。
それは正しいことだと思う。
優しいことだと思う。
でも、多分彼……総汰なら。
絶対に殺さなかったんだろうなって、確信できるわ。
危なくって、相手の為に簡単に命を散らす人。
誰もを助けようとして、本当に救えるまで折れることの無い怪物。
優しさから彼は、間違った選択ばかり選んでしまう。
だって彼、世界の記録から行動を演算したのだけれど、時間を戻せるという選択肢があったなら、その後の未来の事なんて考えないで過去を変えるのよ?
私は彼のことを何も知らない。
だって、出会ってからずっと彼は誰かの為に行動してる。
自分の事は何も言わないで、今だって見知らぬ誰かを助けてる。
世界が本当に物語だと言うのなら、彼は主人公失格よ。
でも、私。
そんな彼を、智りたいと、思ったの————。
「総汰、安心して?」
総汰に告げる言葉とは裏腹に、瞳の奥は、凍てつくように寒くて、痛かった。
それは、私を蝕む代償が前提の行為だから。
静まる単存在として、世界に証明するほどに、私は手に入れた人間性を失っていく。
元の私へと、他者を隔絶した単体へと戻っていく。
だから本当は、こんな時間稼ぎの為に使いたくない。
なら、これは総汰のためね。
『その瞳を、使ってほしくはないんだ』
言ってくれた総汰も、その事実はフィリアの記憶のおかげで知っている。
けれど言葉に隠された本心はそんな事実に対してではなくて、彼はただ、私に誰かを拒絶するのは似合わないって、ただ、そういう感情を抱いてくれただけ。
そんな単純な気持ちに、そんなことを思ってくれる人に、私は心を動かされちゃったみたい。
二千と十三年間、そう思ってくれる人が他に居なかったわけじゃない。
ああ、でも私の本当の姿を見て、そう思ってくれたのはあなただけかもしれないわね。他の人はみんな、怖がってしまったから。だから、似合わないと思っても、目を奪われていたっぽいことは、心の底にしまってあげる。
大事なのは、私を一人にさせたくないって気持ちだものね。
だからこそ、貴方には私のことを信じて欲しい。
現実問題としては、裏切ることになるけれど。
ちょっとだけでも、私の本質に安心してほしいって、想ったから。
「もう二度と、貴方を拒むことはないから」
もう一度なんて、あんな悲劇は起こさない。
人としての熱を失った瞳で、悪魔を見詰める。
総汰が綺麗だって思ってくれた、紫の髪が色を失いだす。
「あァア、あァア! よウやく、決めたかメデューサ=ユニ‼ ではこちらも最後に本気を見せてやろう!」
焔の怪人が、空に巨大な火の玉を放つ。火球は崩壊したビル群の頂上付近の高度まで到達すると、そのまま直下へ落下。軌道上に佇むフェネクスへと直撃し、炎は爆ぜた。
ぼう、炎を浴びた焔の悪魔から、爆炎が吹き荒れた。
フェネクスの周囲に耐えず発生する爆発は、彼を炎の中に包み込み、一層その激しさを増す。
太陽フレアのように勢いよく噴き出しては周回軌道上をなぞり、そして————。
突如、彼の全身の焔が急激に膨張を始めた!
恒星のように、悪魔から全方向へ絶大な熱と光の塊が放たれる。
素早く、そして絶え間なく、その膨張の前に広がる全てをあっけなく、溶かし喰らっていた。
瞳を焼き焦がす、直視不可能の高熱源が私たちの元へにじり寄ってくる。
じわり、舌なめずりしながら。ぶわり、駆け足気味に。
でも、視界に捕えるのは、辞められない。
この景色を、見逃すわけにはいかない。
何故って。
だってそれはまるで、刹那の間の眩い輝き。
儚く、激しい満開の夢。
この世界に在るっていう花火にも似ていたんだもの。
少し、違うかしら。本物はもっと、ゴクサイシキなのでしょう?
でも。その本物をいつかは見るときがくるのでしょうね。
————その時、貴方は一緒に見に行ってくれる?
全てを否定する単存在に、視えないものなんて最初から存在しなかった。
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