第二十二話 『スロウスベンヌ』

 再び死へと引き戻される/ラストシーンは夢みたい。


 ぶわ、と熱のラインが足先をなぞった/ときめきで走り出してしまいそう。

 足から腰へ、腰から胸に、上へ上へと焔のカタチは這って行く/下から込み上げる気持ちは希望のカタチ。

 白磁の手のひらも、焦げた色にこんがり焼けた/今すぐにでも腕を伸ばして、届くかも。


 遂に首から上に、焔は至る。


 喉が焼けつき悲鳴は潰れた/声にならない言葉、は素敵な……音律。


 鼻を刺すのは焼けた血と肉、嫌な匂い/懐かし、い貴。方の匂、いを……抱いて。いる。


 溢れる涙は眼球がぷくりと割れて血涙になる/目を閉じ、れば、記……憶が埋め。尽くしてくれ、、る。


 全部を灰にしたらもう一度!/何、度だっっ。てこの……感情、を、繰、り、返────。


 もう逃避は終わり/────あ。


 焔の中に、ぱくり。

 あわれに炙られ火だるまに。

 砕かれて、燃やされて、潰されて、溶かされて。

 私で始まり完結する、永遠の食物連鎖。



 ────あつい、あついいたいいたいあつ、いたいあいたい。

 終わりのない激痛に死にたくなった。


 ────いた、あっいあ、あう、うふふ、ふふふふふふふふふふふ!

 熱量に脳細胞が沸騰して頭──。ぶっトんだ。



 痛くて、熱くて、辛くて、苦しくて。

 狂って、耐えられなくて、終わらなくて、酷くて、もうなんて有様!


 悪魔に喰われたひとの末路。


 それが現実────/────でも、いいの。


 ぜんっぜん、苦しくない。

 熱いのは、とっくに慣れちゃった。


 ううん、むしろ……いいのかも。


 苦しいとね、わかるんだから。

 私は、貴方をきちんと想ってるんだって。

 強い痛覚の実感が、私の心の鏡。

 熱くて、熱くて、鼓動がきゅんとする。


 ふふ、もう待ちきれないなあ。


 わたしに熱をくれた人。


 歩くんは、もう気付いてくれたから。



 ***



 暁の静寂が喧騒に搔き消されていく時間。

 背の高いビルの連なる、長約市中心街のビジネス街の上空。


 まだ四月であるというのに、道路は猛暑日みたいにうだるような熱に覆われている。


 そして、行き交う人々はその日、理論では説明できない存在。

 日常より逸脱する異形を目にしていた。


「あぁア……意外に早く来たんだなア、マリッジ=ユニ」


 燃え盛る炎の轟音を伴って羽ばたく、炎の人型。


「……」


 悠から送られた位置情報の場所からそう遠くない地点の中空で、悪魔は到着した俺達を睥睨していた。


 民間人は交通規制により、既に見る影もない。


「悪魔……!」

「あンときのガキか……手前エもきちんと生きているよウで、俺は仕事をこなしたっッて、ことだなア」


 フェネクスはその貌の無い頭部でどう認知しているのか、僅かに視線をずらし彼を睨みつける少年、歩と視線を交錯させる。


「幽妃ちゃんを————」

「ごめん」


 今にも飛び出していきそうな歩を一度手で制して、フェネクスへ問いかける。

 悪魔だろうが、敵と認識した者だろうが、これは訊いておかないと。


「あんたの目的はなんだ、フェネクス!」


 祈織が言うには悪魔と会話など成立しないらしい。曰く、悪魔の求める言葉以外に、彼らは反応しないのだという。だが、予想に反しフェネクスは「さアてな」とくぐもった声で返してきた。


「世界を滅ぼすことかもしれないし、手前エ達をどうにかしよウってことかもしれない。いずれにしろ、手前エに話すことじゃアない」


「……そうか」


 思考を読める智富世なら分かるのだろう。

 だが俺は心の機微は読めても、その仔細を知り得ない。

 人ならざる悪魔が何を目的として俺達や幽妃を傷付けたのか、再び対峙した今も分からない。


 そんなままで戦うのは不本意だ。

 だが、俺にだってあいつが決して交わることの無い邪悪だということくらい分かる。

 それに彼と戦う理由だってある。


 あいつは祈織を苦しめて、それを何とも感じていない。


 俺が覚悟を決めたことに反応して、フェネクスの頭部が、人で言う口にあたる部分が揺らめいて笑顔を形作った。


「単存在なンざと俺のあイだに話すことなどないが、一つ言オウ。なア、お人好し」


 晴天の景色がずん、とひずんだ。

 悪魔の翼の動き一つで気温が急上昇し、陽炎を発生させていた。


「戦え……」


 その歪みの中から焚木のような音が立ち、火花が散る。


 炎の怪人は火花を不定形の右手で掴むと前回の戦闘でも彼が手にしていた灼熱の剣が発生し————。


 視界に映る心の線の全てが、焔へ染まる。


「俺は悪意だ。俺は……敵だ!」


 ————左方から、横薙ぎに刃状の炎を解き放った!


 俺達の立つ道路の四車線分を覆い尽くすほどの、巨大な炎が大気を押し退け迫りくる。

 その速度は俺や歩が迎撃姿勢をとるよりもずっと早く、悪魔の言葉が俺達の元へ届いたころには既に刃先が目前に迫っていて、俺達は成すすべもなく初撃を喰らう。


【解放————知識の虹弓ケシェト往還の海ナウネト!】


 その直前で、一筋の青い光が俺達の後方から放たれた。


「な————」


 氾濫する河川の様に荒れ狂う、澱んだ光。

 ナウネトと呼ばれた概念のエネルギーが螺旋を描いて、不死鳥の焔を迎え撃ったのだ。


 炎の刃と泥海の光は、俺達の目前で衝突し、お互いを喰らい合って直ちに霧散する。


 衝突地点から爆発的に水蒸気が溢れ、辺りを一瞬にして濃霧が包んだ。


 数秒もしないうちに、炎と光によって作られた霧は薄れていく。

 しかし、微かに残された熱だけで、高層建築に囲まれた空間に砂漠地帯の大気が再現されていた。


「あぁア……心を読むっッてンのは、やっッ介だなア」

「貴方、今の一撃で辺り一帯を吹き飛ばす気だったわね!?」


 炎の刃を撃ち落としたのは、智富世だった。

 俺達の気付かないうちに彼女の手には紫の蛇が絡みついた真っ白な弓が携えられている。フェネクスの言葉通り、彼の心から智富世は次の行動を読み取り、先回りして弓を顕現させていたのだろう。


 智富世はフェネクスの行動に警戒しながら、弓の弦に指をかけ、新たな光を灯す。


「だが、これで分かっただろ? 俺は人類の敵。そしてお前達は回避など許されない」


 言いながら、フェネクスは再び剣を構えた。

 だが、構えるといってもそれは僅かな時間の猶予。


「次は惑星ごとかもなア、メデューサ=ユニ!」

「……っ!」


 火が————あの時と違って————見えた!


 今度こそは、一瞬だが俺にも捉えれられていた。

 先程まで空に在ったはずの焔が、殆どワープと同等の速さで智富世の目前に移動していたことを。


「同じ手は喰らわない!」


【証明————解放】


 再び赤い髪の女性を想起し、『感情の種/紅炎の激情』を発動。智富世と悪魔の間に割って入り、振り下ろされる剣を腕の触手————『形相の腕』に感情の炎を纏わせ受け止める。


 大丈夫、これなら炎を受けても痛みはしない。


「智富世。平気、か?」


 悪魔から目を離さないよう、振り返らずに後方の智富世に声を掛ける。


「あ、ええ。ありがとう……」


 声色には、意外にも多少の動揺の色が混じっていた。

 心を読んだところで肉体が追い付かなければ対応できないゆえに、悪魔の攻撃を喰らってしまうと思った、という理由ではないだろう。

 智富世の知識の種にも、身体能力を向上させる権限は備わっている。

 例えば、冷気や腕力という知識のエネルギーを引き出せば、彼女の細い腕でもあの剣を受け止められるはずだ。


 だから、恐らくは。


「このまま君の力を借りてもいい?」


 智富世は、俺がフェネクスの超高速移動に対応するべく、智富世と同様に相手の心を読んで先回りした事。

 彼女から知識の種の力を借りられたという事実に驚いている。


「大丈夫、だけど……私」


 無理はない。

 俺だって、智富世から力を借りられることに気が付いたのはこの場所に来る道中の事。


 俺のとしての証明は、他者のどんな力であろうと借用できる代わりに、そのためには互いの強い繋がりが必要のはずで、きっと過去の時代の影響であるのだろうが、つまるところ出会って間もないというのに俺だけでなく————。


 だが、落ち着いて考えるのは後だ。


【解放!】


 一瞬の硬直の隙を突いて、宣言と共に横から飛び込んできた姿があった。


「はああああああっ!」


 紫電を纏った巨大な拳状の塊が、悪魔の頭上に振り落とされる。

 歩が魔手を自らの腕に纏わせ、叩きつけていたのだ。


「うオっッと、あぶねエな」


 それをフェネクスは俺の形相の腕に阻まれた右腕とは反対の左腕で受け止める。


「幽妃ちゃんを、返して!」


 しかし歩は負けじと攻撃の手を緩めない。

 瞬時に、周囲の空間に無数の魔手が浮上した。

 そして、次々にフェネクスへと射出される。


 その隙を縫って智富世が虹弓から極大の光を放つ。


「────まずい、か!」


 絶え間なく弾丸が降り注ぎ、巨大な光芒が遍く全てを巻き込んで喰らい尽くす。

 まさに、量と質の両方による制圧であった。


 火力に上限のないメレッド同士の戦いは、先に攻撃を届かせた者の一撃で勝敗が決まりやすい。


 決着は、一瞬だった。


 智富世の弓から放たれた光が、俺と歩の攻撃に身動きを縛られたフェネクスを正面から直撃。


 一瞬にして人の倍のサイズは有する、眩い光の中に呑み込まれ、そして。


「呆気ない……?」


 アスファルトの上に飛散した、大量の鼠色の砂粒を見下ろしながら、呟く。


 倒した、のだろうか。


 光の筋が蹂躙した通り道には、灰だけが残されていた。


 手応えを感じない。


 しかし、事実として周囲のどこにも悪魔の気配は感じられず、灼熱の大気も徐々に冷え始めていた。


 確かにあったのは、恐らく元は少女のものだったのだろう灰に、こびりついた悪意だけ。


 まさか、本当に?


 本当に悪魔を撃破出来たというのなら、急ぎ悪魔の要素と融合状態アマルガムになっているであろう、幽妃の魂を抽出しなければ。


 形相の腕に纏った炎を振り払って鎮火し、炎の色から白い色を帯びた腕を灰の中へと伸ばす。


 さら、さら。


 灰の中は、数秒も経たない間に酷く冷たくなっていた。そして冷えた灰の中に朱い火の粉がまだ小さく燻っており————。


 さら、さら……。


「……いや、まだ生きているな!」

『まぁア、三人は流石に、面倒だな』


 灰の中から、声がした。


 倒したはずのフェネクスの残骸から、である。


 まさか。


「フェネクス……フェニックスって、まさか……」


 再び、空気が熱に揺らぎ出す。

 嫌な予感に、歩が声を漏らした。


 さら、さら。


 事実、確かに灰は動きだした。

 予感に駆られて、形相の腕を急いで灰へ突っ込む。


 が。


「う、熱ッ!」


 同時に、灰の中からぼうっと真紅の焔が立ち上った。

 思わず手を引っこめる。


 その隙に焔の塊は煙を伝い、宙へ舞い上がった。

 そして、瞬く間に二つの塊へ分かれると。


「「ならば数には数、に限る」」


 同時に、二つの不死鳥が誕生した。


「生き返って、増えた!?」


 動揺の声は俺のもの。


 厭な予感通り、フェネクスはその名、フェニックスの如く甦った。


 けれど、増えるだなんて聞いていない。


 元来、フェニックスという存在は紀元前のギリシア時代の記述によると不死鳥ではなく、父鳥の遺骸をエジプトのヘリオポリスへ埋葬するため、五百年ごとにアラビア地方から飛来する鳥であるとされる。

 その時代の人々からすれば、フェニックスという概念に後のローマ時代に付与される死と再生のイメージなど持ち合わせていなかっただろう。


 それと同じことが、今目の前で起きている。


「おイ、驚いているか、驚くなよ? 俺は不死鳥の名を持とうが神の概念を取り込もうが、決して呑まれる側じゃアない」


 二つの焔はそれぞれ別の形の不死鳥として復活した。


 一つは先程と同じ個体。

 人間に近い形をした、しかし人ではないと言い切れる異常な人型。


 そしてもう一つ。


「GHAAAAAAAAA————!!」

「う……ッるさ、い!」


 悲鳴にも似た耳をつんざく鳴き声と共に、人型の背後から巨大な朱翼が遥か上空へと飛び立った。


「鳥……?」


 一瞬にして高度二百メートルほどの高さまで到達したというのに、その姿は地上からも良く見えた。

 空に飛び上がったのは単なる翼ではなく、焔を纏う巨大すぎるほどの鳥型形態をとったもう一人のフェネクス。


 瞳に智富世の力を通してみてみれば、その翼開長は三十七メートル。

 人類が相手をするレベルにしては、もはや規格が巨大に過ぎていた。


「そういう、ことか」


 一人、納得する。

 悠が言っていた敵が三人いるとは、つまり悪魔そのものが三体に増えるという意味だったのか。


「手前エのところの剣野郎のせいで一人足りねエが、手前らからすれば、構わんだろウ」


 この場に俺達を呼び出したはずの悠が合流できていないのは、フェネクスの言うもう一人の分身と今も戦っているのだろう。


 そして残りの二人が、目の前にいる。


 数的な有利は依然としてこちらにあるが、それでも先程の戦いの通り、俺達は三人がかりでようやく一人の悪魔の相手を出来た。

 それが二人となれば、恐らく苦戦は必至になる。


「総汰、これまずい状況かも」

「うん」


 智富世の言葉に同意する。


「そうだよ、な。だってあの二体の強さ、据え置きに見える」

「ええ。むしろ、一人一人の性能自体向上しているわ」


 やはり。

 形相の腕が捉えた情報から薄々感じ取ってはいたが、本当に彼らは個体の性能が向上しているらしい。


「私なら一人でも彼と戦える。本気を出せばだけど。だから……」

「だから君一人で、二手に別れる?」


 ええ、と智富世は躊躇いなく頷いた。


「む……」


 一人を智富世が抑えるから、その間に俺と歩でもう一人の相手をしろと、そういうことらしい。


 俺や歩より長く時を生きてきた彼女からすれば、俺たちは確実に、彼女の足手まといになっているのだろう。


 でも、


「それは、よくない」


 やっぱり、俺はそれを良しとは出来なかった。

 当然、智富世は俺の勝手な意見に眉を顰める。


「どうして? 相談してる時間は無いのよ?」


 困惑はもっともだ。

 現像の種の力も単存在の力も、ひとつひとつの力が強大過ぎて、息も合わないうちから一纏まりになったところで、互いに最大限の力の発揮を不可能にさせるだけ。


『ええ。その通り』


 俺の言葉を待っているのも時間の無駄であると判断したらしく、俺の思考を読心し、さらに俺が智富世の力を借りていることにより、読心可能な状態である事を利用して、思考越しに返答してくる。


『それに同時に彼らの相手をするよりは、二人を分断して対処する方が、勝率は上がるはず』


 ────なら俺が一体分の相手をする、よ。


 それが最も早い結論だ。

 元々、二手に別れることに文句は無い。問題は、誰が一人の側になるかという事。

 智富世を一人で戦わせるのが、どうにも納得がいかないから、俺が目の前の怪人か空の巨鳥の相手を一人で受け持つ。そうすればなんら問題はない。


 しかし、言葉より先に心の線から、否定の色が伝わってきた。


『違うわ。貴方は歩さんと二人で幽妃さんの身体を蘇らせるのが役目。私はただ暴き、壊すことしか出来ないから……』


 ────それなら、やはり三人で……。


「おイ」


 だが戦場では一言二言、通じ合う暇でさえ、命となる。


 それまで、いつでも俺達を殺せたとでも言うように、わざとらしい緩慢な態度で悪魔は傍観していた。


「おイおイ。敵の前でテレパシー。悠長なこっッたな」

「っ!?」

「三人まとめても構わないのは、こちらも同じなンだ」


 擬似的精神感応に気が付かれた!?


 どうして、それを考える暇はとうに無い。


 人の形をとったフェネクスの全身に、焔が駆け巡った。

 一部だけが不確かだった形が、全て朧げに。


 だが、明瞭でない形とは対照的に、悪魔の肉体から放たれる熱量は、之までの比では無いほどに、高められている。


 熱く、朱く、明るく。


 つまりはこれ以上は待たないという事のサインを意味していた。


 ゆっくり、ゆっくりと揺らぐ腕が蠢いた。


 滑るように、手を空に向けてかざす。

 その、小さな動作ひとつで。


「手前達など、十把一絡じっぱひとからげだからな!」


 突如、俺たちの周囲に巨影……否、影とは真逆の光が大地を照らした。


「っ……眩、し」


 ディスプレイの輝度を最大まで上げるように、視界にうつるもの全て、返す光が眩い。


 その、大元を仰ぎ、みる。


 いつの間に、空へ飛び立ったはずの鳥型のフェネクスが、目前まで迫っていた。


『アンカア』


 空の星座が、落ちてくる────。


 中規模ビル一つ分を越える規格の、焔を纏った巨大な翼。

 『アンカア』と呼ばれたそれは、宇宙より墜ちる隕石にさえ見紛う破壊力を秘めていた。


「借りるよ。知識の虹弓ケシェト


 俺は記憶から知識の種の権限のひとつ、知識の虹弓を模造して、迎撃体制をとる。


「……いや」


 そして、矢を生成────する前に、かぶりを振って構えを解いた。


 躊躇ったのだ。


 もし制御を間違えれば、俺達どころか街を巻き込んでしまうかもしれない。

 俺は現像の種を持つ彼らの力を借りているだけ。使い手を理解しても、力そのものを理解しているわけではない。


 ……結局、俺は彼女の力を頼ってしまう。


 軽く顔を智富世に向けて、問う。


「あの大きさ、智富世、撃ち抜ける?」

「それは勿論っ」

「ごめん、頼む」


 彼女の同意の気配は、心の線に乗せられていた。


 すぅ。


 軽く息を吸って、智富世が白い弦に指をかける。

 それだけで、次第に周囲から紫色の糸が集まり、彼女の指先に収束し始めた。


 光は優美に流線型を流れ、怪鳥の飛翔速度を超えた速度で矢の形を組み上げる。


 淡い明滅の瞬きは、確かな輝きへ。


「貫いて!」


 直上一直線に、輪の軌跡を伴う光の矢が貫いた。

 空へと飛翔する形を言葉にすれば天使の聖槍。


 信仰の形を滅するが為の、人の原罪を奪うが為の、終末の光。

 

放たれた光は、空気の分子すら揺るがすことなく、砂埃ひとつ立てずに空を穿つ。

ただ対象のみを破滅へ導く力が、空を覆う不死鳥へ肉薄する。


「これは……当たればまずいか!」


 だが先程の炎刃と違い、アンカアという名の焔には意思があった。

 怪鳥の姿をとっていようが、あれはフェネクスの名を冠する悪魔に変わりはない。


 巨体のどこにそんな敏捷力が備わっているのか。

 アンカアは慣性を無視するように落下をぴたりと静止すると、すぐさま横方向に旋回した。


 それに反応し、天使の聖槍も一人でに方向を変え、フェネクスを追尾する。


 だが。


「なっ……だめ、そっちは!」


 森の小鳥が木から木へ飛び移るように、フェネクスはビルからビルの間を一瞬にして移動。聖槍は、すんでのところで当たらない。


「街が……っ!」


 巻き添えとなるのは、盾として扱われるビルたちであった。

 人の文明の中でも頑丈なはずの鉄の塊が、突きぬけた熱風に溶け落ちていく。まるで、チョコレイトを溶かすみたいに簡単に。


 瞬く間に、長約市の心臓部とも言うべき一帯が蹂躙された。

 周囲に広がる背の高いビルは、軒並み焼け落ち、瓦礫を散らしながら倒壊し始める。

 まさに、災害の様相であった。


「ごめんなさい。結局、壊してしまったわ」


 はぁ、とため息をついた智富世が、手首を捻って未だフェネクスを追う光を消滅させる。


 その、智富世が攻撃を辞めた、隙に。


「そっッちばかり、見ていて良イのか?」


 背後がら響く、詩うような声。


「やば……ッ!」

「遅エ」


 振り返った矢先、頭上にはすでに燃え盛る大剣が据えられていた。

 正面の空からも、先ほどまで上空に逃げていたはずの、巨大な不死鳥が迫っている。


 これは、まずい────!


「これで防ぐ!」


 歩の叫びと共に、目前が暗闇に覆われた。

 一瞬、フェネクスの攻撃によるものと勘違いしたが、違う。

 悪魔のものにしては、攻撃性が全く感じられない。むしろ、包んだものを守る為の容器のような空気が漂っている。


「歩、か」

「はい」


 二つ返事で返す少年の顔には、焦りが見えた。


「ボクの器の種は、器と言う通り、中の物を守ることに本質があります。だから、滅多なことでは壊れない」


 言葉の途中で、どん! という重い衝撃が、周囲の空間を揺さぶった。

 知識の種を通してみれば、外では炎剣と歩の障壁が衝突した瞬間を映している。


 歩は浮遊する掌を、攻撃では無く防御の用途として構成し、俺達を守る仮想のシェルターとして展開していた。

 外から見れば、恐らく数人ほどのサイズをしたお椀が被さっているように見えるのだろう。


「でも、あいつの攻撃はちょっと火力があり過ぎるみたいで、もう一撃も喰らえばこの壁は保ちません」


 彼の言葉通り、一撃を防がれた人型のフェネクスが、再び苛立つように横凪に剣を振るう、とそれだけで真っ黒のドームに光が差す────亀裂が走った。


 知識の種から思考に伝う情報によれば、歩の作った障壁は【破壊不能オブジェクト】と記述されているのだが、そんなこともお構い無しに、悪魔の斬撃は暗闇のドームに損傷を与えている。


 滅茶苦茶なやつだ。


 だが事実として、このままでは遠くないうちに、この守りは破壊されるだろう。

 そうなれば、再び歩がこの空間を構築する前に、俺達は焔の中に飲み込まれるのは避けられない。


 しかし。


 ほんの少しだけ、視線を歩に回す。

 すると、彼と繋がる心の線の数が数本、数を増して、明確になる。


 ……。


 ばちッ。


 ────紫電が、心の線を迸った。


 ……。


 ────これなら。


 俺は歩に「ありがとう」と告げていた。


「え、どうして……?」

「一瞬でも、猶予は出来た」


 数秒か、それより早いうちに、焔はこの場所を一掃するのは運命だ。

 遅かれ早かれ、悪魔はここに辿り着く。

 悪魔は俺達に接触する。


 だが少しの間であろうと、俺にはそれで十分だ。


【証明────解放】


 再び、ギアを上げる容量で、俺は彼女達の力を借用する。

 赤髪の女性の感情の種。智富世の知識の種。


 それに加えて俺は、


「なっ……ボクの!?」


 器の種の権限、紫電を待とう『浮遊する怪腕』を身体に纏う。


「これだけ借りれば、今の俺でも問題ない」


 強いえにしがあるほど、奇縁の単存在が他者一人と譲与し合う力の最大値は大きくなる。

 だが今の俺には、赤い髪の女性は勿論、歩とも、智富世とも、強過ぎると言えるほどの関係は無いのだろう。


 だからそれを俺は、借りる力の数で補った。


 それと、同時に。


「これで手前エらも、終いだ」


 俺が三つの力を借り受けると同刻、フェネクスの剣が振るわれていた。


 かしゃん、と一度高く澄んだ音が鳴ったあと。

 亀裂の入った障壁は硝子みたいに剥離して、暗闇のドームが砕け散った。


 その先に開かれるのは、地球には過ぎた熱と光の世界。


「今……ッ!」


 瞬間、俺はアスファルトを蹴り上げ、一直線に疾駆する。

 人型より先に迫り来る、朱翼の怪鳥を無視して、怪人へと跳躍。


 だが当然、その前に立ちはだかるのは視界を覆うほどの巨大な不死鳥で、俺は予測通り、焔に轢かれて────。


「セアアアアッ!」


 ────電光が、一閃。


「Gyaaaaaaahh!!」


 翡翠ジェイドの斬撃が、朱翼を片方を両断した。

 完全な不意をつかれた一撃に、鳥の形をした悪魔が、絶叫する。


「へっ……?」


 歩が困惑に声を漏らしたのは当たり前だ。


 普通なら、ありえないと言う。

 そんなのご都合主義だと。


 そういうのは週末の朝、子供達が見る夢物語の展開だと。


 だが、俺は。


「ふ……」


 戦いの最中、思わず笑みが溢れてしまっていた。

 フェネクスの剣と形相の腕を打ち合わせる、そんな不快な刹那でさえ、喜びを隠せない。


「来るだろうと思ってた」


 だって、こんなタイミングで。


「あんたたち、何を焼き鳥二匹にてこずってんのよ」

「祈織!」


 ────幼馴染の少女の姿が、ご都合を可能にする天才が、俺達の前に佇んていた。


「さあ、最速で終わらせるわよ!」

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