第二十三話 『想造の種:P.R.A.Y.E.R.』
遡って、日時は昨日の夕方十七時頃。
あたしが総汰たちと別れたあと、祈里の特別病棟に訪れていた時のこと。
あたしをベッドの元まで呼び寄せた祈里は、
『許可と、そして頼みがあります。親友として、そして水宮祈里として。……お願いします。使ってください。想造の種を』
祈里。あたしと同じ名の水宮家の令嬢。それが患者の正体だった。
『それじゃ、取り返しがつかなくなるわよ』
『取り返し……とは?』
なんのことを言っているか分からない、なんて口ぶりで、目の前の同姓同名の少女は目を細める。
もちろん、嘘だ。
『もう、分かってるくせに。……偽物のイノリである、あたしが勝手に現像の種なんて使ったら、あんたが将来取り繕うのに苦労するでしょう?』
偽物のイノリ。
それがあたしの正体。
仔細省いて、あたし、水宮祈織は水宮祈里が身体を治して一人で世界へ旅立てるようになるまで、それまでの代替品なのである。
本当の世界で一番のお嬢様は、立つことすらままならない無力な少女のことだ。
『偽物……などと、そんな悲しい事を言わないでください』
今まで何十回と繰り返したやり取りに、彼女は今日も目を伏せる。
あたしの鏡みたいな立ち姿をしているのに、その動作は気品に満ちていて、彼女はどれだけ不自由であろうと水宮家の正当な後継者であると証明しているようにも思えた。
『貴女は私の人生を代わりに作ってくれているのですから、その時の貴女は紛れもなく本物のイノリでしょう?』
違いますか。彼女は目線で訴えかけてくる。
『はいはい、分かったわ。確かに、少なくとも社会的には、あんたの人生はあたしの生活が本物になる』
別に拘る事でもないので、あたしはすぐに折れた。
ちょっと棘のある言い方をしてしまったけれど、あたしと彼女の間の空気は澱まない。
いつも通り、ほんの少し奇妙な相互確認みたいなものだ。
『でも、それこそ想造の種の使用だなんて、お父様は許してくれないと思うんだけど?』
水宮家は現代において、世界に多大な影響力を有している。
それゆえ、水宮一族の当主、水宮祓のご息女ともなれば、幼少の頃から少なからずその動向を注目されるもの。
もしもあたしが想造の種なんていう、人類にとって早すぎる力をあたしが自分勝手に使って、少しでも目立ってしまったものなら、祈里が自立する際、矛盾や問題が生じてしまう。
それはきっとあたしを養子とし、祈里の代替をさせる代わりに、不自由の無い人生を与えてくれている父への裏切りだ。
あたしは昔の記憶を総汰達との思い出以外、あまり思い出せないのだけれど、それだって父があたしの我儘を許してくれたからこそ、今も総汰や悠と交友関係を持ったままでいられる。
だからあたしは、自分本位な理由で水宮を裏切りたくはないのだが、
『お父様の意思など、どうでもよいのです。そんなことより、私は親友とそのご友人に傷ついてほしくない』
どうでもよい。
きっぱりと、彼女は言いきった。
さっき後継者としての気品がどうとか思ったけれど、もしかするとそれは気質の問題で、あまり彼女自身は自分の立場とかそんなの全く気にしていないのかもしれない。
思わず溜息混じりの笑いが漏れる。
『どうでもいいって、あんた……』
『嫌、ですわ』
珍しく、あたしの言葉を祈里が遮った。
嫌。その言葉はやけに震えている。
『嫌って……何がイヤなの?』
『貴女があんなふうに苦しむのを、私のせいと分かった上で放っておくのは嫌なのです』
『あ、そっか。私が悪魔に殺されかけたの、観てたのよね』
『はい』
首を動かしたことを感じさせないほど静かに、祈里は首を縦に降った。
閉鎖的な病室に隔離されている祈里は、物心つく前より、世界に触れることが許されていない。
いずれ社会に大きな影響力を持つことになる少女が、その人間世界に対する経験の一切を積むことが不可能な状況に置かれているんだ。
だから、あたしの代替品としての役割は祈里の人生を作る事に加えてもうひとつ。
彼女の脳と意識を連結させ、視界などの五感を始めとした感覚を共有することで仮想現実的に社会を祈里に学んでもらう事があった。
ずっと見られているみたいで、正直不自由を感じているのだけれど、大事な親友のためだから仕方がない。
『私のせいで貴女を巻き込んでいるのに、自分勝手な都合で貴女を死なせてしまっては、私は自分が許せなくなる』
「それは貴女が助かる道を必死に探してくれている人の言葉より大事なのね?」
「ええ。だってお父様、貴女の命と私の出世を天秤にかけて、貴方の命を捨てると言っているようなものではありませんか」
「そんな人の言葉は蔑ろにしていいのです」とでも言いたげに、ふんすっと頬をふくらませる。
彼女はつねに善き人で在ろうとし、加えてあたし以上に心の芯の硬いひとだ。
そして、己の心を包み隠さずに明かしてしまう人でもある。
例えばこんな風に。
『私は貴女が好きです。……友達としてですよ?』
『補足しなくても、分かってるわよ』
『そうですか? ……それで、例えば仮に貴女が誘拐事件に巻き込まれたとして、身代金として水宮の財産全てを求められても、私は躊躇わずに貴女を助けます』
『へ、へえ……』
『それくらい、貴女は大切なのです』
『あ、ありがとう?』
なんだかむず痒くなってくる。
あたしは思わず気圧されて、困惑気味に礼を零した。
『だから水宮の問題は、ひとまず放っておいてください』
畳み掛けるように、祈里は言葉を続けた。
『貴女だって、守れる力は欲しいのでしょう?』
『そりゃ、欲しいわよ』
自分や他人を守れる力が欲しくないわけじゃない。
教授……識によればこの先、総汰達は数々の脅威に晒されることになる。その驚異とはおよそ人間の手に負えるものではなくて、そんな時に昨夜みたいに何もできなんてあり得ない。
あたしだって、あの時みたいに炙られるような拷問は二度とごめんだ。
痛い辛い苦しいのは、怖い。
『それに私達は、既に不思議な力に目覚めたばかりの青年や、別世界から訪れてまもない少女を目の当たりにしているではありませんか』
『きちんと面倒を見ろって意味?』
祈里が何も言わずに頷いた。
関わってしまった以上、既に様子見の段階は過ぎていると、別世界の来客や非日常に変じていく友人の面倒を見るのは水宮イノリとして当然の行いだと、彼女はそう言っていた。
そして、それは自らの規格が及ばないのであれば、自らをバージョンアップさせることを意味している。
加えて、あいにくなことに、中途半端が嫌いなのは、あたしと彼女のの共通事項でもあって。
「……わっ」
小さく声をあげてしまった。
突如、何となく覗いていた外の景色が一変したのだ。
窓から見える夕暮れを、巨大な輝剣が貫いた。
茜色の空に、桜の大木を模した光が解き放たれていた。
方角は長約神社の方。総汰達が向かっていた場所だった。
『……ね?』
『何も、言い返せない……』
あの子達ったら……。
祈里は勝ち誇った様に和かな笑みを浮かべていた。
『まぁ、その方があの子たちの為にもなるか』
視界の右上、ホログラフィック・ディスプレイにデータが映る。
櫻・天叢雲剣。大気をプラズマ化を超えて素粒子に、それすら消失させる程の力の具現。あたしが面倒見るのは当然ね。
「よし、決めた」
あたしは思考通話を切って、ベッドから立ち上がる。
「覚悟も決まったし、行ってくる」
「ええ。ではまた来週あたりにでも、顔を出してくださいませ」
そう言って、祈里は滑らかな動作で頭を下げた。
顔に浮かぶのは片目を瞑った、仄かな微笑み。
もし彼女が地に足をつけて立つ事が叶っていたなら、カーテシーのひとつでもしていたんだろう。
「分かったわ。……あとから責任とか押し付けないでよね?」
「ふふ。総汰さんを取られないように頑張ってくださいね」
「────っ!? あのねえっ!」
ああもう、意識連結はこれだから!
***
でも、これで総汰や悠に心配をかける必要は無い。
あたしが乱入したことで、悪魔と総汰達との間には短い膠着が生まれていた。
っていうかあたし、ナイスタイミングすぎない!?
総汰はきっとあたしが飛び込む瞬間を単存在の力で感知して動いていたのだろうけど、それにしても一瞬でも遅れが生じていたら総汰に怪我を負わせていたことは目に見えていた。逆に速すぎれば、二匹のフェネクスのどちらかに対応されていたと思う。
つまりあたしは状況を仕切り直しにできる最高のタイミングで、登場を果たせたってコト。
ふふん、あたしかっこいい。
……いけない。そんな自己陶酔は放っておいて、まずは目の前の脅威に集中しなければ。
あたしと智富世を庇うように前に進み出た、総汰と少女みたいな男の子————水宮のデータベースによれば、手塚歩に向けて後ろから声をかける。
「あたしがデカブツの方の相手をする。いいわね?」
「……うん」
沈黙の後、総汰は渋々といった様子で首肯した。
その逡巡は、多分あたしを心配してのこと。
それでも総汰は頷いた。以前なら一人で無理するななんて止められていたのだろうけど、長年の付き合いで諦められちゃったのかもね、あたし。
それはちょっと寂しいかな。
「ほウ。一人でアンカアの相手を、か。俺にとっッちゃアどうでもいイことだがな、手抜きの俺にすら手も足も出ない手前エに、墜とせるタマじゃアないぞ?」
相変わらず、耳障りな話し方。
あたしと総汰が話してるというのに、邪魔しないで欲しい。
「ええ、そうね」
けれど、悪魔に向かってあたしは言葉を返す。
「でも……あたしだって手を抜いてあげてたんだから」
「……」
あたしの言葉に悪魔は反応しなかった。悪魔は己の要求に関わらない言葉を解さないためだ。だから今の言葉は総汰達にしか届かない。
「ねぇ、悪魔。あたしがどうして、遅れたと思う?」
「……」
それを再度確認して、語りたがりあたしは勝手に言葉を続ける。
「種を使う許可を貰ってきた、それもあるけど……もっと大きなワケ」
本来であれば、あたしは祈里から想造の種を使用する許可を得た後、直ぐに総汰達と合流できるはずだった。
あたしが居ない間に総汰達が危機に瀕していた事は、発信機経由で知らされていた。
その時点で助けに行くべきだったんだと思う。
けれど種の能力を制限なしに使うには、天才のあたしでも少し手間取って。
「準備に時間が掛かっちゃった」
なんて情けない代用品だって自分が厭になる。
総汰達には守ると約束したというのに、大事な時に居てあげられなかった。
実はもう一つ理由はあるけれど、どんなに言い訳を重ねたところで、イノリともあろうものが約束を反故にした事実は変わらない。
でも、その失態は今取り返す。
「それは……」
ガンっ。
右腕から短い金属音。
大型の銃のコッキング音にも似た響きと共に、あたしの右前腕が十センチほど伸びて開いた。
機械腕を射出した際と同様に、文字通り、あたしの腕がまるで超短距離のロケットパンチの様に飛び出し、引き出しを展開していたのだ。
無論、引き出しなのだから人体だろうが中には物が詰まっている。
勢い良く、腕から飛び出したものを一つ、左手で受け止めた。
「コレを作っていたからよ」
あたしの手に握られていたのは、拳大ほどの
金属質とも合成樹脂質とも言い難い、独特な硬さを持つ感触のそれは白銀の色を持っていた。
銀色の箱を握ると僅かな反発があって、そこにスイッチ機構になっていることが分かる。
躊躇いなくキューブを親指で押し込むと、翡翠の緑と桃簾石のピンクの光が一瞬、零れ出た。
「祈織……?」
「驚くのはまだ早いわ、総汰」
言って、キューブを胸の真ん中に押し当てる。
とくん、とくん。仮初の鼓動が反響した。
そして鼓動の音に合わせて、キューブから翡翠色のネオンラインが広がった。
葉脈のように分岐し、あたしの周囲を取り囲んでいく。
既に想造の種は到着までの間に解放していた。
故に追加で、詠唱。
「
たった一つの呟きで、広がっていた翡翠の筋から眩い光が放たれた。
続いて、ネオンラインの発生源であった白銀のキューブがあたしの手を離れ、粒子として分散し始める。
銀色の粒子の向かう先は光の葉脈地帯。ジェイド・オーロラに辿り着くと、その隙間を埋めるように薄く伸ばされていく。
形成された白銀のカーテンが一部、オレンジ色に染まると。
————来る!
瞬く間に、カーテンは厚く、硬く、柔らかい素材へと変質。
ネオンラインを巻き込み大小さまざまな形をした塊を形成すると、人の部品めいた輪郭を象って安定するなり、あたしの身体に超高速で飛来した。
あたしは飛来する物体を抵抗せずに受け入れる。
次から次へ、硬質な物体に身体が覆われていく。
いつしかあたしの全身が、キューブだった物質を装着していた。
「すごい、まるで……!」
言葉にせずとも、あたしは総汰の驚嘆を
「スーパーヒーローみたい?」
「ああ。きっと日優が喜ぶぞ」
そう、あたしが準備していたものとは、装甲、パワードスーツなどと呼ばれる代物。
言うなれば————肉体に纏う
「これこそ、あたしの正装よ!」
流線型を描く装甲は白銀とオレンジのツートンカラー。
複眼は翡翠、装甲を走る流脈はスカンディナヴィアのオーロラ。
『プレア・リョースデック』。
それがあたしの新たな非日常の姿だった────!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます