第十八話 『何もかも遅くなってからでも、身体は動いてしまうもの』
期待外れの夏祭りも過ぎ去った九月五日。
夏から秋に季節は変わっても、暑苦しさの変わらない日々はもはや当たり前の日常だ。
今日は、退屈だった夏休みも終わった二学期の始業式。
結局、一学期の終業式以降会うことも、ついに街中で見かけることさえなかった幽妃ちゃんに会える日、なのだけれど。
「はぁー……」
ホームルームも始まる前、ボクは机の上に突っ伏して項垂れていた。
「んー……」
夏祭りの日、朝から待ち合わせの約束をしていたボクは、虫も騒ぐのを辞めるような炎天下の中で、幽妃ちゃんを待っていた。時間で言うと、五時間くらい。自分が燃えているんじゃないかって思えるくらい暑かった。たとえ幽妃ちゃんが現れても、きっとボクは汗だとかが気になって近づけなかったと思う。
けれど、何時まで経っても彼女が現れることはなくて、流石にボクも夕方まで来なかったら帰ろう、なんて考えだした矢先、偶然通りがかった友人達に遭遇し、半ば無理やり事情を吐き出させられた。その後は、有無を言わずに彼らのグループに放り込まれ、昼から夜までを共にさせられた。
楽しくなかったわけではないけれど、ボクはずっと幽妃ちゃんのことが気がかりで仕方がなかった。
もし、ボクが待ち合わせ場所を後にしたあとに遅刻して訪れていたらどうしよう。
逆に、何かの事情があって訪れることが出来なかったとして、それを気に病んでいたのなら次に会ったとき、彼女にどう声を掛けようって。
だから、ほぼ高確率で顔を合わせることになるであろう今日、幽妃ちゃんへの対応に登校早々、悩んでいたのである。
と。
「よう。学校初日から浮かねーな、姫」
背後から、投げやりな声がボクの鼓膜を揺さぶった。
入学当初ならいざ知らず、もう二学期が始まるというのに、ボクを女の子みたいな渾名で呼ぶ不届き物など一人しかいない。
「
「おう、祭りぶり。まあ俺も学校なんてだりーからな、気持ちは分かる」
狐色に染めた髪を獣の耳みたいにぴょこんと二つ逆立てた、今どき時代錯誤な外見の男子生徒である。
そんな悪友とも呼べる友人に、突っ伏したままの格好で返答する。
「ボクは別に学校来たくなかったわけじゃないけど」
「マジか、んなやついんのかよ。古今東西、学生にとっての学校なんて面倒以外の何物でもない監獄だぜ。ジェイドでプリズムだわな」
それを言うならジェイル、プリズンでしょ、と指摘した所で彼のペースに巻き込まれるだけなので、黙って頷いておく。
「あーあ、夏休みも殆どバイトで終わっちまったしよお……オッ、波音ちゃーん、おはよう! 久しぶりでも美しすぎるッ! あっそーそー、来月のライブVIP席で取ったからねー!!」
今しがた登校してきた水色髪の少女に全身を降る勢いでアピールする
「おはよー、鎮匡くん。ライブ来てくれるの? ありがとね! あ、でもでも、無理なバイトは気をつけないとダメだよ?」
「くっ……なんと、お優しいお言葉……ッ! 一生付いて行きます!」
「うーん。それは、私も困っちゃうなあ」
鎮匡、何て名前をしているんだから、もう少しその騒々しさと頭の悪そうな発言を抑えていて欲しい。
そんなだから、あの幽妃ちゃんですら、彼女が鎮匡くんに試験の点数を負けたと知った時はニコニコうふふと明らかに表情とは違う感情を隠せなくなってしまうんだ。
そんなボクの悪態剥き出しの視線は彼にでも分かったらしい。
「んだよー、波音ちゃんが珍しく登校してきたってのに、いつまで機嫌悪そうにしてんだよう」
ゆさゆさゆさとボクの頭を掴んでは揺さぶりはじめた。
「うぅ……辞めてよ、頭が揺れるぅー」
結構力の篭った腕でシェイクされて、考えていたことも吹き飛びそうになる。
というか痛い。割と本気で辞めてほしい。
いい加減、我慢ならなくなったボクが、彼の手を引き剝がそうと腕を伸ばした途中で、鎮匡くんが「あ」と気づいたように声を漏らしてピタリと止まった。
あんまりに突然辞められるものだから、勢い余って首が外れそうになる。
「うわぁっ、ちょっと!」
「あ、妖精ちゃんだな? 今日来てねえし」
抗議の声を無視して、鎮匡くんはちょうどボクの考えていた事を言い当てた。
「妖精って……幽妃ちゃんのことそんな言い方するの、君くらいだよ」
「でも、間違ってないだろ?」
「それはそうだけど」
朝のホームルームは残り一分で始まろうとしていた。
だというのに、教室に幽妃ちゃんの姿は見当たらない。
「幽妃ちゃん、この前のお祭りも来なかった。今日も来ないなんて、何かあったのかな」
「案外、お前に会うのが、嫌になったのかもなー」
「な……」
なんてこと言うのさ、と言いかけて寸前で飲み込む。
有り得る話だ。
祭に行く約束をしたこと、幽妃ちゃんは心の底から嬉しそうにしていた。それを反故にした事を気に病んで、ボクに合わせる顔が無い。
だから今日、学校にも来ないというのだろうか。
それなら、なおさら祭に来なかったことを、ボクに謝る必要は無いと伝えたい。聞いてみたいことも沢山ある。
けれど、肝心な事にその相手は現れない。
このままでは、朝からの悩みも何も解決できないまま学校が始まって、終わってしまう。
「ま、そんな日もあるだろ!」
他人事のようにボクの背中を勢いよく叩いて自分の席に戻って行った。
そして一分後、ちょうど始業のチャイムが鳴ると同時に風鈴先生が欠伸をしながら入ってきて、一瞬でホームルームを終わらせる。
そのまま始業式はつつがなく行われて、全国で当たり前の新学期一日目は、幽妃ちゃんが居なくとも当たり前のように終了した。
ただの体調不良かなとも考えた。というより、それを願った。それなら、また明日改めて話せばいいことだから。
けれど、直感は違うと確信していて、そういう時のボクの予感は遺伝的な体質で、よく当たってしまうのだ。
そしてそれは実際に、現実になってしまって。
次の日も、三日後も、一週間経っても、彼女は学校に現れることは無かった。
流石に怪しいと思ったのか、鎮匡くんもボクの不安をテキトーにあしらう事は無くなった。代わりに、帰りに気晴らしとして夕飯を奢ってくれたり、ゲームセンターで遊んだりした。
でも、鎮匡くんには悪いけれど、ボクの心の暗雲は、何日経とうと晴れやしない。根本を解決しなければ、楽しむものも楽しめない。
だから、思い切って幽妃ちゃんの事を風鈴先生に尋ねてみた。
「夏休み、幽妃ちゃんに……文園さんに何かあったんですか」
少々、剣呑な声で尋ねてしまう。しかし、先生は眉一つ動かさずにただ、「ごめん」と呟いた。
「悪いんだが、それは教えられない。でも、待っていてほしい」
先生はたまに、意味のわからないことを口にする。
「待っていて、ってどういう意味ですか」
「……そのままの意味だ」
言葉の意味を聞いても、先生は口を開かない。
「動くべき時、お前は必ず動くから、大丈夫だ」
微塵も安心出来ない助言だけして、先生は小さな背を伸ばしてまでボクの頭のてっぺんに掌を置く。
「人はその時に叶えられる目標を、叶える分だけ、最小限で頑張ればいい」
その先生の、目付きの悪い桃色の瞳は爛々と輝いていて、彼女は視線を合わせているボクとは別の何かを見ていた。気がした。
「動くべきに動けるって、ボクは動けなかったから、今こんな事態になってるんじゃないの……?」
***
それから、毎日をボクは消費していった。
いくら日々を重ねても、幽妃ちゃんは学校に現れない。
元々幽妃ちゃんは奇妙な子だと言う評価を受けていたから、彼女が居なくても皆はいつもの文園の異常行動だと軽く思われて、いつの日かそれが当たり前になっていた。
ボクの教室は、ボクの住む世界は、まるで文園幽妃という人間を忘れたように日々の時計を進め続ける。
彼女は代替すら必要のないものとして、正常に毎日は過ぎていく。
例えば、学級日誌に書かれた一面の、こんな風に。
9/12 担当:延喜波音。学校が始まって一週間! 欠席者、一。文園幽妃。
9/30 担当:草加修二。九月ももう最終日。 欠席者、一。文園幽妃。
10/14 担当:朔田撫子。今日は文化祭。 欠席者、一。文園。
10/31 担当:深海アラン。今日はハロウィン! 欠席者、一。
おかしい。
流石におかしい。
二ヶ月も、夏休みも含めれば三ヶ月も音信不通なのである。
転校した訳でもないのに、明らかに異常事態だ。
通常の生徒であれば、学校側からクラスメイトくらいには何らかの説明がある筈。
けれど説明は一切なく、風鈴先生を問い詰めても「すまない、でもこのまま耐えてくれ」と謝るだけでいつまで経っても何も教えてくれはしない。
ならばと放課後、人の少なくなった職員室に忍び込んだ。
机の陰に隠れて風鈴先生の机まで素早く移動して、幽妃ちゃんの連絡先が本当に存在しないのか探したけれど、番号も住所も見つからなかった。
「おい、女性の私物を漁るとは、可愛い顔していい度胸だな、おまえは。ホントに女にされてえのか?」
案の定、風鈴先生にバレて叱られた。加えて、また謝られてしまった。
「お前が不安に思うのは、仕方の無い事だ。今の状況は、あたしのせいにしてくれ。ごめん」
なんで先生が、謝っているんだ。悪事を働くような人ではないと確信できるのに、どうして先生のせいだとしなければならないんだ。
どうして何も教えてくれない。
もうどうすればいい。
何も、彼女に辿り着くものが無い。どうすれば、幽妃ちゃんとまた会える?
もはや、幽妃ちゃんと過ごした短い過去が頼みだ。
たった一学期の思い出を振り返る。
四月の入学式、彼女を一目見たボクは再会に感動して、一方的に話しかけ、幽妃ちゃんを困らせていた。
五月は大変だった。幽妃ちゃんは色んな人から好意を寄せられていたし、中間テストで幽妃ちゃんは酷い点数を取って、放課後の補習授業が一層厳しいものになった。ボクは一時期小説を没収させられて、既に解ける問題を一緒に勉強させられた。あと試験後、幽妃ちゃんは鎮匡くんへの受け答えに限って多少雑になった。
六月になると、周囲のみんなは彼女をおかしな子扱いするようになって、彼女から離れていった。ボクからすればそんな単純な理由で人は離れるものなのだろうかと不思議に思う。
とはいえ、幽妃ちゃんに話しかけに行く度に周囲の男子から睨まれた後に、「まあ手塚なら」とよく分からない圧力を受けなくて済むようになったから楽ではあった。
でも、幽妃ちゃんは表情には出さなくともどこか寂しそうにしていた。でも自分から誰かに近付くことは、ボクにさえ無かった。
そして七月は、叶うことは無かったけれど、幽妃ちゃんと祭りに行く約束をした。あの時の、幸せそうな顔、もう一度見せて欲しい。
そういえば、七日に駅の近くで七夕祭りがあった。ボクは何も書かなかったけれど、通りがかった時、笹の高い所に文園幽妃と書かれた短冊が吊るされていた。
遠くて名前しか見えなかったけれど、なんて書いてあったんだろう。
一通り思い返してみても。
全く、役に立たない。
なら、高校時代より前の、病院の頃だ。
もう二年前のことだし、細かいことは覚えていないけれど。
リハビリ室の近くで倒れたところをボクが助けたんだ。
確実に、その時点で容姿には一目惚れしていた。
一目惚れした女の子が頑張っているのを見て、堪らず応援したくなった。
そして会話の中で、彼女は水難事故のせいで入院したと、本人の口から聞いた。
そして、身体が動かなくなるほどの障害を負ってもなお、幽妃ちゃんは苦労してまで、またそこへ、水の世界へ向かおうとしていたんだっけ。
「あ……」
思い返すと、確かに幽妃ちゃんは言っていた。
彼女が目指していた場所。
ボクが彼女に近づくようになったきっかけ。
最初に気になって、聞きたかったこと。
どうしてもう一度、彼女は海に行きたいと願っていた?
「行かなきゃ」
それに気づいたのは、それから少し経った十一月八日の二時間目。
まだお昼休みも前。
「海に行かなきゃ……!」
ボクは学校を飛び出した。
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