第72話 宴の終わり(2)
戻ってきた狼は「今度こそ次はない。俺は見物人に戻る」と告げると、元いた夜空の隣の鉄骨上で変身を解いた。「ありがとう」と礼を伝える八尋。
「おかしいなあ。手出しはしないって契約じゃなかったっけ」
からかうような声で花は狼に問いかける。
「おまえと橘には手を出していない」
しれっと言い切る狼。「なるほど」と花も笑い、それ以上は触れなかった。
「それにしても、すごいね八尋」
手を叩いて八尋を賞賛する花。
「頑張ったじゃないか。そろそろ飽きたし全滅させようかと思ってたところだったんだ。手間が省けたよ」
突然、怪我を負って敷地内に倒れている人々の身体が宙に浮いた。花の仕業だ。
八尋が止めようとすると「安心しなよ。頑張った八尋に免じて命は取らない。邪魔だから表に出すだけさ」と言った花は、宣言通り彼らを表に出すと、八尋が開けた土塁の穴を塞いだ。
「これでもう邪魔は入らないね」
満足そうに言う花に「どういうつもりだ」と八尋は問いかける。
花は答えずに「急にいろんなことができるようになったね。練習したのかな」と質問してくる。
「そうできればよかったんだけどな。あいにく、ぶっつけ本番だ」
我ながら危ない橋を渡っているという自覚はある。
八尋の身体を覆っている〝バリア〟は、八尋が意識せずとも常にそこにある。だが、バリアの形を変えて伸ばすように操作する〝盾〟を使用するには一定の集中力を必要とした。そのため花との激しい攻防の最中に盾を使うことができずにいた。
そこで、バリアの形は変えず、その影響範囲を大きくするような操作なら多くの意識を割かなくてもできるのではないかと考えたのだ。見込み通り、盾を操作するよりも少ない集中力で実行できた。
「他の物にギフトを纏わせるのは、前に襲われた時に敵が使っていたのを見て思いついた」
丸眼鏡が使っていた技だ。彼は刃物を創り出すギフトをプラスチック製の弾丸に纏わせて攻撃してきた。
「成長してるね。お花さんも嬉しいよ」と言ってにこにこする花。
それから見透かすような目で「だけど、身体は大丈夫なのかな」と訊ねてきた。
「なんでもお見通しってわけか」と八尋は笑ってみせたが、額に脂汗をかいているのがわかった。
自分の身体に異変が起きていることは知っていた。
鼻血が止まらない。身体が熱い。耳の奥で心臓が鳴っているのではないかと思うほど自分の鼓動をうるさく感じる。全身に痛みがある。目眩がして世界が揺れている。
リバウンドはまだきていない。あれがきたらこんなものでは済まない。八尋はその場に立てず、一歩も動けなくなるはずだ。
エネルギー量の大きいギフトの核を吸収することで起きたオーバーヒート。その状態で更にギフトの吸収を重ねているのだ。体調に異変が起きないはずがない。リバウンドがきた時のダメージも大きくなるだろう。ショックで死んでしまうかもしれない。その可能性は当然考えた。
だが、それがなんだ。八尋は鼻血を拭って花を見据えた。
「これくらいしないと、おまえと互角に戦えない」
花は微笑んで「決死の覚悟というわけだね。いいじゃないか」と評価するようなことを口にしながら、冷たい声で言った。
「だけど、死ぬ気でやればわたしに勝てるとでも思ったのかな」
「思っていない」
八尋が正直に告げると、花は開きかけた口を閉じて八尋を見た。
「俺はおまえに勝とうと思ってここにきたわけじゃない」
「ふうん。じゃあ何をしにきたのかな」
「花のことを知るためだ」
きょとんとする花。それから盛大に笑い出し「どうしたんだよ急に。愛の告白? やだもー。八尋ったらこんな時に」と茶化すように振る舞った。
「どうしておまえがこんなことをしたのか、俺にはわからなかった」
八尋は話し続ける。花も笑うことは止め、穏やかな表情で八尋の言葉を聞いていた。
「今回だけじゃない。今までもずっと、俺はおまえのことがわからなかった。花は俺よりずっと強くてすごいやつだったから、わからないのも仕方がないと考えていた。俺は理解することを諦めて、ただ信じた。迷った時は自分で考えるより先に花の言うことを指針にした。花が言うことなら間違いないと思い込んだ」
花と過ごしたこれまでの記憶が甦る。
彼女の後をついて歩き、相手を頼みにして生きる八尋。与えてもらった平穏を享受しているのに、相手の支えにはなることができない八尋。
おねえちゃんの時と同じじゃないかと八尋は自分に憤った。身体だけでかくなって、精神性は子供の頃と何も変わっていなかった。恥を知れ。
「そんなことをしてきたから、おまえに裏切られた途端、何もかもを見失ったような気がした。自分なんかには何もわかるはずがないからと、考えることを放棄して、理解することを諦めようと思っていた」
花のことだけじゃない。風香に対しても、夜空に対しても、相手を理解する、そのためのコミュニケーションを取るという基本的な意識が自分には欠けていたと八尋は自省する。
どうしてそうなってしまったのだろうか、と考えると、行き着いた結論はひとつだった。
八尋は自分を信じていなかった。
自分の存在に価値があると思えない。
自分の意見や行動は他者にとって有用でなければならない。
役に立たない自分には価値がない。
相手に気に入られなければ、価値がない自分は見捨てられてしまう。
そうした自己否定は、いずれ周囲へ向かうことも必然だったのだということに、八尋は気づいていなかった。
自分の存在の価値を認めていないから、役に立つかどうかは気にせずに一緒に過ごしてくれる人を信じられなかった。
いつ見捨てられるかとビクビクしているのは、自分を好んでくれる相手の気持ちを信じられないからだ。
自分の気持ちを大切にしていないから、理解してもらえると信じていないから、それを相手に伝えようとせず、自分の中だけで完結させる。そうすることこそが、相手の存在を軽視することに繋がっているとも気づかずに。
「でも、それじゃだめだと、秋月さんが教えてくれた」
風香の顔が浮かぶ。彼女の笑顔を思うだけで、力が湧いてくる。
「秋月さんは、自分とは違う、ホルダーの俺を受け入れてくれた。俺の気持ちを想って泣いてくれた。今動かないと後悔すると叱ってくれた。俺なら花を止められると信じて送り出してくれた。俺は彼女の期待に応えたい。俺は自分を信じる努力をすることにした。自分の気持ちに素直になることにした。怖いからって、踏み出さずにいるのは、もうやめたんだ」
八尋は花に問いかける。
「花。おまえ、死期が迫ってたんだろう」
花は表情を変えなかった。自信に満ちて、余裕のある顔をした、いつも通りの彼女だ。
「どうしてそう思うんだい」と聞き返してくる。
「おまえが自分で言ったんだ」
死の危険を冒してでも夜空のギフトをコピーする理由。あれは花が言ったようなたとえ話や思考実験なんかじゃなく、現実の話なのではないか。八尋はその考えに至った。
花は、にっと笑って「よく憶えてたね。花マルをあげましょう」と軽い調子で言った。
「ついに知られたかー。ま、だいぶヒントあげちゃったのは自分なんだけど」と悔しがるような素振りを見せる。
「原因はなんだ」
八尋はなるべく淡々と話すように努めた。重苦しい空気になったり、気遣う様子を見せることを、今の彼女が望んでいるとは思えなかった。
「ペナルティの進行だよ」
穏やかな顔で花は告げる。
「近頃、わたしが酩酊したような状態を晒したことが何度かあったでしょ。あれ、ペナルティによる発作症状なんだよね」
八尋もよく憶えている。そうした彼女の様子に違和感を感じたことも。
「調べたら脳腫瘍の症状によく似ているみたい。言語が不明瞭になるとか、手足が麻痺するとか、吐き気とかね。もちろん腫瘍はないよ。症状だけだから手術でどうにかなるものでもない。その発作の頻度とか強度が、まともな日常生活を送ることができないレベルになりつつあった」
そこで花の表情がぱっと明るくなった。
「進行度がこのあたりまでくるとね、余命幾ばくもないことが統計的にわかってるんだ。症状の内容に関わらず、ペナルティが一定程度まで進行すると、ホルダーは遠からず命を落とす」
振る舞いと不釣り合いな真実を告げる花。場を深刻にしないためにあえてそう行動しているのが、八尋にはむしろ痛ましく思える。
もっと自分の感じたものを素直に信じておけば、早く気づけたかもしれないのにと忸怩たる思いだった。
「そんなに悔しそうな顔しないでよ」と花が笑う。「八尋が知らないのは当然で、わたしが言わなかったんだし。それに知ったところで何もできないんだからさ」
「それでも」
八尋は素直な内心を吐露する。
「俺は悔しい。ずっとそばにいたのに、気づかなかった。たとえペナルティの進行自体に対してできることがなくても、知っていれば何かやれることがあったかもしれないと考えてしまう。俺はずっと、花の役に立ちたいと思ってた。おまえの強さに憧れてた。救ってくれた恩に報いたいと思っていた。なのに、何もできないまま、逝ってしまうっていうのか」
「できることならあるよ」
優しい目をして八尋を見ている花。
そして表情を変え、鋭い目つきで「わたしに同情するな」とはっきり告げた。
「それがおまえを縛るなら、恩なんて忘れろ。わたしのことなんて忘れろ」
八尋の目に涙が滲んだ。
再び表情を和らげた花は、「わたしは不老不死にはなれなかった。夜空のギフトのコピーには失敗したんだ」と、何でもないことのように口にする。
「奪った命を自分の中に定着させる能力が欠け落ちた。よりによってそこかー、とさすがに天を仰いだよ。わたしもつくづく運がないね」
花は愉快そうに笑った後、笑みを消して「さて、話はここまでだ」と宣言した。「お互い残り時間も少ないことだし、やろうか」と口にして構えを取る。
「たとえわたしが死ぬ結果には変わらなくとも、やることは変えない。おまえがわたしを止めなければ、わたしは夜空を殺す」
「……花」
「問答は無用だぜ八尋」
八尋は涙を拭い、意を決して構えた。
「殺す気でいくからな」
「当たり前さ。おまえの前に立っているのが誰だと思っているんだ。最強最悪と謳われた滝澤花だぞ。おまえこそ、さっさと死んだりしてわたしを失望させるなよ」
正真正銘、花との最後の攻防が始まった。
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