第六章

第69話 決別(1)

「俺はもう行きます」

「気をつけてください」

 八尋は心配そうに見送る風香に笑顔を返した。

 当初は「自分も行きます」と風香も主張したのだが、恐らく花と戦うことになる場所に連れていくことはできなかった。相手が呪いのギフトを駆使できる以上、今の花と対峙できるのは自分しかいない。

「大丈夫ですよ。秋月さんが信じてくれたように、俺も自分を信じます。俺は必ず帰ってきますから、待っててください」

 風香はふわりと微笑み「うん。待ってます」と応じた。

「そうだ」八尋は思いついたことを提案する。「今度、ごはんでも食べに行きましょう。この間は気を遣ってもらっちゃいましたからね。おごりますよ」

「別にそれは気にしなくても」と風香は苦笑してから、「でも、ごはんいいですね。約束ですよ」と答えた。

「はい。約束です」

「ふふ、楽しみにしてますね。……それじゃ、いってらっしゃい」

「いってきます」

 玄関の扉を閉じる。八尋は走り出す。

 雨は止んでいた。


 目的の駅で降りた八尋は、花がいるという建設工事現場を目指して走り出す。

 アンデッド街に近接する再開発区域は、街の北西側に位置している。以前、花と待ち合わせる際に使った駅とは街を挟んで反対側にあることになる。

 この再開発も、浄化作戦の一環だという噂を耳にしたことがある。アンデッド街そのものに手入れするだけではなく、周辺に企業や人を呼び込むことで街の復活を阻害しようという腹づもりだという。

 再開発の規模や投資額と割が合わないし、作戦の実効性にも疑問があり、噂は眉唾物だと八尋は思っていたが、裏を返せばそんな噂が立つ程度には、街の住人からすると再開発計画は鬱陶しいものなのかもしれない。

 アンデッド街に徐々に侵攻するように、再開発は街から遠い区画から進められている。最初に着手された第一区画の工事が始まったのはずいぶん前だ。老朽化した雑居ビルの取り壊しや建て替えは着々と完了して、跡地には清潔感のある新築のオフィスビルが雨後の筍のように建ってきていた。

 とはいえ竣工や開業はまだのビルが大半で、必然、夜となると人通りがない無機質な街となっていた。コンクリートのビル、綺麗に整備された通り、街路灯があるだけの街。文明が崩壊した世界を一人で歩いているような気分になる。

 そこで八尋は襲われた。

 八尋は自身のセンサーでホルダーが猛スピードで自分に迫っているのを察知した。次の瞬間、今日既に何度か聞いた破裂音と同時に、自分の背後でビルの壁面コンクリートが弾けて破片が飛び散ったのを見た。

 八尋はすぐ脇の路地に飛び込み、建物の陰に身を隠す。センサーの感知している方角、通りの先を、遮蔽物からわずかに身を出して注意深く窺う。

 数十メートル先に、いた。道路の真ん中を、虎に変身した宗一郎が歩いていた。右手だけは人間のままで、手には銃を握っている。

「元気そうで何よりだ」

 声をかけてきた宗一郎。声がコンクリートに反響してよく聞こえる。

「おかげさまで」応答する八尋。「そっちはどうなんだ。花に手ひどくやられたんだ。無理するな」

「ああ全く」宗一郎が笑うように言う。「歩くだけで身体が軋む。骨が何本かイってるだろう。変身しなければ動けそうにないほどだ。あの女、やはり規格外だな」

「こんなところで油を売っていないで、さっさと病院へ行けよ」

 声を返しながら宗一郎と逆の方向へ路地を進む。周囲の様子を探り、身を隠しつつ宗一郎に近づく方法を考える。銃を持ち変身もできる相手に対し、丸腰で身体強化もできていない八尋は不利な立場だが、打てる手はあるはずだ。

「そうしたいところだが、まだやることがあるんだよ」

 上方から声がして、はっとした。ビルの外壁を蹴りながら宙を移動する宗一郎がいた。八尋はジグザグに走りながら別の細い通りへ進路を変えた。表通りと比べると古くさく背の低い雑居ビルが立ち並んでいる路地だった。

 八尋は物陰で呼吸を整えながら、宗一郎の行動を不審に思った。絶好の機会だったというのに、撃たれなかった。

「そう警戒するなよ」と宗一郎がフランクに話しかけてくる。

「やることというのは、おまえだよ八尋。俺たちの仲間にならないか」

 この期に及んでまだ勧誘しようという彼の執念深さに八尋は呆れるとともに感心した。

 とはいえ、付け込む隙を引き出せるかもしれない。八尋は注意深く観察しながら会話を引き延ばすことにする。

「人の身体を穴だらけにしておきながらよく言えたもんだ」

 建物の陰からちらりと覗き込む。宗一郎は路地の真ん中に佇立していた。八尋に近づいてくる様子はない。

「撃ってしまったことは本当にすまなかったと思っている」

 さらりと謝罪する宗一郎。

「謝れば許されるとでも思ってるんだったら笑える」

「あの時はあれが最善だったんだ。現にこうして俺もおまえも生きている。あのまま戦っていたところであの女に殺されてた」

「おまえはともかく、俺が生きてるのは花の気紛れだ」

「その気紛れを見込んで俺は撃ったのさ」

「そんなものに勝手に俺の命を賭けられたんじゃたまったもんじゃない」

 宗一郎が話題を変えた。

「夜空は生きている。なぜかはわからないが、あの女はまだ彼女を殺していない。これはチャンスだ。なあ、夜空を助けたいと思わないか。目的を同じくする者同士、手を組むのは悪い選択じゃないだろ」

 八尋は鼻で笑った。

「それはもう試しただろ。手も足も出なかった」

「あの時とは目標が違う。俺たちは夜空を確保するだけでいい。あとは少しの間だけ逃げ延びればあの女は勝手に死ぬからな。昼間よりも難易度は低くなる」

「都合良く物事が進んだ場合の話だろ。いざとなれば俺を囮にしようとでも考えてるんじゃないのか」

「そんなことはしないさ」

 宗一郎は妙に明るい声で否定した。

「言っただろ。おまえのギフトは稀少だって。捨て駒にするような無駄な使い方はしない」

 八尋は少し考え、覚悟を決めて宗一郎の前に姿を晒した。反射的に向けられる宗一郎の銃。しかし彼は意外そうな顔をしただけで、すぐに銃を下ろした。八尋は内心ほっとする。

「俺は自分を信じていなかった」

 八尋は自嘲気味に笑い、会話を続けながら、一歩ずつ宗一郎に歩み寄った。

「花を信じているからそれでいいと思っていた。止まり木に愛着はないけれど、あいつについていけば間違いないと、そう思い込んでいた。だから、あいつに裏切られた途端、簡単に道を見失った」

 宗一郎があからさまな軽蔑の視線を向けてきた。「そうだったな。俺はおまえのそんなところが嫌いだった」と正直に言ったのは、もはや取り繕う必要もないということだろう。

 宗一郎まであと数歩というところで八尋は立ち止まる。これ以上近づけば彼が動く予感があった。

「だが安心しろ」

 宗一郎が宣言するように語る。

「俺たちのボスがおまえに新しい指針をくださる。おまえは何も考えず、ボスを信じていればそれでいい」

 八尋は鼻から息を漏らし、小さく笑った。

「そうだな。魅力的な提案に聞こえる」

 宗一郎の顔がわずかに輝いた。が、八尋がすぐに「一時間前の俺だったら首を縦に振ったかもな」と告げると、輝きは消え、敵意の色が浮かんだ。

「たかが一時間で何かが変わったのか?」

 宗一郎は嘲るように問いかけてくる。

「残念ながら大した変化じゃないさ」

 八尋は笑みを浮かべ肩をすくめる。

「これからどうすればいいのかわからないのは相変わらずだ。そうそう簡単に受け入れられるものか、こんな現実。ただ、わからないから、知るのが怖いからといって立ち止まるのはもうやめた。俺を信じて背中を押してくれた人のためにも、俺は俺を信じる。心の声を聴く。……だから俺は花に会いに行く。知るために。前に進むために」

 宗一郎が哄笑した。

「何を言い出すかと思えば、自分を信じるだって? くだらない。俺だって俺を信じているさ。自分の信念に則って行動している。ボスを信頼し、彼の望む未来を実現するために命を捧げる。これは誰でもない俺の意思だ。俺が望んでそう決めたんだ」

「おまえたちがやろうとしているのはテロ行為だ」

 途端、宗一郎が黙った。空気が変わったのがわかる。宗一郎の逆鱗に触れたのだと理解する。燃えるような眼で八尋を睨みつけている。

「俺はテロリストの仲間にはならない」

 互いに見つめ合ったまま、少しの間、口を開かなかった。

 やがて、宗一郎が「もうこれ以上、話すことはなさそうだな」と告げた。

「そうだな」と八尋は応じてすぐに、「ただ、ひとつだけ」と付け加える。

「なんだ」

 八尋を睨みつけたまま宗一郎が促す。

「俺は、おまえを大切な友人だと思っていたよ」

 それだけは伝えたかった。

「俺もだよ八尋」と宗一郎は応えた。

「優れたギフトを持っていたおまえが仲間になってくれればどんなに嬉しかったか」

 少しだけ寂しい気持ちが浮かんできて、八尋は小さく笑った。

「だが、敵になるならおまえの能力は邪魔だ。ここで死ね」

 最後の言葉を告げた宗一郎の腕が矢庭に上がる。ほぼ同時に八尋は相手の右側面に回り込むように踏み込んでいた。

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