第63話 暴君(2)

 八尋は花を見据える。二人と対峙する花は、不敵な笑みでコートのポケットに手を突っ込んだまま、顎をやや上げて値踏みするような不躾な視線を投げてくる。

 宗一郎が何も言わずに腕を差し出してくる。虎の毛皮が覆い、筋肉で膨れ上がったその腕に自分の手で触れる。

 八尋のギフトが発動し、宗一郎のギフトを吸収していく。自分の身体能力が強化されていくのを感じる。花にやられた鳩尾みぞおちのダメージが消える。五感が鋭敏になり、視界がクリアになっていく。時間の流れが緩やかになったように感じる。落ちてくる雨粒ひとつずつがはっきりと見えるようになっていく。

 強化を終え、宗一郎に触れていた手を離す。宗一郎は再び全身を虎に変身させ戦闘態勢をとる。

「さっきまで諦めたような顔をしていたのに、夜空が死ぬと言われたら途端に気力が戻ったみたいだね」

 からかうような口調で花が口を開く。

「そんなに彼女に死んでほしくないのかい。夜空自身は死にたがっているというのに」

「俺は、夜空を裏切ってしまった」

 今更になって、痛いほどにわかった。裏切られると、どれほど傷つくのか。八尋は夜空を傷つけたことを後悔していた。

「自分の感情だけで、彼女を拒絶してしまった」

「じゃあ、殺す決心がついたのかな」

 花がわざとらしく明るく振る舞う。

「だったらわたしたちがいがみ合う必要はなくなったね。目的は同じなんだから」

「違う」八尋は否定する。「俺は今でも、夜空を殺したいとは思わない。殺したくない。死んでほしくない」

「それじゃ、何も変わらないじゃないか」馬鹿にするように言う花。「どうするのかな」

「俺たちは焦りすぎたんだ」

 八尋は夜空をちらりと見て、言った。

「俺も、夜空も、もっと互いを知らなければならなかったのに。目の前に現れた、見せかけのゴールに飛びついてしまった」

「ふうん」花はつまらなさそうに相槌を打ち、「八尋は未熟だったのかもしれないけれど、夜空はこれまでに充分すぎる時間が与えられていたんだぜ。その上でもっと時間をかけようっていうのは、彼女のことを考慮していない浅はかな考えなんじゃないかなあ」と揚げ足を取ってやったと言わんばかりに指摘してくる。

「夜空はずっと独りだった」

 淡々と言葉を返す八尋。

「ギフトのために誰とも親しくなれず、親しくなった人のことは殺してしまいながら、ずっと独りで生きてきた。死にたいっていうのは、その中で出した結論だろ。でも俺はこれまでの人たちとは違う」

 八尋は夜空に言葉をかける想いで「俺は死なない」と声を張った。「夜空が俺を殺してしまうことは、ない」

「自分といれば彼女は生きていたくなるとでも言いたいのかな」

「そんなこと、わかるものか」

 花の言い分を突っぱねるように八尋は言い切った。

「開き直るなよ」と花が嘲る。

「だけど夜空は、楽しかったと言ってくれたんだ」

 八尋は、今も気を抜くと迷いそうになる自分自身を鼓舞するつもりで言葉を口にしていた。

「こんな日がくるとは思っていなかったと。俺に会えてよかったと言ってくれたんだ。そして、俺を信じると。嬉しかった。こんな俺を信じてくれるなんて。……俺はまだ、彼女の信頼に応えていない。夜空は今まで、ずっとひとりで苦しんできたんだ。苦しんできた分を取り返すくらい幸せになってから死んだって、遅くないはずだ」

 くっくっと、こみ上げる笑いをこらえるように花が笑った。それから流し目で夜空を見る。

「だってさ。愛されてるじゃないか、夜空」

 呆れるようなからかうような口調でため息をつく花。

「これから君を巡って争うことになるわけだけど、どんな気分なのかな。後で教えてよ」

 それまでほとんど表情を変えなかった夜空が、その時だけは、愁いを帯びた表情で目を伏せた、ように八尋には見えた。瞬きの後、そこには感情が窺えない普段の表情の夜空がいたが、見間違いだとは思わなかった。

「さて。さっさとやろうか」

 コートのポケットから出した手の指を絡ませると、大きく上に伸びをする花。そのままふっと力を抜いて両腕がだらんと下ろされる。

「からだも冷えちゃったし、早く帰ってお風呂に入りたいんだよね」

「ぬかしてろ」と宗一郎は呟いてから、花から視線を外さないままに「バニー。おまえはここを離れろ」と指示した。「集合地点で合流しよう」

「そーちゃん置いてひとりで行けるワケないじゃん」

「せっかく逃がしてくれるっていうんだ。相手の好意は気が変わらないうちにもらっておいたほうがいい」

 花は人差し指を顎に当てて「そうだね。わたしは気まぐれだからなあ」とわざとらしく小首を傾げた。

「そこで寝てる彼みたいになりたくないなら、宗一郎の言う通りにしたほうがいいと思うなあ」

 花の圧に怯んだのか、弱々しい声で「わ、わかった」と返事するバニー。

「待ってるからね、そーちゃん」と残して彼女が走り去っていく足音を聴いた。

「大事にしてるんだねえ」としたり顔の花に、「下衆の勘繰りだな」と宗一郎は吐き捨てた。

「俺はおまえみたいに、有能なホルダーを粗末には扱わない」

「それなら、わたしのことも大切にしてくれよ。自分で言うけど、とびきり優秀だぜわたしは」

 茶化すような花に「おまえは全く駄目だ」とにべもない宗一郎。「えー。なんでだよー」と花が不満を訴える。

「おまえは人の下につく人間じゃない。ボスの思想で教化できないホルダーは必要ない」

 すると花は、伸ばした指先で唇に触れながら「ふうん。宗一郎が心酔するほどのリーダーか」と言い、意味ありげな笑みを浮かべた。

「面白そう」と呟いた彼女の表情には、妙な艶めかしさがあった。

 途端、隣にいる宗一郎の気配が強くなる。肌が粟立つようなこの感覚。殺気だ。

「お、表情が変わったね。それを待ってたんだよね」

 花は意にも介さない様子でへらへらとしている。

「黙れ」短く鋭い声で宗一郎が言い放つ。「殺す」

 不意に花の顔色が変わったと思った次の瞬間には、宗一郎の眼前で姿勢を低くした花がいた。一息で間合いを詰めたのを八尋はなんとか目で追うことができたが、宗一郎の反応は明らかに遅れてしまっていた。

 花の掌打が宗一郎の胴体に叩き込まれる。巨体にめり込んだ花の細腕が、強靱な宗一郎の身体を容易く吹き飛ばす。倉庫の内壁に衝突し、そのまま地面に落ちて倒れる宗一郎。八尋は後ろに飛び退いて距離を取った。

「思ったよりもガキだな。つまらない」

 倒れた宗一郎を見つめながら侮辱するように言い放つ花の顔から笑みが消えていた。冷たく鋭い目をして、道ばたでもがく死にかけの虫でも眺めるように宗一郎を見下ろしている。

「怒りを込めて『殺す』と口にすれば相手が死んでくれるとでも思っているのか? 呪術師なのかおまえは。殺すなんて言葉にする暇があるなら、さっさとかかってくればいいだろ」

 宗一郎が飛び起きる。爛々と輝く眼には憤怒が宿っている。今度は宗一郎が飛びかかり、一呼吸の間に花へ迫った。彼に合わせるように、八尋も花の横から攻め掛かる。

 花が無造作に腕を振り上げる。突如上昇する風の渦が生まれ、攻め寄せていた宗一郎の身体を上空へと巻き上げ、屋根に叩きつけた。宗一郎のぶつかったスレート屋根がぐにゃりと歪み、耳障りな大きな音を立てる。

 八尋はキックを繰り出して足元を狙ったがステップを踏んだ花に躱される。八尋が詰め寄るよりも先に、振り上げられた花の腕がぐんと引き下げられた。それには構わず踏み込んで腕を伸ばし側頭部を狙う。これもスウェーで躱されてしまう。宗一郎の身体が地面に激突したのを視界の端で捉えたが、気にする余裕がない。

 花が反らした上体を戻すのに合わせて腕を八尋の胴体目掛けて伸ばしたのが見えたが、速すぎた。防御は間に合わず、拳がめり込む。攻撃の重さに、身体が一瞬止まってしまう。

 視界が白く光って揺れた。顔面に衝撃を受けたのだと気づいた時には後ろに吹っ飛んでいた。宙に浮いた身体は受け身も取れずに落ちたが、すぐに立ち上がって構える。

 花は起き上がろうとしていた宗一郎の脇腹を蹴り飛ばし、再び彼の身体を倉庫の壁面に叩きつけた。

「これでも手加減してるんだけどな」

 無表情に花が言う。呼吸が乱れた様子すらなく、平然としている。

「二人がかりでその程度じゃ、どうしようもないな」

 鼻閉感と、口元を何かが伝う感触があった。鼻血だろう。深く、ゆっくりと口で呼吸をする。打撃を受けた箇所はギフト吸収による身体強化で徐々にダメージは消えていく。大丈夫、まだやれると八尋は自分に言い聞かせる。

 八尋の顔を打ったらしい花の右拳からは血が滴っている。八尋の血かと思ったが、違う。花の拳が裂けていた。

「花、おまえ、正気か」

 八尋は疑念を口にした。

「いくらギフトで強化しても、俺を打撃する瞬間には強化が剥がれる。そのままの威力で殴れば、おまえの身体が壊れるに決まっているだろう」

 身体能力が上昇している八尋に対抗するために、花も身体強化のギフトを使用しているのは明らかだった。八尋の能力は相手のギフトを消去するが、既に発生している物理的な力には影響しない。加速された花の攻撃は、強化を消されてもそのまま八尋に衝突する。威力は増すがその反動も大きくなるのは必然で、彼女の肉体はダメージを受けたのだ。

 花は顔色一つ変えずに「問題ないよ。壊れたら治せばいいんだから」と言って、目の前で負傷した右手を瞬時に回復させた。

「何でもありだな。つくづくうらやましいね」

 花の後方で、壁に手をつきながら立ち上がった宗一郎が悪態をつく。

「痛みはあるはずだ」

 八尋は確認するように再度問いかける。

「だから何?」事も無げに言った花はため息をつく。「わたしの心配をしている場合じゃないだろう。というか、わたしを誰だと思っているんだ」

 次の瞬間、世界が回転していた。後頭部に衝撃を受けて痛みとともに理解する。投げられた。見えなかった。気づくことすらできなかった。

 息つく間もなく、胸ぐらを掴まれ強引に身体を持ち上げられる。花の顔が近づき、その額が八尋の鼻に打ちつけられる。

「あぐっ」

 強烈な頭突きに、思わず両手で鼻を押さえてしまった。胸元を掴んでいた相手の手が離れ、腕が上がってがら空きになった八尋の腹部に相手の前蹴りがヒットする。八尋は後ろに吹き飛び、為す術もなく地面を転がる。

「つまらない」

 短い花の声が聞こえた。

 痛みと吐き気をこらえ、すぐに立ち上がる。宗一郎の背中があった。花と八尋の間に入ってカバーしてくれたようだ。肩で息をしているのがわかる。八尋は宗一郎の横に並んだ。宗一郎の口からは血が零れていた。

 空気が重い。花が静かに怒りを表しているのを感じる。存在感に気圧される。膝の力が抜けて、その場にへたり込みそうだ。

 覚悟が足りなかったと、八尋は後悔した。

 相手がたとえ花だとしても、殺すつもりでかかる。そのくらいじゃないと、勝てない。戦い始める前にそう決意していたが、てんで甘すぎた。

 その程度の覚悟では、話にならなかったのだ。

「思い上がったな、ガキ共」

 荒い言葉の割に、冷淡な口調で花は声を発した。

「おまえらが戦おうとした相手がどういう存在か、身をもって知れ」

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