第59話 ホルダー・バニー

 八尋は目的地の倉庫前でタクシーを下りた。

 古びた建物を見上げながら、再びここを訪れることになるとはな、と妙な感慨を抱きつつ、倉庫の中へと入っていく。

 あの日、風香と四人のホルダーが立っていたその場所に、夜空、テレポーター、そして宗一郎とバニーの姿があった。

 宗一郎もバニーも、昨日と変わらない様子で穏やかな表情をして八尋を見ている。

 テレポーターは口を結び、腕を組んで不機嫌そうに目を閉じている。

 夜空は無表情で虚空を見つめているだけで、八尋に反応を示さなかった。

「やあ。遅かったじゃないか」

 その声は紛れもなく宗一郎だった。

「事故にでも遭ったのかと心配したよ」

「そんなものだよ。トラブルがあったんだ」

 八尋は答えながら、警戒の目を相手に向け続ける。

「へえ。どんな内容か気になるな」

 宗一郎はちらりと夜空に目をやり、「だが、気になってることも多そうだし、早速本題に入ったほうがよさそうかな」と告げた。

「そのほうがいい」八尋も同意する。「宗一郎が操られているとか、利用されている可能性は、俺も捨てたほうがよさそうだな」

「そうだな」宗一郎はあっさり肯定する。「今日の件で言うなら、主犯は俺だからね」

「夜空を連れていったことは狼から聞いた。どういうことだ」

「なんだ。気づかれてたのか。へえ、思ったよりもやるなあいつ」

 感心したように宗一郎は言った。

「それに、どうしてそいつがここにいる」

 八尋はテレポーターを指さす。

「おまえたちは仲間だったのか。バニーもそうなのか。なぜ夜空を狙う」

「いっぺんに言うなよ。落ち着けって」宗一郎は余裕のある態度を崩さない。「順を追って説明するからさ」

「落ち着いていられると思うのか」

 八尋は自嘲する笑みを浮かべた。

「何が起きているのか、俺にはさっぱりわからない。いいかげんにしてくれ」

「そうだな。わかるよ」

 宗一郎は眉を下げて同情するような表情を八尋に向けてくる。

「何も知らされていなかったんだ。混乱もするだろう。かわいそうに」

 哀れみの言葉と視線を送る宗一郎。どうしてそんな目を向けるのかと、泣きたい気分になる。

「アタシはね、今日から仲間になったんよ」とバニーが割って入ってくる。

「今日から?」

 八尋は彼女の言葉を復唱して問い返した。

「うん。つい先ほど。今さっきから、お仲間です。あ、センパイどもーっす」

 おどけた調子でテレポーターに敬礼しながらお辞儀するバニー。テレポーターは顔をしかめるだけで何も言わない。宗一郎はバニーの話すに任せる姿勢のようだ。

 八尋は「どうして」と、それだけを口にした。どうしてなんだ。

「どうしてって、あー、まあふつう訊くかそりゃ」

 バニーは自分の頭に生えているウサギの耳を指で顔の前へと引っ張る。それを上目で確認したあと、ぱっと指を離すと、ぴょこん、と弾力を感じさせる動きでまっすぐに戻る。

「なんかさあ、いきぐるしかったんだよね。アンタらのところは」

「息苦しい?」

「うん。生き苦しい」

 そう言ったバニーが、ぱっと身体を反転させたかと思うと、着ているパーカーの裾をまくって尻を軽く突き出すような姿勢を取った。

 ちらりと見える腰、ショートパンツとの境界のあたりに丸くてふわふわとした尻尾があった。バニーが腰をゆらゆらと動かすと、それにあわせて尻尾がふりふりと揺れる。

「可愛いっしょ」と言う彼女の無邪気な笑みは、八尋が昨日見たものと変わりない。

「これがアタシだよ。アタシはウサギで、ウサギであってこそアタシはアタシでいられるってことだよ」

「どういうことだよ」

 理解が追いつかない。これ以上困惑させないでくれと懇願しそうだった。

「俺たちが出会った時みたいな生活がしたかったってことか。その、身体を売って」

「は? アッハハハ! ちげーし。人をビッチみたく言うなっての」

 バニーはひとしきり笑ったあと、「止まり木にいると、アタシがアタシのままじゃいられなかったってこと」と語った。それでもバニーの話は抽象的で、八尋はまだ理解できずにいる。

 ただ、彼女が語ったそのフレーズは妙に耳に残った。

 自分が自分のままでいられない。

 八尋も同じことを考えていた時期がある。両親の顔色だけを窺って生きていたあの頃だ。

 夜空がバニーに視線を向けていることに気づいた。バニーの横顔を見つめながら何を考えているのだろうか。表情に変化はない。

「アタシはウサギになれる自分が大好きだ」

 まっすぐな目をしてはっきりと口にするバニー。

「ウサ耳だけでも可愛いし、しっぽ生やして街歩くのも好き。顔だけウサギなのも一周回って可愛くね? いやさすがにそれは可愛くねーわウケるわとかってひとりで鏡の前で笑うのだって楽しい。その日の気分で好きなようにウサギになれるのがアタシなんだ。アタシの名前はバニーだ。伊達でバニーを名乗ってないんだからな」

 そう言い切る彼女は自信に溢れていて、八尋には眩しかった。

「止まり木の暮らし自体は悪くなかったよ。売りヤんなくても毎日ごはん食べられるし、今日はどこで寝ようなんて考えなくてもいい。何より、そーちゃんに会えたからね。マジ運命の出会いだったわ。でもさ、アタシがアタシのままでいられないんじゃだめなんだ」

 バニーは「アタシはいつだってアタシのためにウサギになってる」と宣言するように告げたあと、険しい顔つきで続ける。

「なのに、ジジイはジロジロ品定めするみたいに見た上で誘ってくるしでキモいし、キレ気味に拒否ったら『そっちが誘ってるんだろう。迫られたくなけりゃそんな格好してうろつくな』とか言われてさ。マジで、はあああ? としか言いようがなかったわ。てめえのためにやってるわけじゃねーよ。見るまでは許すけど勝手にアタシのことを決めつけて誘うなバカ。それに、ババアはババアで文句言ってくんだよね。『シメシがつかない』だの『子供が見てる』だの『まじめにやれ』だの『バニーが名前とかふざけるな』だの。てめえらこそふざけんなっつーの。てめえら自身がまじめじゃないクセにマジで何言ってんだこいつら草も生えんわって思ったわ」

 眉間に皺を寄せて嫌悪感をあらわにしながら、それでも感情が収まらないのかバニーはまくしたてる。

「ほんと何が一番キモいって、まじめになんて生きられない連中ばっかり集まって、まじめなフリする努力すらせずに、まじめに見えるソトヅラだけ整えようとしてるところ。そういうのがマジでこの世で一番無理。まあ、向こうにしたってアタシみたいな見るからに不まじめなやつがくると目障りになっちゃうんだろうけどさ、それがそもそもおかしいっつーか。だって関係ねーじゃんアタシがどうなろうがさ。アタシのこと心配してるわけでもないクセに口だけ出してくるのなんなのマジで。自由にやってるのがそんなに気に食わないんかね。知らんけど」

 これまでの鬱憤をぶつけるように憤慨していたバニーが急に口を止めた。そして真顔を八尋に向けて「ごめん。興奮しすぎたわ」と謝ってきた。

 豹変した彼女の様子に八尋は呆気にとられ、宗一郎は噴き出して笑った。

「ちょ、そーちゃん笑いすぎだから」

 顔を真っ赤にして恥ずかしがるバニー。宗一郎はまだ笑っている。八尋も笑いそうになる。

 ふ、と気持ちがほどけそうになり、八尋は寒気がした。宗一郎とバニーと、こうして笑っているだけでいいならどれほど幸せだろう、いっそ彼らの言うままに任せてみようかと考えてしまいそうになるのを必死に堪える。

「何言ってんだかわけわかんなくなってきたから終わりね、終わり。まあそういうわけだから」と投げやりに話を切り上げるバニー。それから「文句があんならどーぞ」と付け加えた。口ぶりこそ彼女らしかったが、表情からは笑みが消えていた。

「文句なんかないよ」

 バニーの口元が少しだけ緩んだ気がした。否定的なことを言われると覚悟していたのかもしれない。言いたいことも訊きたいこともあるのは確かだが、何よりもまず八尋が思ったのは、心苦しさだった。

「君にとって居心地のよい場所を提供できなかったことを、申し訳なく思う」

 そう言うと、バニーは少しきまりの悪そうな顔をして「別にアンタのせいじゃないでしょ。関係ないじゃん」とフォローを入れてきた。優しい子だ。

「仮に俺のせいじゃなくても、俺がいる組織の話だ。関係はあるよ」

「はあ? そういうの、意味わかんねーから。てか、なんでアンタはあのゴミ溜めみたいな連中の中でそんなに綺麗でいられるわけ」

「それが八尋のいいところなんだよ」

 そう言って宗一郎が笑った。

 それは今までと変わらない、八尋への親しみをこめた笑顔だった。

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