第58話 支援要請

 シェルターに戻った八尋が見たのは、敷地前の道路で母を呼びながら泣いている颯汰の姿だった。

 駆け寄る八尋の姿を見つけた颯汰が、みるみるうちに顔をくしゃくしゃにしていく。八尋の太もものあたりにぶつかるようにして抱きつき、顔を押しつけて泣く彼の頭を優しく撫でながら、「何があったのかな」とできる限りのやわらかい声音で訊ねた。

 何度目かの問いかけで颯汰はようやく顔を上げたものの、泣くことを止めることができない様子だ。八尋はその場で膝をついて目線を合わせ、「ゆっくりでいいから。大丈夫だよ」となだめる。

「おにいちゃん、なかないで」

 八尋の背におぶさっていたちゆきが、自分だって今にも泣きそうに声を震わせているのに、兄を気遣った。優しい子だ。八尋までもらい泣きしそうになるのをぐっと堪える。

「お母さんが、いなくなっちゃった」

 顔を真っ赤にしながら、必死に涙をこらえるようにして颯汰は言った。すぐさま、堰を切ったようにおいおいと泣き上げる。言葉にしたことで悲しさがこみ上げてきてしまったのだろう。

 二人ともすっかり身体が冷えてしまっていたので、ひとまず親子が使っていた部屋へ入ることにする。

 部屋の中は散らかっていた。しかしあるのは子供用の衣服やおもちゃなどで、あずさの私物らしいものはほとんど見当たらなかった。彼女は自分の荷物をまとめて出ていったようだ。

 もしかするとあずさは、あらかじめ用意していたのかもしれない。いつかこういう日が来た時のために。

「やひろおにいちゃん、おかあさんどこいっちゃったの」

 背中を下りて八尋と手を繋いでいるちゆきの、怯えた様子が伝わる。曖昧な笑みを浮かべながら、「大丈夫だよ」と言うことしかできない自分に腹が立つ。何が大丈夫だっていうんだ。

 ふと、颯汰の左眼下の辺りが赤黒くなっていることに気づく。

「颯汰、どうしたんだそれ」と訊くと、颯汰はなんのことかわからないような様子できょとんとしている。

 八尋が自分の頬を指さしながら「ここ。赤いよ」と言ってみると、颯汰は自分の頬を触れてから、はっとしたように目を見開いて、下を向いた。

「……お母さんにたたかれた」

 その答えに反射的な怒りが湧くが、彼らに何を言えばいいのか八尋にはわからない。「痛かったな」と声をかけるのが精一杯だった。

 颯汰は首を横に振り、「叩かれても、お母さんといっしょのほうがいい」とぽつりと言った。


 ほどなくして、颯汰もちゆきも寝入ってしまった。八尋は彼らに布団をかけて部屋を出た。二人を残していくのは気が引けたが、ここにいるわけにもいかない。

 すると、たまたま施設内を巡回していて通りがかった中年の男性職員と出くわした。

 八尋は二人の状況を伝えしばらく世話を見てくれるよう必死に頼み込んだ。職員は、面倒なことを頼まれた、という態度を隠そうともしなかったが、渋々了承してくれた。他に頼れる人もおらず、彼に任せるしかなかったが、引き受けてくれただけでもありがたかった。何度も礼を伝えながら八尋はシェルターを出る。

 ここへきて、八尋は決断を迫られた。当てもなくあずさを探し回るか、宗一郎が示した場所へ向かうかである。

 選べるわけがない。どちらも重要だ。

 祈る思いで再度花へ連絡したところ、ようやく繋がってくれた。ほっとしながら「今どこにいる」と訊ねる。

『家電量販店だよ。ネットでライブ配信をやろうと思ってね』

「は?」

 予想もしない単語が出てきて、思わず出た声が裏返る。

『外でやる予定なんだけど、通信速度が重要らしくてさあ。だから今、モバイルWi-Fiの契約中なんだ。他にもいろいろ準備があるんだけど、終わったらまた連絡するよ。八尋に見せたいものがあるんだ』

 嬉々とした声で語る花。こちらの状況も知らないで何を呑気に、という感情が湧いてくる。

「それどころじゃないんだよ」

 口にした言葉の語気がつい強くなった。

「トラブルが発生してる。戻ってきてくれないか」

『嫌だよ』

 あっさりと、素っ気ない返事を返す花。

 八尋は苛立ちながら「ふざけている場合じゃないんだ」と伝える。

『あはは、ふざけてなんかないって。なんでわたしがふざけていると思うんだよ』

 花の態度に、八尋は違和感を覚え始める。いつもの軽口のようでいて、何かが違っている。

「おまえ、どうした」八尋は訝しみつつ問いかけた。「なんか変だぞ」

『察しがいいね』なぜか花は嬉しそうだった。『時間がないから他のことに手を回したくないんだ』

「時間がないって……今、買い物してるんじゃなかったのか」

『これも必要な準備なんだよ。だからね、「それどころじゃない」とか勝手に決めつけられると、お花さんも気分が悪くなっちゃうの』

 花がどうしてこんな態度を取るのか、八尋には訳がわからない。ただでさえいろんなことが同時に起きていて整理がつかないのに、これ以上混乱させないでほしかった。

「俺の言葉で気分を悪くしたなら謝る。でも、急を要するんだ。頼むから手伝ってほしい」

『八尋だけでどうにかできると思うけどなあ』

「手が足りないんだよ」

 あずさが荷物をまとめて出て行ってしまったこと、夜空がいなくなったこと、宗一郎の手紙の件をかいつまんで説明する。

「指定された場所へ向かわなきゃいけないけれど、そうするといなくなった東條さんを探すことができない。わかるだろ」

『ふうん。宗一郎がね』花はそう呟くように言ったあと、『それなら、あずさのことは放っておけばいいじゃない』と提案してきた。

「なにを言ってるんだよ」思わず声を荒げる。「放っておけるわけないだろうが」

『だって、見つけたところでどうするのさ』

 花はあざ笑うような口調で言った。

『あの子たちを置いて出て行ったあずさを捜して、強引にでも連れ戻せば、元の鞘に収まってまるっと解決万々歳、ってことになるとでも思ってる?』

「思ってるわけ、ないだろ」

 そんなことをしたところで意味がないことは八尋でもわかる。

『へえ。それじゃあ、おんなじこと訊くけどさ』

 今度はあからさまに笑いながら花が言った。

『見つけて、どうするの?』

 八尋は言葉を返せない。どうすればよいのか、わからなかった。

 君たちのお母さんは、君たちのことが嫌いになってしまったんだ。だからこれからは、二人で生きていくんだよ。そうやって颯汰とちゆきに言って聞かせてもらうのか?

 それとも、土下座でもなんでもしながら頼み込んで、兄妹のもとにいてくれるよう情に訴えかけてお願いでもするつもりか。

 馬鹿げた案しか浮かばない自分の力の無さが腹立たしかった。

「……あの人が自分の子供を捨てる決断をしてしまったのは、俺のせいだ」

 答えが見出せず、八尋は思ったままを吐露した。

「不用意に未熟な能力を使ってしまった俺の責任だ」

『ギフトの消去は彼女が望んだことだよ』

「おまえが期待を煽ったからだろうが!」八尋は怒鳴った。「おまえだって同罪だ」

『あはは、人聞きが悪いなあ』

 へらへらと花は笑った。

『わたしはあずさに、ギフトを完璧に消し去って今後一切変身することはありません、なんて一言も説明してないぜ。彼女が勝手に間違った結果を期待したんだ』

 八尋は唖然とした。そして思い出した。八尋が倒れたあとに花が語っていた台詞を。

「おまえ、知ってたんだろう。ギフトの消去が一時的だってことを」

『そうだよ』平然と肯定する花。『話した通りだ。八尋は前に一度あの力を使ったからね』

「知っててあの人に伝えなかった」

 花は否定しない。八尋は拳を強く握りしめる。

「相手が誤解しているのをわかっていて放置するのは詐欺師のやり口だ」

 吐き捨てるように言ってから、痛恨の思いで「でも俺は、それに気づけなかった」と続けた。

「俺が自分の力のことを憶えていなかったのがそもそもの原因だ。だから、終わったことについては、これ以上何も言わない。おまえが同罪だと言ったことも撤回して謝罪する。足りないなら、これから先いくらでも償いをする」

 そうだ。ここで花を責めたところで何にもならない。自分の責任から目を背けることにすらなってしまう。だから八尋は考えた。今、あの兄妹のために自分ができる最善の行動とは、何か。

 八尋の告げた内容に、花は『へえ』と感心したような興味がないような声を出して、『それで?』と先を促してくる。

「……颯汰とちゆきが、ずっと泣いてるんだ。お母さん、帰ってきて、って。叩かれて泣いてても、それでも一緒がいいって訴えるんだ。子供へ暴力を振るうことはもちろん許せないけど、あの子たちにとってはただ一人の母親なんだ」

 その姿が、あまりにも痛ましくて。なんとかしてあげたくて。だから。

「力を貸してほしい。あの子たちの母親を、二人のところへ帰らせてほしい。俺には、どうすればそれが叶うのか、わからない。力が足りないから。でも花なら、なんとかできるんじゃないのか。頼む」

 心の底からの切実な願い。そして、花なら最良の答えがわかるはずだという期待から出た言葉。自分の不甲斐なさに臍を噛む思いだ。それでも、これが兄妹のためにできる最善だと信じた。

 沈黙が続いた。花が言葉を継ぐまで、ずいぶん間があったように感じた。

『記憶か認知をいじればいい』さらりと花が言った。『簡単だよ』

「できるのか」

『わたしを誰だと思ってるのさ』

 花は再度、『簡単だよ』と告げる。

 それが簡単だと言えるのはおまえだけだろう、という言葉は飲み込んだ。それでも、八方塞がりの山道で、不意に差した光明で道が示されたような気がした。

 だがすぐに、その手法の道義的な問題点に気づく。

 相手の記憶や認知を操作して行動を意のままにする。それは許される行為なのか。

『やり方にケチつけるなら、自分でなんとかしなよ』

 八尋の考えを見透かすように、花がくぎを刺す。

「それは……」

『できないよね? 八尋だって、さっき自分で認めたばかりだろ。だから、無力な自分に早々に見切りをつけて、有能なわたしを頼った。違う?』

「……その通りだ」

『ハハ、少しは言い返しなよ』

 嘲笑う花。八尋は黙り込んでしまう。

 やがて花は、長いため息をついて『物足りないなあ』と呟いてから『仕方ない。あずさを探すとしますか。いなくなったのはどのくらい前?』と訊いてきた。

 慌てて腕時計を見る。駅前でちゆきを保護した時間を思い出しながら、「俺が見失ってから三十分は過ぎてるけど、まだ一時間は経ってないと思う」と応える。

『まだそれほど遠くには行ってないか。ま、なんとかなるでしょ。後でまた連絡するよ』

「ありがとう。恩に着るよ」

 八尋はほっと胸をなで下ろす。

『別にいいよ。恩に着なくて。というか』

 そこでいったん言葉を切ったあと、『断言するけど』と花が続けた。

「なんだよ」

『八尋はわたしに任せたことを後悔するよ』

「……? どういう意味だ」

『そのままだよ。ほらそれよりも、宗一郎の件だってあるんだろ。相手がいつまでも待っててくれると思うんじゃないぜ? 男の子が気になるあの子との初デートを待ち合わせてるわけじゃないんだからさ』

「わかってるよ」

 確かに、かなり時間を食ってしまっている。

「それじゃあ、また連絡する」

『んじゃねー』

 電話が切れる。宗一郎が指定した場所へ向かうため、足早に移動を開始する八尋。

 脳裏で、先ほどの花の声が再生される。

 後悔するよ。

 思考を追い出すように頭を振る。今は目の前のことに集中しろと自分に言い聞かせる。

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