第57話 ショッピングモールにて
あずさたちが出かけたショッピングモールがたまたま宗一郎と待ち合わせを予定した駅前にあるものだったのは助かったが、八尋が急いで駆けつけた現場は大騒ぎになっていた。
駅へと向かう群衆の波ができていて、隙間を縫いながら流れに逆らうようにしてなんとか前へと進んでいく。どうやらショッピングモールから避難させられた客がどっと押し寄せているらしかった。
八尋は移動しながら閉め出された買い物客たちの会話に耳をそばだてた。
「なんなのこれ。避難訓練?」
「なんか店の中にでかいワニがいたらしいよ」
「おれは恐竜が出たって聞いたけど」
「んなわけあるかよ」
十中八九、ちゆきの変身した姿が見られてパニックになったのだろうと推測された。かなりまずい状況になっている。
「遅い!」
ようやくあずさのところへたどり着いたと思ったら、彼女は開口一番で罵り、そして八尋に平手打ちを食わせた。
さすがに殴られるとは思っていなかったので、八尋は面食らって呆然としてしまった。殴られた頬がじんじんと痛む。周辺の人々が「何?」「痴話喧嘩?」とひそひそ囁く声が聞こえる。
周囲の声で我に返ったのか、あずさはきょろきょろと辺りを気にするように見回してから八尋に身体を寄せて声を潜めた。が、話の内容は結局八尋を罵倒するばかりで埒が明かないので、なんとか彼女をなだめて何が起きたのかを聞き出した。
どうやら、「おかあさん、きもちわるい」とつぶやいたちゆきをトイレに連れていったところで、全身がトカゲに変身してしまったのだという。
あずさは悲鳴をあげてトイレから逃げ出し、ちゆきもそれを追ってしまったようだ。何が起きたのかわからなかったのだろうから無理もない。
突如店内に一メートルほどのサイズの爬虫類が現れれば、周囲はパニックにもなろう。あずさはそのまま外に逃げてきたらしい。
「それじゃ、ちゆきは一人で置き去りにされたんですね」
「……なによその言い方」あずさが目を三角にして八尋を見た。しまった、と八尋も自覚する。失言だった。
「あたしが悪かったっていうの。母親失格だって、そう言いたいんでしょう」
「ごめんなさい。そういうつもりは」
八尋は謝罪したが手遅れだった。
「もう無理」
あずさがぼろぼろと涙を流し始める。
「あたしはバケモノの親になった覚えはない。あたしはバケモノなんて産んでない。あんなの」
八尋はあずさが何を言おうとしているか察した。
それだけはやめてくれと胸の内で懇願した。自分の直感が間違っていることを祈った。
だがそれも虚しく、あずさはついにその言葉を口にしてしまう。
「あんなの、あたしの子供じゃない」
止める間もなく、あずさは群衆の波に乗り、あっという間に八尋の手の届かない先へ進んでしまった。追うかと一瞬考えたが、ちゆきを放っておくわけにも行かず、あずさが立ち去るのをただ見ていることしかできなかった。
八尋がモール内に入ろうとした際、出てくる買い物客の誘導整理をしていた警備員に声をかけられたが、「姪っ子がまだ店内に残されている」とでっちあげた事情を伝えながら構わず先へと進んだ。止めにくるかと思ったが追ってはこなかった。向こうもそれどころではなかったのかもしれない。
モール内にはまだ結構な数の人がいるようだった。八尋にとっては好都合だ。
八尋のセンサーは半径五十メートル程度までホルダーの存在を感知できる。このショッピングモールは六階層なので、今いるフロアを進めば上下階にいたとしてもセンサーに反応があるはずだった。流れに逆らうように進んでいることが残っているスタッフの目に留まらないように気をつけながら、フロアを先へ進んでいく。
狙い通り、センサーにホルダーの反応を見つけた八尋は、やがて無事にちゆきを見つけることができた。階段の天井に張りつく巨大なトカゲの姿がそこにあった。
「ちゆき」
周囲に人がいないか気をつけながら声をかけると、トカゲの頭が八尋を見た。ぶるぶると小さく震えているのがわかる。怯えているのだろう。
できる限りの優しい声で「俺だよ。八尋だ。わかるか」と呼びかける。
ちゆきはしばらく天井に張りついたままだったが、そのうちに壁をするすると伝い下りて八尋の足元に近づいてきた。
「今、元に戻してあげるからな。だけど、声を出しちゃだめだよ」と話すとちゆきが小さく頷く。
八尋は彼女の身体に手をかざし、全身のギフトを少しずつ吸収していく。
変身が解けて少女の姿に戻ったちゆきは、八尋に抱きつきしゃくり上げるように泣き始めた。八尋は彼女の背中を優しくさすりながら「怖かったな。もう大丈夫だ」と慰める。
ちゆきは次第に落ち着きを取り戻したが、変身の影響で衣服がところどころ破れてしまっている。八尋は脱いだコートを彼女に着せるようにして身体を隠し抱きかかえると、素知らぬ顔をして出口へ向かった。
「あ、ちょっと」
あと少しで外に出られるというところで警備員に呼び止められ八尋は背筋が凍った。
声掛けに反射的に足を止めてしまったことを後悔しつつ、無視して逃げるか、適当に誤魔化すかと頭の中で必死に検討する。ちゆきの今の格好を見られたらあらぬ疑いをかけられても仕方がない。それだけは避けたかった。
年齢は重ねているものの姿勢に芯が通っており、眼光の鋭い警備員だった。彼は真顔で八尋に近づき目の前で立ち止まる。ちゆきと八尋の顔を交互に見ている。
それから相好を崩すと、「姪っ子さん見つかったんですか。よかったですね」とほっとしたように言った。
八尋はようやく気づく。入ってくる時に声を掛けてきた警備員だった。
「ご心配おかけしました。ありがとうございます」と八尋も安堵しつつ礼を言う。警備員はちゆきの頭をぽんぽんと撫でて「もうお兄ちゃんとはぐれちゃだめだよ」と優しく語りかけた。ちゆきも小さく頷いて彼の顔を見上げている。
八尋は何度も会釈をしつつ、出口をくぐっていった。ちゆきが「バイバイ」と手を振り、警備員も手を振り返してくれていた。
ラッシュのような人混みを外れ、少し落ち着いた路上までたどり着いた八尋は、ようやく気持ちを緩めて長いため息をついた。肝が冷えた。
とはいえ、まだ安心している場合ではない。八尋はタクシーでシェルターに戻ることにした。あずさが戻っているかもしれないと考えたのだ。
すぐにタクシーを捕まえることができ、車へと乗り込む。
乗車してすぐ、ちゆきは八尋の膝を枕にして寝息を立て始めた。疲れてしまったのだろう。不憫に思い、胸が痛くなる。
ちゆきの背中を優しく一定のリズムでぽんぽんと叩きつつ、八尋は花に連絡してみた。しかし通話は繋がらず、こんな時に何をしているんだと勝手な苛立ちを覚えてしまう。
宗一郎も相変わらず応答がない。夜空の件も当然気掛かりだ。早く指定された箇所に行かなければ何かが手遅れになるのではないかと考えてしまい、不意に恐ろしくなる。
落ち着け、と八尋は自分に言い聞かせる。自分の身はひとつしかないのだ。今は、ちゆきを送り届けることが最優先だった。
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