第54話 送別会(3)

 そうこうするうちにお開きの時間となった。皆が自然と手近にあるゴミを片付け、室内を元に戻していく。万一があるといけないので、夜空には部屋の隅に座っていてもらった。

「今日はありがとうございました」

 後片付けをしながら八尋は、風香に改めて礼を言う。

「こちらこそ」と応じる風香。「今日は勇気を出して来てみてよかったです。皆さんとてもいい人ですし、橘くんの新たな一面もわかりました」

「俺の新たな一面? なんだろう」

「ふふ。秘密です」と言って風香は悪戯っぽく笑う。

 あらかたの片付けが終わり、銘々が帰る準備を始めてゆく。

 八尋は宗一郎の肩を叩き、「それじゃ、また明日な」と声をかける。駅まで宗一郎を見送りに行く予定だった。

「何時に行けばいいかな」

「十時に改札前で待ち合わせよう」

「わかった」

「わざわざありがとな」宗一郎がはにかみながら礼を述べた。「俺が行きたいから行くんだよ」と伝えて八尋も笑う。

「アタシもいるからよろしくねー」

 横から顔を覗かせたバニーに「わかってるよ」と応じる八尋。

 確認を終えて二人のそばを離れ、夜空の座る傍らに置いてあった荷物と上着を取りに行く。

 コートを羽織りながら「今日はどうだった」と夜空に声をかけた。

「楽しい時間でした」

 夜空の口調は晴れやかだった。

「思えば、あなたと出会ってから今日まで過ごしたのは、望外の日々でした」

「そうかな」

 八尋はなんだか照れてしまい、うまく返事ができない。

「思い残すことはありません」と口にする夜空。

 八尋は思わず笑って「さっき花も同じようなことを言っていたよ」と言った。

「でも、それじゃあまるで死んでしまうみたいだ」

 自分を見上げる夜空の視線に気づいた。疑念の色が目に浮かんでいる。なんだ、と八尋も不審に思った。

「何を言っているのですか」

 夜空が困ったように話す。

「私は死にたいのですよ」

 八尋の思考がフリーズする。脳を直接叩かれたような衝撃を受けた気分だった。音が遠くなり、目眩がするような感覚に襲われる。

 馬鹿か俺は。

 八尋は自身を罵った。どうして忘れていたのだろう。注意すべき点は多々あれど、それでも夜空と普通の日常を送っていた八尋は、彼女が出会った当初に語ったことを今まで失念してしまっていた。

 本当にそうか?

 自分の中で声がした。

 本当に忘れていたのか。そんな大事なことを、忘れるだろうか。

 都合の悪い現実から、目を逸らしていただけじゃないのか。

 自分の中で、もう一人の自分が嫌みたらしく問いかけてきた。

「つまり、俺が夜空の能力を消すことで、君は念願叶って、死ぬことができるってことか」

 わかりきったはずのことを口にした。なぜ声にしたのか、自分でもよくわからなかった。否定してもらいたかったのかもしれない。しかし。

「……そうです」

 当然のように夜空は肯定した。当たり前だ。初めから、彼女はそう言っていた。

 八尋が夜空のギフトを消すということは、彼女を死なせるということだった。

 それは、八尋が夜空を殺すということとほとんど同義なのではないか。わかっていたからこそ、自分はこれまで、それについて考えることを避けてきていたのではないか。

 八尋は自分に問いかける。夜空の望みを叶えて、彼女を殺すつもりはあるか。

 その覚悟は八尋にはなかった。

「……いやだ」

 八尋はそう呟いていた。

 夜空が不可解そうに八尋を見ている。

「何を、言っているのですか」と問いかけてくる。「いやだとは、どういう意味ですか」

「俺は君のギフトを消したくない」

 今度ははっきりと告げた。夜空が顔色を変える。

「急にどうしたというのですか」

「俺は、夜空を殺したくない」

「もちろん、この力を消してもらった後の最期の始末は自分でつけます」

「そうじゃない」八尋は首を振る。「そうじゃないんだ。君が死ぬための手伝いなら、俺はしたくない」

 夜空は絶句していた。眉間に皺を寄せ、信じられないといった様子を見せている。

「今さら何を言っているんですか」と詰る夜空の声は震えていた。「期待させておいて、それはないでしょう」と抗議する彼女は、怒りの余りか、口角を上げた笑っているような表情を浮かべていた。

「俺は、君を助けたくて……」

 言い訳するように、言葉を探す八尋。

「私を死なせてくれることだけが、私を救う方法です」

 八尋の言葉を遮り、きっぱりと告げる夜空。睨みつけるように、しかし一縷の望みを託すように、八尋を見上げる眼。これは最後通牒だと悟った。

 八尋は顔を背けた。泣きそうな気分で「それはできない」と口にする。

「すまない」

 いつの間にか、食堂にいる皆の視線が二人に集まっていた。何事かが起きていることを察し、しかし手出しできないまま、遠巻きに様子を見守っているようだった。

「──なるほど。よくわかりました」

 夜空の冷たい声にはっとして、八尋は彼女を見た。

 出会った当初の、いやそれ以上に無機質で感情を湛えない表情の夜空がそこにいた。

 そのつぶらな瞳から流している涙だけが、彼女の気持ちを雄弁に物語っていた。

 夜空は八尋から視線を外し、「ずっと絶望だけを抱えて生きてきました」と語り出した。

「楽しいと感じたのは久しぶりです。百年を優に超えて感じることのなかった感情です。希望を抱くという行為を思い出しました。朽ち果てているのに姿だけを遺している樹木のような私の身体の中にも、まだこのような温かいものが残っていたのかと驚きました。……そして、これもいつぶりでしょうか」

 夜空は八尋をまっすぐに見つめ、涙を流しながら笑みを作った。

「改めて感謝を述べさせてください、八尋。忘れていた感情を思い出させていただいたこと、感謝します。あなたは確かに、私の心を殺しました。……この痛みを忘れていたなんて、私は愚かでしたね」

 八尋は言葉を失った。何か言わなければと思うのに、声が出てこない。

 夜空はぺこりと頭を下げると身支度を始める。

「私はもう二度と希望など抱くことはないでしょう」そう告げて食堂を出る夜空。八尋は後を追おうとするが「ついてこないでください」と一蹴され、廊下で立ちすくむ。

「こんな」と、背中を向けたまま夜空が吐き捨てるように言った。

「こんな、容易く奪われてしまうようなもの、思い出さなければよかったのに」

 立ち去った夜空の姿が見えなくなっても、彼女の残した言葉が八尋の頭の中でいつまでも響いていた。

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