第47話 急転(3)

「死ねやあああああ」

 万歳をするような動きをした丸眼鏡が、頭上に大量の何かを放り投げた。辺り一帯にばらまかれたそれが何であるか、強化された八尋の視力は捉えていた。それは彼のポケットに入っていたプラスチック製の球体だ。そのひとつひとつが、キラキラと輝いている。

 弾丸はすべて、丸眼鏡のギフトを纏っていた。無数の小さいナイフが宙を舞い、やがて地上目掛けて落下し始めた。

 敵も味方も関係ない、無差別攻撃を仕掛けてきたのだと悟った。

 テレポーターの姿が消えた。

 ユウキはマナトの元へ駆け寄ろうとした。

 マナトは腰を浮かせようとした姿勢のままその場を動けずに顔を上げていた。

 夜空の距離は離れているので問題ない。

 八尋は風香のもとへ走っていた。

 瞬く間に猛然と距離を詰めたがしかし、ほんの数瞬の差で間に合わないと気づいてしまった。

 風香の身体に凶刃が迫る。間に合わない。風香が死んでしまう。虚ろな表情で、意思を奪われたまま、これから死ぬことにも気づかずに逝ってしまう。彼女の命が奪われてしまう。

 そんなの、嫌だ。

 無意識に、フックを打つように腕を水平に振っていた。

 弧を描いたその軌道をなぞるように、自分のギフトが〝伸びる〟のを、八尋は感じた。伸びたギフトが見えない壁を創り風香の頭上を覆った次の瞬間、光のナイフが落ちてきた。

 八尋が作った〝盾〟に当たったナイフはギフトを吸収され、ただのプラスチック製の小さな球に戻り、風香の身体に当たって跳ねた。

 やがて全てのナイフが落下して、攻撃は止んだ。

 風香は無事だ。虚ろな表情のままだが、生きている。不意に彼女の身体から力が抜け、その場に倒れそうになったのを慌てて抱き留めた。意識を失っている。

 マナトが傷を負って呻いていた。思わず能力を解除してしまったらしい。全身ずたぼろにされていた。

 地響きのような咆吼が聞こえた。ユウキが血を撒き散らしながら怒濤のように丸眼鏡に攻め寄り、抗弁しようとする彼が声を発する前に巨大な拳で叩き潰した。

 悲鳴すら聞こえなかった。ユウキは何度も拳を叩きつけ、そのたびに倉庫が揺れ、鮮血が飛び散った。

 事が終わった時には、丸眼鏡は原形すら留めず肉片と化していた。

「マナト!」

 ユウキがマナトに駆け寄る。抱きかかえられた彼女はぐったりとしている。上半身が赤く染まっていた。

「マナト、マナト……ごめんな。ごめんな」

 おろおろとして泣き出すユウキ。目を開けたマナトは弱々しく微笑みながら、ユウキの頬を震える手で撫で、そして唇を彼に差し向けた。ユウキは涙を流しながら、マナトに優しくキスをする。

「落ち着、いて、ね」

 か細い声で途切れ途切れに言うマナトに、ユウキはぶんぶんと首を縦に振っている。

「ごめんな。俺、弱くて。あいつに勝てなくてごめんな」

 ぼろぼろ泣きながら謝罪を繰り返すユウキに、「大、丈夫」とマナトは応じ、そして八尋を見て「橘、八尋。あなたは、死になさい」と告げた。

 無論、八尋には効かない。マナトは息も絶え絶えに八尋を見つめていた。なぜ効かないのか、考える力も残っていない様子だった。ユウキは涙目ながら怒りの形相で八尋を睨んでいる。

 ふ、と。マナトの視線が逸れた。八尋の後ろにある何か──いや、後ろにいる彼女を見たのだと気づいた。

「やめろ」と口にしたが遅かった。

「夜空。死になさい」

 ユウキの腕の中で、マナトの身体が跳ねた。

 海老のように反り返り、四肢を痙攣させ、鬼のような形相で絶叫する彼女を、ユウキは声を失ったまま見つめていた。大きく開かれた口から、生命の全てを虚空へと吐き出すかのようだった。

 八尋は夜空を見た。目が虚ろだった。マナトのギフトはかかったままだ。夜空が足元に落ちていた何かを拾い上げた。

 それがガラス片だと気づき、あっ、と思った時には、夜空は自身の首を切り裂いていた。

 噴水のように血を噴き出しながら、夜空が倒れる。

 マナトの声が止んだ。彼女の身体は塵となり、ユウキの両手からこぼれ落ちて消えた。

「マナト?」

 ユウキは彼女の名前を呼んだ。

「マナト、どこだ」と言って、彼女の姿を探す。きょろきょろと不安げに辺りを見回す様は、はぐれた母親を探す少年の姿に重なって見えた。

 巡らされていた彼の頭が、とある方向で止まった。その視線の先に八尋も目をやる。

 横たわっていた夜空が、ゆっくりと動いた。

 頭を大地に横たえた姿勢から、両腕の肘を曲げ、両手を地面につき、肘を伸ばしながら上体を持ち上げる。右膝を腹側へ寄せると、ついた膝を支えに左足を地面に立て、そして立ち上がる。

 一連の動作を、羽化した昆虫が羽を伸ばすのを観察するかのように、八尋と、そしてユウキはその場を動かず見守っていた。

 首を回した夜空と目が合った瞬間、ユウキの怒りが爆発した。

「マナトをどこへやった」

 怒号を上げ、全身を震わせながら、夜空に襲いかかるユウキ。

 八尋は反射的に動いていた。地面を蹴って距離を詰め、勢いのままに跳び蹴りを相手の胴体にぶつけた。足先がユウキの胴体にめり込み、巨体がぐらりと揺らぐ。が、倒れない。

 八尋の足をユウキの手が掴んだ。気づいた時には八尋の身体は宙を舞っていた。ユウキが力任せに八尋を上空へ放り投げていた。

 宙を舞っている間──それは時間としてはほんのわずかでしかなかったが、自由が利かないその間、八尋は地上で起きることをただ見守ることしかできなかった。

 八尋を頭上に放り投げるやいなや、ギフトを解放してその巨体を更に膨張させた彼は、雄叫びを上げながら──マナトの名前を呼んでいたようにも聞こえる咆吼を上げながら、夜空へ突進した。

 砂埃を巻き上げて猛然と走るトレーラーのように迫り来る男を前に、夜空は逃げる素振りを見せなかった。逃げても間に合わないと考えたのか、逃げる必要がないと思ったのかはわからない。立ち尽くしたまま相手を見つめているだけだった。

 ユウキの振るった腕が弧を描き、夜空に迫る。

 直前、夜空が目を閉じた。ほんの一瞬だけ、身体を強ばらせたように見えた。

 巨大な鉄拳が衝突し、華奢な肉体はなす術もなくはね飛ばされる。地面にぶつかって不規則にバウンドしながら転がっていく夜空。乱暴に放り投げられた人形を見ているような感覚に襲われる。

「おおおおおおっ!」

 八尋が大地に着地するのとほぼ同時に、猛獣の唸り声のような音が響いた。

 ユウキが天を仰ぎ、吼えていた。先ほどと同じ光景だ。ああ、彼も死んでしまうと、泣きたいような感情が湧いてきた。

 聞くに堪えない痛ましい声は、やがてか細くなって、塵となった巨躯とともに闇に溶けて消えた。

 八尋はしばらくその場に立ち尽くしていた。動けなかった。

 風香はまだ眠っている。

 遠くでは夜空が何事もなかったように立ち上がっていた。

 丸眼鏡の肉片は散らばり、マナトとユウキは骨一つ残さずこの世から消えた。

 この結末に何を思えばいいのか、八尋にはわからなかった。

 風香を見る。怪我こそないものの、自分のせいで危険に曝してしまったことに強い罪悪感を覚える。懸念が現実のものとなってしまった。

 不意に、風香がこのまま目を覚まさなかったらどうしようという不安が芽生え、目眩に似た感覚に襲われた。大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。大丈夫なはずだ。

「彼女は無事ですか」

 夜空がそばに立っていた。

「眠ってるよ」

 返事をしながら風香を抱き上げる。

「たぶん、しばらくすれば目を覚ます」と口にしたのは、そうあってほしいという希望的観測が多分に含まれている。

「そうですか。それはよかった」

 きっと何気なく口にしたのだろう夜空の言葉に、八尋は苛立ちを覚える。何がよかったというのか。

 いや、と八尋は思い直して小さく首を振る。こんなのはただの八つ当たりだ。落ち着け。

「……夜空も、身体は平気か」と訊ねた。夜空は衣服が裂けてズタズタだった。泥や血であちこち汚れている。

「問題ありません。私は傷が付いても元に戻りますから」

 そこで夜空は自分の様子に目を向けて、「買っていただいた服は駄目になってしまいました。申し訳ありません」と謝った。

「いいよ」と答えながら、八尋は少し気が抜けた。この状況で気にかけるのが衣服のことかと、呆れるように感心した。

「……帰ろう」

「はい」

 腕の中で眠る風香の生きてる身体の重みを感じながら、八尋は倉庫を後にした。


 今日の宿である狼の母屋に帰宅後しばらくして、風香は無事に目を覚ました。

 幸か不幸か、操られている最中のことは憶えていなかった。八尋と別れた以降の記憶が曖昧になっているようで、「別れた直後、貧血を起こして倒れたのを自分が介抱した」という八尋の説明を疑うこともなく受け入れてくれた。

「今日は本当にご迷惑をおかけしました」

 恐縮しきりの風香に、八尋は「大丈夫ですから」と言って笑顔を見せた。

 八尋は風香の自宅まで車で送っていった。「そこまでお手数をおかけするわけにいきません」と風香は固辞していたが、「もう夜も遅いし、心配だから送らせてください」と八尋から頼み込み、最後には承諾してくれた。

 助手席を降りた風香が、ドアを閉める前におずおずと「あの、また会えますか」と訊ねてきた。

「今日のお詫びをさせてください」

「お詫びなんて、別にいいですよ」と八尋はやんわり断る。

「じゃ、じゃあ、普通にまた会ってください」と慌てて言い直す風香。

「ええ。また」とだけ答えると、風香は安心したように表情を和らげた。

「それじゃ、おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 助手席の扉が閉まり、八尋は車を発進させる。

 狼の母屋に帰り着くと、スマートフォンに風香からメッセージが来ていた。

 八尋は返信しなかった。もう彼女とは会うべきではないと決心がついていた。

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