第46話 急転(2)

 日が短くなった十一月の空はあっという間に暗くなる。

 午後五時前。八尋は夜空を乗せた車を、セーフハウスにほど近い場所にある工業地帯へと走らせていた。

「あれか」

 目的地の倉庫前で車を停車する。エンジンを切り車を降りると、助手席の夜空もそれに続くように外へ出た。

 周囲に人気はなく、街灯もまばらで薄暗い。八尋は拝借した丸眼鏡のスマートフォンを手にして着信を待つ。

 五時ジャスト。着信があった。通話に出る。

『着きましたか』

 電話をかけてきた相手はテレポーターだ。

「指定された建物の前にいる」

『夜空と一緒に中へ入りなさい』

 それだけ言うと通話は切られた。

 指示された通り、錆の浮いた金属製の扉をくぐり倉庫内へと入る。

 中は大きな空間が広がっていた。今は使われていないのだろう、薄汚れたドラム缶や壊れた木箱が無造作に放置されている以外、めぼしいものはない。照明は点いているものの光量が頼りなく、全体的に薄暗くて埃っぽく、陰鬱な空気が漂っている。八尋と夜空は奥へと進んでいく。

 倉庫の中央に五人分の人影があるのが見えてきた。

 そこに風香の姿があった。

「秋月さん」

 八尋が呼びかけても風香は反応しなかった。目は開いているが虚ろな表情をして、ただそこに立っているだけだった。

 意思を感じられない彼女の姿に、八尋は歯を強く噛みしめる。

 風香の後ろ、積み上げられた木箱のひとつに女が腰掛けていた。長い黒髪は腰の辺りまで伸びており、痩身で、つまらなさそうな顔をして八尋を見ている。怪我でもしているのか、頬に大きなガーゼを当てており、目元も赤黒く変色している。

 女の肩に手を置いているのは巨漢の男だ。身長は二メートルを超えているのではないだろうか。肩幅が広く、腕も脚も筋肉で膨れ上がっている。仏頂面で八尋を睨んでいる。

 丸眼鏡は──八尋が破壊したためもはや丸眼鏡はかけていないのだが──鼻が曲がり、鼻孔にした詰め物は赤く滲んでいたが、ぎらぎらとした目で八尋に憎悪の表情を向けていた。

 スーツを着ている男がテレポーターだろう。眼鏡をかけた神経質そうな顔に、不誠実な人間らしい下品な笑みを浮かべている。

「さて」テレポーターが口を開いた。「取引を始めましょうか」

 八尋は黙ったままテレポーターを見た。テレポーターは笑みを崩さず「この女を返してほしいのでしょう。夜空を渡せば返しますよ」と告げてくる。

 八尋はテレポーターから受けた電話を思い出す。

 花に事態の報告と支援を依頼した後、八尋は夜空を伴ってすぐに車を出しセーフハウスを離れた。風香の元へ向かうためだ。しかしその車中で、丸眼鏡から拝借した電話に着信があった。

 増援を連れて戻ってきたテレポーターが、セーフハウスに放置してきた丸眼鏡が持ってたはずのスマートフォンをなくしていることに気づき、八尋が持っていったことを推測して電話をかけてきたのだ。

『秋月風香の身柄は預かっています。返して欲しければ夜空と交換です。連れてきなさい』

 既に先を越されていたと理解し、八尋は絶望的な気持ちになった。

 ひとまず従うしかなく、八尋と夜空はこの倉庫へとやってきたのだった。

 取引なんて嘘だとわかっている。彼らは八尋を殺す気だ。きっと風香も無事じゃ済まない。なんとかこの状況を打破しなければならない。

 花もここに向かっているはずだが、宗一郎とともに次の仕事先へ移動中だったため戻ってくるのに時間がかかる。到着を待っている余裕はない。一人でなんとかするしかなかった。

「秋月さんに何をした」八尋は問いを発する。「様子が変だ」

「そうですかね」テレポーターは半笑いでとぼけた。「彼女は自ら僕たちについてきてくれたんですよ」

「秋月風香」

 不意に女が風香の名前を呼んだ。

「自分の首を絞めなさい」

 途端、風香の両手が自身の首を掴み、力をこめ始めた。

「やめろ!」と八尋は悲鳴に似た声を上げていた。

「秋月風香。もういいわ、やめなさい」

 再び女が出した指示に従い、風香の両腕は力を失いだらんと垂れ下がる。

「……とまあ、こんな感じでしてね。従順ですよ彼女は」と得意気にするテレポーター。八尋は歯噛みした。女が〝精神操作〟のギフトを使って風香を操っているのだ。

「おい」

 そこで突如、巨漢の男が口を挟んできた。

「なんでおまえが偉そうにするんだ。すごいのはマナトのギフトだろうが」とテレポーターに向かって凄み始めた。

「いや、あの」と口ごもるテレポーターに、「てめえ。俺のことも馬鹿にしてるんだろう。わかってるんだからな」とますますヒートアップする巨漢。

 何が起こっているのかと八尋は訝しむ。唐突に仲間割れを始めたようだが、どこが巨漢の男の気に障ったのかよくわからない。

 すると巨漢の男は、突如その大きな身体をさらに膨れ上がらせた。

 でこぼこと隆起した筋肉の鎧を身に纏っているような男の姿は明らかに異様だった。〝身体増強〟のギフトを持っているのだろうと察する。

 テレポーターのあからさまな動揺ぶりを見て、これは利用できるかもしれないと八尋は考え始める。

「ムトウユウキ。私の目を見て」

 マナトと呼ばれた女が巨漢の男──ユウキに命じた。すると、ユウキはテレポーターに迫ることをぴたりと止め、マナトの前にひざまづき彼女の顔を見た。風香と同じように虚ろな目をしている。

「……あれ。マナト?」

 ユウキが声をあげた。マナトが能力を解除したのだろう。マナトはユウキの頬を撫で、キスをすると「落ち着いた?」と訊ねる。ユウキは小さく頷き、テレポーターがほっと息を吐くのがわかった。

「ムトウユウキ」

 八尋は男の名を呼んでみた。ユウキが鋭い目を向けてくる。

「あんた強そうだな」

「そうだ。俺は強い」

 立ち上がったユウキは謙遜することなく肯定した。

「余計な話をしないでください」とテレポーターがユウキに苦言すると、ユウキは再びいきり立って「俺に指図するな!」と怒鳴った。空気がびりびりと震えるような怒声だった。ずいぶんと易怒性が激しい男のようだ。

「そんなに強いあんたがどうして、そこにいるような男にリーダー面させてるんだ」

 テレポーターとユウキの対立を煽るように八尋は言った。

「あんたのほうが強いんだろ」

「そうだ。俺は強い」

 同じ台詞を口にするユウキ。それからテレポーターを睨みつけ、「こんなやつ、リーダーでもなんでもない。こいつは今回の仕事にマナトを誘いやがったんだ。ボスの依頼じゃない。こいつがどこかで拾ってきた話だ。だから心配で俺もついてきた」と説明した。

「……っ。おい、余計なことを訊くな」

 ユウキを制することを諦めたらしいテレポーターが、今度は八尋を牽制した。八尋は少しずつ彼らの関係を把握する。

「黙れってさ」

 八尋はユウキを見ながらわざとらしく肩をすくめて「そこの男は、あんたが俺に言い負かされると考えているらしい」とユウキをさらに焚き付けるようなことを口にした。

 驚くテレポーターに、「なんだと」と不穏になるユウキ。テレポーターが慌てて視線を送ったマナトは静かに首を振っている。先ほどのように制御はできないようだ。いったん解除すると同一人への連続使用に制限があるのかもしれない。

「なにゴチャゴチャやってんだよめんどくせえなあ!」

 丸眼鏡が怒号を上げた。開かれた口から、前歯が欠けているのが見えた。

「馬鹿なんか連れてくるからややこしくなるんだ。取引なんてまだるっこしいことしてないで、さっさとその女刻めばいいんだろうが。ガキがいきがりやがって。泣いて後悔しろボケ」と罵声を吐きながら風香に迫る。まずい。八尋は駆け出したが、距離が遠い。

 しかし丸眼鏡はユウキの巨大な張り手に吹き飛ばされていた。

 八尋は足を止めた。さすがに呆気にとられてしまった。テレポーターも驚いたように固まっている。マナトだけは、展開が想像できていたとでもように、相変わらずつまらなさそうな顔をして成り行きを眺めている。

「馬鹿はおまえだ」

 ユウキは憤っていた。ギフトで膨れ上がった彼に張り倒された丸眼鏡は倒れたまま動かなかった。

「おい」

 ユウキが今度は八尋を指さす。

「おまえも俺を馬鹿にするならぶっ壊してやる」

「馬鹿になんてしてない」

 八尋は否定する。危なっかしさを警戒しているだけだ。

「ぶっ壊す」

 ユウキはもはや八尋の声など聞こえていないようで、嬉しそうに顔を歪めて笑っていた。

「ああ、いいな。久しぶりだ。仲間を壊してはいけないってボスに言われてるからな。でもおまえは仲間じゃないから壊していいんだもんな」

「たった今、お仲間を『ぶっ壊した』ところじゃないのか」

 八尋は揶揄するように言ったが、ユウキは「俺を馬鹿にしたから殴っただけだ。壊してない」と開き直った。

「おまえはぐちゃぐちゃに潰したあと、手足を引きちぎってやる」

 ユウキが力強く歩み寄ってくる。八尋は構えて臨戦態勢を取る。

 ユウキの丸太のような剛腕が振るわれた。八尋は体勢を低くしながら踏み込んで躱し、金的にパンチを見舞った。逆の肘で鳩尾を打ち、相手が振るった腕をくぐるようにして身体を回り込ませながら横面に掌底をぶつけ、相手の腕に自分の両腕を絡めて関節と逆方向に捻り上げようとした。

 しかし、ユウキは腕力だけで強引に八尋の腕を引き剥がし、続けざまに裏拳を放ってきた。躱すのが間に合わず、両腕でガードするも衝撃に負け、八尋は尻餅をついてしまう。

 起き上がるより先に、ユウキの巨大な手が八尋の首を押さえつけてくる。絞め上げられる前に、相手の腕に自分の足を絡め、体重をかけて相手のバランスを崩そうと仕掛けた。

 ところが、ユウキは片腕一本で八尋の身体を持ち上げ、そして地面に叩きつけた。背中と後頭部に激しい痛みがあり、肺の中の空気が無理矢理吐き出されて寸秒呼吸ができなくなった。

「変だな」

 ユウキはそう言いながら八尋の首を掴んでいた手を離した。八尋から離れた途端、彼のギフトによる強化で数倍に巨大化する拳をしげしげと眺めてから、「おまえ、何かしてるな」と睨んできた。

 八尋は咳き込みながら這いずるようにしてユウキから距離を取り、そして立ち上がって再度構えた。呼吸を整えるうちに身体の痛みは消えていく。自分を睨むユウキの顔には、かすかに困惑の色が見える。

 ユウキが身体増強のギフトを使っても、触れる直前には八尋に吸収されてしまう。素の身体能力だけで強化された八尋に対抗できるのは流石といったところだろうが、戦うほどにギフトを吸収する八尋は、身体強化が進みパワーもスピードも増すだけでなくダメージも回復する。

 そこから徐々に八尋は優勢となっていく。

 相手の攻撃を躱し、的確に打撃を入れていく。何度目かの攻防で、ついにユウキが膝をついた。

「お、おい!」とテレポーターが叫んだ。「そこまでだ。もう動くな。動くと女の命はないぞ」と脅しを口にする。

 無駄だ。今の八尋なら、一呼吸するうちに間合いを詰められる。

「邪魔をするな」と声を張り上げたのはユウキだった。太い指をテレポーターに向けて「余計なことをしたらおまえから潰してやる」と凄んでいる。

 それからも、立ち上がっては向かってくる彼を八尋は何度も殴り倒した。

 気づくと、ユウキが涙を流していた。八尋はさすがに狼狽える。泣きじゃくりながら、それでも立ち向かうことを止めない彼はまるで駄々をこねて暴れる子供のようだった。八尋は戸惑いを覚え、攻撃を躊躇ってしまう。

 そのせいで、いつの間にか起き上がっていた丸眼鏡に気づくのが遅れてしまった。

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