第45話 急転(1)

「おかえりなさい。早かったのですね」

 セーフハウスに帰宅した八尋を、リビングのソファーに座って読書していた夜空が出迎えた。

「君に申し訳なくて」と咄嗟に口にしてしまってから、我に返った。同時に強い嫌悪感が生じる。

 何を他人のせいにしているのか。

 手を強く握りしめていることに気づく。見ると、手の平に爪が食い込んだ痕がついていた。

「私に申し訳ないというのは、どういう意味ですか」

 夜空は本をぱたりと閉じると、八尋に身体を向ける。

 吐いた唾は飲めない。八尋は観念して「俺は力不足だ」と真情を吐露する。

「夜空のことを花に任されたのに、君の力を抑える方法がいまだにわからない。この先どうすればいいのかも不透明だ。不甲斐ない自分が腹立たしい。もっと頑張らなきゃならないのに、俺だけが秋月さんと遊んでいていいのだろうかと思えてきてしまった。夜空の言う通りだよ。俺は中途半端だ。本当にごめん」

 八尋が語り終えるのを、夜空は目を離さず黙ったまま聞いていた。そして不意に目を伏せると、ようやく開いた口から告げられたのは八尋が予想しなかった言葉だった。

「私はあなたに呪いをかけてしまったのですね」

 言葉の真意を八尋が測りかねていると、立ち上がった夜空が近づいてきて、眼前で立ち止まった。八尋は怯みながらも夜空から目を逸らせず、見上げてくる彼女の目を見つめていた。

「先日の失言は改めてお詫びします。申し訳ありません」

 謝罪の言葉を口にした夜空だったが、「ですが」と言葉を継ぎ、「あなたはやはり中途半端です」と再度八尋に告げたのだった。

「誤解しないでください」続けざまに夜空が口を開く。「あなたが私に気兼ねする必要などないということです。彼女と出かけたのだから、私のことなど考えずに彼女との時間を楽しんでいればよかった」

「だけど」と口にする八尋を気に留める様子もなくキッチンへと向かう夜空。戸棚を開けてマグカップとインスタントのミルクティーを出している。

「お忘れですか。私はすでに二百年生きているのですよ」

 粉を入れたカップにポットからお湯を注ぎながら夜空が言った。

「今更焦ることもありません。私はいつまでも待ちます」

「……いつまで待っても、俺が期待に添えないかもしれないとは思わないのか」

 後ろ向きだと自分でもわかっていながら、八尋は問いかけずにはいられなかった。

 出来上がったミルクティーの入ったマグカップを二つ手にした夜空が、そのひとつを八尋に押しつけながら語り出した。

「私は、数多の生命を奪い続けながら独り、ただひたすらに生き続けてきた。時代が移り変わり社会は変容しても、私に変化は訪れなかった。ここ数十年は、何かを深く考えることもなくなってきていました。最後に誰かとまともな会話をしたのはいつだったか思い出せないほど前のことです。同じ人物とこれだけ長く時間を過ごすことも、二度とないことだと思っていました」

 夜空の言葉に八尋は真剣に耳を傾けていた。

「あなたは、私がこの忌まわしい能力を身につけてから初めて現れた、特別な存在です。ずっと同じような時間を生きてきた私に、これからも同じような時間を生きていくのだと思っていた私に、確かな変化をもたらした。私はあなたに感謝しています、八尋。あなたに出会えてよかった。だから、あなたが自分で自分を大したことがないと思っても、私はそうは思いません。私はあなたを信じます」

 夜空は相変わらずの真顔で、表情からは感情を読み取りにくい。声に気持ちを籠めるでもない。

 でも、これまで夜空と過ごしてきた八尋には、彼女の言葉は十二分な実感を伴って胸に響いた。自分の存在を彼女に認められたような気がした。

 八尋は涙がこみ上げてきたことに気づいた。慌てて目元を拭う。

「……ごめん。弱気になった」

「そういう時もあるでしょう」

 まるで気にしていないように淡々とした声で言う夜空。いつも通りの彼女だ。それがむしろ心強くもある。

「ありがとう」

「こちらこそ」

 夜空の淹れてくれたミルクティーを一口飲む。温かくて優しい甘さがした。ほう、と息をつく。

 ふと夜空の様子を見る。彼女は手にしたマグカップに口もつけず、呆然と虚空を見つめている。真一文字に結ばれた口。いつもの真顔のはずだ。だが、心なしかこわばっているように八尋には思えた。

 なんとなく、夜空が何かに怯えているように見えた。

「夜空?」

 八尋の声掛けにはっとした様子を見せた夜空は、ぼんやりとした目を八尋に向けてくる。

「どうした?」

「……いえ。なんでもありません」

 顔を背けてそっけなく答える夜空。急にそんな様子を見せて、なんでもない、というのは無理がある。

「なんでもないようには見えないけど」

「……大丈夫です。ただの気迷いです」

 それ以上は夜空の態度について問いかけることはしなかった。

 何かが軋むような音が天井から聞こえてきたからだ。

 音のした方向を見上げる。夜空にも聞こえたようで、彼女も天井を見上げていた。

「音がしたな」

「ええ」

 家鳴りかと考えかけたところで、気づく。八尋のセンサーが反応している。

 ホルダーが二階にいる。

 階段から足音がした。自分の存在を隠す様子もなく、無警戒な足取りで階段を下りてくる。

 薄汚れたハイテクスニーカー、ダボついたカーキ色のワークパンツ、黄色いパーカーを身につけ、色のついた丸眼鏡をかけた男が現れた。

「お邪魔っす」

 丸眼鏡の男はふざけているようにも聞こえる調子で挨拶をした。それから八尋と夜空の顔を交互に見て、「一日のうちに可愛いオンナのコをとっかえひっかえ、羨ましーっすね」などとのたまった。

 丸眼鏡の男が自分がやってきた階段の上へ視線を送り、「なあ。こっちがアタリかな」と言った。

 階段の上にもう一人いた。踊り場に立つその人物の、スラックスと革靴を履いた足元だけが見えている。

「恐らく。ですが念を押して両方確保します」

 男の声が階上からした。

「じゃあこの兄さんはもう用済みってことよな」

「そうですね」

「んじゃ殺すわ」

 丸眼鏡の左手の中が突如発光した。右脚で踏み込んできたかと思うと、大きく引いた左腕を八尋目掛けて突き出してくる。八尋は反射的に上体を捻った。先ほどまで八尋の顔があった空間を、まず光る何かが、続いて相手の左手、左前腕が貫くように通過した。

 初撃を躱された丸眼鏡は一瞬だけ意外そうな顔をすると、左腕を引き戻しながらバックステップで距離を取った。左手で握りしめている、煌々と光り輝く物体。刃物の形をしているように見える。刃渡りから言うなら、光る包丁だ。しかし相手はつい先ほどまで何も手にしていなかったはずだ。

 つまり、あれは相手のギフトで創られた武器だと八尋は瞬時に判断する。

 丸眼鏡はまるでヤクザがドスを扱うように、腰だめに左手を構え、右手を添える。

 何をするつもりか知らないが、気にせずに八尋は相手に向かって突進する。

 丸眼鏡の構えた左手から、光る刀身が伸びた。光の刃はまっすぐに八尋の胸目掛けて伸びて、そして八尋の身体に触れる数センチ前のところで、かき消えた。ギフトを吸収した時の感覚が八尋の中に流れ込んでくる。

「は?」

 呆気にとられたような声を漏らす丸眼鏡。

 階上の男が「どうしました」と声をかけてきた時には、八尋の掌底が丸眼鏡の顎を打っていた。続けざまに相手の股間を蹴り上げると、相手が反射的に身体を折った。下がった頭にパンチと膝蹴りを食らわすと、男は盛大に後ろに倒れ込み、そして動かなくなった。

 すぐさま向きを変えて階段へ迫る。しかし、一段目に片足をかけようとした直前、踊り場に見えていた男の姿が目の前から消えた。

 舌打ちが出る。逃がしてしまった。何らかの能力を使ってこの場を脱出したらしい。

「何が起きたのですか」

 夜空が怪訝な表情を見せて問いかけた。

「襲われた」と答えながら、仰向けに寝ている丸眼鏡の身体を裏返し、手近にあったガムテープで後ろ手に拘束する。

「誰なのですか」

「わからない。見たことがないやつだ」

 八尋は周囲を警戒しつつ二階に上がり各室を確認していく。

 窓は全て閉まっており破られた形跡はない。残されていた痕跡は階段へと続くかすかな足跡だけだった。元を辿ると夜空が使用している寝室の中央で途切れていた。

 先ほど逃げた男を思い出す。八尋の目の前から一瞬で姿を消した彼はテレポーターなのだろう。テレポーテーション能力で侵入されるのは厄介だなと考えながら八尋は階下へ戻る。侵入そのものを防ぐ術はない。

 気絶している男の身体を探る。身分や正体がわかるようなものはなかった。財布すら持っていなかったが、なぜかポケットにエアガン用のプラスチック製弾丸がむき出しの状態でたくさん入っていた。スマートフォンは所持していたもののロックがかかっており中を見ることはできなかった。そのまま返そうとしたが手を止め、少し考えてから拝借しておくことにした。

「ひとまず花に連絡するよ」

 自分の電話を取り出して花に通話をかける。現状を報告して判断を仰ぎたかった。

「この男、妙なことを言っていましたね」

 夜空が倒れた男の傍らにしゃがみこんでいた。八尋も男の顔に目をやった。鼻血を出して白目を向いている。花を呼び出すコール音を聴きながら、男が何を言ったか記憶を遡る。

 ── 一日のうちに可愛いオンナのコをとっかえひっかえ──

 ──こっちがアタリかな──

 ──念を押して両方確保します──

 八尋は耳からスマートフォンを離していた。何事かを考え込むような仕草をしていた夜空がはっと顔を上げた。二人の目が合う。

「用済みと言ってあなたに襲いかかったということは、もしかして目的は私だったのですか」

「こいつら、俺が今日、夜空以外の女性と一緒にいたことを知っていた」

『もしもし? おーい八尋ー?』

 だらりと下げた左手に握ったスマートフォンのスピーカーから花の声がしていた。

 八尋の頭には風香の笑顔が浮かんでいた。

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