第43話 中途半端(1)
「今日はお付き合いありがとうございます」と、あどけない表情で風香が言った。「誘ってもらってすごく嬉しかったです」
公園の最寄り駅で待ち合わせた八尋たちは、バスに乗って先日出会ったバス停を降り目的地へと向かって歩いていた。天気は晴天で、青い空が清々しかった。
八尋は照れて頬をかきながら「こちらこそ、お邪魔じゃなかったですか。写真撮るのが目的なのに俺なんかがついてきちゃって」と訊ねた。
「全然そんなことないです! 誰かと一緒のほうが楽しいですし。私こそ、撮影に夢中になっちゃったらごめんなさい」
「俺のことは気にしないで、行きたいほうへ好きなように進んで撮りたいものを撮ってください。俺はついていきますから」
風香は「お言葉に甘えてそうさせてもらいますね」と笑顔を見せた。
八尋はちらりと彼女の首元から下がっているカメラに目をやった。カメラに疎い八尋には機種の見分けはつかないものの、ずいぶんと本格的なものに見える。
「カメラは短大時代に始めたんですか」と訊いてみた。
「始めたのは社会人一年目の時です。だから昨年ですね」
風香がカメラを手にして眺めている。優しい目をしていた。
「短大時代の友人が、新しい機種を買ったからと、いらなくなったこのカメラを譲ってくれたのがきっかけでした」
「カメラを譲ってくれるなんて気前のいいご友人ですね」
「私もそう思います」と風香は苦笑した。「いくらなんでも申し訳ないのでお金は払うよって伝えたんですけど、『同性のカメラ友達ができることと比べれば、エントリーモデルを譲るくらい安いもんよ』って断られちゃって。彼女の周りでカメラが趣味の女の子が少ないんだそうです」
「共通の趣味を持った友人ができると楽しいですもんね」
「はい! 彼女があちこち連れて行ってくれるので新鮮ですし楽しいです」
そう言った風香が突如「あっ」と声を上げたかと思うと、「これは、彼女に『どんどん話して』って言われたのでお話するんですが」と声を潜めて話し出した。八尋も身体を傾けて「なんですか?」と片耳を差し向ける。風香が口の横に片手を当てて話す仕草が可愛らしい。
「彼女が新しく買った機種は、レンズも合わせると二ケタ万円はするらしいですよ。四捨五入すると三ケタになるほうの二ケタです」
「ひええ」と思わず悲鳴が出る。趣味の道具にそれだけの金額を注ぎ込んだ経験はない。同時に、そこまでかけても惜しくない趣味があるということをうらやましいとも思う。
「『初めてのボーナス全額ぶっこんだわ!』って、笑ってました。豪快ですよね。でもボーナスだけじゃ足りないから、目標のために学生時代から貯金してたみたいです。彼女、すごいんですよ。しっかり計画して、それを実行に移す力を持ってる。実はこっそり憧れてるんです」
風香の話しぶりだけで、彼女が友人のことをとても大切に思っていることが伝わってきて微笑ましかった。
「こっそりどころか、相手にばれてるんじゃないかな」
「えっ」
意外だとでもいうような顔をする風香。それが可笑しくて八尋は少し笑ってしまった。
「少し話しただけの俺にもよくわかりますからね」
風香の顔がほのかに赤くなる。
「そんなにわかりやすいですか、私」
「うん。だいぶわかりやすいです」
「恥ずかしい」
両手で顔を隠したかと思うと、続いてぱたぱたと扇ぎ始める風香。
「そういえば、彼女にもよく『風香はわかりやすいからなあ』って笑われてたの、思い出しました。まずいな。ばれちゃってるかな。次会う時どんな顔しよう。あっ、そうだ。今度機会があれば橘くんも一緒にごはんでも食べませんか。彼女のこと紹介しますね」
「ええ、是非」
八尋と風香は住宅街の中を歩いていた。傾斜の緩い上り坂をずっと上り続けており、後ろを振り返ると街並みが眼下に見える。公園はこの丘の頂上にあるようだ。風香が言っていた洋館はきっと、見晴らしの良い場所に建築されたのだろう。
「そういえば」と風香が話題を変える。「橘くんは何か趣味ってありますか」
「俺の趣味ですか。うーん、なんだろう」
いざ問われると、ぱっと出てこないのは不思議なものだ。自分には趣味すらないのだろうかと八尋は不安を覚える。
「休日に何をしてるか考えてみるのはどうですか」
風香が助け船を出してくれる。
「休日……」
トレーニング、という単語が真っ先に浮かんだ。が、趣味とは言えないだろう。
「あ」ようやくひとつ思い当たった。「コーヒーが好きですね」
「コーヒーですか」
「ええ。豆から挽いてドリップするんです。豆の品種とか煎り方とかで味がずいぶん変わってくるので、いろいろ飲み比べると面白いですよ」
「へえーっ、本格的ですね。いいなあ。もしよかったら、今度飲ませていただいてもいいですか」
「もちろん。俺の淹れるコーヒーなんかでよければいくらでも」
「やった。楽しみにしてますね」
にっこりと笑う風香。期待に添えるほど大したものは出せないと思うが、それでも喜んでもらえるなら八尋も嬉しかった。
──中途半端なことをしていないで、一切会わなければいいでしょう。
唐突に甦った夜空の台詞に八尋は狼狽える。
どうして今、それを思い出したのか。
「どうかしましたか」
動揺が表に出てしまったらしく、風香が少し表情を曇らせながら訊ねてきた。
「なんでもないですよ」と取り繕って答えると、彼女もそれ以上は訊いてこなかったのでほっとする。
やがて目的の公園に到着し、入園料を支払って園内を進んでいく。
入ってすぐ、ここの見所である洋館が目に入った。パンフレットによれば、その古めかしくも豪奢な外観をした建物は、元々は財閥の創始者が別荘として建設させたものらしい。
荘厳で重厚な存在感のあるその洋館に寄り添うように、バラの庭園はあった。
入り組んだ通路の両脇に、色とりどり、大小様々のバラが咲いていた。花の数は少ないものの、観賞に訪れた多くの来園者が、写真を撮ったり香りを嗅いだりしながら秋バラの恵みを楽しんでいた。
「うわあ、綺麗ですね! ここまでいい匂いがしてきますよ」
風香が目を輝かせて八尋を見た。八尋も「ええ。いい香りですね」と笑顔を返す。
風香はカメラのレンズキャップを外しフードを装着すると、さっそく手近に咲いていたバラの花を撮影し始めた。八尋は彼女の邪魔をしないように、園路を進みながら両脇に咲くバラを眺めたり香りを確かめたりしながら過ごす。
ちらりと風香の様子を確かめると、彼女はカメラのレンズを八尋に向けていた。
ファインダーから目を外した彼女が微笑みながら駆け寄ってきて、「どうですか」とカメラの液晶画面を差し向けてくる。そこにはバラの香りを確認しようと花に顔を近づけている八尋の横顔が写っていた。
八尋が笑いながら「声をかけてくれれば変な顔をしたのに」と言うと、風香も笑って「自然な表情を撮りたかったんですよ」と返した。
「でも変顔も撮ってみたいので、ちょっとやってみてください」と言ってカメラを向けようとする風香に、「今はだめです。またの機会に」と八尋は誤魔化し、それから二人で顔を見合わせて笑った。
庭園の端まで歩いたところで、振り返って洋館を見上げた。雅びなバラ園と厳かな建物のコントラストは確かに別世界のようだった。
先ほど脳裏をよぎった夜空の言葉を再び思い出す。彼女は今も、外に出かけることもできず、家で本を読んでいるだろう。自分だけがこんな風に楽しんでいていいのだろうかと、罪悪感が芽生える。
「なんだかわたしばかり楽しんじゃってるみたいでごめんなさい」
八尋ははっとする。風香がそばにいた。どこか心配そうに八尋を見ている気がしたので、「そんなことないですよ」とはぐらかすように答えた。
「秋月さんが楽しそうだから、俺もカメラ買ってみようかなって考えてたところです」
「えっ、ほんとですか」ぱっと風香の表情が明るくなる。「橘くんがカメラを買ったら、一緒に撮影しに行けますね。わあ、楽しそう」
うきうきしている風香を見て、八尋は少し胸が痛くなる。
「ええ。楽しそうです。本当に」と合わせながら、彼女と並んで撮影を楽しむ自分の姿を、他人事のように想像した。
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